第180話 光の騎士
⋯⋯⋯⋯何だいこれは?
僕はたった今起こった出来事を受け止めることができず、頭痛を覚え眉間を揉みほぐす。
「本当に、どうしたのノイル?」
「あー⋯⋯いや⋯⋯」
案じる様にノエルが声をかけてくるが、何と説明していいのかわからない。勇者の剣の中に誰か居て、うんこの話をしていたなど頭がおかしくなったとしか思われないだろう。実際僕の頭がおかしくなったのかもしれない。頭を振って顔を上げると、入口脇で待機している一号さんと新二号さん以外の皆が、心配そうに僕を見ていた。
「声が⋯⋯聴こえたんだ⋯⋯」
そんな中、僕はぽつりと呟く。
うんこの話をしていたとは言えなかった。
「ああ」
アリスが得心がいったかのように頷く。
「十数年前辺りから、そういう奴もいるらしいぜ」
「え?」
「たまに声が聴こえてくるんだとよ」
そう言うと、アリスは組んでいた腕を解いて勇者の剣の柄を握った。
「剣に何か変化が起こってるのかもしれねぇ。それも気になってたから、テセアの《
なるほど、好奇心だけではなかったのか。アリスは「やっぱアタシには何も聴こえねぇな⋯⋯」と、呟いて勇者の剣から手を離す。
「聴こえてくるのは微かな声で、何を言ってるのか判然ともしねぇらしいが⋯⋯何かを伝えたいのかもしれねぇ」
いや、うんこの話してただけだったよ。何も伝えようとはしてなかったよ。物凄く程度の低い雑談してたよ。アリスの顔は真剣そのもので、うんこの話をしていたと非常に言いづらいけど、うんこの話をしていたよ。
しかし⋯⋯聴こえてくるのは微かな声、か。
おかしいな、はっきりとうんこって言ってたけど。
「うーん⋯⋯やっぱりよくわかんないよこれ。アナちゃんもお手上げみたい」
うんこの事を考えていると、いつの間にか《解析》を発動させていたテセアが、間近で勇者の剣をまじまじと眺めながらそう言った。
「ただ、魂が⋯⋯二つ⋯⋯かなぁ。宿ってるみたい」
「勇者と、魔王ですね。三千年も前の出来事ですから、今の私たちに伝わっている話が全て正しいわけではないはずです。ですが、テセアちゃんがそう言うのなら、少なくとも勇者がこの剣を用いて魔王を封印した事は事実でしょう」
フィオナがテセアの言葉に頷き、勇者の剣に触れた後、顎に手を当てて鋭く観察するような目を勇者の剣に向ける。どうやらフィオナにも声は聴こえないらしい。
「問題は聴こえてくる声っていうのが、その二人の内のどっちで、何を言ってるかだよね」
ノエルもそう言いながら勇者の剣に触れるが、何も聴こえなかったのか首を振って直ぐに離れる。
多分どちらもで、二人ともうんこの話をしてたよと更に言いづらくなった。というか、あの二人が勇者と魔王などと、にわかには信じがたい。めちゃくちゃ仲良さそうだったし、うんこの話してたし。
「どちらにしろ⋯⋯何かデケェことが起こる前兆なのかもしれねぇな。かといって、なにかできるわけでもねぇが⋯⋯」
確かに大の話だったけど。
アリスは考え込むように瞳を閉じた。
やばい、早くうんこの話してたって言わないと。どんどん言いづらい空気になっていく。よし、言うぞ。うんこの話してたって言うぞ。
僕がそう思い、慌てて口を開こうとした瞬間だった。
「やっぱり、ノイルさんは特別な存在なんですね⋯⋯」
エイミーが両手を胸の前で組み、感動したように瞳を潤ませながらそう呟いた。
「大丈夫ですよ。何か起こっても、
ちくしょう。うんこの話しようとしたのに。いや違う、うんこの話をしてたって話しだ。
それに別に僕は特別じゃない。アリスの話では今までも聴こえた人は何人か居たらしいし。タイミングとか何か、その辺りの問題だろう。僕がたまたま、うんこの話で盛り上がっている時に勇者の剣を握っただけだ。
「あー!!」
と、テセアが突然目を見開いて大声を上げた。皆の視線が彼女に集まる中、テセアは僕をじっと見つめる。またうんこの話はできなかった。
「⋯⋯魔王の、相棒」
「へ?」
テセアはぽつりと、呆然としたようにそう呟いた。
「テセア、どういう意味だ?」
アリスが素早くテセアに問いかける。うんこの話がどんどん遠ざかる。
「えっと⋯⋯その⋯⋯私のアナちゃん⋯⋯《
「その称号が、先輩の場合は【魔王の相棒】だったというわけですね」
フィオナの理解が早い。うんこの話を差し込む暇がない。
わたわたと慌てたように説明していテセアは、こくりと頷いた。
「どういう基準で、称号を決めてるの?」
ノエルに問われ、テセアは困ったように眉尻を下げた。
「それが⋯⋯よくわからなくて。アナちゃんに意思があるってわかるまでは、その人の生き様なんかから決めてると思ってたんだけど⋯⋯そうじゃなくてアナちゃんの直感に近いみたいで、本人も理解してない事もあるんだよね⋯⋯」
随分遊び心のある
テセアは本人と言ったが、確かにもはや殆ど人間と変わらないだろう。大部分がインスピレーションということか。とはいえそれは、情報を読み取る魔装の、だ。本能という言い方が正しいのかわからないが、何かを感じ取ってはいるのだろう。
「ころころ変わるし、特に意味もない情報だから、今までは大して気にしてなかったんだけど⋯⋯」
「何でクソダーリンに、んな称号がついたのか謎は残るが⋯⋯そういうことなら聴こえる声は、魔王のものかもしれねぇな」
いや、確実に二人だったよ。
「うん⋯⋯魔王がお兄ちゃんに呼びかけた⋯⋯のかも」
いや、僕とか関係なくうんこの話だったよ。
テセアが頷き、皆の視線が僕へと集まった。やばい、皆深刻そうな表情をしている。僕が魔王に狙われているとでも思っているのだろうか。この張り詰めた空気の中、うんこの話するの?
僕はごくりと唾を飲み込んだ。とりあえず、テセアの言う称号の件は気になるが、僕が魔王に狙われているという事はないだろう。
クールな表情を作り、僕は再び勇者の剣の前へと立つ。
「駄目です先輩! もう触ってはいけません!」
「そうだよノイル、危ないことはやめて」
「クソダーリンはこいつに近づかねぇ方がいい」
「大丈夫!!」
フィオナ、ノエル、アリスが止めに入ろうとしたのを、僕は大声を出して制する。
そして、笑みを浮かべて皆の方に振り返った。
「⋯⋯さっき、実は聴こえた声は二人だったんだ」
皆が驚いたように目を見開く中、僕は言葉を続ける。
「だから、魔王が僕に呼びかけたわけじゃない」
うんこの話してただけだからね。
「例え何かあっても、勇者も居るなら止めてくれるはずだ」
めちゃくちゃ仲良しだったけど、多分止めてくれる。
「僕はもう一度、よく聴いてみたいんだ。聴かなきゃいけないんだよ」
皆に――うんこ以外の話をしたいから。
「それでこそ私の英雄です!」
エイミーの感動したような声を聞きながら、僕は勇者の剣へと振り返った。皆の表情を直視できなかった。そして、頼むからうんこ以外のまともな話をしていてくれと、願いを込めて勇者の剣の柄を――両手で握った。
『――例えばじゃ、こう⋯⋯両手を前に出して、背筋を伸ばしたまま腰を落とす』
『うんうん』
『そして、言うのじゃ。うんこ、とな』
『うーん⋯⋯ちょっと弱いかなぁ』
いつまでうんこの話してんだよ。
僕の願いは見事に打ち砕かれた。しかし、今度は手は離さない。ここで離したらうんこの話になるからだ。
しかし⋯⋯これ、改めて思ったが抜けそうだな。何の抵抗も感じない。もの凄く簡単に抜けそうだ。試しにほんの僅かに上に引いてみると、確かな手応えを感じた。
『では二人で肩車をしてうんこと――む?』
『え?』
同時に、うんこの話をしていた二人が何かに気づいたように会話を止めた。
『⋯⋯⋯⋯』
『⋯⋯⋯⋯』
「⋯⋯⋯⋯」
僕らの間にしばし訪れる沈黙。
『もしや、こやつ聞こえておるのかのぅ?』
『いやいやまさか、おーい聞こえるー?』
気さくに話しかけてくるな。
『ふむ⋯⋯』
『――聞こえますか⋯⋯? 私の声が――聞こえますか⋯⋯?』
心に語りかけるように話しかけてくるな。
『絶対に聞こえておるぞ』
『驚いた⋯⋯はっきり声が届いてるね。ツッコミ入れてくるね』
心を読むな。
やばい、どうやら強く思ったことが相手にも伝わるようだ。こっちに気づきやがった。
面倒な事になる前に手を離そう。
『ちょ、ちょっと待つのじゃ!』
『お願い! もう二十年以上他の人と喋ってないの!』
⋯⋯くそ、離しづらい事を言う。
『あれじゃ! あれをやって引き止めるぞ!』
『わかった!』
というか⋯⋯最初から思っていたが、男性の方の口調が――
『魔王とー』
『勇者のー』
『爆笑寸劇ー』
何か始まった。
『光の騎士』
⋯⋯⋯⋯⋯⋯。
『あぁ〜なりたいなぁ〜、なりたいなぁ〜』
『ふむ、何になりたいのだ』
『あ、あなたは!!』
『いかにも、魔王じゃ』
知らないよ。いかにもじゃないよ知らないよ。
『して、光の騎士になりたいとな』
把握してるじゃねぇか。何でさっき訊いたんだよ。
『はい! そうなんです!』
というか光の騎士って何?
『光り輝く騎士になりたいんです!』
あ、はい。
『よかろう。その望み、叶えてやろうではないか』
いいやつだな。通りすがりの魔王いいやつだな。
『ふんにゃらほんにゃらおほい!』
呪文クソダサいけど。
『これで、貴様は光の騎士だ』
『お、おぉ⋯⋯やったー!!』
そんなんでいいの? とんでもないズルだけど。汚い光の騎士だな。
『⋯⋯て、あれ? 何も変わってませんよ魔王様』
『いや、願いは叶った』
『えぇ!? どういう事ですか!?』
『貴様の親を、騎士団長へと変えてやった。これで、貴様も騎士の地位は揺るがぬだろう』
『へー⋯⋯⋯⋯ってそれ親の七光り!!』
本当に汚い光の騎士だったよ。
『何が不満なのじゃ?』
『私は物理的に光りたいんですよ!』
言うほど光りたい? 多分すごい間抜けだよ?
『別に構わぬじゃろう? 七色の光じゃぞ』
『え? あ、そっかー!』
騙されてる騙されてる。光ってない光ってない。
『フハハ! 何かあればまたこの魔王を頼るがよい』
『はい! ありがとうございました! 覇王様!』
『魔王じゃ!』
『⋯⋯⋯⋯』
『⋯⋯⋯⋯』
え? 終わり? オチ弱っ。
オチっていうか全部弱い。これでよく爆笑寸劇ってハードル上げたね。勇者かよ。
『あ、私勇者』
うるさいよ。
『⋯⋯おぉ』
『⋯⋯完璧』
どこが?
僕の顔見る?
『我らの求めていたものはこれじゃ!』
『君、私たちと芸人を目指さない!?』
もういいよ。
僕はすっと勇者の剣から離れた。
目を瞑り、頭痛を堪えて眉間を揉みほぐしながら大きく息を吐き出す。最高に無駄な時間を過ごした気がした。
とりあえず、あの二人ならば何か問題が起こることはないだろうが、酷く疲れた。何なんだろうあの人たち、二度と関わりたくない。
「どうでした? 先輩」
「ああ⋯⋯うん⋯⋯」
フィオナに声をかけられ、頷いてから振り返る。未だ心配そうにしている皆を一度見回し、僕は額に手を当てながら口を開いた。
「勇者と魔王は⋯⋯うんこの話を、してたよ⋯⋯」
そして、そう告げるのだった。
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