第181話 魔王と六重奏


 魔王と勇者は仲が良く、二人ともただのふざけた人間だった。

 などという事を誰が簡単に信じるだろうか。そう思ったのだが、皆は疑うことなく僕の言葉を信じてくれた。いや、正確にはエイミー以外、か。彼女はきっと魔王と勇者にまつわる壮大なストーリーでも日々妄想していたのだろう。そうでなくとも、伝説の存在がうんこの話と人気の出ない芸人のような寸劇をやっていたなど、受け入れ難い事実なのは間違いない。


 僕を直ぐに信じてくれたフィオナたちが特殊で、「きっと何かの間違いです!」と信じなかったエイミーが普通なのだ。

 しかし現実は非情である。魔王と勇者は、ただの面白くない芸人だった。信じたくないという気持ちは非常によくわかるが、僕は真実を話しただけでしかない。


 エイミーを除いた皆は色々と気になる事はあるが、一先ず僕に危険があるわけでもなく、何か問題が起きるわけでもない事に安心していたようだった。とはいえ称号や、僕だけがはっきりと会話ができた点は無視できないと言っていたが――その辺りはなんとなく僕の中で見当がついていた。いや、称号の方はなんとも言えないけど。

 だから、僕が考えた理由を半分・・ほど伝えて、とりあえず僕らは大人しく宿に戻った。

 そして各々の部屋で眠りにつき――僕は当然のようにそこを訪れていた。


「魔法士ちゃん⋯⋯離れようか」


「嫌です」


 小さな丸池にどこまで続くかのような平原。『白の道標ホワイトロード』に酷似した建物。


 『六重奏セクステット』の皆と、僕だけの世界。


 そこで、僕は魔法士ちゃんのローブに包まれながら丸池の周りに置かれた椅子の一つに腰掛けていた。厳密にいえば魔法士ちゃんの膝の上だが。


 彼女の腕は僕のお腹にがっしりと回され、絶対に離さないという強い意志を感じる。厚手のローブの下は比較的薄着な魔法士ちゃんの体温と、僕自身の体温でローブの中は汗ばむ程に蒸し熱い。背中には柔らかな感触が伝わり、お互いのじんわりとした汗が混じり合う程に密着している。


 魔法士ちゃんは僕の椅子でずっと待機していたのか、気づけば彼女の膝の上に居て、あっという間にローブの中に包み込まれ回避のしようがなかった。次からこの世界を訪れるだろう感覚があった際は、最初に居る場所を意識しようと思う。


「そ、そうよ、離れなさいよ」


「嫌だけど? 何で狩人ちゃんにそんな事言われなきゃいけないのかな?」


「何でって⋯⋯の、ノイルは嫌がってるでしょ!」


 隣に座っている狩人ちゃんが頬を染めて勢いよく立ち上がり、こちらを指差してそう指摘する。


「嫌じゃないですよね⋯⋯ノイルさん?」


 ずるいわ。

 切なそうな声で耳元で囁くのはずるいわよ。絶対にこうなるとは思ったけども。


「嫌っていうか⋯⋯」


「旅の間⋯⋯離れている事も多かったんですから⋯⋯せめて、これくらい⋯⋯」


 僕が答えようとすると、魔法士ちゃんはいじらしく言葉を続ける。確かに友剣の国までは殆ど馬車さんだけを宿している状態だったが、眠る時などは皆と一緒だった。言うほど離れていたわけでもない。友剣の国に到着してからは皆と行動していたし。それにこれくらいも何も、魔法士ちゃんいつもこんなじゃん。


「許して⋯⋯」


「ほわぁぁ」


 ふぅ、と魔法士ちゃんに囁きと共に耳へと息を吹きかけられ、ぞくぞくとした感覚に僕は情けない声を上げる。やりたい放題だなこの子。


「そういうの止めなさいってば!」


「だから、何で狩人ちゃんにそんな事を言われなきゃいけないのかな? 何の権利があって恋人同士の邪魔するの? ノイルさんだって思ってるよ? こいつうるさいなぁって。もう黙ってた方がいいと思うよ? 大人しく座って?」


 思ってないし恋人同士でもないなぁ⋯⋯。

 でもそう言いたくても言えないんだよね。例のごとく魔法士ちゃんの手が、ローブの中でノイルくんに向かってきてるから。今、鼠径部そけいぶ辺りかなぁ。くすぐったいや、ははっ。こらこらだめだぞノイルくん。大人しくしてなさい。大人になっちゃだめだけど、大人しくしてなさい。


「ちょ、ちょっと! またそうやってノイルの口を塞ぐ!」


 狩人ちゃんも、流石にもう魔法士ちゃんが何をやっているのか理解しているらしい。眉を吊り上げて僕らに詰め寄る。そうなんだよ、下半身に手を伸ばして口を塞ぐんだよこの子。


「え? 何言ってるの? 塞いでないよ? 私何もしてないでしょ? 狩人ちゃんっておかしなことを言うよね。私が何かやってるように見えるの?」


「ろ、ローブの下で何かやってるでしょ!」


「何を根拠にそんな事を言うの?」


 日頃の行いじゃないかなぁ。


「ノイルの顔を見ればわかるもん!」


 死にたくなった。


 あれ、僕どんな顔してた? 下半身に手を伸ばされてるのが、狩人ちゃんでもわかるような顔してたのかな。死にたくなってきた。


「二人ともそのくらいにしておけ、ノイルが死にそうな顔をしているぞ」


 腕を組んで瞳を閉じていた狩人ちゃんの隣の席の守護者さんが、嗜めるような口調でそう言った。僕ってそんなに顔に出るのかな。ポーカーフェイスは得意なのに。


「生まれたてのマルアックみてぇな顔だったな」


 あの魔物の?

 狩人ちゃんとは反対の隣の席で、釣り糸を垂らしている馬車さんが、こちらを見ることなく遠くを見るような目をして呟く。


「わ、私は悪いことしてないもん!」


 僕が生まれたてのマルアックがどんな顔をしていたかを思い出していると、狩人ちゃんが涙目で眉根を寄せて、皆の方を振り向きながら頬を膨らませた。


「ああ、だがそうなったら魔法士はテコでも離れん。何かするだけ無駄だ」


「そうよ狩人ちゃん。そんな浅ましい生き物をいちいち相手にしていたら、女としての格が下がるわ」


 守護者さんが鷹揚に頷き、馬車さんから一つ席を空けて座る癒し手さんが、微笑んで魔法士ちゃんを嘲る。魔法士ちゃんが「いよ、自称余裕のある女さん」と、揶揄するような口調で返していた。『六重奏』は相変わらず仲良しだなぁ⋯⋯。


「女の格⋯⋯私は格の高い女⋯⋯でもずるいもん⋯⋯でもでも⋯⋯うぅん⋯⋯」


 狩人ちゃんが悩まし気な様子でぶつぶつと呟き、頭を抱える。そして、きっと魔法士ちゃんを睨みつけた。


「私は! 魔法士とはちがうもん!」


「そうだね」


 びしっと指を差された魔法士ちゃんは、狩人ちゃんににこりと笑みを返す。


「魔法士より私が上だもん!」


「うんうん」


「だから⋯⋯くぅ⋯⋯我慢するもん!」


「えらいえらい」


 明らかに適当にあしらっている魔法士ちゃんに、堪えるようにそう宣言した狩人ちゃんは、鼻息荒く自分の席に座り直した。彼女は得意げな表情で堂々と胸を張り、しかし気になるのかちらちらとこちらを見てくる。魔法士ちゃんの「ちょろいなぁ」という小さな囁きが、僕の耳には届いていた。


 守護者さんと癒し手さんの間に座る変革者が苦笑する。


「さて、狩人も席に戻ったところで、今回ノイルがここに来た理由の話でも始めようか」


 そして、愛らしい顔で僕を真っ直ぐに見つめてきた。かわいい。


「ノイルさん」


「あ、はい」


 やばい魔法士ちゃんが心を読んでくる。忙しなく身体を弄っていた手が、またノイルくんへと向かい始めた。僕は慌てて頭を振って、吸い込まれそうな変革者の深青の瞳から視線を外した。


 しかし⋯⋯改めて皆を見回して思う。


「何か⋯⋯皆いつも通り、だね」


 いつでも好きなように来られるわけでもないが、僕が今日ここを訪れたいと望んだのは、当然魔王について話をするためだ。


 かつて文明が滅びる程の大戦争を引き起こし、世界を混乱に陥れ、そして――皆を『封魂珠』へと閉じ込めた人物。

 実際に話した印象は、ただのふざけた人というものだったが、それでも魔王であり、かつての皆の宿敵だったはずなのだ。


 だというのに『六重奏』の皆は、落ち着いているどころかいつもと何ら変わりない。

 いくら当時の鮮明な記憶を既に持っていないとはいえ、この反応は意外だった。


「あーまあそりゃあ驚きはしたが⋯⋯」


 馬車さんがぽりぽりと頭をかいた。

 癒し手さんが手を口元に当てて苦笑する。


「私たちは、もう別にあの人を恨んではいないのよねぇ」


 それは聞いていたが、何か思うところはないのだろうか。


「自分たちには朧げな記憶しかないしね。それでももっと冷酷で残虐な雰囲気を纏っていた、という拭えない印象はあったはずだけど」


「あんな馬鹿馬鹿しくてつまらねぇ寸劇をやられちゃ、それも吹っ飛ぶわな」


 くすくすと可愛らしく笑う変革者の言葉に馬車さんが続き、釣り竿を置いて頭の後ろで手を組んで空を見上げた。


「あれが本来の魔王ならば、元々冷酷でもなければ残虐な男でもなかったのだろう。そうならなければならない理由があっただけで」


「というより⋯⋯あの人は本当に戦争をしたかったんでしょうか。仕掛けたのは魔人族側、でも⋯⋯狩人ちゃんにかけた言葉が間違いではないなら⋯⋯あの人は、やっぱり私たちを――救けてくれたんじゃないかと思うんです」


 守護者さんに続いて、魔法士ちゃんが僕の身体を弄りながら、考え込むようにそう言った。何で真剣に思考しながらも、器用に手は動かし続けられるのだろうか。

 いや、今はそんな事よりもだ。


「⋯⋯救けてくれた?」


 魔法士ちゃんの言葉の意味が気になった。自分たちを気の遠くなるほどの年月、『神具』に閉じ込めた相手に対して、救けてくれたとはどういうことだろうか。

 狩人ちゃんがこてんと首を傾け、僕を見る。


「私たちは――生きてるでしょ?」


「あ⋯⋯⋯⋯」


 その言葉で、僕の疑問は氷解した。すとんと、得心がいった。

 改めて考えてみればその通りだ。


 単純に、あまりにも不可解な行動。

 何故、魔王は――皆の命を奪わなかったのか。


 今までは、『神具』を用いなければならない程に、『六重奏』の皆が魔王を追い詰めたのだと自然と思い込んでいた。いや、事実そうだったとしても、だ。何故『封魂珠』に閉じ込めたままにしていた?

 敵対する相手に、そんな事をする必要はない。ましてや『神具』を使わされる程に危険な相手だったのならば、尚の事――殺してしまったほうが安全だろう。『封魂珠』に閉じ込めた後は、煮るなり焼くなり好きにできたはずだ。


 実験、または人質や捕虜という可能性も考えられるが、皆の魂は『封魂珠』の影響で記憶が薄れているものの、他に目立った障害は残っていない。実験という線は薄いだろう。人質や捕虜にするにしても、魂だけという状態では、更に相手の反感を買うだけにしか思えない。肉体を蘇生し、魂を移し替える術があった――そう考えれば可能性はあるが、そもそも降伏を求め、それで収まるような戦争ではなかったはずだ。文明が滅びる程の、互いに種の存続をかけた戦いで交渉などしないだろう。


 魔王に倒した相手をトロフィーとする趣味があった。または魂だけで苦しむのを愉しむ嗜虐趣味だった。他にも幾らか可能性は思いつくが、いずれにせよ利用価値を見い出したのなら魔王は側に置いていたはず。しかし皆の魂が閉じ込められた『封魂珠』は、僕が釣り上げるまで誰にも発見されていなかった。いや、正確には神天聖国が一度保有してはいたが、あれは『浮遊都市ファーマメント』がそういった力を持っていたから回収できただけだろう。


 勇者との戦いの余波に巻き込まれ、紛失したのだとしてもだ、『封魂珠』は子供の――四歳程の僕でも、簡単に叩き割れる程度の強度しかない。それで壊れなかったなどとは到底思えない。


 では何故、『封魂珠』は現代まで無事であったのか。


 それは魔王があえて自らの手元から離し、戦争から遠ざけ隠していたからに他ならないだろう。


 そう⋯⋯まるで、大切な宝を護るかのように。

 『六重奏』の皆の命を――護るかのように。


 だが⋯⋯仮にこの考えが正しいとして、何故そんな事を?


「⋯⋯私がね、封印される直前に」


 考え込んでいると、狩人ちゃんがぽつりと呟いた。僕は顔を上げてかつての事を思い出すように、自身の手のひらを眺めている彼女を見る。


「魔法士が私を庇ってくれて⋯⋯最後に一人残った私に」


「余計な事まで言わなくていいのに⋯⋯」


 魔法士ちゃんがごく微かな声で呆れたような声を漏らした。気づけば、魔法士ちゃんの手の動きは止まっていた。


「魔王は、言ったの」


 狩人ちゃんが顔を上げる。


「我を――止めよって」


 彼女の瞳は、確信に満ちていた。


「うん⋯⋯やっぱりあの瞬間だけはしっかり覚えてる。お主たちは、希望じゃって、それまでの無機質なくらい冷たい表情が、歪んで⋯⋯何で⋯⋯そんなに辛そうなんだろうって⋯⋯皆が居なくなって、ぐちゃぐちゃになった頭でも、思わずそう思うくらい⋯⋯辛そうな顔してた」


 自身を――止めてくれと頼んだ。

 それを魔王は望んでいた、というのか。

 一体、当時の彼に何が起こっていた?


 わからないことだらけだ。知る必要もないのかもしれない。そう思っていたからこそ、皆も今までは僕にこの事実を伝えなかったのだろう。だけど僕は魔王と出会い、関わってしまった。


 そして何よりも、僕自身がどうしても確かめたいことができてしまった。二度と関わりたくないと自分を誤魔化してみても、やはり僕はそれ程器用ではないようだ。


 皆の話を聞いて――今の話を聞いて、少し心は軽くなった。覚悟を決めるとしよう。


「ふぅ⋯⋯」


 僕は一つ息を吐き、空を見上げた。

 あの人は――今頃何をしているんだろうか。

 まったく⋯⋯。


「行くんだね、ノイル」


 変革者が微笑んで僕に声をかける。

 やはり、皆僕の考えなど察していたのだろう。というより、皆はもう事実を知っていた、か。


 今ここで訊いてもいいが、僕自身で確認するとしよう。そうするべきだ。


「うん、着いてきてくれる?」


「当然です!」


「うわびっくりした」


 魔法士ちゃんが元気よく返事をし、僕はびくりと身を震わせた。


「ん⋯⋯」


 艶めかしい声出すのやめて。僕ビクッとしただけだから。


「はぁ⋯⋯まあ、あの女の事で行動するのはおもしろくないですが」


 魔法士ちゃんは艶を感じる吐息を吐き出したあと、早口でぼそぼそとそう呟いた。近いから全部聞こえてるんだよね。わざとだよね。


「皆も、よろしくね」


 僕が声をかけると、皆が笑顔で頷いてくれた。それと同時に、視界が一瞬ブレるように歪む。起きようと思えば案外起きられるものだ。

 目を覚ませばここでの出来事をはっきりとは思い出せなくなるが、何をやらなければならないかは、わかるはずだ。


 そう思いながら、最後だとばかりに下半身に迫る魔法士ちゃんの手を必死に押さえる。


 さあ――もう一回魔王に会いに行こう。


 そして、今一度やるべき事を強く胸に刻み込み、僕の意識は『六重奏』の元を離れるのだった。

 

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