第59話 三者面談


 一晩経った『白の道標ホワイトロード』の店内。

 応接用のソファの一つに、僕はシアラと共に隣り合って座っていた。

 シアラは僕の手をぎゅっと握り、いつも通りの無表情で店の奥、居住スペースへと繋がる扉をじっと見つめている。一見すると何も考えていないように見えるが、これは険のある顔だ。つまり、あまり機嫌は良くない。というより、明らかにこれから訪れる相手への敵意に満ちていた。


 これから行われるのは、所謂面談というやつである。いや、面接と言ったほうが正しいだろうか。


 僕と交流のある人物(女性)と一人ずつ話をして、その人となりを確かめたいらしい。その上で、僕と関わる資格があるかどうか判断するそうだ。シアラに認められなかった人はどうなるのかはわからないが、そういう事らしい。


 はっきりと言ってしまえば、激しくどうでもよかった。そもそも僕と関わるのに資格など必要ないのだ。そんなゴミみたいな資格など無くても誰でもフリーパスである。むしろ汚属性の僕にこそ皆と関わる資格があるのかと思うが、妹に対して強く出られない僕は、この茶番のような何かに大人しく付き合うしかなかった。


 面談の参加者は『白の道標』の三人に、『精霊の風スピリットウィンド』からエル、ソフィ、そして強制参加の不憫なミーナである。


 一名ミーナを除いて皆やけに気合が入っていた所に、嫌な予感しかしない。この茶番のような何かを行うと『精霊の風』のパーティハウスに伝えに行った際、レット君に一緒に居てほしいと頼んだのだが、「嫌に決まってんだろ」と真顔で言われてしまった。あのレット君が真顔で、だ。

 僕はやはりこれは頭のおかしな催しなのだと改めて理解し、友情の儚さに泣いた。


 斯くして僕は誰の助けも期待できないまま、この嫌な予感だらけの茶番のような何かに望むこととなってしまったのだ。


 頼むから何も問題なく平和に終わってくれと祈りながら、僕は緊張した面持ちで一番手を待つ。こちらから順番は指定していないので、誰が最初に入ってくるのかもわからないのがまた嫌だった。


「こんこんこん、こんこんこん」


 そうして、部屋の張り詰めた空気に胃が痛み始めた頃、ノックの音――ではなく坦々とした声が『白の道標』の店内に響いた。もちろん入り口からではない。


「⋯⋯⋯⋯どうぞ」


 シアラがそう声を掛けると、店の奥の扉が開かれ、いつものメイド服姿のソフィが静かに入室してきた。


「失礼致します」


 彼女は扉を閉じると、一礼してから僕らの前に移動する。

 そして、そこで再びスカートの端を持ち上げ、膝を曲げて深々と頭を下げた。


「ソフィ・シャルミルと申します。本日は、よろしくお願い致します」


「⋯⋯⋯⋯はい」


 ソフィの挨拶にシアラが頷く。僕はこの無駄すぎる丁寧なやり取りを毎回やるのかと思った。もう次からは省略しようよ、面倒だよこれ。


 部屋には沈黙が訪れる。ソフィとシアラはじっとお互いに見つめ合ったまま、微動だにしない。二人とも無表情すぎる。シアラはともかく、ソフィは何を考えているのかわからない。とりあえず、このままでは埒が明かないので、口下手な二人の代わりに、僕はソフィへとぎこちない笑みで声を掛けた。


「ソフィ、その⋯⋯座っていいよ」


「はい、失礼致します」


 ソフィは一礼して対面のソファへと姿勢を正して座った。いちいちこんな事をしなくてはいけないのはソフィだからだと信じたい。毎回こんなのやりたくない。というか、この二人がどんな会話を繰り広げるのか全く想像がつかない。似たタイプの二人だが、この組み合わせはあまり相性が良くないように思える。どちらも喋らなさ過ぎるのだ。


「⋯⋯」


「⋯⋯⋯⋯」


「⋯⋯⋯⋯⋯⋯」


「⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯」


「⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯」


 ほら、沈黙しか生まれないじゃんこの組み合わせ。無だよ、完全に無しかないよこの空間。


「⋯⋯⋯⋯大体、わかった。あなたは、一応合格」


「感謝致します」


「!?」


 テレパシーかな?


 僕は思わずシアラとソフィの顔を交互に見てしまう。今のやり取りで一体何がわかったというのか。二人は会話など一切していない、ただ無言で見つめ合っていただけだ。だが、どうやら話はついたようだ。いや、一言も発してはいなかったが。

 ソフィは僅かに微笑むと一礼して立ち上がり、しずしずと歩く。


「それでは、失礼致します。だ⋯⋯ノイル様、シアラ様、今後ともよろしくお願い致します」


 そして、扉の前で再び一礼すると、そう言って静かに退室していった。

 僕はただただ今の一連のやり取りを呆然と見ている事しかできなかった。はっきり言ってわけがわからない。


「⋯⋯⋯⋯あの子は、大丈夫。安全」


「あ、はい」


 二人になると、僅かに雰囲気の緩んだシアラがそう言った。彼女はそのまま僕をじっと無表情で見つめて言葉を続ける。


 

「⋯⋯⋯⋯マッサージは、私が見ている時だけ許可する」


「あ、はい」 


「⋯⋯⋯⋯養子、はまあ保留」


「あ、はい」


「⋯⋯⋯⋯マスターを応援する、と言ってたけど⋯⋯」


 言ってないよ。君たちは何も会話してなかったよ。


「⋯⋯⋯⋯ちゃんと、兄さんの気持ちも尊重する、とも言ってた」


 だから言ってないよ。言ってたなら嬉しいけど、僕には何もわからなかったよ。君たち何なの?


「⋯⋯⋯⋯何より、兄さんへの尊敬と、深い感謝があった。私が嬉しくなる、くらい」


「あ、はい」


「⋯⋯⋯⋯だから、あの子はセーフ」


 まあ⋯⋯僕にはちっとも伝わらなかったけど、ソフィがそう思ってくれているなら良かったなと思う。尊敬は少々行き過ぎだが。

 シアラの表情を見る限り、彼女の捏造や妄想ではないらしい。


 しかし無言で見つめ合っていただけでそれ程わかり合うとは、やはりテレパシーかな? 

 ちょっと怖いよ。


 相性が悪いと思った二人だが、そんな事はなかったようだ。むしろ頗る相性がいいのだろう。もしかしたら、ソフィは社交性が低すぎる僕の妹の親友になれるのかもしれない。そうなったらいいな、と僕はシアラの頭を撫でた。

 シアラは気持ち良さそうに僅かに目を細める。


「⋯⋯⋯⋯まあ、養子にするのも、あり、かも」


「ん?」


「⋯⋯⋯⋯私と、兄さんの」


「ん?」


 シアラが何やらおかしな事を言ったが、まあ冗談だろう。しまったな、上手くツッコミを入れる事ができなかった。妹の冗談はタイミングが掴みづらい。滑ったみたいになるので、次からはちゃんと反応できるようにしなければ。

 僕はそう思いながら、シアラの頭を撫でるのだった。







 ソフィとの面談が平和に終わった事で、僕は少し油断していたらしい。そう思ってはいけなかったのに心のどこかで、僅かにこのまま何事もなく終わるのではないか、と淡い期待を抱いてしまっていたのだ。

 だから、次の人物の暴走を許してしまった。最も警戒すべき相手に、ノーガードで立ち向かってしまったのだ。

 その結果、現在『白の道標』店内は、地獄と化してしまっていた。


「きゃー! 可愛い〜シアラちゃん! ほら、お義姉ちゃんって呼んでみてください!」


「⋯⋯⋯⋯⋯⋯殺す」


「きゃー! ツンツンしてるシアラちゃんも可愛い!」


「⋯⋯⋯⋯⋯⋯本気で、殺す」


「きゃー!」


 きゃー! じゃないよ。きゃあああああ! だよ。歓喜じゃなくて恐怖の叫びを上げるとこだよそこは。


 僕はシアラに抱き着き、満面の笑みで頭を撫で回しながら頬ずりしているフィオナに、心の中でそうツッコミを入れた。


 ソフィの次に現れたのは、何故か美しい空色のドレスを着たフィオナだった。肩から胸元までを大胆に露出したドレスは、彼女に良く似合っている。似合っているが、気合の入れ方がおかしい。そういうのはもっと華やかなパーティーなどで着るべきだ。少なくとも、こんな何の意味があるのかわからない面談で着るような物ではない、絶対に。


 まあ格好だけならば許容できる。場には到底そぐわないが、まあいいだろう。綺麗だし。

 しかしフィオナは行動もおかしかった。部屋に入るやいなや、こちらが何か言う暇もなくすぐさまシアラの隣へと座り、愛おしげに抱きしめたのだ。

 そして、今に至る。


 テンションのおかしいフィオナは全く気にしていないどころかひたすらにシアラを愛でているが、撫でくり回されているシアラの表情がやばい。発する空気もやばい。兄である僕でなくとも、誰でもわかるほどに顔を顰めているし、明らかに尋常ではない殺気を放っている。あのシアラがだ。


 どう考えても、シアラはフィオナを物凄く、この上ない程に、心の底から嫌っているようだった。

 彼女は賢い上に理性的な人間なので、ぎりぎり耐えているようだが、このままではそう遠くない内に爆発する。


 僕はどうにかするべく、フィオナへと声を掛けた。ていうか、改めて見るとフィオナはまるで愛玩動物かのようにシアラを可愛がっているけど、この二人は一部を除いてそこまで身体の大きさに差がない。本当に大きくなったんだなと、僕は場違いな感慨を覚えた。


「あー⋯⋯フィオナってシアラのこと好きだったんだね」


「当たり前です! 先輩の妹さんですよ! 大好きに決まってます!」


 彼女はぐいっとこちらに顔を寄せ、瞳を輝かせながらそう言った。僕とフィオナの間に挟まれたシアラの額に、青筋が浮かぶ。握られた手がぷるぷると震え始めた。


「それに、先輩に似てこんなに可愛いんですよ! ねー?」


「⋯⋯がうッ!」


 頬をつつこうとしたフィオナの指先を、シアラが噛んだ。指先から血が滴り落ちる。だが、絶対に、間違いなく物凄く痛いはずなのに、フィオナはにこにことした笑みを一切崩さない。というより、痛みを感じていないらしい。そんな異常過ぎるフィオナを見たシアラは、忌々しげに眉を顰め、口を離すと僕の方を見た。


「⋯⋯⋯⋯口が汚れた、兄さん、ちゅー」


「え」


 嫌だよ。

 いや、本当申し訳ないけどこればっかりは嫌だよ。


 二人の時ならともかく、フィオナがガン見してるし、そうでなくとも今シアラの口はフィオナの血に染まっていて猟奇的だし、こんな状況では流石の僕でも妹のおねだりに応えられないよ。ていうか応えられる奴なんて存在するの?


 とりあえず、僕は誤魔化すように今日は幸運にも持っていたハンカチをポケットから取り出して、シアラの口を拭った。


「ほ、ほら⋯⋯綺麗になったよ?」


「⋯⋯⋯⋯ちゅー」 


 ちくしょう止まらねぇ。


「し、シアラ⋯⋯後で――」


「ちゅぅぅぅぅぅぅぅ」


 もはやキスをしないとどうにもならないらしい。シアラは唇を尖らせてぐいぐいとこちらに顔を寄せてくる。僕は一度フィオナの様子をちらっと窺った。

 彼女は血の滴る自分の指先をどこか艶めかしく咥え、羨ましそうにこちらをガン見している。

 滅茶苦茶やり辛い。やり辛いが、こうなってしまっては仕方ない。


 僕はさっと、シアラに軽くキスをした。

 彼女は嬉しそうに相好を崩し、明らかなドヤ顔でフィオナに振り返る。すごいな、フィオナの前だとうちの妹が表情豊かになるな。

 見たか、とばかりに勝ち誇った様子でシアラはフィオナを見ている。僕こんな妹見たことない。喜ぶべきなのか、心配するべきなのか、複雑な気持ちだ。


「⋯⋯⋯⋯お前は、こんな事できない」


 ふふんと、鼻を鳴らすシアラ。

 僕はその言葉に血の気が引いた。

 フィオナは艷やかな仕草で指を咥えるのを止め、微笑ましいものを見るような目をシアラに向けた。


「可愛いねシアラちゃん。お兄ちゃんを取られたくないんですね? でもね? できますよ?」


「⋯⋯⋯⋯そんな嘘に――」


「というより、もうしましたから。もっと熱くて深いやつを」


「は⋯⋯?」


 シアラがぽかんと口を開けた。僕の全身をだらだらと汗が流れ落ちる。

 フィオナは自分の唇を恍惚としたようにうっとりと指先でなぞる。まだ止まっていない血が、紅のように唇を紅く染めた。


「兄妹じゃできないようなやつをね――しちゃいました」


「⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯兄さん?」


 僕の方を向くことなくシアラは震える声で問いかける。部屋の温度が一気に下がった気がするが、僕の身体から流れる汗は勢いを増した。


「⋯⋯⋯⋯そう」


 僕が何も言えずにただただ目を明後日の方向に逸していると、シアラはごく小さな声で呟いた。未だ彼女はこちらを向いてはいないため、一体どんな表情をしているのかわからない。わからないが、多分僕は見ないほうがいい。僕の精神を保つために。


「⋯⋯⋯⋯それなら、私も、やる」


「それはダメですよ、シアラちゃん」


 とんでもない事を言い始めたシアラを諭すように、フィオナは優しげな笑顔を向ける。


「血の繋がった兄妹で、私と先輩のような深ぁいちゅうはしちゃダメです。あれは、愛し合う恋人同士がするものですから」


 じゃあ僕らもしちゃダメだったよね? そう言っちゃだめかな? だめだね。はい、すいません。


「⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯血の、繋がった、兄妹」


「そうですよ。先輩とシアラちゃんは恋人には――」


「違う」


「え?」


 ああ⋯⋯父さん、話したのか⋯⋯いや、自分で気づいたのかな。どちらにせよ、シアラはもう知っているらしい。

 目を丸くするフィオナに、シアラはきっぱりと言い放った。


「私と、兄さんは血が繋がってない。だから、深いちゅうができる」


 できないよ?

 例え血が繋がってなくても僕の妹には変わりないんだから。だから深いちゅうとやらはできないし、しません。あくまで家族としてのスキンシップまでだ。

 まあ今はそんな事よりも――


「⋯⋯どういう事ですか? 先輩」


 君、態度変わりすぎじゃない?

 僕はまるで人が変わったかのように鋭い視線をシアラに向けるフィオナに、何と説明したものか頭を悩ませるのだった。

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