第210話 クズのキューピッド


 エルが『絶対者アブソリュート』に勝利すると宣言した日から二日が経ち、いよいよ麗剣祭予選の日となった。


 友剣の国では勇者の剣を祀る友剣の塔の次に有名であろう建物、巨大な円形闘技場へと足を運んだ僕は、その威圧感にほうと息を漏らしていた。


「はぁ⋯⋯」


 巨大建造物には屋根のような物は見受けられず、見上げる程に高いコンクリートの外壁の周りには、幾本もの太い柱が等間隔で建ち並び、全体に精緻な彫刻が施されている。左右に視線を向けてみても、闘技場の端までは結構な距離があった。とにかく大きな建物だ。外周を一周散歩するだけでも、相応の時間がかかるだろう。

 

 だからこそなのか、それとも単にデザインなのか、壁には幾つもアーチ形のトンネルのような入り口があり、何処からでも入れるようになっているらしい。


 闘技場といえば無骨で冷たく物騒な響きだが、友剣の国のそれはどこか瀟洒な建物だった。

 まあ、普段は闘技場としてではない興行施設として利用されているらしいので、美しさを兼ね備えているのは当然と言えば当然かもしれない。


 しかし⋯⋯円形闘技場の最上部、外壁の上にはぐるりと一周、その荘厳さをぶち壊すかのように、色とりどりのファンシーな風船が余すところなく取り付けられていた。


 円形闘技場だけではなく、都市の至る所で見られたこの魔人族の謎の文化だが、今更になって気になったためフィオナに訊いてみたところ、深い意味はないらしい。というより意味はないらしい。何の意味もなく、魔人族は祭りの時期になるととりあえず好きな色の風船を取り付けるそうだ。フィオナ曰く「多分、昔誰かが気分でやった事が流行っただけでしょうね」とのこと。


 祭り好きの魔人族は、楽しければ意味など必要としないのだろう。ある意味変わり者が多いと言われる彼らが、一番柔軟な思考をしているのかもしれない。


 この闘技場とは完全にミスマッチにも程があるが。


 僕はいまいち気の引き締まらない闘技場から視線を外し、改めて辺りを見回した。


「⋯⋯⋯⋯」


 なんか人、多くない?


 円形闘技場の周辺は、多くの人々で賑わっていた。出店なども多く並んでおり、売り子の人たちが笑顔を振りまきながら人混みの間を歩いている。大変盛況な様子だ。


 おかしいな。予選はそこまで盛り上がらないと聞いていたのだが、この様子だと中も人で溢れているだろう。聞いてた話と違う。


 しかもそれだけではなく、何やら警備もやたら厳重だ。イーリストの騎士団に、あれはネイルの魔兵団だろうか。学生時代に何度か見かけた事があるが、あの制服と腕章はきっとそうだ。キリアヤムについては詳しくはないが、明らかに洗練された空気を纏っている獣人族の人達もおそらく似たようものだろう。


 もしかして要人、中にいらっしゃる?

 なんで? ご観戦なさるにしてもわざわざ予選見に来る? 絶対に聞いてた話と違う。


「しかしあの『黒猫』がねぇ⋯⋯このカエ・ルーメンスってどんな奴なんだろうな」


「まあこの名前でカエル顔だったらある意味期待はずれだよな」


「ははっ、それはねぇよ」


 何かごめんなさい。


 腕を組んで首を傾げていた僕は、何やらパンフレットのような物を見ながら楽しげに後ろを通り過ぎていった二人組に、心の中で謝罪した。


 どうやら想定以上にカエ・ルーメンスが注目されているらしい。ハイエンさんは大々的に喧伝すると言っていたが、もしやこの人の多さはそれが原因か。大々的に喧伝しすぎである。

 カエ・ルーメンスに注目が集まるのはむしろ好都合ではあるが、もはやこれはミーナの婚約を世間に発表するようなものではないだろうか。ニュースになるよこんなん。

 念の為に会場までは『蛙面カエルカエール』をつけず、外套を被ってきて正解だった。


「ん?」


 と、どうしたものかと考えていると、よくよく見れば闘技場の外壁には何やら貼ってある事に気づいた。


「⋯⋯⋯⋯⋯⋯」


 そこに書かれている文字を確認して、僕は目を細める。


 ⋯⋯確かに、まあ確かに⋯⋯⋯⋯他人事ならばおもしろい見せ物なのかもしれない。

 そう思いながら僕は小さく息を吐き、軽く頭を振った。


 もう諦めよう。ここまで事が大きくなってしまっては今更撤回もできない。どう足掻いても勝ち残った方がミーナの婚約者として世間に認知される。後のことは、今後の僕に任せよう。


 気持ちを切り替えて、僕はポーチから予選にエントリーした際に貰った案内を取り出す。カエ・ルーメンスとこの時点で関係があると知られるのはまずいので、シアラは先に中に入っているし、余計なトラブルが起きないよう既に他の皆も客席に居るはずだ。僕もそろそろ会場に入るとしよう。



「あーーーー! クズ!」


「え?」


 振り返り案内に従って選手用の出入り口を目指そうとした瞬間、前からそんな声が聞こえて僕は顔を上げた。僕にかけられた声かはわからないが、クズと言えば僕だろう。


「あ」


 前には腕を組み合った二人の男女が立っていた。女性の方が信じられないように目を見開き僕を指差しており、男性が慌てたように彼女の口を組んでいない方の手で塞ぐと、女性もはっとしたように僕を指差していた手を下ろす。


「ど、どうも」


「あ、どうも」


 バツが悪そうな女性を見て男性は小さく息を吐くと、僕に頭を下げる。何故か大層気まずそうだったが、僕も頭を下げて挨拶を返した。


 お互いに顔を上げ改めて向き合うと、男性は明らかに無理をしている笑みを浮かべた。


「き、奇遇ですね」


「あ、はい。そうですね」


 この二人は――いつもお世話になっている『炭火亭』の店主さんと従業員さんだ。少し驚いたが、なるほど今イーリストは雨季のため、お店を閉めて旅行にでも来ていたのだろう。偶然出くわすなんて、あのお店には余程の縁があるのかもしれない。今後も是非利用させていただこう。


 しかし⋯⋯ふむふむ⋯⋯この二人はそういう関係だったのか。少々不躾かもしれないが、僕は腕を組んでいる二人を見て心の中でそんな事を考えていた。


 女性の方はよく僕らのテーブルに注文を取りに来たり、メニューを運んでくれる元気な従業員の女性だ。僕も顔を良く覚えている。まあ、『炭火亭』で働いている人たちの顔は大体覚えているが、店主さんと恋人同士だったんだな。


 なんだかお店では見られない二人を見られたようで、僕は少々ほっこりしてしまった。


 しかしそんな僕とは対照的に、二人の反応はあまり良くないように思える。店主さんは微妙に視線を逸らして額から汗を流しているし、元気な従業員さんはずっと眉を顰めている。何かしてしまったのだろうか。いや、僕らはあのお店に結構な迷惑をかけているけれど。女性の方から敵意すら感じるのはそれが原因だろうか。悲しい話だね。


「あの⋯⋯すみません。いきなりクズだなんて⋯⋯」


「え? ああいや、別に大丈夫ですよ」


 クズなんで。


 どうやら店主さんは先程の事を気にしていたらしい。その程度の事で申し訳なく思うなんていい人だな。彼女は的確に僕を表現しただけなのに。


 しかしいつから僕をクズだと見抜いていたのだろうか。支払いを一度も自分でした事がない辺りだろうか。なんにせよ、素晴らしい慧眼だ。彼女は悪い男に引っかかる事は絶対にないだろう。


 僕が全く気にしていないという笑顔を返すと、店主さんは少々驚いたような表情を浮かべた。


「⋯⋯⋯⋯図太い男」


「こ、こら!」


 と、元気な従業員さんがぽつりと声を漏らし、店主さんが再び慌てたように彼女を注意する。


 ふむ⋯⋯言われてみれば確かに、クズと言われて笑顔を返すのは、逆に失礼な行為だったかもしれない。しかし、クズと言われた場合の正しい礼儀作法がわからなかった。やはり〈土下座キッス・ザ・グラウンド〉かな?


 しかし今ここで〈土下座〉は少々目立ち過ぎる。どうするべきか⋯⋯。


「失礼だろ!」


「いーえ店長・・!」


 顎に手を当てて悩んでいた僕は、その言葉に思わずはっと顔を上げた。


 店長、か⋯⋯全く関係がないのに反応してしまうなんて、僕は思ったよりも重い病に冒されているのかもしれない。


 元気な従業員さんは一度辺りをキョロキョロと見回し、僕をキッと睨みつけた。


「この際だから言わせてもらいます! あなたはクズです!」


「あ、はい」


 クズです。

 頷くしかなかった。


「なん⋯⋯! なんなんですかその反応は! この⋯⋯クズ!」


「すみません」


 クズです。


 どうやら僕は大層嫌われているらしい。相当に僕への鬱憤を貯めていたようだ。思い当たる節があり過ぎるし、実際クズなのでこういう反応しかできない。なんか本当にすみません。出禁だけは勘弁してください。


「だいたい! こんな所で呑気に何をやってるんですか! キャット⋯⋯『黒猫』さんが今まさに他の男に奪われようとしてるのに! いえ、あなたのようなクズの側に居るよりはその方がずっと良いから何もしないで欲しいですけど! 彼女を誑かしておいて何もしないなんて、やっぱりどうでもいい都合のいい存在だとしか思ってなかったんでしょう! せめて自分も名乗りを上げて彼女の為に戦うくらいしてあげるべきじゃないんですか! 状況が悪くなったらポイですか! そうですか! ああもうクズ!」


 う、うーん⋯⋯ううーん⋯⋯なるほど⋯⋯端から見ればノイル・アーレンスはそう見えても仕方ない。奴はクズだ。

 少々ヒートアップし過ぎているように思えるが、事情を知らないこの人は何も悪くない。当然の事を言っている。悪いのはクズだ。


「⋯⋯⋯⋯⋯⋯」


「何とか言ったらどうですかクズ!」


 僕は眉根を寄せて瞳を閉じ、なんとか言葉を絞り出す。


「⋯⋯出禁だけは⋯⋯勘弁を⋯⋯」


「はぁ!?」


 しまった更にブチ切れさせてしまった。


 でも本当にそれくらいしか言えないんです。懇願するしかないんです。僕は確かにクズだけど、『炭火亭』が大好きなんです。だからどうにか、どうにか出禁だけは止めてください。


「お、おい! いい加減にしとけ!」


「でも、このクズぅ!」


「はいクズです、すみません」


「喧嘩売ってるこのクズぅぅぅぅう!!」


「やめろって! おい! お前が悪い!」


 いよいよ目を剥いて僕へと掴みかかろうとした彼女を、店主さんが必死な様子で押さえつける。僕はその間に、素早くポーチからある物を取り出し、地面に頭を着けると同時にそっと丁寧に誠実な謝罪の気持ちを込めて、怒らせてしまった彼女にそれを差し出した。


「は?」


「⋯⋯ご笑納ください」


 それは、まーちゃんの為に買ったがいざ使おうとした時に、もしも彼女にこれが原因で不具合が起こってしまったらと考え、結局プレゼントせずしまっておいたスライム美容液だった。

 これが今の僕に差し出せる、最も価値のある物だ。


「どうかこれで、ご勘弁を。何卒ご勘弁をば」


 僕は必死に元気な従業員さんに許しを乞う。もはや体裁など取り繕っている場合ではないし、素直にクズのせいで気分を害してしまった事を大変申し訳なく思っていた。


 本当にすみません。クズのせいでこんな事になって。きっと楽しいデートをしていたはずなのに、この世の汚点が邪魔してすいません。


 物で許してもらおうなど浅ましい考えだが、汚属性の僕にはこんなことしか思いつかない。もう最悪許してもらえず出禁になっても仕方ないが、せめてものお詫びだけはさせてください。


「な⋯⋯え⋯⋯え、本当⋯⋯なに」


 彼女の気勢が削がれたのが声でわかる。謝罪を受け入れようとしてくれているのか、ただドン引きしているだけなのか。おそらくは後者だが、とりあえず怒りは忘れてくれたようだ。


「あ、頭を上げてくださいよ⋯⋯」


 店主さんも多分ドン引きしている。しかし僕は頭を上げない。これを受け取ってもらえるまでは、上げるわけにはいかないのだ。


「どうかご笑納ください」


 もう一度、僕は地に頭をつけたままそう懇願した。


「そ、そんな、物で⋯⋯」


「い、いやもういいだろう。な? この人もこれだけあやま⋯⋯何かやってくれてるし。な?」


「ご笑納ください」


「わかりました受け取りますから!」


「ありがたき幸せ」


 半ばヤケになったような店主さんの声が聞こえ、彼がスライム美容液を手にとってくれたのがわかった。


「⋯⋯すみませんありがとうございます。ほら、行くぞ」


「で、でも⋯⋯!」


「いいから行くぞ! ちょうど欲しがってたんだし、良かったじゃないか! そういうことにしとけ! 本当にすいませんでした!」


 最後に店主さんの必死なような声が聞こえ、二人の気配は遠ざかっていった。

 僕は少しの間地に頭を着けた姿勢のまま動かず、二人が完全に離れるの待ってからゆっくりと身体を起こす。


 果たしてこれは僕は出禁になってしまったのだろうか。それだけが知りたかった。


 立ち上がって一つ息を吐き、服の汚れを払っていると、何やら辺りがやたらざわついている事に気づく。改めて見回してみると、多くの人がこちらを引いたような目で見て、ヒソヒソと何やら話している。


 しまったな、やはりこの場で〈土下座〉は悪手だったか。背に腹は代えられない状況だったとはいえ、流石に悪目立ちし過ぎた。

 このままでは、警備の人達に事情聴取されてしまうかもしれない。

 そうなる前に選手用の出入り口に向かうとしよう。


 僕は外套のフードを深く被り直し、後ろ指を差されながら逃げる様にその場を後にするのだった。

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