第233話 誕生日プレゼント
ミツキ・メイゲツは、元はオウカ国のレイラン家という名家に生まれた。
レイラン家は究極の美を追い求める女系家族であり、その優れた容姿を武器にのし上がった一族だ。ミツキの生まれる代には、レイラン家の女性は誰もが魔性とも言える美しさを備え気品があり、誰もが異性を惹きつけ、絶対の権力を持っていた。逆に婿入りした男性の地位は低く、レイラン家の女性に尽くし貢ぐ事が役割であった。
それでも、並外れた容姿を持つレイラン家の女性と婚姻を結びたがる男性は多く、彼の家に尽くせる事は幸運であるという声さえ少なくはなかった。
当然ながら、そんな家に男児が生まれる事は歓迎されず、レイランの血を引く男性は幼き頃から働かされ、外部の者との接触は許されず、一生を家の為に捧げるのが決まりであった。
レイラン家にとっては、男児を生むこと自体が恥であったのだ。
しかしながら、ミツキだけは例外であった。
彼がレイラン家の女性すらも凌駕する程の、類稀なる容姿を持って生まれたからだ。
これ程までに美しい子を、無下に扱うわけにはいかないと、ミツキは特別な待遇を持ってレイラン家に歓迎される。
だが、それは彼にとって決して幸運な事などではなかった。
何故男性として生まれてしまったのかと嘆かれ、ミツキはまず、幼くして生殖機能を取り払われた。
万が一にも成長した際、その愛らしさが劣化してしまう事を厭われた為の措置であった。
そして、ミツキの一日は常に厳格に管理されていた。摂取する食物の種類や量、時間、水分量だけではなく、運動量、入浴の時間、睡眠時間から起床時間、日光に当たっている時間まで、その他諸々が全て厳密に定められており、生まれた瞬間からミツキには一切自由は許されていなかった。
歩き方、座り方、姿勢――果ては寝顔に至るまで。何もかもをただ美しく。着飾られ、レイラン家の象徴たれ、と。
素晴らしい子だわ。本当に美しい。
あなたはこの家の誇りになれるわ、と。
褒めそやされ、愛される毎日をミツキは送っていた。
ただの――綺麗な綺麗なお人形として。
そんな日々を過ごす内に、ミツキの意思はどんどんと薄れていった。自身では何一つ選択できず、身だしなみを整えられ、言われた通りに動き、食べ、眠り、起こされ――繰り返す。何も考えず、ちやほやされ、容姿だけを持て囃される。
ミツキという人間は、レイラン家の何処にも存在せず、世界からも消えかけていた。
それでも、それでも彼が辛うじて自分の意思を失わなかったのは、三人の姉のおかげだった。
ミレイ、ミユウ、ミエン。
レイラン家の中でも、この三人は異質な存在であった。他の女性たちが当然だとばかりに狂ったように美を求める事に、その家の在り方に疑問を抱き、馴染むことのできないはみ出し者の三人だった。
働き尽くすのは男の役目だというレイラン家の教えに背き、好きなように生きたいと主張する彼女たちは度々問題を起こしていた。
そして美しさだけを極める他の者とは違い、あらゆる物事に積極的に興味を示し、吸収して成長していく彼女たちを、レイラン家の女性たちだけでは完全に抑えつけておくことなどできなかった。
無論、地位の低い男性達もだ。はみ出し者とはいえ三人はレイラン家の女性。下手に手出しなどできようはずもなかった。
「ミーツキ」
部屋で一人何をするでもなく椅子に座っていたミツキのもとへ、周りの目を盗んで姉たちはよく訪れていた。
しかし、ミツキは部屋の入り口に立つ姉たちへ視線すら向けなかった。今はそちらを見ろとは言われていない。声を発する事も、決まった時間と決まった声量がある。
ミツキはただ窓の外を、言われた通り憂いを帯びたような目つきで見つめ続けるだけだ。
ただ――自然と綻びそうになる口元を、ミツキは黙って抑え、決められた表情を保った。
「きーちゃった」
ミレイが背後からミツキを抱き締める。それでも、ミツキは窓の外を見つめるだけだ。しかし、こうなった場合は想定などされておらず、拒絶しろとも言われてはいない。だから、ミツキは何もせず、ただその温かさを感じていた。
ミレイは溌剌として、気の強い一番上の姉だ。ミツキと同じ黒みがかった銀の髪は首の辺りで切り揃えられており、少し目尻は釣り上がっている。姉妹に特に優劣はないが、基本的には彼女が中心となっていた。
「もー、別に喋ってもいいのよ?」
不満そうに頬を膨らませて、ミレイがミツキの頬を突く。綺麗に施された化粧が落ちる可能性はあるが、そこはぬかりなく姉たちはバレないようにいつも化粧を直して帰っていた。
喋ってもいい、と言われてもミツキにはどうしていいのかわからない。今は監視の目はないが、もうそれすらもミツキは自分の意思で選択する事ができなかった。喋れと命じられれば口を開く。ただ、そうしていいと言われても、ミツキは自分では動けない。
「ほら、ミレイ。ミツキを困らせないの」
二番目の姉、ミユウが仕方なさそうな顔でミレイの肩に手を置いた。こちらもミツキと同じ髪色だが、腰の辺りまで伸びており、緩くウェーブがかかっている。ミレイとは対象的に、目尻は少し垂れており、おっとりとした印象を受ける。
実際に、ミユウは姉妹の中で一番落ち着きがあり、物腰は柔らかかった。
「別に困ってないわよねー?」
ミレイがうりうりと、ミツキの頬を更に指で突く。困ってはいないが、少しだけくすぐったいとミツキは思った。
「ね、ミツキ」
いつの間にか、目の前にしゃがみ込んでいた三番目の姉、ミエンが両手を顎に当ててミツキを見上げる。ミエンはサイドテールにした他の二人と同色の髪が特徴的な、小柄な姉だ。
ふわふわとした掴みどころのない浮雲のような性格で、悪戯好き。姉妹の中で最もやんちゃだろう。
「誕生日にさ、アンタを拐っちゃうね」
歯を見せて目を細め、ミエンはよくわからないことを言って笑った。
「ちょっとミエン! ネタバレ禁止!」
「しししっ」
「はあもう⋯⋯ミツキ、困った人たちね」
よくわからなかったが、優しく頭に置かれたミユウの手の温かさを感じながら――ミツキはもうすぐ訪れる自身の誕生日を、初めて少しだけ待ち遠しく思った。
◇
そして、その日がやって来た。
ミツキの誕生日は、決して彼の事を祝福する日ではない。レイラン家に、美しき象徴が誕生した事を祝う日だ。
生誕を祝いパーティーが開かれるが、それはただのレイラン家の徹底的な管理により作られた、人形のお披露目会でしかなかった。
例年のように着飾ったミツキは、会場の中心に設けられた椅子に教え込まれた完璧な微笑みを浮かべ、しなを作って座っていた。集まった人々に好奇の目でじろじろと見られようが、無遠慮に触られようが微動だにしない。
時折僅かな休憩が挟まれるが、それが終わればまた別の表情と座り方で席に着く。
その日やることは、一日中、それだけだ。
ミツキが成人を迎えたその年のパーティーは、より盛大に、より豪奢に飾り付けられ、より多くの人々が集まっていた。
そんな中、ミレイたちはあの日の宣言通り現れた。
「たのもーっ!!」
「おのれ悪党共ッ! 弟を返してもらうぞッ!!」
「あはは⋯⋯」
訳のわからない事を言いながら、正面から堂々と。
意味があるのかわからない目元を隠す覆面を着けているが、大扉をぶち破り部屋に飛び込み、奇っ怪なポーズを決めた三人は間違いなくミツキの姉たちであった。
ミレイとミエンはノリノリだが、ミユウは照れ臭そうに指で頬を掻いている。
パーティー会場がざわめき、非難の声がぶつけられる中、三人は一斉に動き出す。
「ええい散れ散れぇいっ!」
「邪魔をすれば容赦はしないッ! 正義は我が手にッ!」
「はい、ごめんなさい」
珍妙な登場に非難の声こそ上がってはいたが、多くの者がただ呆気に取られていただけにも関わらず、三人は暴れ出し、手当たり次第に近くの人々を殴り気絶させていく。パーティー会場は混乱に陥った。
流石に護衛の者たちやレイラン家の男性が取り押さえにかかるが、いつの間にか力をつけていた三人は、誰も止める事ができなかった。
そして――
「さあ、ミツキ」
ミレイがそれでも動けずただ座っていたミツキへと手を差し出す。
ミユウは彼女の後ろで微笑み、ミエンは日頃の鬱憤を晴らすかのように、逃げ惑うレイラン家の人々にまだ無駄に襲いかかっていた。
「あなたは――人形なんかじゃないのよ」
気づけばミツキは――その手を取っていた。無意識の内にだったが、記憶にある限り自分の意思で何かをしたのはそれが、初めてだった。
「ぁ⋯⋯」
作られたミツキの表情がその驚きに、感覚に崩れる。呆然と目を丸くしたミツキの手を、ミレイが引いて立ち上がらせた。
「可愛い弟は貰って――いや、返してもらうわッ! ミツキという人間をッ!」
「私たちはレイラン家とは縁を切ります」
「文句があるなら止めてみろっ! 止まってやらないけどねんっ!」
ミレイがミユウがミエンが、ミツキを囲むように立ち、堂々と宣言する。
瞬間、パーティー会場の天井が崩れ――一匹のドラゴンが現れた。
悲鳴が上がる中、ミユウ、ミエン、そして、ミツキの手を引いてミレイがドラゴンの背中に跳び乗る。突然の浮遊感に一瞬驚き慌て、しかしミツキは繋がれた手の温もりに身を委ねる。
緑色の体表のドラゴンの背に乗ったミツキは、そのふわふわの感触、布地のような手触りに、繋がれていない方の手を這わせて、瞳を瞬く。よくよく見てみれば、ドラゴンは大きなぬいぐるみのようだった。
「ふぉっふぉっふぉっ、驚いておるなミツキよ。これは儂の
その声に、ミツキははっと顔を上げる。いつの間にかつけ髭を付けたミエンが目を細めて腕を組み、鷹揚に頷いていた。
「はいはい、早く行ってね」
ミユウがそのつけ髭を手を伸ばして取り、ミエンがちろりと舌を出した。
「へーい」
瞬間、ぬいぐるみのドラゴンは翼を羽ばたかせ一気に上昇する。不思議と揺れも風もなかったが、ミツキは思わずぎゅっとミレイの手を握り締めた。
「ふふ、やっぱりそういう顔の方がいいわね。作ったものなんかじゃなくて」
ミレイに言われ、ミツキは自身の頬に片手を当てる。三人の姉は、微笑んでそんなミツキを見ていた。
ふと、ミエンが何かに気づいたように視線を斜め上に向ける。
「うんうん、いいシュチュエーション」
「あらほんと」
「へえ、祝福されてるみたいね」
姉たちの視線を追って、ミツキは振り返る。
そこには――美しい満月が浮かんでいた。
夜空を舞うドラゴンからなら、手を伸ばせば届きそうだとミツキは思い、知らず内に片手を伸ばす。
「⋯⋯きれい、だ」
そして、そんな言葉が口から自然と漏れた。
姉たちが顔を見合わせる。
「自分から喋った」
「私たちじゃなくて第一声が月にってのはちょとあれだけど」
「まあ、これだけ見事なら仕方ないわね」
ミエン、ミレイ、ミユウがそれぞれ言葉を交わし、同時に何か思いついたように頷き合うと、再び月を見上げた。ミツキはよくわからずに、そんな姉たちに視線を向ける。
「いくつか候補はあったけど」
「これが良さそうね」
「私たちの家族の新しい名は――」
ミエンが歯を見せて笑い、ミユウが穏やかに微笑む、そして、ミレイが月に手を伸ばしながら言った。
「メイゲツ!」
「⋯⋯メイ、ゲツ⋯⋯」
ミツキがぽつりと繰り返すと、三人は彼へと笑みを向ける。
「ミツキ、これから私達はメイゲツ家よ。アンタはミツキ・メイゲツ。メイゲツ家の家訓はただ一つ!」
ミレイがミツキに指を立てて言い聞かせるようにそう言うと、三人の姉の声が重なった。
「自分らしく、生きなさい」
この瞬間を、ミツキは片時たりとも忘れた事はない。
「自分、らしく⋯⋯」
「そう!」
ミツキはゆっくりと、もう一度月へと視線を向けた。
月明かりに照らされた頬が、自然と緩んだのを感じながら、ミツキは口を開いた。
「自分は――ミツキ・メイゲツ」
その日三人の姉は、ミツキに――人として生きる道を贈ってくれた。
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