第140話 休憩所


 中央にはぽつんと、丸テーブルを囲むように四つの椅子が置かれ、ご丁寧に壁際には四つ並んだベッドがある。


 階段を下った先にあったのは、さもここで休息をとってくださいと言わんばかりの広々とした空間であった。


 壁や天井は大理石のような素材で出来ており、奥には更に下に続く階段が存在している。


 ベッドが並べられた側とは反対の壁には、何やら案内図のようなものが二つ彫られており、図の中では二つの光の点が明滅していた。


「舐めてやがんな⋯⋯」


 僕に支えられ休息所とも呼ぶべき場所に辿り着いたアリスちゃんは、眉を顰めて不愉快そうな声を漏らす。


「まあ⋯⋯都合はいいわね。ソフィ」


「はい、アリス様こちらに」


 ミーナに声をかけられ、ソフィはベッドの方へと歩き出した。僕ら三人は彼女の後に続く。

 僕たちが休息所に入ると同時に、下ってきた階段は音もなく現れた壁に塞がれた。

 戻ることはできないらしい。まあ、あんな場所に戻ろうなどとは思わないが。


 肩を貸しているアリスちゃんの呼吸は乱れ、玉のような汗が絶えず流れ落ちている。気丈に振る舞ってはいるが、やはり相当に辛い状態なのだろう。


 ソフィの指示に従いアリスちゃんをベッドに座らせる。


「では、装備を全てお外しください」


 軽く舌打ちしたアリスちゃんは、魔導具を外そうと右手を伸ばしかけ、動きを止める。

 そして、僕をじとりと睨めつけるように見てきた。


「⋯⋯てめぇは、アリスちゃんの裸が見てぇのか? 高ぇぞ」


「え」


 ああいやそうか。

 今アリスちゃんが身につけているものは全部魔導具だもんな。そりゃそうな――その下何も着てないんだ。


 どちらにしろ、僕はこの場に居ないほうが良さそうだ。


「すいません気が回りませんでした」


「てめぇもだ『黒猫』。見せもんじゃねぇんだからどっか行ってろ。うぜぇんだよ」


「⋯⋯いちいち喧嘩売らなきゃ生きていけないわけ?」


 アリスちゃんの辛辣な物言いにミーナは眉を顰めたが、それ以上は何も言わなかった。

 心配ではあるが、後のことはソフィに任せよう。


 僕はミーナと共にアリスちゃんとソフィの側を離れる。


「どう思う?」


「頭も身体も重症ね。馬鹿だわ」


 呆れたようなミーナの声を聞きながら、僕たちは反対側の壁へと向かった。


「これは?」


「多分⋯⋯この採掘跡の簡易的な地図よ。この点は――」


「現在地、僕らの居場所か」


 二人で大きく彫られた地図を眺めながら、言葉を交わす。

 シンプルな地図だ。

 縦に五つの大きな四角形が並び、その間には小さな四角形。

 それぞれを結ぶように線が繋がっている。


 同じものが二つ、隣り合わせで並んだそれの一方は、上から一つ目の小さな四角形で光の点が明滅しており、もう一方は――三つ目の小さな四角形に光の点が存在している。


 片方が僕らだとすれば、もう片方は――


「エルたちは⋯⋯順調みたいね」


 そういう事だろう。

 順調というよりは、凄まじいと言っていいほどのペースで踏破している。

 この小さな四角形が休憩所を印しているのだとしたら、僕らが一つの試練を乗り越える間に店長たちは三つを突破したという事だ。


 いくらなんでも早すぎる。


「僕たち、どのくらい戦ってたかわかる?」


 ミーナの方を向き尋ねると、彼女は少し考え込むように唇に指を当てた。


「一時間と少しくらい⋯⋯だと思うわ。数が多すぎて⋯⋯」


 長い時間、採掘跡に留まることもある採掘者マイナーは、時間の感覚も優れている。ミーナの言うことに間違いはないだろう。

 決して短い時間ではないが、たったそれだけの間にこれだけ歩みを進めたというのか。


「店長が⋯⋯何かやってるな」


 多分、いや間違いなくこの快進撃の立役者は店長だろう。

 とはいえ店長にも限界はあるはずだ。エルの推測通り神獣にはマナの綻びは存在しないと言っていたし、あまり無理をしていないといいのだが⋯⋯。


「あっ」


 と、ミーナが目を見開き驚いたような声を上げ、僕は地図へと視線を戻した。

 すると、店長達の位置を表しているだろう光の点が、次の四角形――階層へと移動する。


 そして、僕とミーナが固唾をのんで見守る中――


「嘘、でしょ⋯⋯」


 光の点は、直ぐにそこを突破した。


 ほんの数分程度だろうか。

 十分程も経ってはいないだろう。

 一体、何をしたというのか。


 向こうの様子はわからないが、少なくとも僕らと同程度の戦いは強いられているはずだ。

 にも関わらず、何故これ程早く進むことができるのか。わけがわからない。


 店長達に、何が起きている?


 だが、これ程のペースならば誰かが欠けるような事態は起きてはいないだろう。理解は及ばないが、少しだけ安心もできた。


 最後の休憩所とも呼べる場所で光の点は留まっており、今のところ動く気配はない。


「⋯⋯店長たちは、とりあえず問題なさそうだね」


「⋯⋯そうね、逆に心配させてると思うわ」


 確かに未だ僕らが殆ど進んでいない事は、彼女たちの不安要素となっているかもしれない。とはいえ、ここで焦るのは禁物だ。


「ミーナ、マナボトルは何本使った?」


「二本、ね」


「僕もだ」


 ソフィが持っているものと合わせて、残りは十一本か。後四層越えなければならないとして、一つの階層に使用できるのは二、三本。

 進む毎に敵が強くなる可能性を考慮すると、かなり心許ない。


 毎回アリスちゃんに無理をさせるわけにもいかないし、そもそも彼女は想定よりも早くマナを消費してしまっているようだった。なおの事先程のように頼るわけにはいかない。


 厳しいな⋯⋯。


 ここで休めるだけ休んで、マナも体力も回復させつつ進むしかないだろう。

 これから先は強制転移からの不意打ちではないだけマシだが⋯⋯時間がかかってしまいそうだ。


「あんた⋯⋯また強くなったわね」


「え?」


 考え込んでいると、ミーナがふいにそんな事を呟いた。彼女はじっと無表情で壁の地図を見つめている。


「さっきの神獣、一体でもそれなりに強かったわよ。けど、あんたは数以外は問題にしてなかった。傷も殆ど負ってないしマナボトルもあたしと同じ本数しか使ってない。自分がどれだけ動けてたか、気づいてないの?」


 問われ、僕は自身の手のひらを見つめた。

 必死だったため特に意識もしていなかったが、そうなのだろうか?

 『浮遊都市ファーマメント』の一件で、機械兵にボコボコにされた経験が活きているのだろうか。

 『六重奏セクステット』の皆と絆が深まった事により、魔装が更に力を発揮できるようになったのだろうか。


 あの蟻を一体ならば然程強く感じなかったのは、僕が強くなったからだったのか⋯⋯?


「あんたは⋯⋯自分が思ってるよりずっと凄い奴よ」


「⋯⋯ミーナ?」


 え、何?

 ミーナが手放しで僕を褒める、だと。

 もしかしてそろそろ死ぬの? 僕。

 この状況だと洒落になってないんだけど。


「あたしが⋯⋯あたしのせいであんたは自分を大した事ないやつだって、思い込んじゃったんでしょうけど――」


 ミーナは、微笑みながら僕の方を向く。


「あたしが保証する。あんたは大したやつよ」


 彼女の笑みが、僕にはどこか寂しげに見えた。


「きっとエルにだって劣らないわ。だから、ここを出たらちゃんと向き合ってあげなさい。周りはあたしがどうにかしてあげるから、あんたはエルだけを――」


「ミーナ」


 僕は片手を突き出し、彼女の言葉を止める。

 そして、真剣な眼差しを向けた。


「トイレを覗かれた事って、ある?」


「!?」


「僕はある」


「!?」


「大の時だった」


「!?」


「多分しょっちゅうやられてる」


「!?」


 驚愕と衝撃と怖気と困惑を覚えたのか、大層混乱したように一歩後退ったミーナに、僕はクールに微笑み一つ息を吐くと天井を見上げた。


「エルと向き合うっていうのは――そういうことなんだ」


 僕が大した人間だとか、彼女と吊り合うかだとか置いておいても、大変困難を極める。

 そもそも、僕にはまーちゃんが居る。


「っ⋯⋯そ、それは⋯⋯その、エルの一面でしかないでしょ⋯⋯エルは美人で性格も良くて、何でも⋯⋯」


「わかってる」


「⋯⋯⋯⋯」


「そんなことは、わかってるんだよミーナ」


 僕は顔を戻し、頬を引きつらせながら何とか踏みとどまっているミーナに優しく声をかけた。

 ああ、エルは素敵な女性だ。完璧だと言ってもいいだろう。


 だが――


「トイレ、だ」


「⋯⋯⋯⋯」


「多分、人間が最も見られたくはない瞬間、だ」


「⋯⋯⋯⋯そ、そのくらい⋯⋯う、受け入れ⋯⋯」


「本当に?」


「⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯」


「本当にそのくらい、だと思っているか⋯⋯答えてくれミーナ。トイレを覗かれるのは、そのくらい、で済むのかどうか」


 僕が両手を広げながら詰め寄ると、ミーナはたじろぎ、俯いた。至近から彼女を見下ろしながら、僕は返答を待つ。


 やがて、ミーナはぽつりと小さな震える声を漏らした。


「⋯⋯⋯⋯プレイ」


「ん?」


「そ、そういうプレイだと思えばッ!!」


「もういい、もういいんだミーナ」


 僕は俯いたままとんでもない事を言い出したミーナの肩に手を置き、ゆっくりと頭を振る。

 彼女も理解はしているだろう。

 そんなものは特殊性癖を持つ変態にしか無理だということを。


 がくり、とミーナは肩を落とす。


 わかってくれたか。

 別にエルと今後一生向き合わないつもりだというわけではない。

 ただ、現時点では常人の僕にはいささか難題にすぎる。トイレは、一人で過ごしたい。

 止めてほしいと言って聞くようなら考えを改めるが、絶対こっそり覗くという確信が――僕にはあるんだ。


「⋯⋯⋯⋯それでも、あたしはエルを⋯⋯」


 しかし、ミーナはうわ言のように小さな声でそう呟く。


 ふむ⋯⋯これは本格的におかしいな。

 そろそろ真面目に話をしたほうがいいかもしれない。


「どうして、突然そんな事を?」


 震える肩から手を離し、ミーナに尋ねる。


「何かおかしい⋯⋯? あたしはエルの親友で――」


「おかしい。ミーナらしくない」


「⋯⋯⋯⋯」


 そもそも、ミーナが急にエルと僕の仲を取り持とうとする事自体、おかしな話だ。

 ミーナの立ち位置はソフィと違い、基本的には傍観者だったはずだ。いや、度が過ぎれば止めてくれる頼もしい存在だったし、傍観していたのに不憫にも巻き込まれる――そんな風に、僕らの関係を見守ってくれていた。

 

 余計な口出しはせず、呆れながらもなんだかんだ面倒見の良いミーナに、僕は少なからず救われていたのだ。


 だから、今のミーナの態度は――その前からずっと、彼女の態度はぎこちなさがある。


 エルにはミーナが自ら話すまでそっとしておいてあげてほしいと言われたが、こうなってはそうもいかない。


 幸いここは安全で、アリスちゃんが回復するまでにはまだ時間がかかり、僕らにも休息が必要だ。

 ミーナが応じてくれるのなら、少し話をしよう。そう思い、僕はミーナの言葉を待つのだった。

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