第50話 愛


 ソフィにとって『精霊の風スピリットウィンド』で過ごす日々は、全てが輝いているように感じられた。

 仕事をすれば褒められ、感謝され、どこにも苦しみなどない。採掘跡に潜る際には、皆が自分の事を守ろうと戦ってくれた。失敗しても誰にも責められたり殴られたりすることもなく、逆に励まされる。

 自由に動いても、会話をしても、何をしても許される。


 誰もソフィへと憎悪や悪意を向けない。視線に怯える必要がない。感じるのは何かとても温かなものだけだ。それはソフィの凍りついた心を、少しずつ、優しく溶かしてくれた。

 気付いた時にはもう、何も感じないソフィではなくなっていた。


 褒められることが嬉しくて、進んでパーティハウスの管理を務めた。

 何を話せばいいのかわからなくて、それでも無駄な会話が楽しくて、疑問に思ったことは何でも尋ねた。

 向けられる温かさに何かお返しがしたくて覚えたマッサージは、皆に好評だった。


 レット・クライスターは、快活な人だ。

 釣りが大好きで、落ち着きがなく、少々自分勝手なところがあるけれど、彼が居るとパーティが明るくなり、皆の笑顔が増える。


 クライス・ティアルエは、変な人だ。

 お調子者で、見た目はいいのにおかしな言動のせいで皆に呆れられ、飄々としていて掴みどころがない。けれど、ふざけているように見えて、誰よりも周りをよく見ている。


 ミーナ・キャラットは、優しい人だ。

 強気でサバサバしていて、自分にも他人にも厳しい。だけど本当は凄く優しくて、女の子で、実はだらしないところもあって、いつも胸のサイズを気にしている。


 エルシャン・ファルシードは、尊敬する人だ。

 とても、言葉では言い表せない。ソフィに名前をくれ、地獄から救い出し、全てを与えてくれた人だ。彼女の為ならばソフィは何をしてもいい、何でもできる。


 皆、ソフィの大切な人だ。ずっとずっと何時までも、ソフィは『精霊の風』の皆と一緒に過ごしたかった。


 けれど、それは出来ない。


 ソフィは自身の魔装マギスが、もう長くは保たないことを感じていた。

 いくらマナボトルでマナを回復しようが関係は無い。魔装の制限時間だ。


 魔装はマナが続く限り発動し続けられるものと、発動している時間に限りがあるものがあり、ソフィの魔装は後者であった。

 そして、魔装が解除されてしまえば、ソフィの命もそこで尽きる。


 もう幾許かの猶予しかない。

 夢の時間は、終わりだった。


 ソフィの魔装を何とかするために手を尽くしてくれているエルシャンには、本当の事をどうしても言うことができず、まだ余裕があると嘘を吐いた。

 仲間には甘いところがあるのをソフィはよく知っている。疑うことも無く、彼女はソフィの言葉を信じてくれた。心はどうしようもなく締め付けられた。


 限られた日々は悪戯に過ぎていく。そんな時だ、レットが無断で海釣りに向かい、代わりにエルシャンが自分の愛する人を『精霊の風』へと連れてきたのは。

 最期に、エルシャンへ恩を返す機会が生まれたことに、ソフィは感謝した。

 

 ソフィは静かに動き出す。早々に帰ってきたレットを捕らえ、屋敷の自室へと閉じ込めると、彼女は次にマッサージと共にマナをコントロールし、皆を暗示にかけた。

 エルシャンとノイルは結ばれたと錯覚させ、フィオナを屋敷から追い出し、『精霊の風』が保有する『神具』、『憩いの場レストプレイス』を無断で使用して外界との接触を断つ。

 『憩いの場』は指定した範囲に、強固な結界を張る『神具』だ。使用者以外は自由に出入りが出来なくなるが、結界の中は居心地の良い空間となり、そこから出たいとも思わなくなる。

 当然、一生閉じ込めておくつもりはなどない。ただ、皆が完全に暗示にかかるまでは、邪魔が入らないで欲しかっただけだ。

 

 皆、簡単にソフィの暗示にかかってくれた。

 それはつまり、自分を心から信じてくれているということで――ソフィは罪悪感に圧し潰されそうになった。

 

 唯一、クライスだけはソフィのマッサージを受けなかった。だがそれは、彼女を信頼していなかったからではないだろう。その証拠に、事情を聞いた彼はソフィへの協力を約束した。「寂しくなるねぇ⋯⋯」と、彼には似合わない力無い声で呟いて。

 恐らく上手くいくとは思っていなかったのだろう。ただ、最後の我儘に付き合ってくれるのだと、ソフィは理解し、また胸が苦しくなった。


 結局、ソフィの策は上手くはいかなかった。ミーナとノイルの二人は自力で暗示を破り、『憩いの場』がノイルを迎えに来た者達に信じられないことに破壊された時点で、もはやソフィもこれ以上は意味がない事を自覚していた。

 しかしそれでも、ソフィは止まることができなかったのだ。

 焦るソフィは屋敷へと侵入したノエルへと目をつけ、彼女の力を見誤る。


 大切な人たちに散々迷惑を掛けた結果がこれかと、ソフィはぼんやりとそう思った。

 愛を理解できない自分が、二人を結びつけるなど、なんと愚かなことを考えてしまったのか。


 もはや皆に向ける顔などない。許されもしないだろう。

ソフィの胸は締め付けられるように痛み、鼻の奥がツンと熱くなる。


 仕方ない。仕方のない事だ。

 愚かな自分が悪いのだ。

 けれど、皆に見放されるのは――死ぬよりもずっと怖い。


 そう思った時、ふわりと――誰かに抱きしめられた。


 温かく、優しく。

 ソフィがずっと知りたかったもの、いや、欲して止まなかったもの。誰かに向けられたいと思っていた――愛を、確かにソフィは感じた気がした――――。







 椅子に座り、俯いて全てを話し終えたソフィをエルがそっと抱きしめた。

 そして、慈しむように優しく頭を撫でる。


 僕たちは今、屋敷の談話室に居た。

 『白の道標ホワイトロード』と『精霊の風スピリットウィンド』のメンバーは、フィオナを除いて全員がソフィの話を聞いていた。


 フィオナはどうやら外でエルと一戦繰り広げたらしく、今は近くのソファに寝かされている。限界を超えても戦ったようで、傷は癒えたがまだ意識は戻っていない。

 店長は心配ないと言っていたので直に目を覚ますだろうが、無茶をしすぎである。あまり心配をさせないでほしい。まあ、僕が言えた事ではないけども。


「悪かった⋯⋯気づいてあげられなくて。それから、ボクの為に、ありがとうソフィ」


「どう⋯⋯して⋯⋯」


 エルの言葉に、ソフィがぽつりと声を漏らす。普段の淡々としたものとは違い、酷く動揺しているような、感情が顕になった震える声だ。


「どう、して⋯⋯マスターが、謝るのですか⋯⋯」


「言っただろう? キミの状態に気づいてあげられなかったからだ」


「どぅ、して⋯⋯マスターが、お礼を言うのですか⋯⋯」


「キミの気持ちが嬉しかったからだよ」


「そ、そんな⋯⋯そんな、わけ⋯⋯ソフィは、ご、迷惑を⋯⋯おかけして⋯⋯マスターだけじゃなく、皆様にも⋯⋯責め⋯⋯ない、のですか⋯⋯ソフィは、許されないことを⋯⋯」


「確かに、やり方は間違えていたかもしれないね。そこは反省だ。でも、責めたりはしないよ」


「どうしてッ!!」


 あのソフィが、声を張り上げた。


「ソフィはッ!! 許されないことをしましたッ!! 責められるべきですッ!!」


 部屋中に響き渡る声は、自身への怒りに満ちているようで、抱き締められる資格などないとばかりに、エルの腕の中で藻掻く。


「皆様を騙しましたッ! 多大な迷惑をおかけましたッ! 取り返しがつかなくなるところでしたッ! 『神具』も失いましたッ! 傷ついた人も居ますッ! 許されてはいけませんッ! 責められなくてはいけませんッ! そうされて当然ですッ! 見捨てられるべきですッ! 嫌われるべきですッ! きら、きらわれる、べきなのに⋯⋯」


 ソフィの声は勢いを無くし、身体からも力が抜け、くしゃくしゃに顔を歪める。


「どぅ⋯⋯してぇ⋯⋯」


 泣き出しそうな声で、彼女は尋ねた。


「ます、たぁ⋯⋯は、ソフィを、抱き、締める、のですかぁ⋯⋯」


 エルはソフィからゆっくりと身体を離し、彼女の頬を両手で包む。そして、額をこつんと優しく合わせた。


「キミのことが、好きだからだよソフィ」


「ぁ⋯⋯」


「好きな人が、ボクの為に一生懸命頑張ってくれたんだ。責めたりなんか、出来るわけないだろう?」


 優しく、幼子を慰めるように――自身の愛情を伝えるように、エルは微笑んだ。ソフィの目が見開かれ、再びくしゃっと顔を歪めた。大粒の涙が溢れ、彼女はエルの胸に縋るように飛びつく。


「うぁ、あぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!」


 決壊したかのように、ソフィは泣きじゃくった。年相応の、子供らしい泣き声を上げ、涙と鼻水でぐしゃぐしゃになった顔を、エルの胸へと押し付ける。彼女の背に回した両手を、その存在を確かめるように何度も何度も動かし、ぎゅっと抱き締めた。

 そんなソフィにエルはそっと腕を回し、片手は頭を慈しむように撫でる。


 愛がわからない、とソフィは言っていた。

 けれど、この光景が愛ではないと言うのならば、この世界に愛など存在しないと、僕は思う。


 大切な人を想い、想われる。

 彼女はとっくに、愛を持っていた、向けられていた。


 今、ソフィはその事実に気づいたのだろう。ならばもう大丈夫だ。これから先、彼女は幸福な人生を歩めるだろう。

 僕では想像もつかないほどに、悲惨で救いのない過去を持つソフィは、もう苦しむ必要はない。幸せだけを享受して生きてもいいはずだ。それくらいは許される、許されなければならない。誰にも文句など言わせない、何にも邪魔はさせない。


 たとえ――それが彼女の魔装であっても。


 僕は目の前の、僕とまーちゃんが僅かに劣る程の尊い光景を見ながら、拳を握った。


「ノイルん⋯⋯何とかできねぇ、かな⋯⋯」


 レット君が肩を震わせ、必死に涙を堪えながら、僕へと声を掛ける。


「俺、じゃ⋯⋯何もできねぇ⋯⋯」


 悔しそうに、彼は俯く。その肩に、そっとクライスさんが手を置いた。いつものふざけた態度は鳴りを潜め、真剣な眼差しはエルとソフィの二人に向けられている。何も語らない彼の手が、僅かに震えていることに僕は気づいた。


「ふざけるんじゃないわよ⋯⋯」


 ミーナがふらふらと談話室の外へと向かおうとするのを、僕はその肩に手を置いて引き止めた。


「何よ」


「⋯⋯どこいくの?」


 彼女は僕へと鋭い視線を向ける。


「ソフィを助ける方法を探しにいくのよ」


「⋯⋯無謀だよ」


 エルだってずっと探していたんだ。すぐに見つかるわけがない。そもそもあるのかもわからない。

 ミーナが僕の胸ぐらを掴み、射殺さんばかりに睨みつけた。


「じゃあこのまま諦めろって言うの? あたしはそんなの嫌。絶対にソフィを助ける。薬でも『神具』でも何でもいい。どんな手段を使ってでも助けてみせるわ!」


 ソフィに配慮して声は抑えているが、そこに含まれる怒気は今まででも一番のものだ。瞳には涙が浮かんでいる。

 確かに、『神具』ならばどうにか出来るかもしれない。けれど、そう簡単に見つかったりはしないだろう。

 世界は、そんなに都合良く出来てはいない。


「⋯⋯店長」


「残念じゃが、我の『神具』の中にはないのぅ。無理やり破壊してもよいが、どうなるかはわからぬ。あれ程身体と一体化しておってはのぅ」


 やっぱりだ。世の中そんなに都合良くない。


「⋯⋯わかりました」


「! だから、そんな簡単に――」

 

 諦めたと思ったのだろう。ミーナがぐいと、僕の身体を引く。


「僕が助ける」


「え⋯⋯?」


 だから、僕ははっきりとそう言った。目の前の深紫の瞳が瞬く。

 力の抜けたミーナの手から抜け出し、僕は真っ直ぐに彼女を見る。


「今ここで、新しい魔装を創る」


 世の中は都合良く出来てはいない。なら、都合の良い力を創り出してやる。

 もし世界さんがそれは卑怯だと言っても、僕は止めない。止めてやるものか。僕は元から卑怯者で、汚属性だ。


 魔装は望まない力も発現させてしまう厄介な能力だが、望んだ力を発現させる能力でもある。だったら、僕の望みに応えてくれ。


 なに、これまでの店長の無茶な要求よりは簡単じゃないか。望むのは、たった一人の少女を救う力だ。何の罪もないのに、理不尽に、不条理に苦しめられ続けてきた彼女を、都合良く、望むままに助ける力だ。そんなもの、創り出せて当然じゃないか。


 さあ、やろう。

 きっと呼吸をするくらい簡単だ。


 僕は右手を前に翳した。


「おほー!」


 店長が素早く僕の前に周り、至近距離で目をきらきらと輝かせて観察し始めたが、努めて無視する。


「ね、ねぇ⋯⋯」


「大丈夫だよ。ノイルなら」


 不安そうな表情のミーナの肩に、ノエルが手を置いた。


「やる時はやる、だもんね?」


「あ、はい」


 そして、にこやかに微笑んだ。やる時はやるの期待値が凄いことになってる。今後は言うの躊躇うくらいだ。

 まあでも、今回はやると決めているから問題ない。


 僕は一度深呼吸し、『精霊の風』のメンバーを見る。


 レット君、クライスさん、ミーナ、ソフィ、そして――エル。

 こちらを振り向いた彼女の翡翠の瞳は、どこか縋るように僕を映している。だから僕は、安心させるようにクールに笑った。


 大丈夫だよリーダー。

 『精霊の風』の臨時メンバー、ノイル・アーレンスは、ちゃんと仕事をこなしてみせる。


 僕はマナを練り上げ、新たな力を望んだ。

 愛らしい少女を、救う力を。 

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