第252話 最期の依頼
それだけ、ただそれだけの魔装だ。
他の使い道は皆無である。
繰り返すが、他の使い道は皆無だ。
まあでも――貴重な枠を潰した甲斐はあったというものだろう。
「ノイルっ!!」
「はばぁッ!!」
僕は突っ込んできた店長の頭を鳩尾に喰らい、死にそうになりながらもそう思った。やめろ、やめてください今鳩尾に頭を擦り付けないで、今あなたが致命打を与えたとこだよ?
しかし、店長は仰向けに倒れた僕の上から下りてくれない。仕方ないので一度抱き締めてやると、店長は僕の鳩尾に追撃するのをやめてくれた。
そのまま僕の首に腕を回し、今度は頬擦りをしてくる。まあ今回はしばらく好きにさせてもいいだろう。
そう思いながらふと顔を上げると――『アステル』が物凄く冷めた瞳でこちらを見下ろしていた。
店長にぶっ飛ばされ、元々狭かった僕の聖域の境界線ギリギリまで来てしまっていたらしい。
「何で?」
「店長だから仕方ない」
僕は『アステル』にこの世の真理を教えてあげた。
「意味がわからない」
「あ、はい」
『アステル』の声音と瞳は何処までも冷たいものだ。だが、そんなものは正直何も怖くない。感情が籠もっていないからだ。これはただ、僕と店長を敵として定めただけである。
僕は自慢じゃないがもっと怖い声や表情や瞳をよく知っているんだ。本当に自慢にならないし、悲しくなってくるが、それに比べれば『アステル』からは何も感じない分、遥かにマシである。
「処分しなきゃ」
ごめんその言葉は怖いや。
嫌な慣れで調子に乗っていた僕は、店長の背を慌てて叩く。
「店長、ヤバイヤバイ」
「もう少しよかろう」
いいわけないだろ、見て、『アステル』の方見て見て? 凄いよあれ。何か闇が蠢いてるから。
「前見て前」
僕がそう言うと、ようやく店長は顔を上げてくれた。そして、不快げに眉を歪める。
「――愚物が、まだノイルを狙うか」
ほーら、これ。これだよ『アステル』。圧が違う。それを発する人の下に居る僕が圧し潰されそうになる程にね。圧が違う。
店長から放たれる覇気に冷や汗を流していると、彼女はすっと立ち上がった。手を差し伸べられ、僕もそれを握り立ち上がる。
『アステル』の方へ向き直れば、彼女は少し離れた位置に移動し、その周りを暗い闇が覆っていた。
しかし、どうやらやはり聖域には入って来られないらしい。うん、まあ僕今もかなりしんどいからね。侵食の手は一切緩められてないねこれ。
「こっちに来たらその邪魔者ごと呑み込んであげる」
さて、『アステル』は実際ここでどれだけの戦闘力を持つのだろうか。
まあしかし――
「それは無理じゃ、我とノイルが揃った時点で、貴様に勝ち目はない」
そういう事だ。
例え『アステル』本体が強かったとしても、もう一切負ける気はしなかった。
握り合った手から伝わる温もりが、力強さが、全ての不安など吹き飛ばしてくれる。
僕は、ミリスと繋いでいない方の手を前に翳した。
「やろうミリス」
「うむ!」
満面の笑みで頷くのと同時に、ミリスが僕の首へと両腕を回してきた。
湧き上がる力の奔流を感じながら、僕は口を開く。
「魔装――――」
ミリスと僕の声が重なる。
「《
瞬間、ミリスが僕の顔を両手ではさみ、自身の方へと向かせて――唇と唇が触れ合い、彼女は純白の輝きを放ち光の粒子となった。
光は僕の身体を包みこみ、やがて形を成す。
穢れを知らぬ純白の全身鎧。透き通った紅玉色の剣。
僕たちの最強の魔装――《白の王》。
『おほー! やはり良い。良いのぅ!』
「やかましい」
もうこの際今のは何も言わないから、頭の中で騒ぐのはやめなさい。
『久し振りなのじゃから良かろう!』
言うほど久し振りかな?
⋯⋯久し振りだな。
そういえば、『
そう思いながら、僕は闇の中に一歩踏み出した。途端地面から僕らを呑み込む様に闇が這い上がり、四方から迫りくる。
「捕まえ――」
『アステル』かそう言おうとした瞬間、僕らは紅玉の剣を振るった。縦に、一閃。
それだけで、終わりだった。
覆っていた闇が晴れ、青空と平原が広がる。唐突に現れる砂浜と大海原は、何時ものあの世界そのままだった。
「⋯⋯何で」
『アステル』が、辺りを見回しぽつりとそう漏らす。
『む? のぅノイル。何故『白の道標』があるのじゃ?』
そして世界が元に戻ったという事は、当然あの建物も再び現れていた。
「何でだろうね」
『おほー、わかったぞ。心の中にもある程好きなのじゃな!』
「そうだね」
テンションの高いミリスを軽くあしらい、僕は『アステル』に紅玉の剣の切っ先を向ける。
「わからない⋯⋯何で嫌なの⋯⋯何でワタシを拒絶するの」
両手で頭を抱え後退りながら、アステルは背の辺りから複数の闇の手を伸ばしてくる。
紅玉の剣を振るい、それを切払いながら僕らは『アステル』に歩み寄る。
『わからぬか、それはノイルが我を好きじゃからじゃ。まあ愚物にはちと難解かもしれぬのぅ』
僕にも難解だなそれ。
愚物だからかな。
「何で⋯⋯そんなに強いのッ! ワタシの方がッ! 力を高められるのにッ!」
『アステル』が叫ぶと同時に、また世界が凄まじい勢いで闇に覆われ――紅玉の剣が切り裂いた。
『それは、我とノイルじゃからじゃ。我とノイルじゃから、最強なのじゃ』
⋯⋯まあ、そういう事だ。
「僕とミリスだからこそ、この力は最強なんだよ」
『おほー! ノイルがやけに素直じゃ! そのような言葉は初めて聞いたぞ』
うん、初めて言ったからね。恥ずかしいね。
でも⋯⋯そう思ったんだよ。
晴れ渡った世界で、『アステル』はその場に膝を落としへたり込む。
もうわかっているのだろう。この力には敵わず、逃げる事もできないと。
「ワタシ、は⋯⋯」
君は終わりだ『アステル』。
いや、終わるべきなんだ。
もう、ゆっくりとお休み。
大丈夫だよ。
僕も――一緒にいくから。
『ノイル⋯⋯?』
『アステル』へと歩み寄るとミリスが不思議そうな声を発したが、応えずに紅玉の剣を振り上げる。
そして――振り下ろした。
◇
「む⋯⋯?」
小さな丸池を囲むように並ぶ椅子。『白の道標』に酷似した建物のある平原で、ミリスはぱちくりと目を瞬かせた。
「何が起こったのじゃ⋯⋯」
先程まで、ノイルと《白の王》を発動させていた筈だ。あの魔装は制限時間でのみ解除される。そして、まだ時間はたっぷりと残っていた。にも関わらず、気づけば魔装は解除されており、何時ものようにノイルの肩の上にも居らず、ミリスは一人で平原に立っている。
「ノイル⋯⋯!」
途端に不安に駆られ、ミリスは辺りを慌てて見回した。そして、ほっと胸を撫で下ろす。
「何じゃ⋯⋯ちゃんと居るではないか」
ノイルは、砂浜で足首辺りまで海に浸かり、水平線を眺めているようだった。
おそらくは、この場故の現象じゃろう。不安定になってしまうのかもしれぬな。
ミリスは強制的に《白の王》か解除され、別々の位置に飛ばされてしまった理由をそう考えながら、海の方面へとかけた。砂浜に入り、思い切りその背に抱き着こうと笑みを浮かべ――
「うぬ」
ゴンと頭を何かにぶつけた。ミリスは再び瞳を瞬かせる。何故なら、そこには何もなかったからだ。何もないのに、波打ち際から先へと進めない。まるで透明な薄い壁が張られているかのようであった。
「何じゃ⋯⋯これは⋯⋯」
ミリスは透明な壁に両手を当て、片手で力を込めて叩く。しかし、壁はビクともせず、音すら立てる事はなかった。
その先にノイルが居るというのに、これ以上先へと進めない。
「ノイル⋯⋯?」
またもや、ミリスの胸に得体の知れない不安が込み上げてきた。
「ノイル! 何か妙じゃ! 急ぎここを出たほうがよい! こっちに来るのじゃ!」
壁を必死に叩きながら、背を向けているノイルにミリスは大声で呼びかける。しかし、直ぐには彼は振り向かなかった。
「ノイルっ!!」
自身の声が届いていないのかと思い、ミリスは一層声を張り上げる。
すると、ゆっくりとノイルは振り返り、ミリスは安堵した。
「ノイル、早うこちらへ――」
「お別れみたいです。店長」
しかし、ノイルはミリスの言葉を遮り、そう告げた。
何時ものように、へらりとした笑みで。
◇
「な、何を言っておるのじゃ⋯⋯?」
砂浜に佇む店長が、呆然としたようにこちらを見ている。次第に、彼女は引き攣ったような笑みを浮かべた。
「わ、笑えぬ冗談じゃ⋯⋯ちっともおもしろくないぞノイル」
「冗談じゃないんですよこれが。もうダメみたいです」
流石の僕でももうちょっと笑いのセンスはあるよ。いや、あるかな? ない気がしてきた。
まあでもとりあえず、これは冗談ではない。
店長ももう、薄々感づいているのだろう。
そこから先に入れないという事は、そこが境界線だ。生きている者と、終わった者との。
こちらを見ている彼女は気づいていないようだが、その後ろからは、世界がどんどんと消滅していっている。さらさらと砂が崩れ落ちるかのように、僕の魂の世界は終わり始めていた。
なんとなく、途中からわかっていたんだこうなる事は。
『アステル』も相当必死だったんだろう。今回こそ、失敗はできないと。
だからもう後先考えず、ここで勝負を決める気だったのだ。自身の全ての力を使ってでも、僕を手に入れるつもりだった。
あの記憶の流入は、意図せず僕に流れ込んだもので、あの時点で取り返しがつかないほどに僕の魂は『アステル』に侵食されていたのだ。彼女が倒されても傷は修復できない程に、もうボロボロなのだろう。
僕はもう――後は消えるだけだ。
僕と『アステル』の因果が深く繋がっていたのならば、最初からこの結末は決まっていた。辿り着く場所に、辿り着いてしまっただけだ。
共に消えるという、終着点に。
だからもう、何もできる事はない。
「笑えぬと言うておるッ!!」
店長が、激昂したように見えない壁を思い切り殴りつけた。
僕は何も言えずに、彼女をただ見つめる。
「嘘じゃ⋯⋯」
次第に、店長は壁に額を押し当てるようにして俯き、そして――今にも泣き出しそうな、崩れてしまいそうな、縋る様な表情を浮かべた。
「のぅ⋯⋯ノイル⋯⋯嘘じゃと言うてくれ⋯⋯」
「⋯⋯皆に、ごめんって伝えてください」
「そのような言葉は聞きとうないッ!!」
「それと⋯⋯本当にありがとうと」
「ふざけるでないッ!! 嘘じゃと言うのじゃッ!!」
「そう言って!! 何になるんだッ!!」
思わず、声を張り上げてしまった。
僕だって、そう言えたらどれだけ良かっただろうか。また笑い合えると言えたのならば、どれ程嬉しいだろうか。
でも、もう無理なんだ。
やり残した事も一杯ある。ニケルベンベだってまだ釣っていないし、何より――皆に何も応えられていない。
でも、仕方ない。
僕は汚属性だから。
無責任に居なくなる。
なんとも僕らしい最期じゃないか。
本当にどうしようもない、ダメ人間だ。
ミリスは、放心したかのようにその場に膝を落とし俯いた。
僕は、そんな彼女へとゆっくりと歩み寄る。もう平原は殆ど消えてなくなっており、残っているのはこの砂浜と海だけだ。
見えない壁に一度手を当てて、僕は屈みこむ。
初めてだ。
「嫌じゃ⋯⋯」
初めてだった。
「嫌じゃ嫌じゃ⋯⋯」
こんな風に泣きじゃくるミリスを見たのは。
「ノイルぅ⋯⋯」
弱々しく顔を上げたミリスは、くしゃくしゃの泣き顔で僕へと手を伸ばす。見えない壁に阻まれるその両手の平に、僕も自分の両手を合わせる。隙間なんてないように見えるのに、何も感じない。合わさった両手は僕と彼女の隔たりを際立たせる。
もう触れられない。
お願いだ。泣かないでくれ。
そんな顔は見たくない。
これ程までに、そう思ってしまうのは何故なのだろうか。どうしても、その涙を拭ってあげたくなるのは、どうしてだろうか。
ミリスの泣き顔に、胸が酷く締め付けられる。
ああ、そうか⋯⋯きっと僕は――――
「ミリス、髪、伸びたね」
「ノイル⋯⋯ノイルぅ⋯⋯」
不思議な程に同じ長さだなと思っていたミリスの髪は、こうして久し振りに見ると、ほんの少し長くなったように思う。
もしも、三千年以上も生きている彼女の成長は止まっていたというのなら、その時は再び動き出したのだろう。
これからきっと、もっとずっと素敵な女性になる筈だ。それこそ、勇者さんのような。
「これからは、自分でも綺麗に手入れ出来るようにならないと」
「嫌じゃ⋯⋯ノイルがやってくれぬと嫌じゃ⋯⋯」
ぼろぼろと涙を零しながら、ミリスは駄々っ子のように頭を振る。
「食事も、甘い物やチーズばっかり食べないで、ちゃんとバランスを考えて」
「ノイルが作ればよいのじゃッ! これまでのようにッ!」
もうそれは出来ないんだよ。
やってあげたいけどね。
色々と不器用で、時々どうしようもなく子供っぽくて、なのに偉そうで、人を散々振り回して――いつの間にか心の中に居た。
そんな君を、僕はこれからも見てる。
何処からかは、ちょっとわからないけど。
「ノイルが、居らねば⋯⋯我の、生に意味はない」
「居るよ、君の傍に」
もうそれが当たり前になってしまった。君と一緒に居ることが。だから僕はこれからも傍にいる。身体は消えてしまっても、心を置いていく。
「おらぬではないかぁ⋯⋯」
「居るよ」
壁に弱々しく当てたミリスの額に、僕も額を合わせる。触れ合っているようで、しかし温もりは伝わらない。紅玉の瞳から涙は溢れ出て、形の良い眉毛は歪んでいる。
「君が寂しくなったなら、僕は直ぐに傍に行く」
「どうやって、くると、いうのじゃぁ⋯⋯」
「どうやってでも」
これ程近いのに、匂いも温もりも、柔らかさも、何も感じないけれど、心は触れ合える。
伝えたい想いはできた。けれど、それは胸にしまおう。
きっとこれ以上彼女を傷つける事になるから。
代わりに――
「僕の最期の依頼だ、ミリス」
「さいごなど⋯⋯いうな⋯⋯」
「これからも、生きて」
「むりじゃ⋯⋯そんなことはむりじゃ⋯⋯」
「報酬は――これからも君を見守る」
ちょっと気持ち悪いし、全然足りないかもしれないが⋯⋯まあそこは従業員割引ということで。
微笑むと同時に、もうすぐそこまで世界が崩壊している事に気づいた。
「ミリス」
「ノイルぅ⋯⋯いやじゃぁ⋯⋯」
「僕は――」
「のい⋯⋯」
想いが溢れそうになった瞬間に、ミリスの姿がふっと消え、僕は顔を伏せた。
「君が好きだ」
誰も居ない場所に、もう暗闇しかない場所に向けて、そう呟く。
世界が――僕が消えるまでは、少し猶予があるらしい。顔を上げると崩壊は目の前で止まっていた。
立ち上がり、あてもなく海の中へと歩いていく。どういうわけか、深さは何処も足首の辺りまでしかなかった。
ああ――独りは少し寂しいな。
僕はそんな風に感じる人間ではないと思っていたが、考えてみれば、なんだかんだ僕の人生で一人で過ごした時間は短かった。
そういえば、僕の
無事だと良いな。彼女も。
振り返ると、もうかなり沖まで出てきていた。沖と言っても、何故か浅瀬だが。
この辺りで大人しくしていようか。
何処まで行っても――どうせ一人だ。
「少し怖いな⋯⋯」
ぽつりと、口からそんな言葉が漏れた。
ここまで来て情けない男である。
「ん⋯⋯?」
ふと、遠くの方に何かが見えた気がして、僕は歩みを進めた。
「ああ⋯⋯」
辿り着いた先に居たのは、膝を抱えて座っている『アステル』だ。
「なんで⋯⋯」
かなり身体が薄くなっており、殆ど透けてしまっている彼女は、相変わらずそう呟いている。僕は、その隣に腰を下ろした。
「なんで⋯⋯?」
「一人じゃ怖いんだ」
僕はそう言って、『アステル』に微笑んだ。じっと僕を見つめていた彼女は、ふっと視線を戻し、ぽつりと声を漏らす。
「うん⋯⋯こわい⋯⋯」
今の彼女とならばちゃんと話ができる気がする。
そう思った僕は、『アステル』と共に過ごす事にした。
終わりの時間が訪れる、その時まで。
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