第123話 制限
一晩たち、連れ込み宿――『愛の巣』を後にした僕とノエルは、早々に『
ノエル曰く、店長以外はまだ僕を探しているだろうとの事なので、今の内に『白の道標』に戻っていた方が安全らしい。
何故皆が僕を探しているのか、安全とはどういう事なのか非常に気にはなったが、僕は大人しく彼女に従うことにした。
ノエルが服を処分してしまったので、《狩人》を発動して帰ることになった僕に彼女は申し訳なさそうにしていたが、まあ汚れていたのなら仕方ないだろう。僕には全く汚れているようになど見えなかったけれども。
本当はこのまま何処かに逃げ出してしまいたい気持ちもあったが、あいにく今日はそういうわけにもいかない。
明日から始める採掘跡の攻略準備と、話し合いをしなければならないからだ。
今日は後ほど『
まあランクSの採掘跡ともなれば、しっかりと事前準備が必要なのだろう。いくら店長がいるとはいえ、無策で望むわけにもいかない。
もう少し、ゆっくり事を進めてもいいと思うんだけどな⋯⋯。
『六重奏』の皆のためマナストーンを取りに行くのは反対ではないが、少々急すぎる。
安全面を考慮するならば、これ程急いて行動を起こす必要はない。もっと慎重に別の手も模索するべきだ。
しかし――僕はアリスちゃんの言葉を思い出す。
――時間がねぇんだよ⋯⋯。
彼女は一体何を焦っているのだろうか。
よくよく考えてみれば、そもそも『
アリスちゃんはその言動の豪胆さとは裏腹に、何か事を起こす時は用意周到に準備して行うタイプに思える。リスクとリターンを計算して、自己の保身に努めた上で動く。それは基本的には魔導具がなければ他種族より遥かに劣る、創人族故の慎重さなのだろう。
彼女は愚かではない。僕よりも遥かに頭がキレる。
なのに『浮遊都市』の件といい、今回の採掘跡の件といい、どう考えてもリスクの高い手を選択しているのは、なぜなのか。
危険を犯す程にアリスちゃんが焦っている理由を、事情をちゃんと訊いておくべきだったのかもしれない。
まあ、話してくれたとは思えないが。
どちらにせよ、今僕らが彼女の提案を却下してしまえば、アリスちゃんは一人でも採掘跡に入ってしまいかねない危うさがあるように思える。流石にそんな事はさせられない。
説得も、エルに有無を言わせなかったところを見る限り、不可能だろう。
やはり、彼女の望み通り採掘跡に入る他に手はないように思える。正直不安な要素ばかりだが⋯⋯うん、決めた。
僕は一つの決意をして、いつの間にかたどり着いていた『白の道標』の扉に手をかけた。
「ノイル」
と、その手にノエルが自身の手を重ねてきた。
「何?」
「変なこと、考えてない?」
不安そうな、どこか咎めるような表情で彼女は僕を見てくる。
別に何も変なことなど考えてはいない。
ただ――今回の件に、ノエルやフィオナ、シアラたちは関わらせないと、決めただけだ。
理想は僕と店長、そしてアリスちゃんだけで採掘跡を攻略する。店長に全力で頼れば何とかなるだろう。
まあ、そう上手くはいかず僕の提案など、絶対に却下される。
しかし朧気な僕の記憶では、今回の採掘跡には――人数の制限があったはずだ。父さんが、いつだったか酒を飲みながら話していた。
その辺りについても、エルは今日話すつもりだったのだろう。
「別に、何も考えてなかったけど?」
「⋯⋯⋯⋯そっか」
自然な笑顔で答えた僕にノエルは少しだけ訝しげな目を向けていたが、おかしな様子はないと判断したのかやがて手を離した。
もはや僕の嘘はすぐに見抜かれるものと思っていたが、どうやらまだまだ捨てたものじゃないらしい。
流石は汚属性だと思いながら、僕は扉を開くのだった。
◇
「それじゃあ、先輩はこの女と一晩二人っきりだったんですか!?」
『精霊の風』のパーティハウス、その会議室でフィオナが悲鳴のような声を上げた。
並んだ大きな丸枠窓から陽光が差し込む赤い絨毯の敷かれた会議室は、中央に大勢が利用できる程の白いテーブルクロスのかけられた長テーブルが置かれ、石造りの暖炉に瀟洒なシャンデリア、いくつかの調度品が部屋を飾っている。元は食堂だったらしいが、『精霊の風』のメンバーは殆ど利用しないため、会議室となったらしい。会議室となっても話し合いなどは大体談話室で済ませてしまうため、やはり滅多にこの部屋は使われないそうだが。
『精霊の風』の皆はエル以外が長テーブルを挟んで『白の道標』の対面に座っている。
今回の会議の進行役であるエルは、上座に当たる位置に座り、腕を組んで瞳を閉じていた。
「まあ落ち着いてよフィオナ、変なことはしてないから」
「あなた⋯⋯よくそんな事をほざけますね。先輩が私の手を甘く握りしめてくれていなければ、とっくにその首をへし折って原型も留めないほどズタズタの肉塊にしたあと魔物の餌にしています」
「フィオナ、フィオナ、怖い。怖いから」
にこりと微笑むノエルを、フィオナは明らかな憎悪の籠もった瞳で睨みつけ、とんでもないことを仰られた。僕は震える彼女の手をより強く掴んで動き出さないようにする。
僕たちはエルから見て、フィオナ、僕、
シアラ、店長、ノエル、テセアの順に座っているのだが、緩衝材ってこんな気分なんだろうか。
結局、昨夜の出来事は皆にバレた。元より隠し通すのは困難だったわけだが、店長が「ノイルなら昨夜はノエルと共におったぞ」などと思い切りバラしやがったのだ。そもそも、あんたは何故知ってるんだ。その辺り詳しく話を訊きたかったが、そんな事をする暇はなく、会議室は地獄と化してしまった。
『精霊の風』の皆は、一言も発さない。
ソフィ、ミーナ、クライスさん、レット君の順で座っている皆は、ソフィはじっと黙ったままお行儀よく座っており、クライスさんは白い歯を輝かせ、レット君は非常にバツが悪そうに肘をついて顔を乗せ、そっぽを向いてた。
そして、いつもならこういう状況を止めてくれるミーナは――僕と視線が合うと僅かに顔を逸らし、指先で髪をいじり始めた。
助けてくれる気はないらしい。
あんな事をしてしまったのだから、当然だろう。この場に出てきてくれただけでも感謝すべきだ。
「⋯⋯⋯⋯変なことはしてないなら、何をしてた? 正直に、言え」
シアラがフィオナに負けず劣らずの視線をノエルに向ける。僕は彼女の手もしっかりと握っておいた。
「これ」
その問いに、ノエルはどこか得意気に例の僕の血を詰めたマナボトルの瓶を、僕と同じ腰のポーチから一本取り出しテーブルの上に置いた。
「⋯⋯それは、ノイルの血だね」
エルは何で見ただけでわかるのかな? いつの間にか目を開けていた彼女を見て、僕はそう思った。
「うん、ノイルに血を分けてもらったの。でもちょっともらいすぎてノイルが動けなくなっちゃったから、宿で一晩休んだだけだよ」
「宿⋯⋯?」
フィオナの表情が更に険しくなる。そんな彼女に、ノエルは艶やかに微笑んだ。
「あいいろ通りの」
「ッ⋯⋯! ころ――」
「フィオナ、フィオナ! 普通に寝ただけだから本当!」
立ち上がろうとした彼女の手を引き、僕は動きを止める。フィオナは目に涙をいっぱいに溜めて、僕を見た。
「ですが先輩! 私が一番に行きたかったんです! 先輩に連れ込まれたかったんですよ!?」
「おかしくない?」
僕をどんなやつだと思ってるの。
連れ込まないよ。
「⋯⋯⋯⋯兄さん、一つだけ、訊かせて」
「何、シアラ⋯⋯?」
僕はこちらをじっと見つめているシアラの方を向いて恐る恐る尋ねる。
「⋯⋯⋯⋯一緒に、お風呂入ったりした?」
「ノーコメントで」
「したんだ殺そう」
「殺さないで」
「ですが先輩!」
「フィオナに言ったわけじゃなかったけど、フィオナも殺そうとしないで」
僕は懇願するように二人の手を握りしめる。離したら何が起こってしまうかわからない。
もうどうしたらいいのかわからず、ただ必死に二人を落ち着かせていると、ぱんっと乾いた音が会議室に響いた。
見れば、店長が両手を合わせて呆れたような顔をしている。
「もうよいじゃろう。お主たちも後で同じ事をすればよいだけじゃ」
「⋯⋯それっておかしくない⋯⋯?」
テセアが一人ぼそりと呟いていた。
だが、店長は意にも介さず腕と脚を組み直し言葉を続ける。
「とにかく、これでは話が進まぬ。あまり時間もあるわけではなかろう」
あなたのせいでこんな状況になったんですけどね。いや元を正せば僕の軽率な行いのせいなんだけども。もっといえば全て父さんが悪い。そういえば、あのおっさんは何処に行ったのだろうか。割とどうでもいいけど。
「⋯⋯⋯⋯⋯⋯先輩、私も宿に連れ込んでくださいね」
僕、連れ込んだわけじゃないけど。
少しの沈黙の後、フィオナは納得がいかないという顔をしていたがそう言ってとりあえずは大人しくなってくれた。
「兄さん、これからは毎日お風呂」
入るよ?
毎日お風呂は入るものだ。
まあ⋯⋯シアラが言っているのは多分一緒に入ろうという事だろうけど。
なんていうか、もう適切な距離などあったものではないな。離れようとすればするほど何故か距離が近くなる。この世は不思議だ。
問題は一切解決せず山積みだが、とりあえず彼女たちもこれから行われる話し合いが重要だということは理解しているのだろう。
この場では一先ず置いておいてくれるらしい。
エルが大きく息を吐き出した。
「⋯⋯ミリスの言う通りだ。ノエルへの罰は後ほど与えるとして、一先ず個人的な感情は置いておこう」
罰、与えるんだ。
「罰⋯⋯与えるんだ⋯⋯」
テセアが僕が思った事をそのままぽつりと呟いた。
ノエル自身はにこにこしているが、罰を与えようとしてたら僕が止めなければならないだろう。
「今回集まってもらったのは他でもない、明日攻略を開始する採掘跡についての説明と、方針を決めるためだ」
エルがよく通る凛とした声で話を始める。
そっぽを向き続けていたレット君を始め、皆の視線が彼女に集まった。
「ランクSの採掘跡――名を【
元々この広大な湖――アリアレイクには採掘跡が存在していた。王都イーリストは元を辿れば、この【湖の神域】を攻略するための拠点として建造されたのが始まりだったらしい。
今ではその採掘跡に挑む者など皆無に等しいが、【湖の神域】は変わらず王都イーリストと共にある。
「以前も説明したが、ランクSというのは、入り込んだ者が誰一人として出てこない採掘跡につけられる危険度だ。過去に一人だけ、ランクSの採掘跡を攻略した者も居るが、彼女はその功績から、歴史上ただ一人のランクS
エルはそこで一度、店長へと視線を送った。
しかし、店長は悠然とテーブルに置かれたカップを手に取り、口へと運んだだけで何も言う事はない。エルは小さく息を吐いた。
「ボクらがどれ程の危険を犯そうとしているかは、言うまでもない。正直ボクは反対だ。だが、これを断ればアリスは器を創ってはくれないだろう。いや⋯⋯彼女には二度と会えなくなるかもしれないね」
そこは、僕と同じ考えらしい。というより、僕よりもアリスちゃんに詳しいエルは、色々と事情も知っているのかもしれない。
「どうでもよい。我とノイルが居れば造作もないことじゃからのぅ」
訂正しよう。店長が居れば、だ。
僕の存在など、大して関係はない。
「ああ、もちろんキミの力は存分に奮ってもらうつもりだ。というより、キミが居なければ成り立たないよ、ミリス。ただ、【湖の神域】についてはキミが以前攻略した採掘跡と同様とはいかないだろう」
「ふむ、一応は聞いた事はあるがのぅ」
エルはお茶を一口飲み、口を湿らせると指を二本立てた。
「そう、【湖の神域】について、これまでの調査でわかっていることは二つある。一つは、持ち込める道具が食料や飲み水、衣服などを除いて一人五つまでということだ」
「我の『
「問答無用で持ち込みは不可、だ。過去にも同じ様に複数の道具などを納められる魔導具を試した例があるが、入り口は閉ざされたまま開かなかった。通常の背嚢や袋などの道具入れならばその限りではないが、ズルは許されないようだね」
つまり、採掘跡内には武器防具、アイテムなどは純粋に一人五つまでしか持ち込めないと。当然魔導具も含まれるだろう。だとしたら――アリスにとってかなり相性が悪い採掘跡ではないだろうか。そして、言うまでもなく僕にとってもだ。
マナボトルがたった五つでは、あまりにも厳しいものがある。他の人に持ってもらうとしても、それは貴重な枠を潰す行為に他ならない。
思っていたよりも、ずっと厄介な場所だ。
「そして、もう一つが最も質の悪い特性だと言えるが――人数の制限がある」
やはり、僕の記憶違いではなかったらしい。
「これも、一定の人数を超えると、入り口は閉ざされたまま開かない」
「そうですか、それで定員は?」
フィオナが僕の手をぎゅっと握り、エルへと問いかけた。
エルはもう一度お茶を一口飲み、皆へとゆっくりと向きなおる。
「八名。それが上限だ。アリス、ミリス、ノイルは確定として――さあ、残りの五人を選出しようか」
そして、凛とした声でそう告げるのだった。
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