第141話 犬も食わない
「⋯⋯考えが、変わったのよ。あんたはエルと結ばれるべきだって」
「何で?」
「うるさいわね、あんたには関係ないでしょ」
当事者じゃないのかな、僕。
言ってることが滅茶苦茶だと思う。
「大体、今ここに居るのもあたしじゃなくてエルだったら良かったのよ。そうなってたらもっと上手くいってたわ。あんたもその方が動きやすかったでしょ」
「ミーナ」
「エルは昔からずっとあんたを想い続けてきて、それがエルの全部で、あんたの側では本当に幸せそうに笑って――」
「ミーナ!!」
思わず、僕は声を張り上げてしまっていた。
ミーナはびくりと一度身を震わせ、押し黙る。
「今は、エルの話をしてるんじゃない。君の事を聞きたいんだ」
何故、突然心変わりしたのか。
何故、辛そうなのか。
僕はそれが知りたいんだ。
だから柄にもなく真面目になってるんだ。そろそろ疲れてきた。
僕の真剣さが長持ちしないのは知っているはずだ。最初から鮮度が悪いんだ。
「それと言っておくけど、多分『
いや、レット君かもしれないがまあ細かい事はどうでもいい。〈
確かにエルが居れば、彼女の能力でもっと早く切り抜けられていたかもしれない。けれど、ミーナが居てくれるからこその動きやすさだってある。
ミーナではなくエルだったら良かったなどと、僕は思わない。
「⋯⋯やめて、そういうの。そんなわけないわ」
「そんなわけある」
「⋯⋯ふざけないで」
「ふざけてない、真剣だ」
そろそろ鮮度は切れそうだが。
ずっと俯いていたミーナが、勢いよく顔を上げ、僕を睨みつけた。
「ふざけてるわよ!」
頑なな彼女に、僕の頭には血が上り始める。
「どこがだ!」
「全部よ! あんたがそんなだからあたしは⋯⋯このバカッ!」
「バカじゃない!」
「バカでしょうが!」
「ああ! でもバカじゃない!」
「頭空っぽなんだから! あんたはエルの事だけ考えてればいいのよ!」
「空っぽじゃない! 大切なものがたくさん詰まってる!」
「どうせ釣りの事でしょ!」
「うん!」
売り言葉に買い言葉。
もはやなんの話をしているのかよくわからないが、僕とミーナは顔を突き合わせ互いに怒声を上げる。
「その中にエルを入れなさい!」
「そんな事を言われる筋合いはない! 僕が決めることだ!」
「あるわよ!」
「ない! それにもう入ってる!」
「ッ⋯⋯だったら――」
「ミーナも入ってる!」
無駄に熱くなった頭で叫ぶと、ミーナは、一度呆然としたように目を見開き、口元が震え――そして歯を噛み締めた。彼女は再び鋭く僕を睨みつける。
「勝手に入れんな! 消せ!」
「どうやって!」
「知らないわよ!」
「じゃあ無理だ! 器用じゃないんだ! 舐めるな!」
「舐めてんのはあんたでしょうが! このっ⋯⋯バカッ!」
「バカだから消せないんだ! わかってるじゃないか!」
「ああもう! 本当大バカッ!!」
「お二人とも」
「なに(よ)ッ!?」
ぐしゃぐしゃと頭を両手でかきむしったミーナに、もう何度目かのバカと言われたところで坦々とした声がかけられ、僕らは同時に声の主に顔を向けた。
「アリス様が仮眠に入られたので、お静かに願います。アリス様もあのバカ共を黙らせろとおっしゃられていました」
息を乱れさせた興奮冷めやらぬ僕らに、口の前で一本指を立てたソフィが無表情で告げる。
ヒートアップしていた僕とミーナは、一度顔を見合わせ、お互いに眉を顰めて一つ息を吐き出し、そっぽを向き合う。
「⋯⋯ミーナが悪い」
「⋯⋯あんたが悪い」
不機嫌さを隠さずミーナに言うと、彼女は僕に負けず劣らず不愉快そうな口調で返してくる。
「これが⋯⋯生の痴話喧嘩というものなのでしょうか」
「違う(わよ)!!」
唇に手を当てて考え込むように呟いたソフィの方を、僕らは同時に向く。
そんな僕らに、ソフィは再び指を立て「お静かに」のジェスチャーをした。
僕とミーナは、再び嘆息する。
僕らしくもなく、どうにも苛々する。
バツの悪そうな顔をしているミーナを横目でちらと見る。
ただでさえ悩んでいるというのに、エルをやたらと推してくる事はともかくとして、まるで自分は必要ないとばかりの態度を無理して取っているのが気に入らない。
突然褒められて僕はそろそろ死ぬのかと思ったが、そうではない。
このままでは、ミーナ・キャラットが消えてしまう。
そんな気がしたのだ。
大体、バカだバカだとミーナは言っていたが、僕から言わせれば彼女の方がよほどバカだ。
こんな
はい、わかってます。
僕の対応が間違えていたことくらいわかってます。
ミーナの抱えている悩みは人に話せない類のものだったり、言いたくても言えないことだったかもしれないのはわかっている。
それを無理矢理に訊き出そうとした僕が悪いことくらいはわかっているんだ。
エルの言った通りそっとしておけば、これ程事態を悪化させることはなかっただろう。
何もわかっていないくせに、口を出した僕に完全に非がある。
だけど、この喧嘩は絶対に引かないと決めた。
ムカついたから、絶対に引かない。
僕は無責任で自分勝手で汚属性だ。
覚悟をするのはそっちだ。
暴力に訴えてきたら〈
温厚な僕を怒らせてしまったことを、後悔するがいい。
三回戦目だ、ミーナ・キャラット。
その態度――改めさせてやる。
「ここを出るまで、一時休戦だ」
だが、その前にまずは【
僕はミーナに視線を向けず右拳を上げた。
「ええ、覚悟しときなさい」
僕の提案に威圧的な声で応えると、ミーナもこちらを見ることなく、拳を持ち上げる。
そして、僕らは無言で互いの拳を打ち合わせた。
よし、気持ちは切り替わった。
「ソフィ、アリスちゃんはどうだった?」
首を傾げながら僕とミーナのやり取りを見ていたソフィに尋ねる。
「酷い、状態でした。特に攻撃を放った左腕は深刻な火傷に骨が砕け、筋肉も断裂。ノイル様とミーナ様を遠ざけた真意は、それ程の傷を見せたくなかったからでしょう。正直に申し上げますと、創人族であるアリス様が意識を保てていたのが信じられない程の状態でした。気力と魔導具により無理矢理に動いていたようですが、あの技の多様は禁物かと」
ソフィの報告を聞いたミーナが眉を顰め、額に手を当てる。
「はぁ⋯⋯確かにぶっ飛んだ性能だけど、試作品、ね。失敗作の間違いじゃないの?」
歯に衣着せぬ物言いだ。
アリスちゃんの前で言ったら間違いなく逆鱗に触れるだろう。
わかっていたことだが、やはりミーナとアリスちゃんは仲が頗る悪いらしい。
「治った?」
「アリス様のマナは元々が少ないので、完治には至りませんでした。お休み頂いている間に、更に治癒を施すつもりです。ある程度傷が癒えた所でアリス様は行動を開始されようとしましたが、無視できない疲労も蓄積していたようなので、ソフィがお止めしました。ソフィストップです」
両手を腰に当て、むふん、と鼻息を無表情で鳴らしたソフィの頭に、僕は苦笑しながら手を伸ばし撫でる。
「よく止められたね。偉い偉い」
「アリス様も今の状態で進むのは得策ではないとご理解されていたのでしょう。ソフィのマッサージならば短時間の睡眠でも十全な休息効果を得られるとお伝えしたところ、渋々といったご様子でしたが、ご承諾していただけました」
ふんふんと鼻を鳴らしながら説明してくれるソフィの存在は、とても大きい。彼女が居てくれれば僕らは安心して戦えるだろう。ソフィが僕らの生命線だ、何としても守らなければならない。
「それと、一つ提案なのですが」
「ん?」
「ここから先は、ソフィも戦闘に参加するべきかと」
真剣な眼差しでそう言ったソフィの頭から、僕は手を離す。
彼女が新たな力を身に着けたという話は事前に聞いていた。いざとなれば動けるということを。
僕とミーナは顔を見合わせる。
どうするべきか。
ソフィが戦闘に参加するという事は、単純に戦力が増えるという事だ。しかし、同時に多大なリスクを背負うことにもなる。万が一彼女を失うような事があれば、僕らに傷を癒やす術はなくなり窮地に陥るだろう。何よりも心情的に⋯⋯いや、今はソフィを庇護するべき存在ではなく対等な仲間として見るべきだ。
しかし、それでも先程のように自衛に努めてもらい皆でソフィを守りながら戦う方が、リスクが少ないのは間違いなく、治癒以外のマナの消費も無視できない。
尤も、ソフィのマナは飛び抜けて多いが。
「アリス様の負担を、少しでも減らさなければなりません」
⋯⋯その通りだ。
『銀碧神装』も、どこまで持つかわからない。身体への負担も大きい。
だとすれば、やはりソフィの力を腐らせておくのは勿体ないだろう。
ソフィ・シャルミルは――店長のお墨付きを貰った天才なのだから。
僕とミーナは頷き合い、ソフィへと視線を戻した。
「わかった」
「頼らせてもらうわ」
僕らの返答を聞いたソフィは、スカートを指で持ち上げて片足を引き、膝を曲げてお辞儀する。
「微力ながら、お力添えさせていただきます」
微力なものか。
ソフィは今や、店長と同じ身体強化が行える。同じとはいっても店長には及ばないが、治癒の力を用いた身体強化をものにしたのだ。
自身のマナを治癒の力で活性化させた上で行う身体強化。
治癒の属性――マナに直接干渉する力は、本来容易く扱えるものではない。卓越したマナコントロールの技術と集中力を要するものだ。
治癒の力を扱っている最中に並行して他の事を行うなど考えられない程に、繊細なコントロールが要求されるらしい。
僕にはわからない感覚だが、実際今まで店長以外に治癒の力を戦闘にまで用いている魔人族など見たことはない。
それを、ソフィは体得した。
昨夜店長と何やら熱心に話していたのは、自分が同じ事をやれているのかどうか、確認していたのだ。
今朝、ソフィは皆に説明してくれた。
ずっと前から試行錯誤はしていたらしい。そして店長と出会い。彼女を観察し、これ以上ないお手本を前にして、ソフィは新たな力に目覚めるに至った。
そんなソフィを店長は「治癒の力だけならば、遠くない内に我を超えるじゃろう」と楽しげな笑みを浮かべながら評していたほどだ。
とはいえソフィは
しかし、ソフィには――
「実際に、お見せしておきます」
ソフィはそう言うと、一度小さく深呼吸し――もう一つの新たな力を発動させた。
「魔装――《
《役者魂》――それはソフィが発現させた二つ目の魔装だ。
他者を演じる事で、その者の能力を一つ再現する魔装。
今の所再現できるのは、『
しかし《役者魂》を纏ったソフィの姿を見て、僕は戸惑いを覚えた。
ソフィの頭には二つの黒い獣耳がぴょこんと伸び、背後には黒い尻尾がゆらゆらと揺れている。両手両脚にはふわふわとしていそうな、まるで着ぐるみの一部を切り取ったような黒猫の手足が嵌っていた。
「⋯⋯⋯⋯」
恐る恐る僕はミーナを見る。
彼女は、頬を引きつらせていた。
うん⋯⋯誰を演じて何の能力を再現したのかは、わかるよ?
わかるけど、何か違う。何か違うよソフィ。
それはユーモアかな?
「にゃんにゃん」
ソフィは愛らしい笑顔に平坦な声で、顔の辺りでふわふわの猫の手を上下させながら、何か言った。
「ソフィ」
ミーナが何の感情も籠もっていないような声を発する。
「にゃんにゃー?」
ソフィは表情だけ愛らしく声は平坦なまま、くるんと背を向け、尻尾をゆらゆらさせながら顔だけを振り向かせる。
「あたしはそんなんじゃない」
「にゃ?」
「あたしはそんなんじゃない」
「にゃー」
「あたしはそんなんじゃない」
どちらの声にも、何の感情も感じられなかった。
ソフィは魔装を解き、こちらへと振り返る。
「如何でしたでしょうか?」
「あんたが何か解釈を間違えてることはわかったわ」
二人の声は、どこまでも平坦だった。
◇
まったく何なのよ⋯⋯。
ベッドにうつ伏せになったミーナは、ただただ苛立っていた。
彼女が苛立ちを覚えているのは、先程のソフィのふざけた魔装にではない。
隣のベッドで涎を垂らして眠っているノイルにだ。
ミーナ達は、アリスが目覚めるまで自分達も仮眠を取るためにソフィのマッサージを受けていた。
ノイルがアホのような顔で眠っているのは、既にソフィのマッサージを受けた後だからだ。
そんな彼をミーナは一度睨みつけ、ぽふりと枕に顔を乗せる。
どうしてこの男は、言う通りにしてくれないのか。
普段は無気力極まりなく流されるだけ流されているくせに、何故こういう時に限って妙に突っかかってくるのか。
私がどんな気持ちで――
そう考え、ミーナははっと枕に顔を埋めた。
違うそうじゃない。
自分はこの男の事を何とも思ってはいないのだから、そんな事で苛ついたわけではない。
苛ついた理由は、素直に言うことを利かなかったからだ。
ただ、それだけだ。
「ミーナ様」
「⋯⋯なに?」
自分に言い聞かせていたミーナに、無表情で側に立つソフィの声がかけられる。
「マッサージを始める前に、少しお話が」
改まったような物言いに、ミーナは枕から顔を上げた。
「ソフィは発情期の際の一件を、把握しております」
「⋯⋯⋯⋯は?」
ミーナはソフィが何を言っているのか理解できず、呆然と彼女へと顔を向ける。
一瞬、ミーナの頭の中は真っ白になった。
「素直になられては如何でしょうか?」
何故知っているのかミーナが尋ねるよりも早く、ソフィはきっぱりとそう言った。
混乱するミーナは、何とか声を絞り出す。
「⋯⋯⋯⋯なによ、それ」
「いえ、やはり先程のようなお二人の姿が、ソフィは好きなので」
坦々と言われ、ミーナは自分がノイルと自然に接していた事に気づく。あれは喧嘩でしかなかったが、怒りのあまり態度に気を遣う余裕などなくなっていた。
結果的に、以前のように会話を交わせていたのだ。
ミーナは、再び枕に顔を乗せる。
「⋯⋯⋯⋯ソフィは、エルの味方でしょ。そんな事言っちゃだめよ」
しかし、だからと言って何だというのか。
逆に都合がいいだけだ。普通に接する事ができれば、先程のようにノイルが突っかかってくる事もないだろう。
ミーナは僅かに湧き上がった歓喜に気づかないふりをして、ソフィにわざと素っ気なく応えた。
「何故、でしょう? 確かにソフィはマスターを応援していますが、ミーナ様の敵ではありません」
「あいつはエルと結ばれるべきで、それが正しいからよ」
「では、ミーナ様のお気持ちは間違いだと?」
「そうよ、だってエルはずっと――」
「ミーナ様」
ぴしゃりと、ソフィはミーナの言葉を遮った。彼女らしからぬ行動に、ミーナは再びソフィに顔を向ける。
ソフィは、真っ直ぐにミーナを見ていた。
「愛によって、人は間違った行いをする事はあります。ソフィも、間違いを起こしました」
「なら――」
「ですが、誰かを愛すること自体は、決して間違いではありません。ソフィは、そう思います」
ミーナは、何も言葉を返すことができなかった。
呆然とするミーナに、ソフィは静かに頭を下げる。
「申し訳ございません。出過ぎた真似を。さあ、マッサージを始めましょう」
「⋯⋯⋯⋯そ、うね⋯⋯」
ソフィにゆっくりと身体を倒され、ミーナはそのまま枕に顔を埋めた。
――誰かを愛すること自体は、決して間違いではありません。
ミーナの頭の中には、つい先程ソフィに言われた言葉がいつまでも、響いていた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます