第118話 曲芸団


 かつて王都には二人の問題児が居た。

 どちらも実力だけを見ればいずれランクAは確実だと言われながらも、素行に問題がありすぎてランクDから決して昇格することがなかった採掘者マイナー

 一人は女遊びがあまりにも酷く、ところ構わず暴れまわり、相手が誰であろうと強者であれば喧嘩を吹っ掛けるバーサーカー。

 誰が呼んだか『狂犬マッドドッグ』。


 もう一人は何があっても一言も発する事はなく、他人を拒絶し一切のコミュニケーションを取らない変わり者であり、こちらも強者相手には場所を選ばず噛み付く黙した暴れん坊、『沈黙の猫サイレントキャット』。


 何より厄介だったのは、この二人が何故だかはわからないが、行動を共にしていたことだ。

 正式にパーティを組んでいたわけでもなければ、仲が良かったわけでもない。むしろ、常にいがみ合い、顔を合わせれば喧嘩をしていた。けれど不思議な事に、基本的にソロで活動していたはずのこの二人は、非常に迷惑なことによく一緒に居たのだ。

 一人でも手がつけられないというのに、二人揃えばそれはもはや局所的な嵐の様な有り様だった。


 だが、二人とも才能はあった。


 いつ採掘者資格を剥奪されてもおかしくない程に問題ばかり起こしていた二人だが、採掘者協会側としては手放すにはあまりにもおしい二人だったのだ。

 加えて、二人はまだ若かった。

 成人して間もない二人には成長の余地が十分に残されており、いずれは落ち着くことも考えられた。


 結果的に、採掘者協会は放置こそしなかったが、二人から資格を剥奪する事もしなかった。

 しかしいくらペナルティを与えられても、問題児二人は一向に反省する様子がなかったのである。


 そんな二人に採掘者協会よりも先にしびれを切らした者が居た。当時まだ採掘者として活動していた、ロゥリィ・ヘルサイトだ。

 きっかけは、二人が勢い余ってロゥリィの魔導具を壊してしまったことだったといわれているが、真実は定かではない。


 とにもかくにも、ロゥリィに雷を落とされた『狂犬』と『沈黙の猫』は、半ば無理矢理に彼女とパーティを組まされる事となった。

 猛獣に首輪が付けられたのだ。これは比喩でも何でもなく、実際にロゥリィお手製の魔導具の首輪を嵌めさせられ、彼女に従わせられたのである。


 『創造者クリエイター』と『狂犬』、『沈黙の猫』がパーティを組んだ事は、直ぐに採掘者の間で話題となった。パーティ名は、『曲芸団サーカス』。暴れん坊の二人を皮肉ったロゥリィらしい名付けであった。


 しかし、このパーティのリーダーは一応ロゥリィとなっていたが、実際には別の『飼い主オーナー』が存在していた。当時の採掘者の間でもほとんどその姿を見たものは居らず、滅多に表に出ては来ない。採掘者なのかすら定かではない人物であったが、『曲芸団』は五人で活動していたとされている。

 ロゥリィ、『狂犬』、『沈黙の猫』、もう一人は取り立てて優秀だったわけではない、目立たない採掘者の少女、それと謎の『飼い主』だ。


 『曲芸団』はそれこそ破竹の勢いで実績を重ねていった。元々、能力だけを見れば優秀な二人だったのだ。この二人が手を組み、真面目に活動すればそれは当然の結果であった。

 『飼い主』が上手く手綱を引いていたのか、『曲芸団』結成以来、『狂犬』と『沈黙の猫』は驚く程に問題を起こさなくなり、順当にランクも上がっていた。


 いずれはイーリストを代表するパーティになる。そう言われる程の快進撃であった。


 しかし――そうはならなかった。


 ある依頼を最期に、『曲芸団』は突如解散したのだ。

 ロゥリィが後継者を見つけたと採掘者を引退したのをきっかけに、『狂犬』と『沈黙の猫』も王都から姿を消し、それ以来表舞台に名が上がることはなかった。

 少女も採掘者を引退し、元々ほとんど姿を見せなかった『飼い主』も、ロゥリィ以外全員が忽然と居なくなったのだ。


 一時期王都を騒がせたパーティといえど、活動期間が二年程度と短く、加えて『曲芸団』の解散と同時期に、史上初めてのランクS採掘者の台頭が重なった事もあり、今や彼らの存在を覚えている者は多くはないだろう。


 採掘者は危険な仕事だ。

 再起不能の怪我を原因に引退する者もいれば、命を落とす者も少なくはなく、歳を取り、力の衰えを感じれば現役を退かざるを得ない。


 解散が二十年も前の出来事ともなれば、かなりの人が入れ替わっている。覚えている者でも、多くはああ、そんな奴らもいたな程度の認識だろう。


 引退しても『創造者』として名を馳せたロゥリィ以外は、今では所詮は過去の人物だ。


 けれど、そんな彼らの名を未だ確かに覚えている者もいる。


 ガルフ・コーディアスもその一人だった。

 若き日のガルフは、彼らに少なくない嫉妬と、大きな憧れを抱いていた。

 『狂犬』に『沈黙の猫』。

 周囲から疎まれ、問題視されながらも圧倒的な実力を見せ特例で採掘者となった二人。

 決して媚びず、パーティを組んでからは、止まる事を知らず上り詰めていくその生き方は、憧れを抱くには十分な相手だった。


 ガルフが作ったパーティ、『猛獅子』は彼らを意識したものだったのだ。


 面識があったわけではなかった。

 ガルフは当時、採掘者の試験に何度も落ちていた。幾度か遠目になら暴れている姿を見た事はあったが、同じ土俵に立つことすらできてはいなかったのだ。


 だが、流れてくる彼らの噂を聞くだけで、悔しさを覚えると同時に、それは励みになった。

 ガルフが折れず、採掘者となれたのは二人のおかげだと言っても過言ではない。


 しかし、ようやくガルフが採掘者となった頃には――彼らは姿を消していたのだった。







「ちょっと悪い⋯⋯」


 『狂犬』――父さんについて話終えたガルフさんは、そう言いながら席を立とうとした。

 僕は無言で彼の服を掴んで引き止める。


「⋯⋯何だ、ノイル?」


「⋯⋯何を、するつもりですか?」


「いや、ちょっとサインを⋯⋯」


「正気に戻ってください!」


 僕はガルフさんに懇願する。

 ガルフさんまで変な方向に行かないで。

 父さんにガルフさんがサインをお願いしてる姿とか死んでも見たくはない。彼には僕の心のオアシスでいてほしいのだ。


「冷静に見てみてください! あれですよ! あれ!」


「だぁーはっはっはっ!! 樽だ! 樽で飲むぞぉ!」


「よっしゃぁまかせろぉ!! 樽風呂だぁ!!」


 飲むか入るかどっちなんだ。

 だめだ、あの二人はもうだめだ。


 僕はいつの間にかシャツを脱いで、上半身裸ではしゃいでいるおっさんと、お姉さんに服を脱がされそうになっているレット君を指差した後、直ぐに視線を逸らした。

 ガルフさんにはあっちの世界に行ってほしくない。


「どうしたのぉ、クライスさぁん。起きないとぉ⋯⋯イケナイこと、し、ちゃ、う、ぞ?」


 あっちの世界もダメだ。

 視線を逸らした先では、テーブルに突っ伏したクライスさんを中心にいかがわしい雰囲気となっていたので、再び視線を逸らす。


「まあ⋯⋯そうだな⋯⋯」


 ガルフさんはそう呟くと、浮かしかけた腰を下ろした。僕はほっと胸を撫でおろす。


「後で頼むか」


 ちくしょう。この世界はもうだめだ。


 まあ⋯⋯まあいい。僕が居ない場でやってくれるならまあいいことにしよう。

 見なければ何もなかった事にできる。

 僕は今のげんなりする気分を払拭するため、シャンパングラスに注がれたお酒を一息で飲み干した。


 この店で一番高いお酒らしいが、もう知らない。とにかく飲みたい気分だった。


「⋯⋯で、あんたは何でそんなに『狂犬』さんに詳しい? どうしてノイルの親父がそうだってわかった? 二十年も前の話だ、見た目だってそれなりに変わってんだろ」


 さんとかつけるのやめて。

 さんとかつけるのやめてガルフさん。

 ガルフさんって父さんより歳上だよね? 

 さんとかつけるのやめてください本当。


 ああ、お酒が足りない。


 僕がそう思っていると、シェイミさんが空いたグラスににこにことお酒を注いでくれる。気が利くがいつの間にか距離が凄く近い。『浮遊都市ファーマメント』の話を聞くまで逃さないという強い意志を感じる。


 どうするか⋯⋯ベストの選択はトイレの窓から水路に飛び込んで逃げる事だと思うが、まだこの船のトイレに僕が通れそうな窓があるのか確認していない。


「ちょっとトイレに⋯⋯」


「ご案内しますね」


「気のせいだった」


 なるほど、トイレは無理そうだ。


「別に、私もあんたと同じで『曲芸団』にはちょっと思い入れがあるだけさ。いや、あんたよりも、かな。だから歳取ってようがメンバーの顔みりゃわかる」


 二号さんが口の端を吊り上げて答えながら、お酒を口に運ぶ。

 ガルフさんが怪訝そうに眉を顰めて顎に手を当てた。


「⋯⋯お前、歳はいくつだ?」


「女性に歳を聞くな。まあ、若く見えたんだと受け取っておくよ」


「『創造者』の側近⋯⋯だよな? 何度か見た事がある。だが、採掘者ではねぇよな。よく思い返してみれば、横の『隊長』と違って、傷を負っているどころか、服を汚しているところすら見た事がねぇ。採掘跡に潜ってるなら、ありえねぇ事だ」


「服すら汚さないほど強いだけだとは考えないのかい?」


「ぬかせ、それだけ実力がありゃ、名が知れてねぇとおかしい」


「ふぅん⋯⋯ご明察。私は採掘者ではないよ。ただのお世話係りみたいなもんさ。アリスちゃんの肉の盾は、こっち担当」


 そう言って、二号さんは未だソファにもたれかかっている一号さんの頭をぽんぽんと叩いた。それで目が覚めたのか、一号さんはガバっと身を起こし、周囲をキョロキョロと見回すと、一つ息を吐いてソファに座り直す。ズレたサングラスの隙間から、厳つい風貌からは想像できないつぶらな瞳が見えていた。アイス屋に扮していた時も思ったが、普通にしていれば優しそうな人だ。


「⋯⋯すまない、見苦しいところを見せた」


 一号さんはズレたサングラスを直し、シェイミさんに向き直る。


「それでだ、ノイル・アーレンスについてだが⋯⋯」


「それはもういいんだよ」


 そして、手遅れすぎるにも関わらず弁解を始めようとしたところを、二号さんにきっぱりと止められた。一号さんは再びサングラスの位置を直す。


「⋯⋯すまん、ノイル・アーレンス」


「あ、はい」


 謝罪され、僕は頷いた。

 なんというか⋯⋯僕が言うのもなんだけど、要領が悪いというか⋯⋯なるほど、これは確かに堅物だと納得してしまう。かなり抜けているが。


「で⋯⋯何で採掘者でもねぇ奴が、そんなに詳しい?」


「だから言ったろ、ファンだって。あんたもしつこいねぇ」


「あのぅ⋯⋯そのぅ⋯⋯私はそろそろノイルさんのお話を聞きたいなぁ⋯⋯なんて、えへへ」


 シェイミさんがそう言って遠慮がちに手を上げて、二人の会話に割り込んだ。確かに僕も二号さんの事は少し気になるが、空気が張り詰めてきていたので、ナイスタイミングだと思う。その話題からは離れて欲しいけど。


 ガルフさんが一度眉を吊り上げ、大きく息を吐いた。


「⋯⋯そうだな、少し不躾だった。悪い」


「いいよ別に」


 二号さんは⋯⋯不思議な人だ。


「あの⋯⋯」


「ん、何だい?」


「サングラス、外してもらえませんか?」


 気づけば、僕はそんな事を尋ねてしまっていた。何かこれといった理由があったわけではない。ただ、無性に気になったのだ。何故これ程気になるのか、自分でもよくわからないが⋯⋯。

 ぴくり、と二号さんの口の端が動いた気がした。


「悪いね、私は目に疾患があってさ、光に極端に弱いんだ。だからこれは外せない」


 そう言って、サングラスを指先でコツコツと叩きながら、二号さんはにやりと笑う。


「そう、ですか。すみません」


「ああ、気にしなくていいよ」


「タワーだ! シャンパンでタワー作ろうぜ!!」


「馬鹿野郎レットぉ!! そんなもん出来上がる前に全部飲んじまうだろうがぁ!!」


「うはははは!! 確かにそうだぜぇ!!」


 あっち、うるさい。

 

 だがまあ、僕のせいで再び変な空気になりそうだったので正直助かった。


「まあ、じゃあそういうわけで、ね」


 僕はそっと財布を取り出し、テーブルの上に置く。それ程入ってはいないが、少しくらい僕も出すべきだろう。

 そして――


「ふっ!!」


「はいっ!!」


 ごく自然な流れで逃げ出そうとした所、シェイミさんが腰に抱きついてきた。ちくしょう、空いてる窓から水路に飛びこもうとしたのに何故読まれた。


「ノイルさん! 財布をお忘れですよ! あとお話もお忘れですよ!」


「財布は別にいいんです差し上げます。お話は残念ながら僕の頭もお忘れになっているので」


「ちょっと、ちょっとだけでもいいですから! 変な事はしませんから! 約束します! うへへお話だけですから! してください!」


「嫌だ! 僕はしたくない! 帰るんだ!」


 と、シェイミさんとわちゃくちゃと揉み合っていた時――どんっと遊覧船の屋根に何かが落ちたような音が聞こえ、船体が大きく揺れる。

 数人から小さな悲鳴が上がり、クライスさんが飛び起きて素早く構えた。レット君とおっさんも笑うのを止めて立ち上がっている。

 一号さんが首の骨をコキリ、と鳴らした。


「⋯⋯何だ?」


 ガルフさんが天井を鋭く見上げ呟く。

 僕は未だ腰に抱きつき呆然としたように口を開けているシェイミさんの肩を軽く抱き寄せ、いつでも《守護者》を発動できるようにマナを練り上げる。


 皆が臨戦態勢に入る中、二号さんだけは自分は門外漢だとでも言わんばかりに脚を組んで微笑み、シャンパングラスを傾けていた。


 何か――いる。


 敵かどうかはわからない。

 だが、感じるプレッシャーは並大抵のものではなかった。

 僕の本能が危険だと警鐘を全力で鳴らしている。


 と、次の瞬間開けられた窓から赤い影が船内へ滑るように飛び込んでくる。

 すっと音もなく着地したその影に、嫌な汗がどっと噴き出し、全身から血の気が引いた。


「ぁ⋯⋯」


 愕然と開いた口から、小さな声が漏れる。


 船内に現れた影――人間を覆っていた深紅のドレスが掻き消え、見慣れた姿となった。

 ゆっくりと立ち上がり、彼女はニコリと微笑んだ。


「――ノイル、何してるの?」


 僕は、普段は愛らしいはずの――ノエルの笑みに、凍りつくような悪寒を覚えた。


「あ⋯⋯いや、そのですね⋯⋯」


「それ? 何してるの?」


 笑顔のまま指を指され、僕はほとんどシェイミさんと抱き合っているような状態になっていた事に気づく。慌てて彼女の肩を離したが、シェイミさんの方はわけがわからないという顔をして固まったままだった。


「ねぇ――なに、しようと、してたの?」


「ひ⋯⋯」


 レット君、ガルフさん、クライスさんが財布を素早く取り出し放り投げると、水路に飛び込んでいく。くそったれ。


「あ、ああ⋯⋯ノエルちゃん、これはな⋯⋯そのぉ⋯⋯」


「お義父さん、ノイルをこんな場所に連れ込まないでもらえますか? ノイルはこんな所来る必要ないんです。私が居るんですから。やっていいことと悪いことくらいわかりますよね? これから仲良くやっていくんですから、悪ふざけは程々にしてもらえますか? これは、笑えません。ぜんっぜん笑えません」


「あ、はい」


 おい、おっさん。

 物凄い早口で、ノエルに視線も向けられず坦々とそう言われ、おっさんはすごすごと引き下がった。


「⋯⋯ばいびっ!」


 そして、財布を放り投げると水路に飛び込む。

 おい、おっさん。


「俺は、関係なさそうだな」


 一号さんがぼそりと呟き、マイペースにシャンパングラスを口に運んだ。

 この人胆力凄いかもしれない。


「⋯⋯あなた、何なんですか!」


 ちょっと、ちょっとシェイミさん。

 今喋るとまずいです。本当黙っててください。


 シェイミさんに問いかけられたノエルが、笑顔のまま首をこてん、と傾げた。


「は?」


 ひぇ⋯⋯ 。


「今皆で楽しく過ごしてたんです! ここはそういうお店なんですよ! いきなり窓から飛び込んできて、空気をぶち壊して! 営業妨害です! それに――」


 シェイミさんは大きく息を吸う。


「せっかくノイルさんが今からしてくれるって言ってたのに!!」


 空気が、凍った。


 お話を、ね⋯⋯?

 お話のお話だからさ、これ⋯⋯。


 ノエルの表情がすっと消え去り、彼女は全く感情の感じられない無表情で首を傾けたままになる。


「⋯⋯まず爪かなぁ」


「お話をしよう!!」


 そして、ぼそりと何か恐ろしい言葉を発した彼女に、僕は必死でそう言うのだった。

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