第12話 お遊戯会の練習
僕がこの幼稚園に赴任してから、一年弱の月日が流れた。赴任当初は戸惑うことも多かったけれど、今では園児たちとは打ち解けられているつもりだ。
だけれどその園児たちともいつまでも一緒にいられるものではない。始まりの時もあれば終わりの時もある。もうすぐ卒園式だ。僕が受け持っているリコリス組もその対象だった。個性豊かな園児と別れるのは寂しい気もするけど、仕方のないことだ。せめて彼女たちを笑って送り出そう。それが僕にできる精一杯のことだ。
卒園式のお遊戯会の演目は劇をやることになった。悪い魔女に囚われたお姫様を救う女騎士のお話。なんだか百合百合しいお話に思えるかもしれないけど、仕方ない。だって、この園にいるのはみんな女の子なのだから。
とても凛々しい主役の女騎士役をやるのは、セリシアちゃんだ。彼女は一番しっかりしているし、セリフが最も多いこの役は適任と言えるだろう。
次にお姫様役はオリヴィアちゃん。彼女もある意味大人びているし、特に心配はしていないかな。脚本通りに演じてくれればなんの問題もない。
問題は、魔女役のアニータちゃんだ。悪い魔女は誰もやりたがらなかったので、引っ込み思案の彼女がこの役を押し付けられてしまった。悪役ということで、それなりに出番が多い役だ。セリフも二番目に多い。大人しい彼女に演じきれるのか心配だった。
「ふははは! よく来たな……あれ?」
「どうしたの? アニータ」
劇の練習中にアニータちゃんがセリフを詰まる。
「えっと、ごめん。セリフ忘れちゃった」
「よく来たな。女騎士ハンナよ。エリーゼ王女を取り返したかったら私と戦うがいい……よ」
流石セシリアちゃん。アニータちゃんのセリフもきちんと覚えている。やはりしっかり者なだけのことはある。
「うん。わかった。やってみるね。ふははは! よく来たな。女騎士ハンナよ。エリーゼ王女を……」
アニータちゃんは困ったような表情を見える。またセリフが飛んでしまったのだろう。
「落ち着いてアニータ。さっきよりセリフを覚えられている。ちょっとずつ覚えて行けばいいから」
「う、うん。ごめんねセシリアちゃん」
その後も、アニータちゃんは一生懸命セリフを言おうとする。しかし、途中でセリフを忘れたり、つっかえたりしてしまって、まるで進まない。
「ねえ、まだー。私、まだ何もセリフ言ってないんだけど」
エリーゼ王女役のオリヴィアちゃんが不貞腐れている。かれこれ小一時間近く、なにもセリフを言えてないのだから当然であろう。
「オリヴィア。もう少し待ってて。アニータは頑張ればできるから」
「ご、ごめんねオリヴィアちゃん。私のせいで」
結局、その日はアニータちゃんのセリフを覚えるだけで終わってしまった。劇全体の流れを考えるとこれはよくない。他の園児たちの練習が全然できていないのだ。これはまずい。なんとかしなければ……
「アニータ。明日、アニータの家に行ってもいい?」
「ええ? いいけど、どうして?」
セシリアちゃんの申し出にアニータちゃんが戸惑っている。セシリアちゃんとアニーちゃんは、仲良しだけれどお互いの家に行くのは初めてなのかな?
「このままだとアニータはセリフを覚えられないまま終わると思うの。それはさせない。私が徹底的に特訓に付き合ってあげる」
「え? いいの? セシリアちゃんが付いてくれるなら心強いよ」
「ねえねえ、二人共。私も一緒に行ってもいい?」
オリヴィアちゃんも二人の間に入りたいようだ。
「オリヴィア。遊びじゃないの」
「わかってるよ。ちゃんとアニータちゃんの練習に付き合うよ」
「二人共……ありがとう……えっぐ……ふぇええ」
「ちょっと、アニータちゃんどうして泣いてるの?」
「そ、そうよ。私たちが泣かしたみたいじゃない」
急に泣きだしたアニータちゃんに慌てふためく二人。アニータちゃんはうれし泣きしたのだろう。それは見て取れる。なんとも微笑ましい光景だ。
「ねえ、三人共。ちょっといいかな? 迎えの馬車が来るまでまだ時間がある。それまで劇の練習しようか」
僕は三人にそう提案した。
「そうね。先生の言う通りにしましょう。練習時間は多い方がいいもの」
「うん。私、がんばる」
「がんばろー」
三人共やる気があっていい。園児の成長を見守るのはなんとも言い難い感情が芽生える。この仕事をしてて良かった。心からそう思える。
「ふははは! よく来たな。女騎士ハンナよ。エリーゼ王女を取り返したかったら私と戦うがいい」
「魔女レイディ! 貴様を倒して、我が愛しの姫君エリーゼを取り戻す!」
セシリアちゃんがアルミホイルで作ったレイピアをアニータちゃんに向ける。
「貴殿にそれができるかな!」
アニータちゃんが持っていた杖を振るった。ここで魔法で女騎士ハンナが吹き飛ばされる演出が入る。その後、エリーゼ王女がハンナの元に駆けつける演出が入るのだが……
「………………オリヴィア?」
一向に待ってもオリヴィアちゃんは動こうとはしなかった。
「え? 私?」
「そうよ! なにボケっと突っ立ってるの」
「ご、ごめん。すっかり忘れてた。てへ」
「もう。しっかりしなさいよオリヴィア。折角アニータが上手くセリフを言えたのに」
「ごめんごめん」
やれやれ。まだまだ完成とは程遠いけれど……この子たちは一歩一歩前に進んでいる。それぞれのペースは違うけれど、みんなが歩むべき道は一緒だ。その一つの道に向かって支え合い、励まし合い歩いていく。
お遊戯会の本番が楽しみだ……なんだか、僕泣きそうな気がするなあ。大丈夫かな?
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