第125話 黒猫の歩行


「何が⋯⋯どうなってこうなった⋯⋯?」


 無事検証を終えて『精霊の風スピリットウィンド』のパーティハウスへと戻った僕は、目の前で繰り広げられる光景を眺めながら呆然とそう呟いた。


 検証の結果としては、僕は予想通り一人の人間として扱われた。

 テセアに《解析アナライズ》を使用してもらい【湖の神域アリアサンクチュアリ】の入り口の仕組みも調べてみたが、やはり魂などを検出するような装置ではないらしい。


 もっとも、テセア曰く「『浮遊都市ファーマメント』よりよくわかんない」だそうだ。【湖の神域】はそれ全体を『神具』としてみれば、『浮遊都市』よりも格が上だということだろう。


 まあ、『浮遊都市』自体は確か⋯⋯誰でも都市作成キットだったか、それを用いて創造されたものなので、当時の基準で考えれば大した『神具』ではなかったのだと思う。

 まったく、嫌になる話だ。


 採掘跡はそこにあるだけで害があるわけでも、誰かが悪用できるわけでもないだけマシだが⋯⋯いざ入るとなると話は変わってくる。

 内部にはあの機械兵以上の神獣がひしめいている可能性すらあるのだ。


 しかも、実体を持つため厳密には差異があるが、神獣もマナ生命体であるのなら、精霊と同じくマナの綻びは存在しないのではないか。ミリスが一筋縄ではいかないと言っていたのは、その辺りも関係しているのではないか。とエルが道中何やら不穏な推測を立てていた。


 確かにいつだったか、店長自身から精霊にマナの綻びは存在しないと訊いたことはある。

 まあ、あの人はそれならそれでマナを込めた拳で殴り倒すわけだが⋯⋯綻びはなくともあの人の眼には精霊が見えてはいるからね。


 とはいえ、エルの推測通りならばより厄介なのは間違いないだろう。店長に確認しなければならない。


 採掘者マイナーではない僕とテセアは悪目立ちしないよう外套を頭から羽織り、アリスちゃんの自動人形オートマタに扮して採掘者協会に入ったのだが、合流した彼女の鬼気迫る雰囲気にあまり話をする事はできなかった。


 時間を無駄にしたくないらしいアリスちゃんは面倒事を避けるために来てはくれたが、確認が終わると言葉少なに足早に帰ってしまい、僕らも屋敷へと戻った。

 明らかに余裕のなさそうな彼女をテセアも案じている。


 こうなれば、アリスちゃんには申し訳ないが事情を知っていそうなエルから話を聞こう。

 どうしても、知っておかなければならない気がするのだ。


 とりあえず【湖の神域】には問題なく入れることはわかったが、やる事は多い。明日のために英気も養わなければならない。


 だというのに――


「⋯⋯⋯⋯ちょろちょろ鬱陶しい」


「あんたが鈍いだけでしょ」


 何で、シアラとミーナが争っているのだろうか。屋敷の地下訓練場では、漆黒の鎧と、黒い爪が火花を散らしていた。


 帰ると真っ先にソフィにここへと案内されたのだが、この二人は一体何をやっているのだろうか。英気、養おうよ。

 ほら、テセアも呆れたような顔してる。


 とりあえず、僕は入り口付近で楽しげに二人の戦いを眺めている店長へと声をかけた。


「僕、喧嘩するようだったら止めてくださいって言いましたよね?」


 うむってあなた返事したじゃない。

 何で傍観してるの。

 何で楽しそうなの。


「これは喧嘩ではなく、決闘じゃ」


 なるほど、決闘か。確かにそれは止めてとは頼んでいない。

 僕は納得し、店長の髪を両手でワシャワシャとかき乱す。


 そういうことじゃないんだよ。


 しかし、店長は「ぬわー」と笑顔でより楽しげな声を上げたため、僕は髪を乱すのをやめた。


「ソフィ、説明を」


「かしこまりました」


 エルが僕へとすっと頭を差し出しながらソフィに説明を求める。

 ⋯⋯⋯⋯どうしろと?


「端的に申し上げますと、残り五名の枠をかけて争っていらっしゃいます。最初は険悪そのものといった様子で言い争っておられただけだったのですが、あれよあれよと言う間に力でのお話し合いに移行されました」


 僕はソフィの若干ユーモアを利かせたのか判断し辛い説明を聞きながら、とりあえずエルが頭を擦りつけてきそうな勢いだったので、店長と同じ様に髪をワシャワシャと乱す。

 満足そうなところを見ると、正解だったらしい。意味がわからない。


 しかしそうか、決闘とはそういう意味だったのか。先走りすぎだよ。


「ノエルとフィオナは?」


 髪を乱されながら、エルは続けて僕が気になっていた事を尋ねる。

 クライスさんは近くの壁にもたれかかって観戦しているが、二人の姿は見当たらない。

 レット君は⋯⋯⋯⋯いい相棒だった。


「既にミーナ様に敗れ、別室でお休みになっておられます。直にお目覚めになるかと」


「え?」


 僕はその言葉に思わずエルの頭から手を離し、ソフィへと視線を向ける。視界の端でエルが不満げに頬を膨らませているのが見えた。

 しかし今はそれよりもだ。


「⋯⋯フィオナが、負けたの?」


 まだ魔装マギスも扱いきれておらず、そもそも殆ど戦闘経験すらないノエルはともかくとして、フィオナに勝つのはそう簡単な事ではない。いや、ミーナの強さも知ってはいるが、それにしてもすぐにシアラと連戦できる程に消耗を抑えて勝利したというのか。


 傷はソフィや店長に治してもらえるし、マナはマナボトルがあれば回復できるが、体力や精神力はそうはいかない。いくらミーナが半獣人ハーフだからとはいえ、少々信じ難い話である。


「はい、ミーナ様は殆ど無傷で勝利を収められました」


 尚更信じ難いが⋯⋯ソフィが嘘を付く必要がない。

 今聞いた通りの結果となったのだろう。


「ふむ⋯⋯ミリス、キミはどう見た?」


 エルが諦めたのか僕の側を離れ、腕を組んで店長の隣に立った。

 すごいな、二人とも髪が乱れまくってるのに並ぶとそれでも絵になる。というか、直しなよそれ。


 店長とエルの視線は未だ激しく戦闘を繰り広げているシアラとミーナに向けられている。


「ノエルは単純に実力不足じゃ。一応血を摂取したとはいえ、直接吸わなかった分、能力の上昇も幾分控え目じゃったしのぅ。一本だけではなく数本は飲むべきじゃったな。勝負にすらなっておらんかった」


 ああ、あのボトルは使ったんだ。でも一応一本だけで抑えてくれたのね。ありがたい。


「フィオナはそもそも屋内で戦ったのが悪いのぅ。実力を発揮できておらぬ。じゃが、善戦すらできなかったのは、想定以上の動きをされたからじゃろうな。あやつはバカではない。不利な状況だからこそ油断はなかったにも関わらず、上をいかれたのじゃ」


「⋯⋯⋯⋯では、この戦いはどちらが勝つと予想する?」


 エルが少し考え込むように瞳を閉じた後、店長に問いかけた。


「予想するまでもなかろう。差は明らかじゃ」


 僕も《狩人》を発動して改めてシアラとミーナの二人を見る。

 漆黒の鎧を纏ったシアラの攻撃を躱しながら、ミーナは訓練場を縦横無尽に駆け回り、死角を狙うように拳や蹴りを打ち込んでいた。

 しかし、シアラもその動きに反応し、ガードや反撃を行っている。


 拮抗状態。

 シアラは軽やかで苛烈なミーナの動きを捉えきれていないが、ミーナも攻撃には対処され、堅固な鎧を崩す決め手に欠けている。


 このまま戦い続ければ、激しく動き消耗の激しいミーナが不利に思える。


 ⋯⋯⋯⋯⋯⋯いや。


「貴様に逆に問うがのぅ」


「エルシャンだ。そろそろ名を呼んでくれ」


「ふむ、ではエルシャン」


 店長が口の端を吊り上げた。


「あの半獣人の娘に、何があったのじゃ?」


 ミーナの動きが、加速していく。

 かつて僕と戦った時よりも、更に速く。更に鋭く。更に洗練されて。


「くッ⋯⋯⋯⋯」


 シアラの対応がどんどんと遅れていく。無理もないだろう。既に〈獣の歩行ビーストステップ〉並の速さだ。僕も《狩人》を用いて神経を研ぎ澄まさなければ、容易く見失ってしまう。

 今のミーナの動きを追うには、店長との模擬戦並の集中力が要求されていた。


「わからない。苦戦していた魔装のコントロールのコツでも掴んだのか⋯⋯はっきりと言えるのは――」


 シアラから距離を取り、素早く四肢を着いたミーナを見て、僕は息を飲んだ。


「――〈黒猫の歩行ブラックステップ〉」


 まだ――上がるのか。


 エルが、誇らしげな声を発する。


「彼女は才能を開花させた」


 瞬間、ミーナの姿が消え、シアラの背後に現れる。

 気づいて振り向いた頃には、とっくに間に合わない。拳が無防備な胴に叩き込まれ、シアラはたたらを踏んだ。


 体勢を立て直すよりも速く、ミーナの姿が再び消える。

 こんなものは、反応できるわけがない。


 ふいに意識の外から姿を現しては、こちらが触れる前に姿を消す。

 手を伸ばした先にはもう居ない。

 気まぐれな猫のように、相手を弄ぶ。


 数瞬の内に――シアラの纏う鎧はボロボロになっていた。


 思えば、シアラが最初から完全武装していたのは、そうせざるを得なかったからではないだろうか。魔装の部分発動などしている暇はなく、常に全身を覆う事で、小回りは捨て防御を固めていた。

 最初からか⋯⋯最初から、シアラはミーナの動きに遅れをとっていたのだ。


 店長とエルは、まだミーナが全力を出す前からそれを見抜いていたのだろう。

 拮抗していた状態など、存在しなかったのだ。


 常にミーナはシアラを上回っていた。


 ならばこの結果は、当然だ。

 純粋な実力の差が今結果となって現れる。


 ふらつく漆黒の鎧の目の前に、ミーナが現れた。

 それは非常にゆっくりとした動きに見えた。


 しかしシアラは目の前の彼女に反応できず、無防備に回し蹴りを胴に受ける。鎧はひしゃげ、シアラは壁まで吹き飛ばされ叩きつけられた。


 響く轟音。

 漆黒の鎧が、静かにかき消える。

 後に残されたのは、気を失い倒れているシアラ。


「はぁ⋯⋯はぁ⋯⋯加減は、したわよ⋯⋯⋯⋯」


 大量の汗を滴らせ両手を膝につき、肩を上下させながらミーナが息を切らしつつそう呟いた。

 《狩人》を発動させていた僕の耳に届いたその声に、僕ははっと我に返った。


「シアラ!」


 テセアが慌てたように駆けだそうとして、その動きを止める。

 シアラの身体がふわりと浮かび上がりひとりでにこちらへと向かってきたからだ。


 見れば、エルが片手を前に翳していた。


「心配ないぞテセア。気絶しておるだけじゃ」


 店長のその言葉に、テセアはほっとした様子で胸に手を当てた。僕も一つ息を吐く。

 ふわふわと僕らの側まで運ばれてきたシアラを、テセアが両手を伸ばし抱きかかえる。


「お兄ちゃん、私シアラは好戦的過ぎると思う⋯⋯」


「うん⋯⋯」


 呆れたようなテセアの声に、僕は同意せざるを得なかった。いつからこうなったんだろう。


「ソフィ、テセアとシアラを空いている部屋に案内してあげてくれ」


「かしこまりました」


「三人が起きるまで、少し休憩にしようか。クライス」


「んはぁーい! 俺っですっ!」


 観戦中は静かだったクライスさんが、エルに呼ばれいつもの三割増しくらいの声量で返事をしたあと、歯を輝かせる。


「すまないが、今のうちにレットを探してきてもらえるかい? まだ街中を逃げ回っているはずだ」


「んかしこまりぃ!!」


 そして、エルから指示を受けると、高速回転しながら訓練場から出ていった。あれ、どうやって扉開けたんだろう。

 ていうか、レット君は消えていなかった。流石相棒だぜ。僕は信じてたよ。


「本当、鬱陶しいわね⋯⋯」


 クライスさんに目を奪われていた僕は、背後から聞こえた声にびくりと、身を震わせた。

 振り返ると、息を整え歩み寄ってきたらしいミーナが怪訝そうに眉を顰めている。


「何よ」


「いや、びっくりして⋯⋯」


「そう。エル⋯⋯何その髪⋯⋯。まあいいわ、あたしはシャワー浴びた後部屋で休むから。流石に少し疲れたわ」


「わかった。会議を始める時に呼びに行くよ」


「お願い」


 ミーナはそう言って、さっさと訓練場を出ていこうとする。僕は、歩き去っていく彼女の背に声をかけた。


「ミーナ」


「何?」


 立ち止まったミーナは振り返らずに尋ねてくる。


「いや⋯⋯迷惑かけてごめん」


 多分どうせおそらくだが、フィオナたちの方から吹っかけたのだろう。ミーナの方から、こんな果たして意味があったのかわからない決闘を仕掛けるとは考えづらい。彼女はいつも不憫な事に巻き込まれる側だ。


「⋯⋯⋯⋯別にいいわよ、もう慣れたし。あんたが謝る事でもないでしょうが、ばーか」


 そのままミーナは振り返らず、訓練場から出ていくのだった。







 自室の浴室で、壁に両手をつき頭からシャワーを浴びながらミーナは口の端を吊り上げ薄い笑みを浮かべた。


「――ざまぁみろ」


 小さな呟きは、シャワーの音にかき消される。


 ノイルが言った通り、決闘の話を持ち掛けたのはフィオナたちだ。しかし、そうなるように誘導したのはミーナであった。


 必要以上に三人を煽り、苛立たせ、自分への怒りを溜めさせ、爆発させた。


 何故か。

 我慢ならなかったからだ。


 忘れると決めた。

 なかったことにすると決めた。

 エンシャンを裏切らないと決めた。


 だから何事もなかったように。

 平静に、自然に、振る舞うと決めていた。


 だが、ノエルがノイルと一晩過ごしたと知った時、心の制御は利かなくなった。


 苛ついた。

 苛ついていた。


 気に食わなかった。


 理解者面をして自分に縛りつけようとする女も。

 妹という立場を利用してべたべたと近づく女も。

 所有物だの後輩だの宣って付きまとう嫌味なクソ女も。


 何故どいつもこいつも自分勝手な振る舞いしかしないのか。何故気持ちを押しつけることしか考えない。何故あいつの事を考えてやれない。何故そんな奴らが自分と違い何のしがらみもなく――


 何故何故何故何故何故何故何故何故。


 だから、わからせてやりたかった。


 自分のほうが上だと、はっきりとしめしてやりたかった。

 思惑通り三人を叩きのめせたのは、気分が良かった。

 仄暗い喜びのままに、自然に彼女は言葉を吐き出す。


「エルだって⋯⋯」


 そして、はっと目を見開き呆然と片手で口を押さえた。


 自分は、今、何を、言いかけた?


「ちが、ちがう⋯⋯ちがうちがうちがうちがうちがう!」


 違う。

 自分はノイル・アーレンスの事などなんとも思ってはいない。


 ミーナは先程までの思考と自分を切り離す。

 心を、切り離す。


 自分が苛ついたのは、集まっておいて中々話が進まなかったからだ。あいつらのせいで時間を無駄にしたからだ。

 そうだ、それだけだ。


 そもそも普段から無駄に喧嘩を売ってきたり、見下してきたり、馬鹿にしてくる奴らに苛つくなど、当たり前のことでしかない。

 これまでだって何度も手が出そうになった。


 だから、仕方ない。


 苛ついたのは、仕方のない事なのだ。


 普通、普通の事だ。


 大丈夫、次は我慢できる。


 ごつん、とミーナは額を浴室の壁にぶつけ、両手で顔を叩いた。


「大丈夫、ちゃんとできる。普通にできる」


 ミーナは冷たいシャワーを止めると、浴室から出る。彼女は脱衣所の鏡に映った自分の顔を見てふっと息を漏らした。


 ひどい顔だ。


 これでは、何か悩んでいるようではないか。

 両手の人差し指を口の端に当て、吊り上げる。


 笑顔、笑顔だ。

 だが、これも何か違和感があった。


「あれ⋯⋯?」


 ミーナはぽつりと呟く。


「あたし、あいつとどんな顔で話してたっけ」


 そう言いながら、ミーナは鏡に映る自分と向き合うのだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る