第232話 知りたくないから
マナが見える世界というのは、こういうものなのかと思った。
一人一人異なる色の光が身体を巡っており、そのおかげでそれが直ぐに誰のマナなのか理解できる。建物や障害物に遮られていようが、そこに居るのが誰で、どんな状態なのかすら見て取る事ができた。大気中の魔素すらも見えてしまうが、調整すれば対象を生物のマナのみに絞る事も可能だ。
友剣の塔を出てこの都市を見回した時、僕の大切な人たちがどれ程傷つけられたのか――わかってしまった。
『いや、これ程視えるのはお主だけじゃぞ。我でも普段ならばここまでは視えぬ』
視覚を共有しているマオーさんの呆れたような声が頭に響く。
『君をアイツが欲しがるわけね』
続いて、勇者さんの得心がいったかのような声が聞こえてきた。
《
マオーさんのマナを見通す眼と癒やしの能力を持ち、そして――勇者さんの『魔王』を倒すための力を高めた魔装だ。
――奴を倒すための、力。
僕は円形闘技場の崩れた外壁の上に立ち、そこから『魔王』へと視線を向けた。
「ノイル⋯⋯」
ミツキ・メイゲツ――『魔王』が眉根を寄せて僕を見上げ、暫しの間視線がぶつかる。僕はエイミーをその場にゆっくりと下ろした。
「倒れてる皆を」
「はい!」
エイミーは僕の声に頷くと、直ぐに元は客席だった場所に倒れている皆の元へ向かってくれた。傷は癒やしたが、まだしばらくは目を覚まさないだろう。
学園長、クライスさん、マークハイムさん――フィオナ。
四人とも、酷い傷を負っていた。特に学園長は、あと一歩でも遅れていれば助けられなかった。目が覚めても、以前のように振る舞えるかはわからない。
『魔王』が残した傷痕は、もう完全には直せない。
自分を見失いそうになる程の怒りが沸き上がってくる。しかし、それでも落ち着いて居られるのは――あの人が僕を見ているからだろう。
『おぉ⋯⋯』
『ミリス⋯⋯』
二人の震える声が、頭に響いた。同時に、喜びと後悔と恐れ、我が子を愛する気持ちが痛い程に伝わってくる。
店長は――ミリスは、ただ黙ってこちらに微笑んでいた。
これまで見たこともない憔悴しきった顔で、それでももう不安はないと言わんばかりの笑みを浮かべていた。
バカだ。
手足は血塗れで、治癒に回すマナなどなく、立っているのもやっとのくせに。《英雄》の力がどれ程のものか、わからないくせに。
誰よりも強いあなたが、もう大丈夫と言わんばかりの、信頼しきった笑みを向けるなんて。
そんな顔をされたら、怒りのままに戦って、万に一つでもヘマをやらかすわけにはいかないじゃないか。
まあ、元々負けるつもりなど微塵もないが。
僕はそう思い、僅かな笑みを返して動き出す。闘技場へと瞬時に移動し、先ずは倒れている二人の竜人族の人を抱えてフィオナ達が倒れている場所へ運んだ。
「ひゃあっ! えっえっ?」
先に皆の元に辿り着いていたエイミーが、突如現れた僕を驚いたように見る。『魔王』も――今はミツキなのか、目を見開いてこちらを振り返っていた。
驚くなよ。自分だって反則のような力を持っているくせに。
「この人たちも、お願い」
竜人族の二人を寝かせてエイミーに任せ、大きく跳躍し、そのままの勢いでミリスを縛るクリスタルに拳を叩き付けた。結晶が砕け、解放された彼女と目と目が合い――抱き抱える。
やはりもう身体を動かす事もままならないのかぐったりとしていたが、それでもミリスは僕の首に直ぐに両腕を回してきた。
いや、直ぐに下ろすんだけども。
そう思いながら砕けた結晶が消える前にその一つを足場にし、もう一度跳躍してエイミーの元に戻りながら、クリスタルの中に居たせいで治せなかったミリスの傷を癒やしておいた。
着地して、彼女を下ろそうとすると、殆ど力の入っていない身体でぎゅっと抱き締められる。万感の想いを込めるかのように。
触れ合った身体から伝わる、随分と久し振りに感じる慣れ親しんでしまった温もりに、場違いに頬が緩むのを感じた。
そっと、ミリスの頭に手を当てる。
「安心して寝てていいよ。⋯⋯たまには、僕が守るから」
「⋯⋯嫌じゃ、ここで見ておる。我のノイルの活躍をのぅ」
聞き慣れた鈴を転がすような小さな声が耳元で響き、ミリスは僕の頬に――そっと口付け、大人しく手を離す。いや何か余計な事しやがったけど。
「勝ったら辞めていい?」
「もちろんダメじゃ」
「そっか――残念」
この流れならいけると思ったんだけどな。
いつものように――言葉を交わし合い、妙な表情をしているエイミーと座り込んだミリスを残して振り返る。
さて、早いところケリをつけるとしよう。
強がってはいてもあの人も限界だろうし――皆を傷つけた事を、後悔させてやる。
闘技場に下り、僕は『魔王』と向かい合う。
お前は絶対に許さ――
『ヒューヒュー』
『我らは空気が読めるのぅ。若い二人の邪魔をせんかった』
空気読んで。
大体、何かそれっぽい事言ってますけど、あなた達がさっき何も言わなかったのって、何て声かけたらいいのかわかんなくなっちゃっただけでしょ。
『ちちちちちちがうよっ?』
『ま、マジそんなんじゃないのじゃ!!』
『勘違いしないでよねっ!』
やかましい。
もううんこでいいようんこで。
『⋯⋯まあ、そうじゃな。後ほど考えるとするかのぅ』
『私たちも、アイツにはたっぷりお礼をしなきゃだしね』
頼むから最初からそうやって真面目にやって欲しい。《白の王》と同じくらい余計な疲労を感じる。
僕はそう思いながら地を蹴った。目を見開く『魔王』の横を通り過ぎ、その背後にあった『天門』に拳を打ちつける。
奴が勢い良く振り向くと同時に、『天門』には罅が入り砕け散った。
「何て事をッ!!」
瞬間、叫び目を剥き殴りかかってきた『魔王』――いや、これはやはりミツキか。その拳を左手で受け止め、勢い良く引くと同時に右拳をその頬に打ちつけた。
「こっちのセリフだッ!!」
そして、思い切り地へと叩きつける。地面が砕け、ミツキは血を吐きうつ伏せに倒れた。
こんな物の為に、多くの罪もない人々の命を奪い傷つけた奴が、何を言っている。僕の大切な人たちを苦しめた報いは受けてもらうぞ。
僕はお前を絶対に――許しはしない。
「ぐ⋯⋯」
素早く起き上がったミツキが、飛び退って距離を取る。
「⋯⋯ああ、だから殺しておくべきだって言ったんだ⋯⋯なのに⋯⋯もうすぐだったのに⋯⋯最初からやり直しだよ⋯⋯」
俯いてぶつぶつと呟いたミツキは、勢い良く顔を上げて憎悪の籠もった歪んだ顔を僕に向けた。
『あやつの言葉に耳を貸す必要はないぞノイル。理由は知らぬが、あやつはほんの僅かも『魔王』に抵抗しておらぬ』
『むしろ、進んで同調してるね。どちらにしろあれじゃもう、この力があっても助けられない』
それは、僕にもわかっている。手加減はしない。できない。
ただ、気になるのはミツキからは確かに『魔王』の力を感じるのに、表に出てこようとしない点だ。一度負けた時より動きも悪い。
『弱っておるのかもしれんのぅ』
『何にせよ、チャンスである事に変わりはないよ』
そうだ、いずれにしても今ここでこいつは倒さなければならない。
「お前を殺すッ!! ノイル・アーレンスッ!! これ以上、自分の邪魔はッ!! させないッ!!」
平時の気怠げな雰囲気は、今のミツキの何処にもなかった。感情を爆発させたかのような表情で叫ぶと、ミツキは片手を空に翳した。
「《月光》ッ!!」
その声と共に、都市中からミツキへと無数の光が集まる。どうやら月夜を展開するものとは違う、二つ目の魔装のようだ。
「ノイルさんッ!! その魔装は一つ目で強化した他者から!! 今度は力を受け取って自身を強化する魔装ですッ!!」
エイミーが声を張り上げ、ミツキの魔装の能力を説明してくれる。流石、僕よりも遥かに詳しい。
しかしそうか、おそらくミツキは都市中の暴れていた人たち全てを強化していた筈だ。もっともそんな離れ業は、『魔王』が居てこそできた事だろうが――この魔装によりミツキの力は遥かに高まるだろう。
「月はね、自分の力で輝いている訳じゃないんだ」
全身から淡い輝きを放つミツキが、構えを取りながらそう言った。
どちらも他者の存在ありきの魔装、か。
本当に、ミツキは僕と似たところがあったんだと思う。『魔王』と関わる前の彼とならば、良い関係を築けていただろう。
だけど――それはもう無理だ。
拳を握り片足を引き、右手を前に出して構えを取る。
僕は本来、肉弾戦は好まない。
しかし今回に限っては、相手もそのつもりなら都合が良い。
僕はこいつを――とにかくぶん殴ってやりたいのだ。
四の五の考えず、小細工せず――真っ向から打ち倒す。
「ッ!!」
僕とミツキは、同時に地を蹴った。
一息で距離を詰め、拳を振りかぶり、お互いの頬に叩きつける。頬に凄まじい衝撃が奔り視線が交差し、殴られた勢いのまま身体を捻り今度は回し蹴りをぶつけ合う。素早く体勢を戻し、拳を振るえばかち合い弾かれ合う。
「お前もッ!! あの白光で消耗してるだろうッ!!」
吹き飛んだミツキが体勢を整えながらそう叫んだ。
その通りだと、僕も再び地を蹴りながら思う。ミツキの推測は間違っていない。如何に《英雄》といえど、あれだけの力を奮えば消耗も激しい。
「勝つのは自分だッ!!」
接近し、ミツキと正面から殴り合う。一発打たれれば一発を返し、距離が離れれば互いに詰め、拳を、足をぶつけ合う。
防御も回避も考えない。お互いに力と力を押し付け合う。
僕らの争いの余波で、地は砕け陥没し、衝撃波が闘技場を更に破壊する。
そして――
「ぐ、あ⋯⋯!」
もう幾度目かの拳をぶつけ合った時、純白の右腕はミツキの手を砕いた。
その一瞬の隙に、身体を捻ってミツキの頬に回し蹴りを打ち込み吹き飛ばす。
奇しくも一度戦った時と殆ど同じ流れ。もっとも今回砕けたのはミツキの拳だったが。
別に狙っていたわけではないが、アリスの創ってくれた右腕を壊したお返しだ。
「⋯⋯ッ、何故ッ⋯⋯!」
地を転がりながらも素早く起き上がったミツキが、自身の砕けた手を見て理解できないという顔をする。消耗している相手に自分が押し負けた事が不可解なのだろう。
それほどに、《月光》と『魔王』があれば負けるはずがないという自負があったのだ。
けれどミツキは誤解している。
「じ、ぶんは⋯⋯ッ! 姉さん達にッ! 謝るんだッ!!」
ミツキが裂帛の気合いが込められたような声で叫び、向かってくる。だが、その動きは明らかに鈍くなっていた。
自身の状態にすら気づけない程冷静ではないらしい。
ミツキの振るった拳を手で払い、胴に蹴りを入れて再び吹き飛ばす。
「ぁ、か⋯⋯」
声にならぬ声を上げて、ミツキは受け身を取れず闘技場の壁に突っ込んだ。
瓦礫を押し退け立ち上がった彼は、《月光》の光が弱まっている事にそこでやっと気づいたのか、呆然としたように自身の身体を見下ろした。
「《月光》が⋯⋯一体何を⋯⋯」
そして、愕然としたようにこちらを見る。
その質問に答える義理はない。僕は口を開く事なくミツキへと歩み寄る。
「くそ⋯⋯!」
ミツキはもう一度手を空に翳すが、光が集まってくる事はなかった。
意味があるわけがない。
《英雄》は、『魔王』を倒すための魔装だ。この純白の右腕に触れる度、奴は力を失い、いずれは消滅する。
『魔王』と半融合状態であるミツキは、もはや奴の力ありきでしかマナも魔装も使えない。そんな状態で考えなしにこの腕に触れてしまえば、直ぐに限界は訪れる。
ミツキは誤解していたんだ。
消耗している身体で、僕はお前に挑みに来たわけじゃない。
ただ、終わらせに来ただけなんだよ。この惨劇を。蛮行を。
お前をぶん殴って、終わらせる為に来たんだ。
消耗していようが――《英雄》は『魔王』に負けたりはしない。
何があっても。
「ぐ⋯⋯ああああああああああッ!!」
一度たじろいだミツキが、歩み寄る僕に叫び向かってくる。
もう一つ、ミツキが間違えている事がある。
他者の力を頼るのであれば、それは無理矢理であってはいけないんだ。誰だって嫌だろう、理不尽に力を貸せと言われるのは。
そんなものはただの搾取で一方通行だ。他力本願に一家言ある僕から言わせてもらえれば、今のミツキの《月光》は、他者の力を借りる基本から外れている。
誰かに頼る時は、その人を信じ信頼し、自身も心を開くべきなのだ。そうして――助けてもらう。
そう、他者の力を借りる側は、常に助けてもらう側なのだ。感謝の心を忘れてはいけない。
だが、ミツキはそれを忘れてしまっている。
《月光》だって、本来はそういう魔装だったはずだ。決して無差別に、力を奪う魔装ではなかったはずだ。
だから、いくら力を集めたところで――誰も君を助けてはくれないんだ。
真の意味で協力を得られない他者から得た力など虚しく、そんなものでしかないんだよミツキ。
自分のもののように奮う誰かの力なんて、何も怖くない。
皆に助けられて生きてきた、汚属性の僕にとっては、何も。
「お前はッ!! お前は知っているのかノイルッ!!」
拳を、蹴りを、砕けた手を僕へと振るいながら、ミツキは叫ぶ。それらを躱しながら、涙を流す彼を見て思った。
ああ――僕も誤解していたかもしれない。
「大切な人をッ!! 心から愛していた人たちを理不尽に失った気持ちをッ!!」
駄々を捏ねる子供のように、ミツキは喉が張り裂けるのではないかと思うほどの声を上げる。
ミツキは――そうせざるを得なかったんだ。
「それを知らない奴がッ!! 自分の邪魔をするなあああああああああああッ!!」
もう、心から信じ信頼し、頼っていた相手がいないから。
だからこんなやり方しか、できなかったんだ。
ああ、確かに僕はそんな気持ちは知らないし、わからない。何も知らず、勝手な事も思ってしまった。
だけど――
「ああああああああああッ!!」
泣き叫ぶミツキから打ち込まれた右腕を、左手でかち上げ、バランスを崩したたらを踏んだ懐に潜り込む。彼の悲痛に歪む顔、涙を流す瞳と視線が交差し――僕は純白の右拳をその胴に振るった。
そんなもの――
「――知リたくないからッ戦うんだッ!!」
知らなくて済むように。
弱くダメな自分では、きっと耐えられないだろうから。
そんな自分勝手な理由で、僕は戦うんだよ。
僕が――大切な人たちを守りたいから。
「か⋯⋯は⋯⋯」
純白の拳がミツキの身体を穿き――『魔王』ごと、彼を終わらせる。
目を見開いたミツキの口から血がこぽりと零れ落ち、その身から『魔王』の気配が消失した彼は、次第に穏やかに目を細めると、ぽつりと呟いた。
「そう、か⋯⋯だから⋯⋯君は強い、のか⋯⋯自分、とは⋯⋯ちが、う、ね⋯⋯似てると、思っていた、けど⋯⋯ぜん、ぜん⋯⋯」
ミツキの身体を支えながら、そっと腕を抜き、彼をその場に寝かせる。
「あの時⋯⋯君の強さが⋯⋯自分に、少しでもあれ、ば⋯⋯」
虚ろな瞳で空を見上げながら、血が流れ落ちる口を僅かに動かし、ミツキは微かな笑みを浮かべた。
「自分、はね⋯⋯ノイ、ル⋯⋯た、だ⋯⋯謝りたかったん、だ⋯⋯ねえ、さ、ん⋯⋯た、ち、に⋯⋯」
そしてミツキ・メイゲツは――ゆっくりと瞳を閉じた。
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