第37話 おもい


「ふふ⋯⋯流石は我のノイルじゃな」


 ミリス・アルバルマは『白の道標ホワイトロード』の自室でベッドに腰掛けながら、小さな鏡を見つめつつそう呟いた。

 楕円形の、縁に金の装飾をあしらった小さな鏡だ。しかし、その一見何の変哲も無い鏡はふわふわと宙に浮いており、ミリスが机に移動すると、彼女の傍へと従うように着いてくる。


 鏡は常にミリスが目視できる位置へと浮かんでいるが、その鏡面に映っているのはミリスでも、彼女の部屋でもない。

 たった今、ミーナ・キャラットとの戦闘を終えたばかりの、ノイル・アーレンスを俯瞰するような視点で映し出していた。


 これは、ミリスが保有する『神具』の一つ、『願望鏡デザイアミラー』であり、所有者が最も求めるものを映し出す鏡だ。

 ミリスは魔力の糸――マーキングをノイルに四六時中張り付けて、その伝わる振動を楽しんでいるが、彼の行動を追うのに使用する本命は、この『願望鏡』である。当然だが、ノイルは魔力の糸同様『願望鏡』の存在など知らない。


 先程の一戦を、『神具』を通して見物していたミリスの心は踊っていた。直ぐに机に向かい、夢中で絵を描き始める。


 ベッドや机、いくつかの収納などの家具が置かれた彼女の部屋は、そこだけを見ればやや飾り気のない至って普通の部屋だといえるだろう。

 ミリスが保有する数多の『神具』も部屋の中には見当たらない。これは彼女がまた別の『神具』である、『収納函ストレージボックス』に全てを詰め込んでいるためである。

 『収納函』は掌に収まる正方形の小さな箱であり、ミリスはこれを常に持ち歩いている。故に、彼女の部屋には無駄な物が置かれていない。殺風景だと言っても過言ではないだろう。


 部屋の壁一面に貼られた、ノイルの絵さえ無ければ。


「ふふ⋯⋯」


 慣れた手付きで、しかし全く巧みとは言えない動きで、ミリスは絵を描き終え両手で広げて持ち、眺めながら蕩けるような笑みを零す。

 先の一戦は素晴らしいものだった。あの半獣人ハーフの女は、ミリスの見立てではフィオナと同等程度の実力があるだろう。

 もっとも、隔てる物がない屋外戦ならばフィオナが確実に勝利するだろうが、それは相性の問題であり、先程のような状況ならば、逆に半獣人の娘のほうが有利だとミリスは考える。

 単純にどちらが上だとは言えない。


 そんな実力者相手に、ノイルは勝利を収めてみせた。自分が仕込んだ技術もしっかりと使い、ミリスの期待以上の動きを見せてくれた。


「最高傑作じゃ!」


 機嫌が頗る良いミリスは、自らの絵を眺めながら、思わずそんな事を言ってしまう。

 描かれているのは当然のごとくノイルではあるが、彼を知っている人物が見ても、何が描いてあるのかはわからない程度に拙い。

 彼女の部屋一面に貼られている他の絵とも大差はない。

 実際、ノイル本人もミリスの部屋に入ったことがあるが、彼は全く何の絵なのか理解出来ていなかった。「何かキモいですね、この絵」と顔を引き攣らせるだけであった。


 しかしそれでも、ミリスの中でそれは最高傑作なのだ。


「ふむ⋯⋯」


 早速飾ろうと立ち上がった彼女は、部屋を見回して顎に手を当てる。既にどこにも絵を貼るスペースが空いていなかったからだ。

 仕方なく、ミリスは部屋の窓にペタペタと絵を貼り付け始めた。


「ミリス、ちょっといい?」


 絵を貼り終えるのと同時に、部屋にノックの音が響き、ノエルの声が聞こえてくる。


「鍵は開いておるぞ」


 ミリスは自身の絵を腕を組んで満足げに眺めながらその声に応えた。


「うわ⋯⋯何この部屋⋯⋯」


 彼女の部屋に足を踏み入れたノエルの第一声は、そんな言葉であった。

 しかしノエルは部屋をきょろきょろと見回し、何か納得したように手を打つと、笑顔を浮かべる。


「ノイルの絵かぁ、すごいね!」


「うむ」


 感心した様子の彼女に、ミリスの機嫌はさらに良くなり、鷹揚とノエルの方を向く。


「さて、それで何のようじゃ?」


「私に、マナの扱いを教えてくれない?」


 ノエルは決意の籠もった眼差しでミリスを真っ直ぐに見て、そう言った。


「何故じゃ?」


 わかってはいるが、ミリスはあえて愉快そうに問う。彼女の口から、直接聞きたい言葉を求めて。


「ノイルのため」


「良かろう」


 迷いのない答えは、ミリスが望んでいたものだった。自分のノイルのために彼女が成長したいと言うのであれば、否やはない。

 実に面白いことになりそうだ、とミリスは頬を吊り上げた。


「ありがとう⋯⋯ところで、それって何?」


 未だにミリスの傍でふわふわと浮かんでいる『願望鏡』を指して、ノエルは首を傾げた。


「『願望鏡』、望むものを映す鏡じゃ」


「⋯⋯『神具』?」


「うむ」


 恐る恐るミリスへと近づいて、ノエルは鏡を覗き込む。そして、そこに映される気の抜けた顔の男を見て目を見開いた。


「ノイル! え、何これどういうこと?」


「望むものを映すと言ったじゃろう」


「え、え⋯⋯? それってつまり⋯⋯」


「何じゃ?」


 『願望鏡』を食い入るように見ていたノエルは、ばっとミリスへと振り向き、真剣な表情を浮かべる。


「⋯⋯お風呂とかも見られる?」


「うむ!」


 ミリスはノエルの問に、微笑みながら鷹揚に頷くのであった。







「うわっ⋯⋯」


 僕は何故だか悪寒を感じ、身を震わせた。辺りをきょろきょろと見回してみるが、特に変わった様子はない。風邪かな?

 でも体調は悪くないし、気のせいかな。不思議なこともあるもんだ。


「どうしたんだい?」


「あ、いや⋯⋯何か寒気が⋯⋯」


 そんな僕の顔をエルが不思議そうに覗き込んできたので、少し驚いて身を引いてしまった。

 しかし、それを気にした様子もなく、彼女は心配そうに繋いでいた僕の手を、すりすりともう片方の手で擦り始める。

 

「そうか⋯⋯大丈夫かい?」


「う、うん⋯⋯気のせいだと思うから⋯⋯」


 僕とエルは、現在屋敷ニ階の一番奥の部屋の前に居る。キャラットさん――ミーナとの一戦の後、彼女は渋々ながら僕を認めてくれ、屋敷に滞在することも許可し、早々に訓練場を立ち去った。

 ソフィは眠っているフィオナの様子を見に行き、ティアルエさん――クライスさんは、僕を抱きしめ「素晴らしい戦いだった友よ、今後はクライス、と呼んでくれ」と言って、愛おしそうに背中をぽんぽんと叩き、くるくると回りながら訓練場を出ていった。どこに行ったのかは知らない。


 僕もフィオナの様子を見に行きたかったのだが、エルにソフィが付いていれば大丈夫だと言われ、先に僕が利用する部屋へと案内してもらう事となった。

 そうして、何故かエルに手を引かれて案内されたのがこの場所だ。


 悪くはないと思う。むしろこの屋敷内でも、位置的に一番良い場所なのではないかとすら思える。しかし、そんな場所を宛てがわれるよりも、僕はどこかその辺の適当な部屋がいい。出来れば入り口に一番近い所がいい。逃げやすい場所がいい。

 僕は性懲りも無く、逃亡計画を諦めてはいなかった。


「どこか⋯⋯別の部屋じゃだめかな?」


「すまないが、それは出来ない。ノイルはこの部屋でなければいけないんだ」


「あ、はい」


 そう言われてしまっては諦める他ない。

 一体何故この部屋でなければいけないのかはわからないが、ここは大人しく従っておこう。従順な振りをして隙を窺うんだ。汚属性らしくいこう。


「さて、それじゃあ入ってくれ」


 たっぷりと僕の手を擦った後、エルはそう言って両開きの扉を開き、僕を中へと促す。

 部屋の中へと入った僕は辺りを見回すが、時刻は既に夜になっており、部屋の中は暗く、あまり良く見えない。

 仕方ないのでマナで視力を強化しようとすると、背後の扉が閉じられ、カチリ、と、鍵のかかる音がした。


「エル⋯⋯?」


「なんだい?」


「いや、何で鍵を?」


 視力を強化することも忘れ、僕は暗闇の中に佇む彼女にそう問いかけた。薄っすらと窺えるその表情には、笑みが浮かんでいるように見える。しかし、エルから返事は返ってこなかった。

 代わりに、突然部屋の明かりが灯る


「え⋯⋯」


 僕は、全容が明らかになった部屋を見て、思わず目を丸くした。

 広々とした部屋には天蓋付の大きなベッドを始めとした、品の良い家具が並び、床には深緑のふかふかの絨毯が敷かれている。

 高級そうだが飾り過ぎない調度品とも相まって、気品が漂うその部屋は、緑を基調としており、どこか森を思わせる居心地の良さそうな空間だ。


 けれど、その上品な雰囲気の部屋は、異様だと言わざるを得ない。

 何故なら部屋のそこら中、どこを見ても――僕の人形で溢れかえっていたからだ。


 大小様々な僕の人形たちは、やたら精緻に作られたものから、デフォルメされたもの、全身だったり顔だけだったり、色々な種類が所狭しと並べられている。

 服装も様々で、普段着なものもあれば、何故か裸のものまであり、年齢もどうやら学園時代の僕から今の僕まで、色んな奴がいる。

 その中でも注目するべきは、ベッドの上に横たわる等身大の人形だ。


 もう一人僕がそこに居るようだとさえ思えるその人形は、僕が万が一のために常に身に着けている、いくつかの腰のポーチまで完全に再現されており、材質はなんだろうあれ⋯⋯何を使っているのかはわからないが、まるで生きているようだ。

 唯一のオリジナルとの違いは、その人形が浮かべる爽やかすぎる笑みだろうか。僕はあんな顔したことないし、無性に殴りたくなる。


 しかし、これはまさか――


「置きもノイル君⋯⋯既に商品化されていたのか」


 一体いつからだ。僕は許可を出した覚えなどない。というか実物を目にして見ると、こんな商品考える奴は頭が狂ってる。夢に出てくるよこんなもの。


「何を言っているのかわからないが、これは全てボクの手製だよ」


 驚愕する僕を尻目に、エルはくすくすと笑いながらベッドへと歩み寄る。


「あ、なるほど」


 ですよね。まさかこんなものが商品化されているわけがないよね。そりゃ手作りに決まってるよ。当たり前だよね。当然てづく⋯⋯り?


「え」


 どういうこと? それっておかしくない?

 何でエルが僕の人形を作るんだ?

 人形作りが趣味とか? いや、だとしても僕の人形なのはおかしくない? 


 ああ、わかったあれだ。殴りやすいからだきっと。サンドバッグ的な用途に使ってるんだな。僕って自慢じゃないけどストレス解消にはもってこいだからね。

 何だ置きもノイル君じゃなくて、殴らーレンス人形だったのか。いや、でもだめだよファミリーネームの方は。うちの可愛い妹まで殴られるみたいじゃん。やっぱ置きもノイル君人形にしよう。

 好きなだけ殴れる! 置きもノイル君人形!

 うん、これでいこう。


「ただいま、ノイル」


 僕が混乱する頭でわけのわからない事を考えていると、エルはそう囁いて、ベッドの上の等身大置きもノイル君人形に軽くキスをした。

 僕の理解は益々追いつかなくなっていく。


 何だ⋯⋯? サンドバッグじゃないのか?

 だとしたら一体何故あんなムカつく顔にしたんだ⋯⋯? 


 困惑していると、エルは次にベッド脇の小さなテーブル、その上に置かれた太く短い蝋燭に火を灯した。

 部屋の中には甘い薫りが漂い始める。

 何だろう、アロマキャンドルかな。お洒落な物があるんだなぁ。少し匂いがきつい気もするけど。


 まあとりあえずだ。とりあえず何もかも全く理解出来ないが――僕こんな部屋嫌だ。


「どこに行くんだい?」


「あ、いや、さっき汗かいたし⋯⋯もう一回お風呂に入ろうかなぁって⋯⋯」


 僕がこの気が狂いそうな部屋から踵を返して逃げ出そうとすると、いつの間にか僕の背後に立ったエルに、服の裾を掴まれた。

 背筋にぞくりと悪寒が走る。


「お風呂に入りたいなら、この部屋にもある。今はボクの話を聞いてくれないかな?」


「あ、はい」


 言われるがままに、僕はエルに手を取られ、ベッドの上へと座らせられた。ちくしょう近くで見ると本当にムカつくなこの人形。


「気になるかい?」


「あ、はい」


 僕の隣に腰を下ろしたエルが、機嫌良さそうな笑顔を浮かべてそう聞いてくる。

 いや⋯⋯こんなの気にならない人この世に存在するの? 今すぐ焼却処分したいんだけど。


「良く出来ているだろう?」


「あ、はい」


 それはもう、気が済むまで殴って世界から存在を消し去りたいほどに。


「実はこのノイルは、服を脱がせることもできるんだ。ボクの最高傑作だよ。抱いて眠るとキミに包まれているようで⋯⋯もう⋯⋯」


「⋯⋯⋯⋯」


 恍惚としたような表情を浮かべ、身を震わせたエルから流石に僕は無言で距離を取った。怖かった。

 しかし、それを見たエルはすぐに僕と距離を詰めてくる。

 お互いの身体がほとんどくっつく程に身を寄せた彼女は、僕の膝に手を置いた。


「ノイル、キミはボクが何故沢山のノイルを作ったのか気になっているだろう?」


「あ、はい」


 まあね、そりゃ気になるよ。何でこんな狂った世界を作り上げてしまったのか、訳がわからないよ。

 あと人形のことノイルって言うの止めてくれないかな? 怖いよ?


「キミには、はっきりと言わなければ伝わらないだろう。だから、単刀直入に言わせてもらう」


「あ、はい」


 エルは僕へとしなだれかかり、潤んだ瞳で僕を見つめながら、やや頬を染め、その綺麗な唇を動かした。


「キミが好きだ。愛している。七年前、初めて会ったあの日からずっと。ボクと、共に生きて欲しい」


「頭打った?」


 僕はエルの突然の告白に、間髪入れずにつっこみを入れるのだった。

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