第161話 引き篭もりバカンス


 星湖祭から数日が経つと、王都には雨季がやってくる。


 アリアレイクの減少した水量を補うかのような雨は一月近く王都周辺に降り続き、この時期は王都を訪れる者や外を出歩く者の数はぐっと減る。


 水上都市であるイーリストにとって長雨は水害を齎す危険性を孕んでいるが、そこは流石長年栄えてきた大都市といったところだろう。排水設備などの水害対策はばっちりだ。なので滅多な事が無ければこの雨季により王都が混乱に陥る事などない。


 とはいえ、普段よりも水路などは当然ながら増水し、事故も起こりやすくはなるため、王都に住み慣れた者ほど雨季が明けて暑い季節がやってくるのを大人しく待つ。


 つまりこの時期は、世間的に家に引き篭もってもいいという大義名分が与えられる時期だ。

 普段から釣り以外での外出は基本的にしたくない上、今の無駄に採掘者マイナーに注目されている僕にとっては、非常に助かる時期である。


 ただでさえ来客の少ない『白の道標ホワイトロード』に訪れる者など当然皆無になるわけで、流石の店長でも雨の中客引きをして来いとも言わなくなる。というより普段からそうだが、僕に頼んだところで殆ど意味がないという事を学んだのだろう。


 故にこの時期は一応営業はしているものの、殆ど長期休暇のようなものなのだ。素晴らしいとしか言いようがない時期である。

 冷静に考えてみると休暇は程々にあれど、理由がなければ長期の休みがないというのはどうなのだろうか。休暇も大抵は潰されるし、休んだ分だけ給料も少なくなる。

 雨季の期間の給料は雀の涙程しかない。訴えてやろうか。


 まあ僕はお金はそれ程必要としていないので、寝食に困ることなく生きていければそれで構わない。

 やはり雨季は素晴らしい時期だと言えるだろう。


 かといって毎日毎日雨に降られていると陰鬱な気分になってくるし、じめじめとした湿気にも嫌気が差してくるものだが――今年は最高の気分で僕は雨季を満喫していた。


「最高だ⋯⋯」


 さんさんと照り付ける太陽の元、僕は砂浜に置いたビーチパラソルの下でビーチチェアに持たれかかり、一号さんに貰ったサングラスの位置を指で直しながら、あまりの快適さにそう呟いた。


 目の前には青く輝く広大な海が広がっており、緩く吹き付ける潮風と波の音が心地よい。

 僕にしては珍しく、海で水着なんかも着てしまっていた。


 長期休暇に伴い、僕はバカンスを満喫している。


 『私の箱庭マイガーデン』は素晴らしい。

 実はこの『神具』、所有者が設定する事で好きな環境へと変化させる事ができる。

 惜しむらくは本物の海では無いため魚や生物などが存在しない点だが、釣りがしたくなったら外に出ればいいだけだ。

 気候も海水浴に相応しい状態にしているため、雨季真っ盛りの王都とは比べ物にならない程の清々しさである。


 言ってしまえば所詮ハリボテのような空間だが、ここまで完成度が高ければ全く気にならない。好きなだけキャスティングの練習もできるし、ここは今や僕だけの楽園だった。


 後ろを振り向けば、バルコニー付二階建ての洒落たログハウスが建っている。これは師匠とクライスさんが、迷惑をかけたお詫びだといって外から資材を持ち込み建ててくれた僕の住居である。

 非常に快適で二人にはむしろ感謝しかない。


 隣を見れば、僕と同じ様にビーチチェアに寄りかかったまーちゃんが居る。

 何と可愛らしいんだろう。彼女にはやはり海が似合う。

 恋人と世間のしがらみから解き放たれ過ごす至福の一時。


 僕はそっと左腕を伸ばし、まーちゃんを撫でる。彼女は少しだけ気恥しそうにしていたが、笑顔を向けると微笑み返してくれた。


 この『私の箱庭』だが、何よりも素晴らしいのは誰も勝手には入って来られないという点だ。


 ここ数日、片腕を失った僕に対する皆の接し方は異常だった。何をするにも絶対に付き添われ、僕はまるで赤子にでもなった気分だった。大丈夫だと言っているにも関わらず、シャワーを浴びていれば誰かが入ってくるし、トイレに入っていても何故か扉が開かれる。食事の際には涎掛けをつけられ、一口一口食べさせられる始末。挙げ句の果てには腕とは一切関係なく、添い寝をしてくる。


 絶え間なく喧嘩をしているし、僕のプライバシーは一切存在しなくなっていた。

 ミーナが例の事件を皆に話した事も影響しているらしく、明らかに以前より節操もなくなっていた。

 当然ながら、健全な男である僕にそんな環境が耐えられるわけもない。


 そこで逃げ込んだのが『私の箱庭』である。

 薄情だと思うだろうか? けれどあれは無理だ。断言するが、あんな環境に居たら男なら誰だって間違いを起こす。『六重奏鋼の理性』さんがついている僕でも、だ。


 今の僕には、自分だけの空間が必要だった。


 もう僕はしばらくここから出るつもりはない。食糧も大量に持ち込んだし、僕と皆の頭が冷えるまではここでまーちゃんとのバカンスを楽しむつもりだ。


 しかし⋯⋯そうだな。


「招待」


 せっかくなので、僕は『六重奏セクステット』の皆もこの空間に呼んでみる事にした。

 すぐさま六色の光が僕の胸あたりから飛び出し、ふわふわと宙を舞う。


「ははは」


 気分の良い僕は、じゃれつく様に寄ってきたストロベリーブロンドと薄紫の光に手を伸ばし――


「ははは、こらこら」


 そこで止まらず僕の股間を目指してきた魔法士ちゃんへと笑いながら声をかける。

 しかし魔法士ちゃんは止まらず僕の水着の中に消えていった。


 こらこら〜本当にだめだぞ。


 かといって触れる事は出来ないので、割とどうしようもない。まあ見られるくらいなら別にいいかと、気分の良い僕は開き直った。


 『浮遊都市ファーマメント』の一件から、僕は別に裸を見られる事に対しての抵抗はそこまでなくなっている。減るものじゃないし、もう見られまくっているので今更だ。


 それよりも、皆には何時もと違う空間を楽しんでもらおう。


 だから金色の光も僕の水着の中に消えていったけど、気にしないよ。


 でもちょっと立とうかな。態勢を変えて動こうかな。僕が立ち上がると、うろうろと迷っていた様子の薄紫の光がびくりと震えた。

 狩人ちゃんはいいんだよ。水着の中に入らなくて。


 案の定立ち上がると共に魔法士ちゃんと癒し手さんはその場に留まったままとなり、水着の中から追い出す事に成功する。


 魔法士ちゃんがふるふると震えているのは、興奮しているからではないと思いたい。


「皆、好きにしていいからね」


 僕がそう声をかけると、赤い光――馬車さんはひゅんと海上を飛び回り始めた。どことなく楽しそうだ。灰色の光――守護者さんは砂浜にどっしりと腰を下ろすように留まる。海を眺めているのだろう。夕陽のような光――変革者は伸びをする僕に寄り添うようにふよふよと浮かんでいる。何と愛らしいのだろうか。


「さて」


 片腕でのキャスティングの練習でもするかと、僕はサングラスを外してまーちゃんを優しく手に持った。

 波打ち際に向かうと守護者さんと馬車さん以外の皆は周りを楽しそうに飛びながらついてくる。


 自然と微笑んでしまう程の穏やかな時間だ。


 海から程よい位置で立ち止まり、とりあえずまーちゃんの素晴らしい力を使って投げ釣りの仕掛けを創り、遠投してみる。


「ふむ」


 昨日も散々試したが、やはり悪くない。

 僕レベルであり、かつまーちゃんという素晴らしいパートナーとなら片腕でもキャスティングはさほど問題はない。


 しかし⋯⋯リールを巻けないな。

 片手ではどうしても無理がある。まーちゃんならば自動で糸を手繰り寄せる事もできるが、それだけでは味気ない。


「ふーむ⋯⋯」


 どうするかと悩んでいると、魔法士ちゃんが相変わらず股間に――違う。

 脚の間をうろちょろとしていた。


 なるほど、竿を股に挟めば確かに片手でもリールを巻けるだろう。


「ありがとう、でもまーちゃんを股に挟むなんて出来ないよ」


 声をかけると魔法士ちゃんががっくりと肩を落とすような仕草をした。僕は苦笑してとりあえずまーちゃんに糸を巻き取ってもらう。


 やはり大人しくアリスの義手を待つのがいいだろう。それまでは、リールを使わない釣りを楽しめばいい。


 そう思いながらまーちゃんを手のひらサイズに戻した時だった。


『お兄ちゃん、アリスがきたよ』


 左耳につけたイヤリングから、ややノイズの混じったテセアの声が届く。


 蒼い石の嵌ったイヤリングは、例のアリスの魔導具である。『私の箱庭』の中に居ようが会話が可能なイヤリングは、『双鳴耳レゾナンス』というらしい。

 僕が『私の箱庭』で暮らし始める際に、何か用事がある場合は外から呼び出せるよう、もう一つ譲って貰った。誰が持つかで大層揉めたが、結局は一番波風の立たないテセアに任せたのだ。故に彼女は今、両耳に『双鳴耳』をつけている。


「わかった。それじゃあ近くに来てくれたら、こっちに呼ぶよ」


『うん⋯⋯』


「ん? どうかした?」


 テセアの声はどこか元気がない。


『あのね⋯⋯そろそろ、出てくるか⋯⋯皆をそっちに呼ぶかしない?』


 何かあったのだろうかと尋ねてみると、彼女は歯切れ悪そうな口調でぽつぽつとそう言った。


『お兄ちゃん、もう二日はずっとそこに居るから⋯⋯』


「あー⋯⋯」


 テセアの言うとおり、僕が『私の箱庭』に入ってから二日は経っている。その間僕は一度も外に出てはいない。シアラとテセアはちょくちょく入ってきてはいたが、二人以外とは会っていなかった。

 正直、しばらく一人になりたくて皆を避けていたのだが、こうなってくるとまた顔を見せづらい。


「テセア、僕はもう一生ここで暮らすよ」


 だからそう言った。


『現実を見て、お兄ちゃん』


 優しく諭された。


 違うんだよ、ここが快適過ぎるのが悪いんだよ。僕は悪くないんだ。

 ちょろちょろと、四色の光たちが窺うように僕の周りを飛んでいる。僕はクールな笑みを浮かべた。


「いや、いけると思うんだよね。シアラとテセアにこっそり食糧さえ運んでもらえば」


『無理だと思うよ。シアラは二度とそっちに行けないように監視されてるし』


 何それ怖いよ。


『私も⋯⋯入る時には余計な物⋯⋯つまり食べ物とか持っていかないようにやんわりと止められるの。やんわりとだけど、確実に』


 怖いよ。


「⋯⋯⋯⋯⋯⋯自給自足を」


『諦めて、お兄ちゃん』


 どうやら僕のバカンスは早くも終わったらしい。まーちゃんとのランデブーもここまでだろう。

 テセアが一つ息を吐く。


『⋯⋯あのね、こっちって今あんまり良くない状況なんだ』


「というと⋯⋯?」


『フィオナさんはずっとぶつぶつ何か言ってるし、ノエルさんは笑顔なんだけど目が虚ろなの。シアラは何とか『私の箱庭』に近づこうと画策してるし、ミリスさんはいつも通りなんだけど⋯⋯』


「だけど⋯⋯?」


『あんまり出て来ないようなら『私の箱庭』を壊すって言ってる』


 ははっ。

 あの人ならやるぜこれ。


『アリスが魂を取り出す魔導具の目処が立ったって言ってるから、もうそこまで必要ないじゃろって』


 なるほど、『六重奏』の皆を解放できるのが『私の箱庭』だけではなくなれば、絶好の引き篭もり道具を取っておく必要はない、と。


『ミーナさんもエルさんも、お兄ちゃんが居ないのがわかるとこの世の終わりみたいな顔して帰っていくし⋯⋯』


 僕って、一体何なんだろう。

 あいたたた、胃が痛くなってきた。


『何よりね、お兄ちゃんに会う度に皆私の――ううん、私についてるらしいお兄ちゃんの匂いを物凄い勢いで嗅ぐんだよね。それで、ちょっとだけ落ち着きを取り戻すの』


 危ない薬か何かかな?

 僕は危ない薬か何かかな?


『怖いんだよね⋯⋯あと⋯⋯ううん、これはとりあえずはいいかな』


「僕も怖い」


 バカンスを楽しんだ代償は思いの外大きいようだ。

 テセアが何か言おうとして止めたのも気になる。


『でもダメだよ、向き合わないと』


 つい最近、どこかで同じような事を誰かに偉そうに言った気がする。


『皆にちゃんとアリスと結婚するって言わなきゃ』


「ん?」


『え?』


「⋯⋯⋯⋯今なんて?」


『アリスと結婚するんでしょ?』


「しないよ」


『でもそう聞いたよ?』


「誰に?」


『アリス』


 やりやがったな。

 僕の妹に目を離した隙に何を吹き込みやがった。


『それを伝えるのが怖くて、皆から逃げてたんでしょ?』


「違うよ」


 過ちが起こりそうだっからだよ。

 違う過ちが起こっちゃったけどね。

 こんなの許されないぜ。


『え、でもアリスに君は世界一だって言ったんでしょ?』


「い⋯⋯⋯⋯」


 言ったわ。

 でもそういう意味じゃない。

 事実なだけに否定できなかった。

 でもそういう意味じゃない。


『アリス嬉しかったって言ってたよ。だから結婚するって決めたって』


 ちくしょうなんて歪曲した伝え方をしやがる。そんなん誤解するだろ。純粋なテセアを騙すんじゃないよ。

 しかし誤解を解けばいいだけなのだが、テセアの声が少し嬉しそうなのが気になる。


「テセア、それは――」


『私も嬉しいな。シアラにはちょっと悪いけど、二人が結婚するなら張り切って祝福するよ』


「⋯⋯⋯⋯⋯⋯」


 誤解だって言い辛いわぁこれ⋯⋯。

 テセアはアリスの事が好きだからなぁ⋯⋯。

 何か酷く悪い事をしているような気になってくる。悪い事をしてるのはアリスなのに。


 しかし、僕は僕の為に心を鬼にする。


「テセア――」


『実はね、二人にプレゼントも用意したんだ。私プレゼントって初めてだから⋯⋯喜んでもらえるかわからないけど、受け取ってくれる?』


「⋯⋯⋯⋯⋯⋯」


 馬鹿野郎負けるんじゃないよ。


 僕は胸の痛みに顔を歪め、汗を流しながらも言葉を絞り出した。


「⋯⋯それは、誤解なんだテセア」


『え?』


「⋯⋯⋯⋯結婚は、しないんだ⋯⋯」


『⋯⋯⋯⋯しないの?』


 ああ、落胆したかのような声が心を突き刺してくる。僕は何故罰を受けているのか。世界は何故僕にこんなにも厳しいのか。


「⋯⋯⋯⋯うん、しない」


『⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯そっかぁ』


「⋯⋯ごめん」


『ううん! 私の勘違いだったんだね。⋯⋯⋯⋯あ、でもプレゼント⋯⋯』


 僕は膝から崩れ落ちる。テセアの初めてのプレゼントを、その気持ちを、僕はたった今踏みにじったのだ。守護者さんまでもが心配するかのように近寄ってきたが、僕は大丈夫だと笑顔を浮かべる余裕などなかった。


 馬車さん以外の光に囲まれながら、僕はただ罪悪感と自身の無力さに打ちひしがれていた。


「⋯⋯それは⋯⋯取っておいて欲しい。僕が⋯⋯罪を償って⋯⋯それを受け取ることができる男になるまで」


『え、う、うん⋯⋯』


「必ず⋯⋯受け取るから⋯⋯」


『あ、はい』


 涙を流しながらテセアに伝えると、彼女がイヤリングの向こうで頷く気配がした。


 これでいい。僕は――テセアのプレゼントを絶対に無駄にはしない。

 決意を込めて拳を握り、ふらつく脚を奮い立たせて立ちあがる。


 気持ちは伝わったはずだ。


 今は、やるべき事をやろう。


 涙を拭い、僕はテセアに告げる。


「とにかく、事情はわかったよ。二時間後くらいに、皆を『私の箱庭』の前に集めてくれるかな? こっちに、皆を呼ぶから」


『う、うん⋯⋯わかった』


「ありがとう⋯⋯。テセア」


『な、なに?』


「愛してる」


『あ、はい』


 僕はそれだけを伝え、テセアとの会話を終える。

 さあこれから、全力で皆を避けていた言い訳の準備に取り掛かろうじゃないか。


 こんな時の為に、師匠がログハウスにある物を用意してくれている。ここからは、時間との戦いだ。

 とりあえず『六重奏』の皆と遊んでいた事が知られたら面倒になりそうなので、申し訳ないが身体の中に戻ってもらおう。


「馬車さーーーん!! 皆が来るよーーー!!」


 一人離れていた馬車さんにそう叫ぶと、彼はとんでもない速度で瞬時に僕の元へと戻ってきた。


「解放」


 ふわふわと浮かぶ六色の光が、順々に僕の中へと戻っていく。


 いつも通り『六重奏』の皆を宿した僕は、ログハウスへと向かおうとして、はたと思い至った。


 そういえば、先程のテセアへの発言は結局アリスと結婚すると宣言したようなものになってしまうのではないのだろうか。


「⋯⋯⋯⋯アリスめ⋯⋯!」


 また誤解させてしまった事をとりあえずアリスのせいにして、僕は急いで準備に取り掛かるのだった。

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