第117話 夜花苑


 水の都とも言われる王都イーリストには、各地に走る水路や、広大な湖を活かした独自の興行や商売が多く存在し、その中でも遊覧船は老若男女問わず人気がある。


 ゆっくりと水路を進み、美しい王都の街並みを堪能できるこの船は、様々な種類があり、今僕たちが乗船しているものは、食事やお酒も楽しめるものだった。


 木造の船内には金の刺繍で縁取られた赤茶の絨毯が敷かれ、天井には木の枝を模したような柱に、不規則な並びでいくつかのカンテラが取り付けられた照明があり、船内をやや薄暗く暖色の灯りで照らしている。


 猫脚の丸テーブルに革張りのソファや、椅子が複数置かれ、小さなバーカウンターまでも備えられており、窓から流れる王都の街並みや、緩やかな船の揺れがなければ、ここが水上であるということを忘れてしまうだろう。


 それほどに華美できらびやかな船内では、その場に相応しい麗しい美女たちが、華やかなドレスを纏い乗船客をもてなしていた。


 遊覧船には様々な種類があると言ったが、つまりこれは、そういうあれである。

 この遊覧船の利用客の殆どは男性であり、まあ単純に男性向けのお店だった。勘違いしてはいけないのが、決していかがわしいお店ではなく、お金を払って楽しく女性と共にお酒を嗜みながら王都を観光できるだけだ。遊覧船の中にはこれとは逆、つまり女性向けのものも存在している。


 とはいえ、父さんが男同士でと言い、シアラとテセアすら連れて来なかったような場であるのは間違いない。正直嫌な予感はしていたが、やはりといったところである。


 まあ、僕だって健全な男だ。利用したことはなかったが、こういったお店に興味がないかと問われれば、ないとは言えない。しかし、父親となど来たくはなかったし、フィオナ辺りに知られたら、二度と僕は単独行動を許されない可能性すらある。シアラにも軽蔑されるかもしれないし、ノエルには冷たい視線を向けられるだろう。テセアは一緒に行ってみたいとか言いそうだ。店長は⋯⋯あの人なら既に一人で乗ったことあるかもしれないな。


 『精霊の風スピリットウィンド』のパーティハウスを出る前に、店長にこっそりフィオナの《ラヴァー》を使用できないようにしてくださいと頼んでいて良かった。

 精霊は⋯⋯もうどうしようもない。一応父さんに話すと「俺に任せとけ」と言われたが、不安で仕方がなかった。まあ、エルには最悪〈土下座キッスザグラウンド〉を使うとしよう。


「どうもー! シェイミでーす! お隣り失礼しまーす!」


「あ、適切な距離でお願いします。身体は触れないように、最低限拳一つ分は空けてください」


「あ、はーい⋯⋯」


 僕の隣に腰掛けようとした襟詰めの、身体に張り付くようなドレスを纏った女性――シェイミさんにそう言うと、彼女は若干笑顔を引きつらせながらもちゃんと距離を空けて座ってくれた。お団子を二つ作るように纏めた赤茶色の髪に、溌剌とした笑顔が似合う可愛らしい女性だ。歳は僕と同じくらいか少し下だろう。

 僕らの座るテーブルを担当してくれるらしい。


「そんな注文する奴初めて見たぞ⋯⋯」


 僕の隣に座ったガルフさんが、「変な風に拗らせたな⋯⋯」と呆れたように呟き、シェイミさんへと申し訳なさそうに声をかける。


「悪いなシェイミちゃん、こいつは今⋯⋯今っていうかこれまでもこれからもだが⋯⋯とりあえず女性関係に深刻な問題を抱えてんだ。悪気はねぇから気にしないでくれ」


 ガルフさんは慣れた様子で僕のフォローをしてくれる。多少気になる発言はあったが、やはり頼りになる人だ。

 彼は何度かこの遊覧船――『夜花苑ナイトガーデン』を訪れた事があるらしく、店員さんとも顔見知りだった。


 僕らがどうして『夜花苑』に居るのかといえば、もちろん父さんが原因だ。僕は最初どこか良い酒場を知っているか聞かれ、『獅子の寝床』へと父さんを連れて行った。ガルフさんにポーチを預けたままだったし、丁度良いと思ったのだ。


 しかし、せっかく男しか居ないのだからもっと華やかな所に行こうぜ、とおっさんは大変失礼な事を言い出した。そして、ガルフさんまでもを巻き込み、改めて夜の王都へと繰り出したのだ。

 『夜花苑』はガルフさんが紹介してくれた場であり、彼は「まあ⋯⋯水の上なら簡単には足跡を辿れねぇだろ」と僕の肩に手を置いてそう言っていた。後でまた消臭もしてくれるらしい。よくわからないが、ガルフさんには感謝すべきなのだろう。


「いえいえー! 全然大丈夫です! そういうことなら仕方ないですよぉ」


 シェイミさんはにこにこと微笑みながら両手を振る。僕は何だか申し訳なくなってきた。


「ハーハッハッハッ! やるじゃねぇかレットォ!」


「グレグレもなぁ! さっすがノイルんの親父だぜぇ!!」


 別のテーブルの盛り上がりが凄い。


 見れば、美女を数人侍らせたおっさんと、扇情的な露出の多いドレスを着た妖艶なお姉さんの膝の上に座ったレット君が、赤ら顔で大笑いしながら飲み比べをしていた。

 グレグレって何だ。


 まあレット君ははっきり言うとモテる。特に年上の女性に大層モテる。元々、容姿の整った者の多い魔人族の中でも、彼は中々に母性をくすぐる容貌なのだろう。加えて、ランクBの採掘者マイナーであり、人気パーティ『精霊の風スピリットウィンド』の一員ともなれば、モテないわけがない。


 彼自身が色恋事に興味がないためそういった話題を本人から聞くことはないが、自宅に度々少なくない贈り物が届いているのを、僕は知っている。どれも高級そうだった。

 今もレット君自身は何とも思っていないのだろうが、彼を抱いて座っているお姉さんは大変満足そうな笑顔を浮かべていた。


 そんなレット君が何故ここに居るのかだが、理由は単純だ。『獅子の寝床』で呑んだくれていたのである。「ボスには時々ついていけねぇ⋯⋯」と漏らしていた。

 少しの間飲んでいる内に、父さんと意気投合した彼は意気揚々とついてきたのだ。

 馬が合いそうだとは思っていたが、多分既に僕よりも父さんと仲がいい。

 僕らを連れ出した当事者である父さんは、僕らそっちのけでレット君と大はしゃぎしていた。

 グレグレって何だ。

 

 おっさんも歳は取ったがまだまだ女性の扱いは心得ているらしい。昔は大層モテたという話は嘘ではなかったようだ。しかもあの二人は高いお酒で飲み比べしているので、集まっている店員さんもサービス精神旺盛だ。あのテーブルには近づきたくない。


「そうだね、月並みな言葉になってしまうけれど――君の瞳はどんな宝石よりも美しいよ」


「きゃーー!!」


 黄色い声が絶え間なく上がっているテーブルには、お酒の入ったクライスさんが居る。彼も『獅子の寝床』に居た。というより、レット君とクライスさんと師匠がいつものように集まっていたのである。


 クライスさんと師匠には僕は思うところはあったが、何か言うよりも先に誠心誠意、謝罪されてしまった。誠実に頭を下げられてしまえば僕から言う事は何もない。

 僕は二人が何の意味もなく悪ふざけであんな事をするような人ではないことくらい知っている。だから、二人を許した上でいつでも構わないから、謝れる時にミーナにちゃんと謝ってほしいとだけ伝えた。


 あとは、いつも通り。もう少し怒るべき問題なのかもしれないが、僕としては今回の事で二人との関係が崩れてしまう方が嫌なのだ。わだかまりはなくしておきたかった。だから、落ち着いた時で構わないからミーナに心からの謝罪をしてくれるのなら、僕からはもう何も言わない。面倒なのは嫌いなのだ。


 まあそんなこんなで、クライスさんもついてきて今に至る。

 師匠は奥さんを大切にしているため、今回は遠慮するとのことだった。

 お酒の入ったクライスさんがモテるのは言うまでもない。一切気取らず、自然にあんな台詞を言えるのは尊厳する。彼はもうずっとお酒を飲んでた方がいいのではないのだろうか。


 他のテーブルが盛り上がり過ぎているせいで、僕らのテーブルとの温度差が凄い。


「わ、私たちも盛り上がっていきましょー!」


 シェイミさんが健気に手を上げてそう言うが、いまいち誰も乗っかる事ができず、微妙な空気が流れている。彼女は焦ったような表情になり気まずそうに「しょー⋯⋯」と小さな声で言いながらそろりと手を下ろした。


 本当、何かすいません。


 シェイミさんはガルフさん曰くまだ新人さんらしい。他のテーブルに殆どの店員さんがついてしまったため、僕らの元に送られて来たのだろう。可哀想な話だ。

 何とか盛り上げてあげたいが、そうもできない理由があるのだ。


 僕は恐る恐る対面に座っている二人組を見た。

 黒いスーツにサングラス。一人は大きく開いた膝に肘を置いて座り、もう一人は脚を組んでカクテルを飲んでいる。


 どう見ても堅気には見えない二人組は、一号さんと、二号さんであった。


 ここに来る途中偶然ばったりと出会い、何故か父さんが流れるように誘った二人である。誘っておいてあのおっさんは放置しているが、この二人が目の前にいるせいで、僕には迂闊な発言が許されなかった。

 これ以上アリスちゃんに弱みを握られてしまうのは御免被るのだ。


「あ、何かドリンクを⋯⋯」


「結構だ」


「あ、はーい⋯⋯」


 一号さんに笑顔でそう尋ねようとしたシェイミさんが、ばっさりと一蹴され、しょんぼりと俯いた。

 僕が言うのもなんだか、あんた何でついてきたんだ。

 僕の心の支えであり頼りになるガルフさんも、流石に顔を引きつらせている。


「あの⋯⋯他のテーブルに行っても大丈夫ですよ。こっちはその⋯⋯放っておいてくれても、お店の決まりとかあるなら、僕が説明するんで」


「だ、駄目ですよ。せっかく来ていただいたんですから、楽しんでいただかないとっ」


 僕が小声でシェイミさんにひそひそとそう伝えると、彼女も小さな声で応え、首を振って両拳を握る。


「おい」


 と、その瞬間、二号さんが一号さんの頭をスパーンと叩いた。対面に座る僕ら三人は突然の行動に目を丸くする。あれ? 一号さんの方が立場が上じゃないのか?

 一切の遠慮なしに頭を叩かれた一号さんは、ズレたサングラスを指で直しながら、頭を上げた。


「店に来といて何も頼まないとかダメだろお前。堅物もいい加減にしとけよ」


「⋯⋯⋯⋯すんません」


「私じゃなくてあの娘に謝れ」


「⋯⋯申し訳なかった」


 深々と頭を下げられたシェイミさんが、おろおろと僕とガルフさんを見る。だが、残念なことに僕らでは力になれそうになかった。

 というか、アリスちゃんの前とだいぶキャラ違うな二号さん。


「い、いえ⋯⋯そんな、あのぅ⋯⋯」


「ったく、頭下げるだけじゃだめだろうが」


 二号さんは、そう言いながら一号さんの下げた頭の上に空になったカクテルグラスを置いた。そして、口の端を吊り上げる。


「悪かったよ。お詫びにこの店で一番高い酒をボトルでお願い。グラスは皆の分ね」


「あ、はーい⋯⋯」


 そりゃ、そう言うしかないよね。怖いもん。

 シェイミさんは半ば放心した様子でテーブルに備えられた瀟洒な紙に注文内容を書く。そして、小さなベルをおっかなびっくり持ち上げて鳴らした。

 直ぐに蝶ネクタイとスーツ姿の男性が現れ、シェイミさんから先程の紙を受け取る。一瞬眉を訝しげに吊り上げたが、直ぐに笑顔で一礼して一号さんの頭の上のグラスをやや躊躇いがちに回収すると、店の奥に消えていった。


「ああ、大丈夫。支払いはこいつが持つから」


「あ、はい」


「お、おう」


 僕とガルフさんはこくこくと頷くことしかできなかった。シェイミさんに至っては完全に萎縮してしまったのか、俯いて縮こまってしまっている。片手が僕の服の裾をおそらく無意識に掴んでいたが、流石にこの状況でそれを指摘するほど僕も鬼ではない。鬼は目の前にいた。


 しかし、そんな二号さんの行動に対して、一号さんは何事もなかったかのように頭を上げる。


「ノイル・アーレンス」


「あ、はい」


「お前に言っておかねばならない事がある」


「あ、はい」


「『浮遊都市ファーマメント』の一件で、アリスちゃんを助けてくれたこと、感謝している。お前がいなければ、どうなっていたかわからない」


「あ、はい?」


「ありがとう」


 再び頭を下げた一号さんに、僕はどうすればいいのかわからなくなった。助けを求めてガルフさんを見れば、首を振られ、シェイミさんの方を向けば彼女は不思議そうにこちらを見ている。どちらかといえば、圧倒的に僕が助けられたのだが⋯⋯というか、シェイミさんの前でその話は――


「バカかッ!」


 再び、二号さんが一号さんの頭をスパーンっと叩いた。

 一号さんはその勢いでテーブルに額をぶつける。ごん、という鈍い音が響いた。


「だ、大丈夫ですか?」


「ああ」


 シェイミさんが驚いたように声をかけると、一号さんはテーブルに額を当てたままの姿勢で応える。この人は⋯⋯もしかしたらアホなのかもしれないと、僕は失礼ながら思った。


「えーと⋯⋯そのぅ⋯⋯『浮遊都市』の件って⋯⋯ノイルさんも何か⋯⋯」


「あっ」


 シェイミさんの不思議そうな声に、一号さんは口をあんぐりと開きガバッと顔を上げる。この人はアホなんだと、失礼ながら僕は確信した。

 『浮遊都市』が陥落したのは、世間一般的にはイーリストの大規模作戦によるものとされている。『白の道標ホワイトロード』の名前などどこにも出てこなければ、僕のような人間の名前など、知られているわけもない。


 一号さんや二号さんのようにアリスちゃんと近しい人ならば、真実を知っていてもおかしくはないが、おいそれと関係者ではない人が居る場で話していいような事ではないだろう。


「いや違うんだ本当はノイル・アーレンスが『浮遊都市』陥落の立役者というわけではなく――」


「その臭い口を閉じてろッ!!」


「ゴブっ!!」


 しどろもどろに早口でいらんことばかりを言い始めた一号さんの顎に、二号さんが掌底を打ち込み無理やり閉じさせた。流石に効いたのか、一号さんはソファの背もたれにズルリともたれかかり、僕らのテーブルにはしばしの静寂が訪れた。


「あー⋯⋯」


 ガルフさんがどうしたものかといった様子で天井を見上げ、二号さんがサングラスの位置を指で直す。


「⋯⋯まあ、聞いちまったものは仕方ない」


 そして、小さな声でそう呟いた。


 僕はそっと席を――


「あの⋯⋯!」


 立てなかった。

 いつの間にか、僕の膝の上にシェイミさんが両手を置いていたからだ。彼女はズボンをぎゅっと掴んだまま離さない。


「本当ですか!?」


「作り話です」


「私、そういうお話大好きなんです! 表に出ない、隠れたヒーロー!」


「作り話ですから」


「でもでもだって! だとしたらどうしてノイルさんは『精霊の風』や『紺碧の人形アジュールドール』の皆さんと仲が良いんですか?」


「作り話なんですよ」


「教えてください! 真実を!」


「あの、作り話⋯⋯」


「教えてくれたら絶対誰にも話しません! でも、聞けなかったら言っちゃうかもです!」


「⋯⋯⋯⋯⋯⋯」


 きらきらとした瞳で迫られ、僕は何も言えず顔を逸らした。すると、そこではガルフさんが諦めろと言わんばかりの顔でゆっくりと頭を振っていた。


「もう教えてやればいいさ、その様子だとみだりに人に話したりしないだろうしね」


「誓います!」


「えぇ⋯⋯」


 二号さんは脚を組み直すと顎で盛り上がっているおっさんたちのテーブルを、くいと指す。


「ほら、たまには普通にモテたってバチは当たらないさ。あっちのあんたの親父――『狂犬マッドドッグ』はそりゃ遊びまくってたよ」


「え?」


 そして、にやりと口の端を吊り上げた。


「まて⋯⋯まさかと思ってたが⋯⋯本当に、ノイルの親父がそうなのか⋯⋯?」


 ガルフさんが愕然とした様子で目を見開き、信じられないかのように尋ねる。

 僕はわけがわからず、ただレット君と共に大笑いしている眼帯をつけたおっさん見ていた。


「で、教えてもらえるんですか!?」


「シェイミさん⋯⋯ちょっと、落ち、着い、て⋯⋯」


 そして、肩を掴みがくがくと僕の身体を揺すり始めたシェイミさんに、そう言うのだった。

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