第253話 絆
動きを止めた『破滅の死獣』の周りには、多くの者たちが集まっていた。
グレイ、ネレス、ミント、ナクリ、フィオナ、ノエル、シアラ、テセア、ネア、ラキ、アリス、エルシャン、ミーナ、ソフィ、レット、クライス――彼を救うために集った者たちは、激しい戦闘により汚れた身体、傷を意に介する事もせず、全員が険しい表情を浮かべ、祈るようにノイルとミリスの生還を待ち望んでいた。
「はぁ、はぁ⋯⋯」
そこに、一号と新二号に連れられたエイミーも、《
そのまま全員がしばらくの間待ち続け――遂にその時は訪れる。
『破滅の死獣』の巨体が、少しずつ光の粒子となり消滅していく。立ち込めていた厚き雲が徐々に晴れ、暗く荒れ果てた平原にはぽつぽつと光が差し込み始めた。
そして、雲間から一条の日光が『破滅の死獣』へと降り注ぐと光が弾けた。
ふわりと天に登るように『破滅の死獣』はその姿全てを光の粒子に変え、消えていく。
黒き巨体が居た場所の中心には、一条の日光と光の粒子に包まれるように――二人の男女が現れた。
ノイル・アーレンスと、彼を抱くミリス・アルバルマが。
険しい表情を浮かべていた皆の顔には、安堵の笑みが浮かび――消えた。
倒れ、動かないノイルを抱くミリスの姿がこれまでに見せた事がないものだったからだ。
「ノイル⋯⋯ノイル⋯⋯」
彼女は泣いていた。目を閉じ動かないノイルをぎゅ抱き締め、縋るかのように、一人涙を流している。幼い子供のように――もう、何も出来ないかのように。
ただ、ミリスはノイルを抱き締め続けていた。
その姿は何が起こり、どうなってしまったのかを全員に理解させるには、充分に過ぎた。
あのミリス・アルバルマが、縋りついて泣きじゃくる事しか出来ず、ノイルは目を開けない。これまでの彼女を知っている者たち程――ノイルが二度と目を開ける事はないという事実を、察してしまう。
信じたくはなくとも、現実を突きつけられる。
「⋯⋯⋯⋯⋯⋯うそ⋯⋯」
誰もが動けぬ中、やがて――ノエルが、呆けたような表情でその場に両膝を着いた。それこそ、魂が抜けてしまったかのような顔で、震える瞳を彼女はミリスとノエルに向けている。
「うそ⋯⋯うそ⋯⋯」
うわ言のように、ノエルはぽつぽつそう呟き続ける。
ネアとラキが静かに目を閉じ、クライスが苦しげな表情で顔を逸らした。レットが顔を伏せ肩を震わせる。
「なん、でよ⋯⋯」
ミーナが、両手で顔を覆いその場にしゃがみ込んだ。
「なんで⋯⋯」
激しく頭を振る彼女を、ミントがそっと背後から抱き締め、ナクリがグレイとネレスへと視線を向ける。ネレスはグレイの胸に顔を押し当て、彼はその肩を片腕で抱いて眉を歪めていた。
「シアラ⋯⋯」
「⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯」
目を見開いたまま、自身の兄を見つめ続けるシアラを、テセアが顔を歪めて抱き締める。しかし、彼女の腕に抱かれたシアラは、それでも何の反応も示さずただ、空っぽの瞳をノイルに向けていた。
「ソフィ⋯⋯ボクは⋯⋯」
「⋯⋯⋯⋯っ」
驚く程に弱々しい声でそう呟いたエルシャンの震える手を、ソフィが両手でぎゅっと握る。彼女は一度ソフィに視線を向けると、再びノイルを見た。呆然としたように軽く口を開いたままのエルシャンの頬を、すっと一筋の涙が流れ落ちる。
「どこでまちがえた⋯⋯なにが、なんで⋯⋯アリスちゃんは⋯⋯なにがわるかった⋯⋯どこで⋯⋯」
両手で頭を抱え、しゃがみ込んで目を見開きながら、アリスはぶつぶつと呟く。そんな彼女の傍に、一号と新二号が口元を引き結び寄り添った。
「先輩⋯⋯?」
ふらりと、その脇をフィオナが通り抜けた。現実を受け止められないかのような、歪んだ笑顔で、覚束ない足取りで、真っ直ぐに歩けもせず、彼女はノイルへと歩み寄ろうとしている。
「私です⋯⋯貴方のフィオナです⋯⋯ねぇ、先輩⋯⋯今日はどうしますか⋯⋯? 今日も、お弁当、あります⋯⋯一段落したら⋯⋯まずは、水草を集めますか⋯⋯? 先輩⋯⋯?」
支離滅裂な事を呟きながら、フィオナはとうとうその場に崩れ落ちた。それでも、歪な笑顔をノイルに向けている。まるで、彼に話しかけてもらっているかのように。
誰もが絶望し、荒れ果てた平原にはどんどんと場違いに光が差し込む。
そんな中――彼女が動けたのは、必然だったのかもしれない。
たった一人、絶望する事なく、まだ終わっていないと行動できたのは――ミリスとの関わりが殆どなかったからだ。
そして、それが大好きで、常に彼女は求めていたからだ。
――ハッピーエンドを。
「私、言いましたよねノイルさん」
誰よりも関係が浅いからこそ動けた。
他の者たちがノイルとの繋がりを最初から持ち、それを強く太くしていったとするのならば、彼女は無理矢理に結び付けたのだろう。
本来繋がっていなかったかもしれないノイルとの絆を、強引に手繰り寄せる力を、持っていた。
今、彼女はノイルの運命を書き換える。
世界を歪めるきっかけを創り出す。
こんな結末を――エイミー・フリアンは認めない。
「物語は、ハッピーエンドが好きなんです」
エイミーはそう言って微笑むと、《夢物語》を開いた。
――エイミー・フリアンは、ノイル・アーレンスと結ばれ、幸せな人生を送る。
書く言葉など、決まっていた。
既にページの半分以上を埋めているその文章を、エイミーは更に綴る。
《夢物語》のページが全て埋まってしまう勢いで、ただただ、幸せな結末を迎えるために。
「ッ⋯⋯!」
直ぐに、エイミーの皮膚が裂け始めた。癒し手の回復力を持ってしても癒しきれない程の速度で、エイミーの身体は血を流していく。
絶えず痛みは襲いかかり、それでも手だけは止めない。
「私はッ!! こんなの認めないッ!!」
大声を張り上げたエイミーに、全員が視線を向けた。
「まだッ!! 終わってなんかいませんッ!!」
涙と血を流し叫ぶエイミーの背に、そっと小さな手が添えられる。癒しの力が、負傷を上回り、彼女の傷が塞がっていく。
「――ソフィも、そう信じます。信じさせて、ください」
いつの間にか、彼女はエイミーを支えていた。
俯いていたレットが、勢いよく顔を上げる。
「てめぇらッ!! てめぇらの執着はその程度じゃねぇだろうがッ!! 諦めてねぇでノイルんを救けろよッ!! 救けてくれよッ!! てめぇらならなんかできんだろうがッ!! 頼むから⋯⋯俺のダチを救けてくれッ!!」
涙を流し、勝手な怒声を張り上げ、レットは懇願する。自身の能力ではできる事はないと知りながら、無茶な要求だとわかっていながら、それでも、諦める事はできなかった。
だから皆に縋る。親友を救ってくれと。
信じるしかなかった。異常な程にノイルを愛し、彼のために力を得てきた者たちを。
「なあ! 頼む!! 俺は――」
「黙りなさいッ!!!!」
張り上げるレットの声を、それ以上の怒声が遮った。全員の視線がその声の主――フィオナへと集まる。
彼女は《
「先輩⋯⋯?」
はっとしたように立ち上がり、フィオナは瞳を閉じた。そして――
「まだ、ここに居るんですね」
《
「先輩の魂はまだ、ここに!!」
その言葉に、絶望していた者たちが空を見上げた彼女の視線を追い立ち上がる。
「お手柄だフィオナ」
涙を拭い、先程とは比べ物にならない凛とした声でエルシャンはそう言うと、両手を掲げた。
「精霊達よ、今後一生、ボクのマナを好きなだけ捧げる。だから――今だけはこの場をキミたちのマナで満たしてくれ」
瞬間、辺りには精霊達の放出したマナが広がる。それは視認はできないが――代わりに、そのマナを必要とする存在の姿が浮かび上がった。
無数に散ったノイルの魂。今にも消えてしまいそうなそれは、小さな光の粒となって宙空に広がっていた。
「《
すかさず動いたのは、放心していたシアラだった。漆黒の鎖が無数に伸びノイルの魂に繋がる。その存在を消えてしまわぬよう、無理矢理に自分に繋ぎ止める。
「《
続けざまに両手を胸の前で組んだノエルが叫び、彼女から伸びた光がノイルの魂に繫がった。淡く今にも消えてしまいそうだったノイルの魂が、彼女の支えにより強く輝く。
「くっ⋯⋯」
しかしシアラとノエルの二人はほぼ同時に顔を歪めた。理に反し、ノイルをこの世界に繋ぎ止める行為には、相応の負担がかかるのだろう。だが、《六重奏》により高められたその力は、二人は、決して彼を離さない。
「待ってろクソダーリン」
そして、アリスが胸元から一組の紺碧の手袋を取り出した。赤の刺繍が施されたそれは、当然ながら魔導具だ。
『
「いま――」
「貸して」
立ち上がったアリスの隣に、ミーナが並ぶ。毅然とした表情で彼女は無数のノイルの魂を見つめながら、アリスに手を差し出した。
「あたしの方が早い」
「ミスったら殺す」
「ええ」
アリスはミーナに『心の手』渡す。今の狩人の力が宿った彼女ならば、繊細なこの魔導具を扱える。この場において、最も迅速にノイルの魂を集められるのはミーナだろう。
「いくわよ、ノイル」
ミーナはそう言うと、地を蹴った。『空脚』で宙を駆け縦横無尽に高速で跳び回り、一つずつノイルの魂を回収していく。
それは――〈
そんな目の前で繰り広げられる奇跡のような光景を、ネレスはグレイに肩を抱かれながら呆然と眺めていた。
――母とは道を分かちなさい
あの日聞いた予言がネレスの頭に蘇る。
――淋しい淋しい別れこそ
知らず内に、ネレスの瞳からは涙が溢れ出していた。
――その後に出逢いを齎して
「間違いじゃなかった⋯⋯」
「ああ」
ぽつりと声を漏らしたネレスの肩に、ぐっとグレイが力を込める。
――育む絆が彼を救う――
予言は今、成就する。
あの日あの時、息子の幸福を願い手放した選択は、決して誤りなどではなかった。
ノイルは、彼を想う者たちによって、彼の育んだ絆によって、今救われる。
「テセア! フィオナ! 取りこぼしはねぇか!!」
「大丈夫!」
「ええ、問題ありません!」
《
「そのままクソダーリンに全ての魂を戻せッ!!」
アリスの言葉を受けたミーナが、ノイルの魂を抱えたまま彼の元へと向かう。そして、ミリスに抱かれているノイルの胸に、そっと両手で魂を戻した。吸い込まれるように、ノイルの魂は彼の身体の中に入っていく。
ミーナに続き、皆がノイルの元へと駆け寄る。
「ッ⋯⋯だめ、マナが欠片も残ってない。全部抜けちゃってる」
ノイルの身体を《解析》で検めたテセアが、焦ったような声を上げる。
「大丈夫よ」
しかし、彼の傍に屈みこんでいたミーナは『心の手』を外しながらそう言って――ノイルを抱き締めているミリスの顔を上げさせた。
両手で彼女の顔をはさみ、ミーナは涙を流す彼女を自分と真っ直ぐに向かい合わせる。
「いつまで呆けてんのよ馬鹿ッ!!」
至近距離で、ずっと動けずにいたミリスに、ミーナは怒声を張り上げた。
「さっさとノイルにマナを注いでやりなさいッ!! あんたにしか、それはできないのよッ!!」
「⋯⋯たすかる、のか⋯⋯?」
「救けるのよッ!!」
パンと両手で、ミリスの頬をミーナは打った。虚ろだった彼女の瞳に、光が戻り始め、ばっと、ミリスはノイルに向き直り、それを確認したミーナはそっと二人の傍を離れる。
「⋯⋯ノイル、我はお主を愛しておる」
ミリスは呟き、万感の想いを込めてそっと彼へと口付ける。
マナがミリスからノイルへと注がれ――しかし彼は目を開けなかった。
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