第247話 最期の談笑
「ミーナ」
未だ感覚を掴めず一人身体を動かし続けていたミーナの元へ、ナクリとミントが歩み寄る。
「⋯⋯何?」
ミーナは一つ息を吐き、動きを止めると両親の方へと振り返った。
「相手をしよう」
ナクリが腰から細剣を抜き、切先をミーナへと向けて半身の姿勢で構えを取る。ふっと、ミーナはもう一度小さく息を吐き出した。
確かに、相手が居たほうが感覚は掴みやすいだろう。ミーナは《
《六重奏》の影響により、以前とは異なり
手甲とブーツは薄紫の輝きを帯びている。
動き易いのに身体が重い⋯⋯妙な感じね。
軽く手を開いて握り、ミーナはナクリへと向き直って構えを取る。
「正直、パパとママには聞きたい事や言いたい事が色々あるのよね」
「あはは⋯⋯」
鋭い声でミーナがそう言うと、ミントが困ったように頬をかく。
ずっとノイルやレットと仲良くしながら側に居た事。二人ともかつてノイルの両親、それにロゥリィ・ヘルサイトとパーティを組み活動していた事。
そして、それらを一切自分には話していなかった事。
事情はわかっている。理解もできる。
ただし、納得できるかは別問題だ。
周りにも全てではないが、知っている者は居たというのに、自分だけが何も知らされていなかった。実子であるはずの自分だけがだ。
少しくらい、何か教えてくれても良かったではないか。これではまるで自分だけがバカな子供のようだ。
ミーナがナクリとミントに対して不満を抱くのは、無理もない事であった。
しかし――
「ま、別にいいわ」
今はそんな事はどうでもいい。
ノイルを救い出してから、改めて話をすればいい。
今はやるべき事を、やらなければならない事をただやるだけだ。
そのために協力してくれるというのならば、不満など忘れよう。
それに、考えてみれば悪くはない。
ノイルの両親と仲が良く、ナクリに至っては彼に師匠とさえ呼ばれている。その関係性に思うところはあるが、これはミーナにとってかなり都合の良い話でもある。ノイルとの接点が他の者とは比べ物にならない程に増えた。事ある毎に共に居たというナクリからは、ミーナの知らないノイルの話が聞けるだろうし、協力を仰げば更に仲を深める事が可能だ。
自分の預かり知らぬ所で、父と関わっていたというなんとも言えない気恥ずかしささえ飲み込んでしまえば、今後ミーナはずっと有利になるだろう。
一度肩を竦めたミーナは、しかしふとある事を思い出し再度鋭い瞳を父に向けた。
「⋯⋯もしかして、あの時ノイルをあたしの所に――」
「あまり話をしている時間はない。始めるとしよう」
ぴしゃりとミーナの言葉を遮ったナクリに、ミントががっくりと肩を落とす。
「なーくん、誤魔化せないよ⋯⋯」
二人のやり取りを見て、ミーナは確信すると同時に顔がどうしようもなく熱くなるのを感じた。
じゃああの夜の事も、知られて⋯⋯!
顔どころか全身が真っ赤に染まり、口をパクパクと動かしているミーナを見たナクリが、一度顔を逸らし、頭を下げた。
「すまん⋯⋯」
「す、すすすすまんじゃないわよッ! バカなのッ!?」
「む⋯⋯しかし、二人の距離は⋯⋯」
「確かに⋯⋯ッ! それはそうだけど⋯⋯! あーもうっ!!」
ミーナは頭を両手でガシガシとかいてその場にしゃがみ込んだ。
気まずそうな表情を浮かべているナクリの肩に、ミントがぽんと手を置く。
「ね? だからなーくんは過干渉すぎるの。親にそんな事されたって知ったら、私も死にたくなるよ?」
「⋯⋯反省する」
笑顔のミントに諭されたナクリは、ミーナに再度頭を下げた。
「本当にすまなかったな」
「うー⋯⋯」
ミーナは素直に怒る事もできなかった。あの出来事がきっかけになったのは間違いないからだ。しかし、だかといってとても許容できる行いではない。
複雑な心境で、ミーナはただただ度し難い羞恥心に襲われていた。
「⋯⋯ミーナ」
頭を抱えて蹲ったままのミーナに、ナクリは声をかけると懐から何かを取り出す。僅かにミーナが顔を上げると、それをナクリは投げ渡した。
「え、ちょ」
思わず慌ててそれを受け取ったミーナは、両手に乗せて見る。
「⋯⋯何これ?」
赤い金属で出来ているような、極薄の手のひら程のリングが二つ。ミーナにはそれが何なのかわからず眉根を寄せる。
「『空脚』、ロゥリィの創った魔導具だ」
ナクリの答えに、ミーナは顔を上げた。
「足の裏に取り付け、強く踏み込めば空を蹴ることができる。今のミーナならば使いこなせるだろう」
「⋯⋯そんな貴重な物、いいの? 言っとくけどお詫びにはならないわよ」
「そんなつもりはない。元々、折を見て譲るつもりだった。ノイルん程ではないが、確かにお前の足場になり助けとなるはずだ」
ミーナは一つ息を吐き、額に手を当て頭を振りながら立ち上がる。
「本当に何でも知ってるわけね⋯⋯」
そして、大きく息を吸うと――
「クラァァァァァイスッ!!」
声を張り上げ、例の事件の共犯者を呼んだ。
「んはーいッ! 俺っですっ!」
すぐにクライスがポーズを決めながらスライドして現れる。それを見たミーナは満足そうな表情を浮かべ足の裏に『空脚』を取り付けると、手の骨を鳴らした。
「一応あんたから謝罪は受けたけど、丁度いいから二人まとめてボコボコにするわ」
「治癒は任せて」
いつの間にかミーナ側に立っていたミントが、笑顔で《
ナクリとクライスは顔を見合わせる。クライスがやってしまったとばかりに額を叩くと、ナクリはゆっくりと首を横に振った。
「ムカつくから何か言えッ!!」
そんな二人に、ミーナは猛然と殴りかかるのだった。
◇
「うおぇ⋯⋯ぅ⋯⋯」
各々が準備を進める中、シアラはまだ一人で吐いていた。テセアも今は必死に身体を慣らしているため、彼女の側には居らず、シアラは一人平原で蹲り続ける。
肉体的には何の問題もないが、気分は最悪だった。
しかし、ノイルを救けるためならばこの程度の苦痛に文句は言っていられない。例え生理的に受け付けない男の魂が宿ろうと、それが力を高める結果に繋がるのならば、シアラは血反吐を吐こうが耐えられる。
無事ノイルを救った暁には、兄妹のスキンシップで身体を清めてもらうのだ。
お風呂でしよう。
そう思い、シアラは口元を拭って顔を上げる。
「ゔぇぇぇ⋯⋯」
そしてまた嘔吐した。
抗議の声を上げるかのように、身体の中で何かが強く脈打つのがまた不快だった。
「ったく、何やってんだ」
そんな時、呆れたような声がシアラにかけられ、背には優しく手が添えられる。
その感触にシアラは――
「うぼぇぇぇ⋯⋯」
また吐いた。
彼女の背を擦ったグレイが、薄目になり眉根を寄せる。
「流石にマジで泣くからな?」
そう言いながらも、グレイはシアラの背から手を離す事はなかった。しばしの間グレイに背中を擦られていたシアラは、もう一度口元を拭いゆっくりと顔を上げる。
「⋯⋯こんな事、してる、暇あるの?」
「それは俺がお前に言いてぇよ」
グレイはシアラの問いに再度目を細める。
「⋯⋯無理、しないでいい」
「それも俺がお前に言いてぇよ」
「⋯⋯兄さんが、帰ってきた時、父さんが、居ないと、悲しむ」
そして、続いた言葉にグレイは僅かに目を見開いた。
「⋯⋯父さんは、弱い。兄さんは、私が救ける」
「死なねぇから心配すんなって」
ふっと笑みを浮かべると、グレイはシアラの頭をガシガシと撫でる。不快だったが、シアラは大人しくそれを受け入れた。
「⋯⋯私も、嫌」
「だから大丈夫だっつうの。ったく、父親を何だと思ってんだお前は」
「⋯⋯雑魚」
「おい」
真顔になったグレイは、シアラの頭を撫でる手を止める。そして、頬をぽりぽりとかいた。
「まあなんだ。母さんも居る。確かに一度負けちまったが、心配すんな」
「⋯⋯母さん」
「おう、マジでキレてるからな。俺よかずっとおっかねぇぞ」
「⋯⋯興味ない」
「おい」
グレイは再度真顔になり、ふっと笑みを浮かべてシアラの隣に腰を下ろす。
「ま、それも無理ねぇか。お前にとっちゃ赤の他人みてぇなもんだもんな」
「⋯⋯父さんも」
「おい」
「⋯⋯結婚すればいい」
「あん?」
「そうすれば、他人じゃなくなる」
目を見開いているグレイの顔をシアラは見つめて口を開く。
「兄さんを産んでくれた事には、感謝してる。だから、これが終わったらちゃんと結婚すればいい。私と兄さんと合同結婚式でもいい。いや、やっぱりダメ。勝手にやって」
それだけを伝えると、シアラはふいと視線を地面に戻した。再び吐き気がこみ上げてきていた。
「⋯⋯意味が、わからねぇよ」
しばしの間呆然としていた様子のグレイは、やがてふっと微笑んだ。少し切なそうに嬉しそうに。
「⋯⋯私は」
「ん?」
「兄さんと離れて、学んだ」
「何をだ?」
「恋に引き算は必要ない。押して押して押す。それが正解。父さんに、アドバイス」
「いや⋯⋯そりゃアイツには有効だろうがよ⋯⋯」
苦笑して頬をかくグレイに、シアラは再度視線を向けたが、その煮え切らない態度にどうでもよくなった。
父はこんなにも情けない男だったか、やはり歳か、こうはなりたくないと思いながら吐き気を堪える。
「⋯⋯まあ正直どっちでもいい。やっぱり興味ない」
「そうかよ。まあ、考えてみるわ」
ぐしぐしと、またグレイはシアラの頭を撫でる。それによりシアラは限界を迎えた。
「⋯⋯私、の、世界には⋯⋯兄さんと、姉さんが、居れば、いい」
「父さんは?」
「うおぇぇぇぇぇぇ⋯⋯」
「このタイミングで吐くなよ」
問いに答えるように嘔吐したシアラの背を、グレイは泣きそうな顔で擦り続けるのだった。
◇
「友剣の国に発つ前、ここでノイルがパーティを開いてくれたのじゃ。しかし直ぐに皆が暴れ滅茶苦茶になってしまってのぅ。まったくしょうのない奴らじゃ」
ミリスは『
『ふむ、それはいただけぬのぅ。パーティとは楽しくなければならぬ』
「そうじゃろう? まああれはあれで今思えばおもしろかったのじゃ」
左手で腰の勇者の剣に触れながら、ミリスはミゼリオとフュリスにノイルとの思い出を語る。楽しそうに、嬉しそうに、少し自慢するかのように。
自身がどれだけ充実した日々を過ごしていたかを、両親に伝えていた。
「その後に水着コンテストとやらも開いてのぅ」
『水着コンテスト?』
フュリスが可笑しそうに訊ねると、ミリスは笑顔で頷いた。
「うむ、審査員はノイルじゃ」
『⋯⋯ノイルくんの胃は大丈夫だったのかな』
「しかしそこでノイルは我に一点などつけおったのじゃ。いや、二点か」
『どちらにしろ随分と低い点数じゃな⋯⋯』
「まったくじゃ。まあノイルは照れ屋じゃからな。我に対しては特に素直にならぬのじゃ。好きの裏返しというやつじゃのぅ」
仕方なさそうにされど得意げにミリスは肩を竦め、ミゼリオとフュリスが笑う。
『ミリスは、ノイル君の事が本当に好きなのね』
「ノイルが居らねば我も今ここには居らぬ」
『まああやつは中々に見どころのある男じゃからのぅ。我ほどではないが、ミリスが気に入るのも納得じゃ、我らも一目で――』
「一目ではなかろう」
『む?』
『え?』
ミリスがミゼリオの言葉を遮ると、二人は不思議そうな声を上げる。
ミリスは彼とノイルは別人である事などわかっている。ただ、繋がりや絆は絶対に存在し、別人であって別人ではない。
きっと、魂は巡り新たに生まれ、その本質は変わらないのだ。ならばノイルはノイルであり、同時に彼でもある。
ミリスとノイルが出逢ったのは奇跡的な確率だ。しかし人はそれをこう呼ぶのだろう。
――運命、と。
一度目を閉じたミリスは、再び開き微笑んだ。
「父よ、母よ、大切な友の事を思い出さぬか?」
自分たちの名前を伝えられた時ですら、ピンと来ていない様子だった二人だ。それ程記憶を失っているのならば、彼の事を覚えていなくても、思い出せなくても仕方がないだろう。
「居った筈じゃ、我ら家族の側にはもう一人」
しかし、あえてミリスは二人に訊ねる。
必ず思い出せると信じて。
『ふむ⋯⋯⋯⋯』
『⋯⋯⋯⋯ああ、そっか』
しばしの間沈黙していたミゼリオとフュリスは、やがてぽつりと声を漏らした。
『そういえば⋯⋯おったのぅ⋯⋯小うるさいのが』
『だから、初めて話した時にあんなにしっくりきたんだね』
『ぴたりと、求めていたものが嵌るかのようにのぅ』
『⋯⋯⋯⋯本当にもう⋯⋯私たちの事が大好きなんだから』
全ての記憶が戻ったわけではないだろう。しかし、ミゼリオとフュリスは思い出に浸るように、懐かしむかのように、ぽつぽつと呟く。
「いつも辞めたい辞めたいと言うておるがのぅ」
『⋯⋯素直じゃないやつじゃ』
「ふふ、そうじゃな」
『バカだねぇ⋯⋯でも――ありがとう』
ミゼリオが仕方なさそうに笑みを零し、フュリスが胸に染み入るかのような声で、そう呟いた。
ミリスは空を見上げる。
「ノイルと居ると、我の世界は色づく。鮮やかに、美しく、何もかもが輝いて見えるのじゃ。退屈じゃと思うておったこの世界の、見え方が変わった。絶対に手放さぬ。ノイルは――我のものじゃ」
そして、左手から伸びる一筋の純白の光を愛おしく見つめ拳を握ると、再び左手を勇者の剣に添えた。
『次は我らがあやつを救ってやらねばな』
『うん、救けてくれた、一緒に居てくれた恩を、
父と母の言葉に、一瞬だけミリスは眉を歪め瞳が揺らぐ。
まだまだ話したい事は幾らでもある。
これからも共に過ごしていきたい。
けれど、それが叶わない事などミリスはわかっていた。
『
そして、勇者の剣は封印が解かれた事で、もうその役目を終えていた。
『ごめんね、ミリス』
「よい、気に病むでない母よ」
封印が解かれて初めて判明した事だ。二人にはどうしようもない。それに、ミリスは――その言葉はもう充分過ぎる程に聞いた。
こうなる前に、もっと早くもう一度触れていれば良かったという後悔はある。けれど、父と母を感じ、再び話せただけでもミリスは満足だった。
今のミリスの胸中にはあるのは、両親への愛おしさと、最期に力を貸してくれる事への感謝だけだ。
「謝る必要などないのじゃ。昔から何処にものぅ」
『⋯⋯⋯⋯我、マジあれじゃ』
『泣きそう⋯⋯』
声を震わせながらもおどける二人に、ミリスはくすくすと笑う。あまりにも短い再会を経て、再び別れの時が訪れても、ミリスは涙は流さないだろう。悲しい別れはもう要らない。
「む?」
ふと、ミリスは振り返る。
「⋯⋯悪いね、邪魔したか?」
すると、そこにはやや申し訳なさそうな表情を浮かべたネレスが立っていた。
「いや、構わぬ。何用じゃ?」
「⋯⋯あの子の様子を知りたくてさ」
目を覚ましてから何度目の確認だろうか。ネレスは事ある毎にミリスへの元を訪ねていた。
やはり、母親じゃのぅ⋯⋯。
ふっとミリスは笑みを零し、立ち上がるとちょいちょいとネレスを手招きする。
ネレスは一度瞳を閉じると、ミリスへと歩み寄った。左手を伸ばし、ミリスはネレスに握らせる。
純白の光に触れた所でネレスには何も伝わらないだろうが、自身の手に重なったそれを見て、ネレスの表情はほんの少し和らいだ。
「心配ないぞ、ノイルは無事じゃ。本人にも言われたのじゃろう? 大丈夫じゃと」
「⋯⋯⋯⋯ああ、そうだね」
「予言など、我とノイルの絆の前には意味を成さぬ」
「⋯⋯頼もしい限りだ」
震える声と弱々しい笑みは、普段は誰にも見せないものなのだろう。ネレスはぎゅっとミリスの左手を両手で握り、祈るように額を押し当てた。
ミリスはそんな彼女を見て一度微笑むと、すっと表情を引き締める。
『魔王』に接敵するまで、既に一時間を切っていた。
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