第35話 面倒な後輩
「先輩! 離し⋯⋯いえ、離さなくていいです! もっと抱きしめてこのメス猫を殺す許可を!!」
出せるわけないよね。
物騒なこと言うの止めようよ。しかも離さないでいいってどうやるのそれ? 僕も共犯になるよねそれ?
僕に羽交い締めにされ、鬼の形相を浮かべるフィオナはかつて無い程に荒れていた。押さえていなければすぐにでも《
「上等よ! 離しなさいエル! こいつらぶっ殺してやるわ!!」
正面ではフィオナ同様、エルに羽交い締めにされたキャラットさんが歯を剥き出しにしてそう叫ぶ。
今はもちろんしっかりと服を着ており、腕と脚を大きく露出した、動きやすさを追求したようなそれと、ブーツを履いている。多分普段着なのだろう。
場所は屋敷の談話室だ。上品な暖炉や調度品、そしていくつかのふかふかのソファやテーブルが置かれ、暖色の灯りが灯るそのリラックス空間は、今は地獄の様相を呈していた。
原因は言うまでもなく大浴場での一件である。キャラットさんは、あの出来事をしっかりと覚えていた。
ソフィに介抱されていた彼女は、目を覚ますやいなや、談話室でびくびくと怯えながらフィオナとエルに事情を説明していた僕の元へと殴り込みに来たのだ。
しかし、僕へと詰め寄ろうとした彼女の前に、フィオナが笑顔で立ち塞がった。
そして、ゾッとする声でこう言ったのだ、「死ね、メス猫」と。
一瞬面食らった様子だったキャラットさんは、次の瞬間には爆発した。
エルと僕はそんな二人を慌てて止め、今に至る。
「殺してやるですって? 先輩を襲ってモノを見てあまつさえ触れておきながらよくそんな事が言えますね!!」
君も言ったよね?
あと、襲われてないしモノとか言うの止めよう。止めて、お願い。詳細を語らないで。
「はぁ!? お、おおおお襲われたのはこっちよ! も、もももモノとか言うな!!」
キャラットさんが顔を真っ赤にして怒鳴る。襲ってないしもうモノの話は止めない?
「どうだったんですか! 感触は? 色は? 匂いは? 形は? 大きさは? ほら、隠さずに言いなさい!!」
フィオナさんあなた頭おかしくない? 何でそんなこと聞くの? ねぇ?
「い、いいい言えるわけないでしょ! 大体そんなにはっきりと⋯⋯嫌なこと思い出させんなぁ!!」
忘れてくださいお願いします。
「ご希望でしたら、後ほどソフィがお教えしましょうか?」
「詳しくお願いします!!」
うおおおおおおおい。うおおおおおおおおおおい。
近くのテーブルに淡々とお茶を並べながらそう言ったソフィに、フィオナが食い気味に頷いた。
その様子を見たキャラットさんは気勢を削がれたように頬を引き攣らせる。
「あ、あんた⋯⋯頭おかしいんじゃないの?」
「おかしいのは貴女です!」
いや、君だよ。
ダメだ、これ以上はダメだ。フィオナは完全に暴走してしまっている。こうなったら最終手段だ。
「フィオナ、止めろ」
「ッ⋯⋯で、でも⋯⋯」
高圧的にそう言うと、フィオナはびくっと身体を震わせた。彼女が何故だか好んでいるこの態度と、《
「止めろ」
「は、はい」
重ねてそう命令すると、ようやく彼女は大人しくなった。力を抜くようにだらんと腕を下ろしたフィオナを見て、僕はほっと息を吐きながら羽交い締めを解く。
「座って大人しくしてること」
「⋯⋯はい、でも、今度私にも見せてくださいね?」
何をかな? ナニをか。嫌だよ。
フィオナは項垂れながら近くのソファに座る。僕はキャラットさん――の、後ろから彼女を羽交い締めしているエルに助けを求める視線を向けた。そっちはお願いします。
「⋯⋯⋯⋯」
「⋯⋯エル?」
「あ、う、うん⋯⋯ミーナ、ちょっと落ち着こう。彼は悪くない。大浴場を使うよう勧めたのはボクらだ。彼に責任はないよ」
何故か彼女らしくなく、一瞬呆けていた様子のエルだったが、すぐに気を取り直したようにキャラットさんを宥め始めてくれた。その頬が若干染まっているように見えるのは気のせいだろうか。
「うぅぅぅぅ⋯⋯でもさぁ⋯⋯! あ、あんなの⋯⋯ていうかソフィは知ってたんなら何で教えてくれないのよ!」
「⋯⋯? ソフィは貸し切りではないとお伝えしたはずですが?」
「ちゃんと男が入ってるって言いなさいよぉ!!」
不思議そうに首を傾げるソフィに、キャラットさんは悲鳴のような声を上げる。もはや彼女は泣き出してしまいそうだった。目には涙が溜まっている。
僕はここぞとばかりに、キャラットさんの前で床に頭を擦りつけた。
淀みの一切無い澄み切った美しさすら感じさせるであろうその動きは、僕の最終奥義〈
一切言い訳しないで誠心誠意謝罪をする男らしい技だ。
「この度はぁ! 私のせいで不快な思いをさせてしまぃ! 誠に申し訳ありませんでしたぁ!!」
深い反省の気持ちをキャラットさんに伝える
と、その時、談話室の扉が勢いよく開いた。
「ハロー! ハロハロー! 皆ご機嫌はいかがかなぁ〜!」
変な人入ってきちゃった。
僕は思わず顔を上げて、テンションのおかしい挨拶をしながら乱入してきた人物を見る。
それは、どこからどう見ても完璧なイケメンだった。
さらっさらのきらきらとした金髪を靡かせて、汚れ一つないぴかっぴかの歯を輝かせた、無駄にテンションの高い無駄にイケメンで無駄に良い声の人物は、無駄に格好いいポーズを決めながら、こちらに効果音が聞こえてきそうなウィンクを飛ばす。
「この俺、クライス・ティアルエが登場した、ぜ!」
うわぁ⋯⋯なんかいつかの僕を見ているみたいだ。いや、彼は僕と違って本物のイケメンだけど。
クライス・ティアルエと名乗ったイケメンは、静まり返る僕たちを見ると、とぼけた顔をして耳に手を当てる。
「あれれぇ〜? 皆さんお返事はぁ〜?」
「ほら、彼もこうして謝ってるじゃないか」
「謝ったからって⋯⋯ていうか大体こいつは何なのよ!」
すげぇや。エルもキャラットさんもスルー力が高すぎる。まるで何事も無かったかのように会話を再開するとは思わなかった。
「臨時メンバーだよ」
「はぁ!? そんなの聞いてないわよ!」
「うんうん、そっかぁ〜」
すげぇや。この人スルーされても全く気にしてない。何故かしたり顔で頷きながらティアルエさんはソフィの傍へと歩み寄る。
「ソフィちゃん今日もキュート! だねぇ。ハグしてもいいかい?」
「⋯⋯⋯⋯」
「そっかぁ〜ハハッ!」
完全に無視されたティアルエさんは、次にエルとキャラットさんの近くへと微笑みながら移動した。
「んエルシャン! 君はいつ何時も美っすぃ! ハグしても?」
「クライス、ボクは人に触れられることを好まない。知っているだろう」
「んん! そうだったぁ!」
視線を向けられることもなくそう言われたティアルエさんは、やってしまったとばかりに額を手で打つ。そして、すぐさまキャラットさんへと向いた。
「ミィィィィィ――」
「殺すわよ」
「んナッハッハッハ!」
すげぇなこの人。どうやったら折れるんだ。
三人に冷たくあしらわれても快活に笑うティアルエさんを見て、僕は軽い尊敬の気持ちすら芽生えてきた。
一頻り笑い終えた彼は、無駄に優雅なターンを決め、フィオナの方を向く。
「こっちを見ないでもらえますか? 先輩以外の男性に見られるのは不快なので」
「かしこまりぃ!」
そしてばっさりと切られ、そのままくるくると回りながら僕へと近づいてきた。ぴたっと僕の目の前で停止したティアルエさんは、僕へと優美な仕草で手を差し出す。
「さあ! 蹲ってないでこの俺とハグしようぜ!」
「あ、はい」
すげぇなこの人。見境なしだ。
僕は思わず彼の手を取ってしまう。すると、勢いよく引き寄せられ、優しくティアルエさんの腕に包まれた。
何だこれ、すごく心地が良い。彼はハグの天才か。
「これで、もう親友だ――ぜ?」
「あ、はい」
僕が思わず頷くと、ティアルエさんは僕の背中を愛おしそうにぽんぽんと叩く。
フィオナが女の子がしちゃいけない顔してる。
「へばりんっ!!」
そして、彼は奇声と共に一瞬で僕の前から消えた。
代わりに僕の視界に入ったのは、おそらく回し蹴りをティアルエさんに食らわせたのであろう、片足を上げた姿勢のキャラットさんだ。
「鬱陶しい」
「治療してきます」
呆然とする僕の前で、キャラットさんが足を下ろし、ソフィが一礼してぶち破られた扉から外に出ていく。エルは肩を竦めていた。
「で、臨時メンバーって何?」
「そのままの意味だよ。レットが帰ってくるまでの間、彼に代わりを務めてもらう」
何事も無かったかのように向き直ったキャラットさんに、エルも何事も無かったかのように説明する。
キャラットさんはキッと睨むような目つきで、呆けている僕を指差す。
「こんな全く知らない奴要らないわよ!」
「いや、必要だ。それに、全く知らない相手じゃないよミーナ。覚えていないのかい?」
「はぁ!? 何言ってるのよエル! 覚えてるも何もこんな奴⋯⋯こ、んな⋯⋯」
エルに尋ねられ、僕の顔を改めて見たキャラットさんの目が、徐々に見開かれる。
今まで冷静に僕の顔を見ていなかったのだろうか、それとも単にたった今思い当たったのだろうか。
どちらにせよ、彼女のその反応は僕に取って非常に嬉しくないものだった。
「あー!! あの時のクソ雑魚!」
「あ、はい」
クソ雑魚です。
最悪だ、何故だかキャラットさんは僕を忘れてはいなかったらしい。僕を指さしながら大声を上げた彼女は、バッとエルの方を見る。
「なおのこと要らないわよ!」
ですよね。
僕も本当にそう思いますよ。ええもう本当に。ですから帰ってもいいでしょうか?
「あたしは絶対認めないわよこんな奴! 絶対役に立たないし! それに、特別やることもないじゃない! 何でこいつが必要なのよ!」
「⋯⋯ミーナ、パーティのリーダーはボクだ。そのボクが、彼が必要だと言っている。わがままを言わないでくれるかな?」
「なッ⋯⋯」
至極真っ当な事を言っていたキャラットさんは、静かなエルの理不尽な言葉に、愕然としたような表情を浮かべた。
裏切られたような気持ちなのだろう。なんとなく僕でも理解できる。エルはきっと普段はこんな態度は取らない。酷く冷たさを感じるほどだ。それこそおそらく学園時代からの付き合いの彼女には、信じられないのかもしれない。けれど、それでもエルは自分の意見を曲げるつもりはないらしい。
一体何が彼女をそうさせているのか⋯⋯まぁ、そんなことよりもだ。
「メス、猫、が⋯⋯言わせて、おけ、ば⋯⋯」
フィオナがやばい。
「要らない⋯⋯? 役に立たない⋯⋯? クソ、雑魚⋯⋯? は⋯⋯?」
怖い怖い怖い怖い怖い。《愛》のせいで動けないのだろうが、それでも怖い。
形容し難い表情を浮かべ、今にも血涙を流しそうである。全身が小刻みに震え、握りしめた拳と唇からは血が滴っていた。
「ひっ⋯⋯な、何⋯⋯」
そんなフィオナの様子に気づいたキャラットさんが、怯えたような声を発し、びくりと身を震わせる。
今のフィオナなら視線だけで人を殺せそうだ。
流石にこれはマズい。
「私、の⋯⋯私の先輩に⋯⋯大切な⋯⋯」
「フィオナ! 少し眠れ!」
一か八か、僕は彼女の
するとフィオナの震えが止まり、かくん、と頭を落とした。そして糸の切れた人形のように崩れそうになったその身体を、僕は慌てて駆け寄り支える。
穏やかな顔で寝息を立てているのを確認し、僕はほっと息を吐いて彼女をソファに寝かせた。
「な、何なのよ⋯⋯」
困惑したように、キャラットさんが呟く。
「ソフィを呼んでくるよ」
エルはそう言って談話室から出ていった。おそらくフィオナの自傷を治療するためだ。
どれだけ強く握りしめたのだろうか、両手の傷は痛々しい。
正直怖いと思う。
けれど、これは彼女が僕を思ってやってしまったことで、そうさせてしまったのは僕が馬鹿にされるほど不甲斐ない男だからだ。
こんな僕でも尊敬してくれているらしいフィオナに、情けない姿を見せ続けたせいだ。
いや、実際情けないから仕方ないのだけれども。
いつから彼女はこんな風になってしまったのだろうか。もっと素直で大人しく、良い子だったはずなのになぁ⋯⋯。
まったく面倒くさい後輩になってしまったものだ。と、僕は自分が関わってしまったせいでフィオナが変わってしまった事実から目を背けながら思う。
汚属性だからね。責任とかからは全力で逃れるんだ僕は。
まあでも僕がどう思おうが、僕が馬鹿にされることがフィオナにとってはこれ程許せないことなのだ。
重いね。重すぎる尊敬だ。
だったら僕は、僕の心の平穏を保つために、彼女の前では少しだけ、情けない自分を変えようと思う。
こんなフィオナを見るのは心臓に悪いからね。
そのために全く悪くないし、正論しか言ってなかった彼女に、ちょっと付き合ってもらうとしよう。完全に何から何まで被害者で誠に申し訳ないとは思うが。
「キャラットさん、ちょっと表に出てもらえますか?」
「は? い、いきなり何よ⋯⋯」
まだ戸惑っていた様子だった彼女は、僕に突然そう言われ、怪訝そうな表情を浮かべた。
いつかのあの時言われたことを思い出し、僕は本当に悪いとは思いながらも、言わなければならないことを口にする。
「その態度、改めさせてもらいます」
まずは、トラウマの払拭からだ。
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