第58話 魔女を狩る者


 僕は、店長が本気で怒っている姿を見た事がなかった。いや、これまでただの一度も本気で怒った事などなかったのだと、たった今知った。

 そして、店長が戦闘において『神具』を武器として用いる姿も見た事はなかった。


 彼女の敵は存在しない。誰が、何が相手であっても店長の脅威にはなり得ないからだ。彼女にとっては全ての存在が遊び相手でしかなく、戦っている、という意識さえないのだろう。だから店長は武器全般を巧みに扱えるにも関わらず、全てを拳と己のマナのみで叩きのめすのだ。わざわざ武器を使う必要などない。

 そんな彼女が武器を――それも無闇に使用しないはずの『神具』を装備して、抑えることもなく迸る戦意――いや、殺意をシアラへと向けていた。


 光の翼はまだいい。あれは『切望の空ロンギングスカイ』というアンクレットの『神具』で、店長がいつも身につけているものだ。効果は単純に飛行を可能とするものであり、何回か使用しているのを見た事がある。僕も一度使わせてもらったことがあるが、操作が難し過ぎて上手く飛べなかった。

 あれは、危険な『神具』ではない。


 問題なのは、純白の刀のほうだ。

 僕はあんな物は見た事が無い。そもそも武器型の『神具』は滅多に見つかることはなく、所持するには国へ申請し、許可を得る必要がある。不正所持は重罪であり、問答無用で国への叛意ありと見なされるのだ。

 そして、武器型の『神具』を個人が所持する事は、まず許可されない。店長は十中八九許可など取ってはいないと思う。取っていて欲しい所だが。

 まあ、話には聞いたことがあった。以前どんな『神具』を持っているのか尋ねた際に、武器もいくつかあるとは言っていた。恐ろしくて聞かなかった事にしたが、確かにそう言っていたのだ。


 透き通るかの如き白の刀、確かあれは――『白神』。

 実物は目にしたことがなかったし、その『白神』が一体どんな性能を持っているのかまでは僕は詳しくは知らないが、店長曰く、正しく振るえば特定の『神具』以外は断てぬものはないらしい。嘘をつく理由がないので、実際にそういうものなのだろう。

 恐らく堅牢なシアラの魔装の両脚を断ったのは、『白神』によるものだ。


 だが、そんな危険物を持ち出したのは、シアラが彼女にとって強敵だった――というわけではないと思う。それならばまだ良かった。店長が全力を出しても敵わない、『神具』を使用する他ないと判断したのであれば、まだよかったのだ。

 けれど、今回のこれは決してそういう事ではなく、ただ単純にシアラは触れてしまったのだ――ミリス・アルバルマの逆鱗に。

 だからこそ、もはや既に勝負はついているにも関わらず、店長は未だ身が竦む程の殺意を放っている。このままでは一切の容赦なく、店長はシアラを殺すだろう。


 僕は目の前に降り立った店長の冷酷な瞳に、腰が抜けそうになるのを必死に堪えた。

 『切望の空』は消えたが、その右手には、未だ抜き身の刀が握られたままだ。

 隣に立つエルが身構えたのがわかる。ミーナに至っては恐らく無意識の内に、既に四肢を地に着けていた。


 店長は何も語らなかった。ただ黙って、ゆっくりとこちらへ歩を進めてくる。

 発言を誤れば、シアラは確実に命を落とす。

 だが、ちゃんと事情を説明さえすれば、店長は怒りを収めてくれるはずだ。


 僕はあまりの威圧感に屈してしまいそうになりながらも、ゆっくりと口を開いた。いつの間にかカラカラに乾いてしまっていた唇に僅かな痛みを感じる。


「⋯⋯ミリス」


「⋯⋯何故、庇う? 我のノイルを、我の許可なく奪おうとした輩を」


 名を呼ぶと、彼女は僕の目と鼻の先で、ぴくりと止まった。極僅かに空気が緩み、紅玉の瞳が僕を映す。

 そして、僕が説明しようとした瞬間だった。


「きゃー!! シアラちゃん!!」


 全く、一切、これでもかというほどに場の空気に見合わぬ歓声のような声が、上空から響いたのと同時に、僕らの背後、シアラの側へと一陣の風と共にフィオナ、ノエル、ソフィの三人が舞い降りた。

 

「先輩! 先輩を連れて行こうとしたのはシアラちゃんだったんですね!」


「あ、はい」


「なら許します!」


「あ、はい」


 呆然と、僕は瞳を輝かせているフィオナに頷いた。すごい、前と後ろの温度差がすごい。前方の店長からは未だぴりぴりとした覇気が放たれているにも関わらず、フィオナは滅茶苦茶テンションが高い。一応状況は把握しているらしいが、店長の圧に全く屈しない彼女は、もしかしたら頭がおかしいのではないのだろうか。

 ミーナは臨戦態勢のまま複雑な表情を浮かべ、エルが物凄く微妙な顔で口を開いた。


「や、やあ⋯⋯ようやく来たんだね」


 フィオナが不満げに口を尖らせる。


「あなた達が速すぎるんです⋯⋯それに、私はノエルさんとソフィさんにしがみつかれて⋯⋯」


「えへへ、ありがとうフィオナ」


「はい、大変助かりました」


 ノエルが舌を出して笑い、ソフィが深くお辞儀した。

 この状況でこんな態度を取れる二人は、もしかしたらとんでもない大物なのかもしれない。

 フィオナがはっと気を取り直したようにシアラの側に屈み込んだ。


「ソフィさん」


「はい。⋯⋯問題ありませんね。気絶しているだけです」


 名を呼ばれたソフィが素早くシアラの状態を確認し、そう言って頷いた。それを聞いたフィオナがすぐさまぎゅっとシアラを抱きしめる。

 愛おしげな表情で彼女へと頬ずりしているフィオナに、ノエルが唇に手を当てて、思案するように尋ねた。


「フィオナが急に態度を変えたから、私たちのて⋯⋯悪い子じゃないんだとは思ったんだけど⋯⋯知り合いなの?」


 そう聞かれたフィオナは心底嬉しそうな顔をして、待ってましたとばかりにノエルへと振り向く。


「はい! この子はシアラ・アーレンスちゃん! 私の義妹です!」


 シン――と、辺りが静まり返った。

 ノエルがピシっと固まり、ミーナがさっと顔を背けてエルは肩を竦め、ソフィが不思議そうに首を傾げる。

 先程までの空気と落差がありすぎてあまり頭が追いつかなかったが、とりあえず僕はツッコミを入れる前に、恐る恐る黙り込んでいる店長へと振り向いた。

 その手にはもう『白神』は握られていない。


 ふっと、纏っていた他者を刺し殺すかのような覇気が霧散する。腕を組んで顎に手を当てた彼女は、ぽつりと呟く。


「ふむ⋯⋯妹」


 そして、僕へとその美しい紅玉の瞳を向け、きょとんとした、何とも気の抜けた顔で尋ねた。


「何故先に言わぬのじゃ?」


「あ、はい⋯⋯」


 僕は大きく息を吐いて、その場にへたり込むのだった。







「⋯⋯⋯⋯兄さん、抱いて」


 長く艶のある滑らかな黒髪。

 長い睫毛に黒い瞳。形の整った鼻と艷やかで血色の良い唇。

 細身で華奢な身体に、黒を基調とした服を纏った僕の妹――シアラ・アーレンスは、じっと僕を見つめ、無表情に両手を伸ばしてそう言った。

 約七年ぶりに再会した妹の姿は、何とも感慨深いものだった。


 身長も手足もスラリと伸び、魅力的な女性へと立派な成長を遂げている。

 当時はひたすら可愛らしい、愛らしい少女だったが、今ではそれに加え、まだ少し幼さは残るものの、美しさも兼ね備えていた。

 兄として大変誇らしく思う反面、妙な男たちが寄り付かないか大変心配になる。

 まあシアラは僕よりも強いので、心配ないだろうが、それでも不安になってしまうのは仕方ない。だってこんなに可愛いのだ。

 久しぶりに会ったという事も手伝って、僕の妹への兄としての愛情は、より深まったように思う。

 今すぐひたすらに甘やかしてやりたい。


 僕は迷う事なくシアラを抱きしめ、その頭を撫でた。僕の胸に彼女が顔を擦り付けてくる。


 場所は『白の道標ホワイトロード』の自室だ。あれから王都へと戻った僕たちに気を遣って、皆が今夜は二人きりにしてくれた。時刻はとうに深夜だ。僕たち以外は既に眠っているだろう。


「⋯⋯⋯⋯兄さんの、匂い」


 臭いのかな? もしかしてまだ臭いのかな?

 一応ちゃんとシャワーは浴びたが、顔を押し当てすんすんと鼻を鳴らしているシアラを見ていると、不安になってくる。

 何せ、今日はゲロの臭いが染み付いているかもしれない。


「臭い?」


「⋯⋯⋯⋯大好き」


 僕の問いには答えず、シアラは呟いた。そう言ってくれるのは嬉しいのだが、臭いのかどうかははっきりと否定されなかったので、僕は更に不安になった。まあ、妹は臭いものが好きという変人ではないので大丈夫だろう。そう思う事にしよう。


「⋯⋯⋯⋯ベッド行こう?」


「うん」


 先程から誤解されそうな言い方だが、シアラの言葉はそのままの意味でしかない。これは単に一緒に寝たいということだ。まあまだ僕の部屋には畳が届いておらずベッドも一つしかないので、そもそも一緒に寝る他ないのだが。


 僕が頷くと、シアラは一度僕から名残惜しそうに離れ、服をぽいぽいと脱ぎ始めた。

 少々お行儀が悪いが、まあ今日のところは見逃そう。

 僕はシアラが服を脱いでいる間に、クローゼットから簡素なシャツとズボンを取り出しておく。僕の物でサイズは合わないだろうが、寝るだけなら問題ないだろう。

 最後にタイツを脱ぎ捨てたシアラに、僕は寝間着を差し出した。

 何だか妙に大人びた黒の下着姿になった彼女は、差し出された服をじっと見つめる。


「⋯⋯⋯⋯兄さんの服」


「あ、嫌だった?」


 昔の感覚で当然のように準備したが、シアラももう十六歳だ。お兄ちゃんの服なんて着たくない! とか言われるのかもしれない。悲しい話だ。

 シアラの表情に変化は無いが、兄である僕にはわかる。これは物凄く悩んでいる顔だ。


「⋯⋯⋯⋯捨てがたい。でも、今日はこのままでいい」


「風邪引かない? 服、借りて来ようか?」


 店長⋯⋯の服は少し小さいかもしれないが、ノエルやフィオナの物ならぴったりとは言わないまでもサイズは合うだろう。

 しかし、僕の提案にシアラは首を振って僕の手を引いた。


「⋯⋯⋯⋯いい、いらない」


 僕としてはそれ程薄着で寝るのは少し心配なのだが、まあしっかりと毛布を掛ければ大丈夫だろう。灯りを消したシアラがベッドに潜り込み、隣をたんたんと叩いて催促する。僕もベッドへと上がり、二人で毛布を被った。

 ぎゅっと背中に腕が回されたので、僕もシアラを抱きしめ返すと、彼女の顔がほんの少し綻んだ。


 基本的に表情が変化しない妹が、大層喜んでくれている証だ。直接手に触れるのは滑らかな地肌の感触だが、妹なので問題はない。鋼の理性さんも今回は出番なしだ。

 僕は妹の絹のような髪を愛情を込めて手櫛で梳く。


「⋯⋯⋯⋯兄さん、ちゅー」


 シアラが甘えるような声でそう言ってきた。いや、口調自体は淡々としたものでわかりづらいのだが、これは甘えている時の声だ。僕は彼女の額へと優しく口づけた。

 すると、シアラは少し不満げな瞳を向け、唇を僅かに尖らせる。


「⋯⋯⋯⋯違う、それもいいけど⋯⋯ちゅー」


 可愛い妹にそう言われてしまえば仕方ない。僕はそっと、触れるようなキスをした。シアラが相好を崩し、胸へと顔を埋めてくる。

 とても穏やかで幸福な時間だ。心が癒やされる。

 何だろうこの可愛い生き物は。どうして僕は七年間もこれ程可愛い妹を放っておいたのだろうか。今までの僕をぶん殴ってやりたい。


「⋯⋯⋯⋯ムラムラした?」


「しないよ」


 期待の込められたような声に、僕は即答した。

 するわけないじゃないか。僕は妹に欲情するような変態ではないのだ。どうやらシアラは七年間の間に、おもしろい冗談も言えるようになったらしい。僕も実家を出てから随分とツッコミスキルが上がったので、丁度いいかもしれない。


「⋯⋯⋯⋯そう」


 シアラは淡々と呟くと、何故か突然ブラを外してベッドの外に放り投げた。何か高そうだったのに、そんなに雑に扱っていいのだろうか。まあ女性は寝る時は付けない人が多いらしいので、窮屈だったのだろう。

 再びぎゅっと僕を抱きしめたシアラは、先程より心なしか胸を押し付けてくる。


「⋯⋯⋯⋯ムラムラする?」


「しないよ」


 僕が兄でなければするだろうが。


「⋯⋯⋯⋯そう」


 シアラは再び淡々と呟き、今度はパンツを脱ぎ捨てた。どうやら妹は七年間の間に裸族になってしまったらしい。風邪を引かないように気をつけてもらいたいものだ。

 全裸になったシアラは、僕へとしなやかな脚を絡ませてくる。収まりのいい所が中々見つからないのか、やたらとすりすり動いていた。


「⋯⋯⋯⋯ムラムラ――」


「しないよ」


「⋯⋯⋯⋯そう」


 延々とこのやり取りが続くような気がしたので、僕は話題を変える事にした。

 シアラは未だにもぞもぞと動いているが、もうあまり気にしないようにする。彼女の好きにさせとこう。


「シアラは、この七年間何してたの?」


「⋯⋯⋯⋯兄さんを待ってた」


「あ、はい」


 すいません。本当すいません。

 でもそういう事じゃなくてね。


「えっと⋯⋯それ以外には?」


「⋯⋯⋯⋯魔導学園に通ってた」


「え、僕が卒業した後に?」


「⋯⋯⋯⋯うん」


 そうだったのか⋯⋯それは初耳だ。いや、というより、僕は妹について何も知らない。

 まあだけど、僕が卒業した後に通い始めたのだとしたら、まだ四年生の途中ではないだろうか。魔導学園は完全寮生の学校だ。長期休暇はあるけれど、まだ王都に来る事など出来ない筈だが――


「⋯⋯⋯⋯でも、この前やめた」


「え、何で?」


 辞めたって⋯⋯退学したということだろうか。シアラ程の逸材なら、引き止められたりもしたはずだが、そんなことをして大丈夫なのだろうか。いや、大丈夫じゃないだろう。絶対大丈夫じゃないよそれ?

 シアラはじっと僕を見つめる。


「⋯⋯⋯⋯兄さん、結婚するの?」


「しないよ」


 するわけないじゃないか。できるわけないじゃないか。僕のような人間が。


「⋯⋯⋯⋯でも、そう言われた」


「一体誰に⋯⋯ああ⋯⋯」


 僕は一人思い当たり、気が重くなった。


「フィオナか⋯⋯」


「⋯⋯⋯⋯うん」


 やはりだ。そう言えば、フィオナはシアラにも挨拶に行ったと言っていた。確か義姉になるとかいうわけのわからない挨拶をした、と。

 僕は思わず頭を抱えたくなる。


「それ、嘘だよ⋯⋯」


「⋯⋯⋯⋯そう。でも、兄さんの周りに、良くない女が居るってわかった」


「良くないってわけじゃ⋯⋯」


「良くない」


「あ、はい」


 シアラらしからぬぴしゃりとした口調でそう言われ、僕は思わず頷く。昔からそうだったが、七年間放置したという負い目もあって、僕はシアラにあまり強く出ることができない。店長とは違う意味で逆らえない存在となってしまった気がする。


「⋯⋯⋯⋯だから、今後は私がずっと側に居る」


「あ、はい」


「⋯⋯⋯⋯兄さんの周り、いっぱい女の人、居た」


「あ、はい」


 何でだろうね。


「⋯⋯⋯⋯明日から、詳しく、聞く」


「あ、はい」


「⋯⋯⋯⋯ムラムラする?」


「しないよ」


「⋯⋯⋯⋯そう」


 最後にそう聞くと、シアラは僕の胸へと顔を埋めた。服の中に手が差し込まれ、絡んだ脚がすりすりと動く。

 僕は、妹の弄るような手の動きを感じながら、彼女の魔装についてぼんやりと考えていた。


 レット君の渾身の一撃すら防ぐ魔法への耐性に、飛行能力――それはまるで、フィオナの《天翔ける魔女ヘブンズ・ウィッチ》の天敵となり得るような能力で――しかもシアラがここに来たのはフィオナが原因で――僕は嫌な想像に、顔を顰めてごく小さな声でぽつりと呟いた。まさかな、と思いながら。


「魔女狩り⋯⋯」


「⋯⋯⋯⋯すごい、何でわかったの?」


「え」


「⋯⋯⋯⋯最近創った、私の魔装――《魔女を狩る者ウィッチハンター》っていうの」


「え」


「⋯⋯⋯⋯兄さん、抱いて」


 嬉しそうに微笑むシアラに、しかし僕は僅かな戦慄を覚えるのだった。 

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