第211話 煽り
強い⋯⋯。
キルギス・ハイエンは麗剣祭予選出場者が集った控室で、来たるべきカエ・ルーメンスとの決戦に向けて精神を研ぎ澄ませながらも、一人の少女へと注目していた。
艶のある黒髪を腰辺りまで伸ばした、誰もが見惚れるような愛らしい顔立ちの少女だ。陶器のような白い肌に大きな黒瞳。長い睫毛に小ぶりで整った鼻、見るだけで潤いを感じさせる唇。
しかし、その美しくも可愛らしい容姿にはそぐわぬ感情の一切感じられない無表情や、纏う無機質な空気は酷く冷たい印象を抱かせ他者を寄せ付けず、十数人が集まった控室の中央付近に堂々と座る少女に近づく者は誰もいない。
ともすれば、今回の予選の主役ともいえるキルギスよりも注目を集めている少女は、しかし誰の視線も意に介さぬかのように微動だにせず、静かに椅子に座り続けていた。
シアラ・アーレンスだったか⋯⋯これ程の実力者が今まで表に出てこなかったとは。いや、その若さならおかしくはない、か。
一目見ただけで、キルギスはシアラがどれほど驚異的な存在かを見抜いていた。明らかに他の参加者――
参加者の中にはキルギス以外にもランクDの採掘者も居る。
基本的には採掘者はランクDまで上がることができれば充分に優秀だと言えるが、そんな彼らであってもシアラの足下にすら及ばないのではないか。物言わぬ少女はそこに居るだけで、まがりなりにも採掘跡を攻略している者たちを萎縮させていた。
しかし、キルギスだけは違う。
彼はこの一年の修行の旅で強くなった。もはや昔のキルギスとは違う。愛するミーナ・キャラットに相応しい存在に、彼女を守る事ができる男になる為に、死にものぐるいで腕を上げたのだ。
今や単純な実力だけをみれば、ランクCの中でも最上位だという自負が、自身の強さに対する誇りが彼にはあった。
そしてそれは、決して驕りではなく事実である。今のキルギス・ハイエンには、生半可な相手では傷一つ付けることすら叶わないだろう。
キルギスの強さを支えるのは、ひとえにミーナへの愛だ。一目見たときからその可憐さ、高潔さ、決して自身を高める事を怠らない厳格さや驕りのなさに惚れ込んだ。
以来、キルギスの中でミーナは憧れの存在であると同時に、最も愛すべき人となった。
彼女が居る限り、キルギスは強くなり続ける事ができる。そして、その強さは誰にも負けないものとなるのだ。
故に、たとえ想定外の実力者が現れようとも、キルギスは動じることはない。誰が相手であろうとも、ミーナの為ならばキルギスは勝利を収める。それが、キルギスの覚悟と愛だった。
タイミングが、悪かったね。
キルギスはそう思いながら、背を預けていた壁から離れ少女へと歩み寄る。
このシアラという少女が麗剣際へとエントリーしたのは思い上がりなどではない。確かな実力を持っており、酔狂な理由で参加したわけでもないだろう。何か為さなければならない事があるはずだ。もしかすると、真っ当なやり方では名を上げられない事情があるのかもしれない。少なくとも、その若さで挑戦するという事は、麗剣祭を舐めているわけでも、侮辱しているわけでもないだろう。
ならば敬意を払い戦うべき相手であり、一切の手加減は不要だ。手を抜けばそれこそ彼女への侮辱になりかねない。それに、キルギスにもカエ・ルーメンスを打倒するという絶対に成し遂げなければならない悲願がある。
本来なら好成績を収めていたであろうシアラ・アーレンスの不運は、愛に燃える男と同じタイミングで麗剣祭に出場してしまったことだろう。
並々ならぬ覚悟を持って挑んだであろう将来有望な少女に、キルギスは尊敬の念を込めて挨拶する。
「やあ、僕はキルギス・ハイエン」
「⋯⋯⋯⋯」
爽やかな笑顔、心地よい声と共に手を差し出したキルギスに、しかしシアラは何の反応も示さなかった。まるでそこに彼が存在しないかのような完璧な無視である。
「すまない。集中しているんだね。突然声をかけるなんて不躾な真似をした事をどうか許してほしい」
明らかに失礼な態度を取っているのはシアラだが、キルギスは苦笑して真摯に頭を下げる。
「ただ、君程の相手にこれだけは伝えておきたかったんだ。知っているかもしれないけど、僕はカエ・ルーメンスとの因縁を抱えている。でもそんなものは関係なく、君とぶつかる事になれば敬意を払って全力を尽くす。たとえ君に敗れることになろうとも、恨んだりはしない。今日はお互いにいい試合をしよう」
「⋯⋯⋯⋯」
「ははっ、そんな事は元より気にもしていなかったかな。少し自意識過剰だったね」
何処までも無視をするシアラに、それでもキルギスは気分を害する事はなかった。むしろ、少し申し訳なく思いながらも、その一切他者を気にせず予選に臨もうとする姿に好印象を抱く。
やはり彼女はものが違うな。
「おい、何か外で騒ぎがあったらしいぜ」
と、その時外に出ていた一人の参加者が戻ってきて、控室にいた数人に小声でそう言った。
「ああ、他人の女にちょっかい出した馬鹿が、土下座させられて高価な品とともに謝罪したらしいな」
「はぁ、居るよねそんな奴。みっともないみっともない」
ひそひそと話し合う声がキルギスの耳にも入ってくる。
「⋯⋯⋯⋯⋯⋯兄さん」
同時に、それまで一言も発さず微動だにしなかった少女がぽつりとごく微かな声を漏らす。初めて見せた人間らしい反応に、噂話をしていた参加者からなるほど、とキルギスはシアラへと目を戻した。
家族に何か問題を抱えているのか。
こういった邪推はあまり良くないが、ひょっとすると兄がろくでなしなのかもしれない。
高価な品というのは、この子が用意したものだろうか。金銭面に困窮し、更に稼ぐ為に麗剣祭で名を上げたいのだろうか。
持ち前の思い込みの激しさで、キルギスは無駄な深読みをしてしまった。
「⋯⋯君のお兄さんの話だったのかい? 苦労しているようだね」
ぴくり、とキルギスが僅かな同情を込めてそう言うと、少女は初めて僅かに彼の言葉に反応する。
「余計なお世話かもしれないが、困っているのなら相談くらには乗れるかもしれない。もし君が――」
「黙れ」
短く発せられた少女の言葉に、部屋の空気が一瞬で凍りつく。自身を正面から見た彼女の無機質な瞳に、キルギスは全身の毛が逆立つような感覚を覚えた。
部屋中の視線が少女へと集まり、誰もが言葉を失う。
少々呆気に取られたキルギスは、直ぐに視線を逸らして沈黙した少女に、やがてそっと頭を下げた。
「⋯⋯あまりにも失礼だった。心から謝罪するよ」
このシアラ・アーレンスにとっては、それでも大切な家族だったのだろう。事情をよく知りもせず、ともすれば侮辱とも言える発言をしてしまった自身に、キルギスは忸怩たる思いでいっぱいになった。
己の愚かさに歯を噛み締めて頭を上げたキルギスは、少なくとも予選が終わるまで、もう二度と少女は自身と言葉を交わすことはないと察し、彼女から離れて再び壁に背を預けた。
僕は愚かだ⋯⋯。
反省しなければならない。
そう思いながらキルギスは瞳を閉じる。
しばしの間深い後悔に浸っていたキルギスは、やがて目を開けて控室の入り口を見た。
それにしても⋯⋯遅い。
一体いつになればカエ・ルーメンスは現れるのか。もう予選が開始されるまで間はないというのに、未だ彼一人だけが控室にすら姿を見せていなかった。
逃げたのか⋯⋯いや、流石にそんな事はしないだろう。
仮にもミーナが見込んだ相手だ。どんな手段で騙したのかは知らないが、少なからず強さを証明する必要があったはずだ。ミーナ・キャラットというキルギスの愛しい女性は、本当に弱い人間を決して気に入らない。
しかしだとすれば、何をやっているというのか。
キルギスがそう思った瞬間、控室の扉が開いた。
そろそろと控室に入ってきたのは、カエ・ルーメンス。
ようやく現れたか、と、キルギスは壁から背を離す。
⋯⋯⋯⋯仕上げてきたようだな。
非常に覇気の感じられない表情で、不安そうに控室を見回しているカエ・ルーメンスを見て、しかしキルギスはそう感じた。
以前あった時とは明らかに違う全身から漂う洗練された強きマナの気配。
前回の邂逅から何をしていたのかはわからないが、まるで別人のようだった。
周りに己の力を気取られないためか、ヘタれた弱者のように振る舞っているようだが、キルギスの嗅覚は誤魔化せない。そして、カエ・ルーメンスのその行為にもキルギスは不快さを覚えなかった。
己の強さを隠す事は卑怯ではない。それができるのは真の強者だからこそ、だ。
それでいい。それでこそミーナさんを賭けて戦う相手に相応しい。
キルギスは、そう思いながらシアラへと目を向ける。
やはり、君も見抜いているか。
今まで何一つ興味を示す様子がなかった彼女は、カエ・ルーメンスをじっと見つめていた。
けれど、君に彼は譲らないよ。
心の中で宣言して、キルギスは入り口に立っているカエ・ルーメンスへと歩み寄ろうと――
「それじゃ、カエ、頑張ってね」
して、あまりにも甘い声音にぴたりと足を止めてしまった。
「み、ミーナ⋯⋯別にここまで来なくても良かったのに」
「ダメよ、だって始まる前に、会っておきたかったし⋯⋯頑張って欲しいから⋯⋯」
キルギスの思考に空白が生まれる。
カエ・ルーメンスの背後には愛しき人が頬を染めて立っていた。
「う、うん⋯⋯わかった。だから、その⋯⋯皆見てるしそろそろ客席に⋯⋯」
「そ、そうね⋯⋯ねぇ」
慌てたようにちらちらと控室を振り返りながらカエ・ルーメンスはもじもじとしているミーナの両肩に手を置き――
「うん?」
「ん」
ミーナはカエ・ルーメンスが自身の方を振り向いた瞬間、彼の頬に口付けた。
シアラ以外の、控室の誰もがあんぐりと口を開けていた。あまりにも甘い場を弁えないふざけたやり取りに、皆言葉をなくしていた。
「応援、してるからっ」
「あ、はい」
ミーナはカエ・ルーメンスから離れ、後ろ手を組んではにかんでそう言うと、小走りで弾むようにかけていく。
しばらく皆の視線を浴びながら立ち尽くして頬を押さえていたカエ・ルーメンスが、控室の方をゆっくりと振り返り静かに扉を閉めた。
「⋯⋯⋯⋯⋯⋯あの、皆さんよろしくお願いします」
そして、額から汗をだらだらと流しながら頭を下げる。同時に、シアラからただならぬ殺気が発せられていた事にキルギスは気づいたが、そんな事はもはやどうでもよかった。
「カエ・ルーメンス」
「あ、はい」
「もはや言葉は、必要ないだろうが」
「あ、はい」
「僕はもう、君を許せそうに、ない」
「ですよね」
異様な空気に満たされた控室の中で、キルギスはこれまで感じた事がないほどの憎悪を覚えていた。
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