第33話 トラウマとメイド


 商業区北にある採掘者街は、塔のような採掘者協会を始めとし、武器屋や防具屋、魔導具店、マナポーションなどの様々なアイテムを取り扱う道具屋などが多く建ち並ぶ場所である。

 そんな採掘者街に堂々と『精霊の風スピリットウィンド』のパーティハウスは存在した。


 赤茶色の煉瓦造りの瀟洒な屋敷は、中々の敷地も持ち、僕の身長程の塀に囲まれ、正面には両開きの洒落た門扉が取り付けられている。

 門の隙間から窺える庭と屋敷に続く道は整然と整えられており、丁寧に手入れされていることがわかる。


「さあ、入ってくれ」


 慣れた手付きで門を開けるエルに続き、僕とフィオナは屋敷の敷地内へと足を踏み入れた。うわすごい。よく見たら噴水まである。

 『白の道標ホワイトロード』があばら家に思えてくる。いや、実際はそんなに酷くないけど。

 

 そんな初見なら驚きを隠せなかったかもしれない『精霊の風』のパーティハウスだが、実は僕は、何度か外からなら眺めたことがあった。レット君が住んでいる家がここからほど近い場所にあるからだ。


 彼の家を訪ねる際には、僕は気配を消して風景の一部に溶け込みながらも、この屋敷って一体何なのだろうとつい足を止めてしまうことがあった。ていうかレット君も教えてくれればよかったのに。まあ彼も僕にはやや劣るが適当な人間なので仕方ないのかもしれない。


 しかしこんなに立派な屋敷があるというのに、何故レット君は別の場所に住んでいるのだろうか。パーティハウスとは本来、仲間となった採掘者達が拠点とする場所のはずだが。


「レット君って何で別の場所に住んでるの?」


 気になったので、深く考えることもなく前を歩くエルに尋ねてみる。彼女は振り返ることなく愉快そうな声で答えた。


「ああ、それはミーナがそういった事に厳しいからだよ。だから男性のパーティメンバーには悪いが、寝泊まりだけは彼らの望む場所をボクが借りた上で別にしてもらっている。まあボクは気にしないんだけどね。ミーナがうるさいんだ」


 困ったように、けれど楽しそうな声で説明され、僕は固まった。

 なんか今、僕のトラウマスイッチが押された気がする。

 気のせいかな? 気のせいだよね? そうだと言ってよ。


「ん?」

 

「先輩?」


 立ち止まった僕に気づいたエルが振り返り、フィオナが不思議そうに顔を覗き込んでくる。その距離がやたら近い気がするが、今はそんなことを気にしてる余裕はない。


「どうしたんだい? もしかしてミーナのことを覚えていないのかな? ほら、半獣人ハーフの女の子のことだよ。ミーナ・キャラットだ」


「ア、ハイ⋯⋯」


 気のせいではなく僕のトラウマスイッチは連打されていた。

 もちろん覚えているに決まっている。忘れることなんて出来ない思い出だからね。

 調子に乗っていた僕を正気に戻してくれた、ある意味恩人ではあるが、できる事なら二度と会いたくはない相手だ。嫌な汗がだらだらと流れてくる。


 まさかエルだけではなく、彼女もここにいるとは思いもしなかった。もう嫌だ、何故世界は僕に厳しいのだろうか。一体僕が何をしたというのだろうか。

 逃げようかな。逃げてもいいよね。よし逃げよう。


「すごい汗だね」


「先輩に触れないでください」


 僕へとエルが手を伸ばそうとすると、間にフィオナが割り込んで僕を背にかばいながら彼女を睨みつける。エルは肩を竦めた。


「やれやれ、手厳しいね」


 僕はここしかないと思い、彼女たちに背を向け駆け出した。脱兎も一目置く芸術的なスタートを切れたと思う。

 しかし、僕の逃走劇はすぐに幕を閉じた。


「うわっ!?」


 僕の目の前の地面が途端に隆起し、高い壁となって退路を断ったからだ。


「ノイル、今さら逃げないでほしいな。悲しいじゃないか」


 寂しそうな声に振り返ると、エルは哀愁を感じさせる表情を浮かべて僕を見ていた。

 どうやったのかはわからないが、彼女が何かしたのは間違いないだろう。


「先輩、任せてください。一緒に逃げましょう。この女は危険です」


 フィオナの両手に銀の装飾が入ったニ挺の大振りの短銃が出現するのと同時に、顔には重厚感のあるゴーグル、背には輝く一対の銀翼が現れる。これは僕も良く知っている彼女のまともな方の魔装マギス、《天翔ける魔女ヘブンズ・ウィッチ》だ。完全にやる気である。

 臨戦態勢となり銃口を向けるフィオナに対して、エルも片手を向ける。


「止めないかい? キミを傷つけたくはないんだ」


「それなら、先輩のことは諦めたらどうですか? 女狐さん?」


「それは⋯⋯出来ない。無理なんだ」


「やっぱり⋯⋯貴女は危険ですね」


 え⋯⋯いや⋯⋯別にそこまでしなくていいんだけど⋯⋯こんなに大事になるとは思わなかったよ。ごめん、僕が悪かったから二人とも落ち着こう。わかったよ、もう逃げないから。トラウマと向き合うことにするから。

 なんかもうさっきとは違う汗が止まらないよ。もうびしゃびしゃだよ。シャワー浴びたい。


「⋯⋯フィオナ、ストップ。ごめんエル⋯⋯もう逃げようとしたりしないから」


「先輩!?」


「ありがとう! ノイル」


 《天翔ける魔女》を解いたフィオナが悲鳴のような声を上げ振り返り、エルは安心したように満足げに頷くと、片手を下ろした。それと同時に隆起した土の壁も元に戻る。

 手品かな? 荒れた様子もない地面を見ながら僕はそう思った。


「先輩! どうしてあの女の言う事を聞くんですか!」


 泣きそうな表情でフィオナはそう訴えてくるが、そんなの僕が悪いからに決まってる。恩人からの頼みを一度引き受けておいて逃げ出そうとしたのがそもそもの間違いだ。

 別にエルは悪くない上に、彼女には借りがあるし僕を止める権利がある。


 なに、大丈夫だよ。僕は男らしくトラウマに打ち勝ってみせるさ。既に一度逃亡を謀った男が言うセリフじゃないけれども。

 僕は納得のいっていない様子のフィオナへと歩み寄り、その頭へと軽く手を置いた。


「大丈夫、心配ないよ」


「⋯⋯はい」


 いざとなれば地に頭を擦り付ける覚悟もある。それに、ミーナが僕のことを覚えているとは限らない。

 いや、きっと忘れてる。そうに決まってるよ。自慢じゃないが、僕は人の記憶に残らないことに関しては自信があるんだ。それに、とっておきの奥義だって持ってる。

 

「⋯⋯⋯⋯ましいね」


「え?」


「いや、何でもない」


 エルが何事か呟いたが、よく聞き取れなかった。彼女はそれ以上は何も言わず、再び屋敷へと歩みを進める。僕とフィオナはその後に続く。その途中、僕は腰のポーチからペンを取り出してある細工をしておいた。


「せ、先輩⋯⋯まさか⋯⋯」


「フッ⋯⋯」


 何をやっているのか理解したらしいフィオナに、クールな笑みで応えておく。


「さあ、それじゃあ改めて、ボクらの家にようこ⋯⋯ノイル、その顔はどうしたんだい⋯⋯?」


「あ、お構いなく」


「そ、そうかい⋯⋯まあボクはそれも嫌いじゃないよ。もったいないとは思うが⋯⋯とりあえず、ようこそ」


 眉を濃く太く塗り、いくつかの皺と黒子ほくろも描き足した僕の顔を見て、こちらを振り向いたエルは頬を引き攣らせながら屋敷の扉を開けた。


 驚かせてしまって申し訳ないが、これこそが僕の裏奥義、〈第二の僕トランスフォーム〉だ。

 この奥義の前では、誰も僕をノイル・アーレンスだとは思わないだろう。実はついさっき思いついた。


 僕は自信満々に、エルの後に続いて屋敷の中へと入る。

 広々とした玄関ホールは二階までの吹き抜けとなっており、高級そうな、けれど主張し過ぎない調度品がいくつも並び、赤い絨毯が敷かれている。

 奥には二階へと登るための階段が二つ並び、その間には両開きの扉。左右にもいくつか扉が並んでいる。見上げてみれば、高い天井には輝くシャンデリア。

 なるほど、これは住む世界が違う。どこもかしこも気品というものが漂っている。


「おかえりなさいませ、マスター」


 僕が『白の道標』とのあまりの違いに目を白黒させていると、ふとそんな声が掛けられた。

 見れば、いつの間にやら小さな藍色のふわふわとした髪の魔人族の女の子がエルへと頭を下げている。


 すげぇやメイドだ。メイドさんが居る。平凡な庶民の僕は、その光景を見て何故だかテンションが少し上がった。


「ただいまソフィ」


「マスター、そちらの方が例の?」


「ああ、ノイルだ。それから彼女はフィオナ。彼の――」


「妻です」


 こらこら。


 流れるようにフィオナが嘘をつく。


「お腹には先輩の子も――」


「嘘吐かないで」


 流れるようにフィオナが嘘を重ねたため、今度ははっきりと口に出して注意した。「そんな!」と彼女は僕を縋るような目で見てくる。中々真に迫っているが、その冗談重いし笑えないよ? 


 そんな僕らを見て、メイドの子は不思議そうに首を傾げていた。エルが苦笑しながら説明する。


「フィオナはボクらの後輩――」


「私の先輩はノイル先輩だけです」


「失礼、ノイルの後輩だ」


 説明を受けたメイドの子はそれでも不思議そうに首を傾げていた。


「お連れするのはノイル様だけのはずでは⋯⋯?」


「ああ、やむを得ない事情があってね。予定が変更になったんだ」


「私は先輩の所有物ですから」


 フィオナ、余計なこと言わない。


「そうでしたか」


 彼女はそこでようやく納得したのか、一つ頷くと僕の前でスカートを軽く持ち上げて、膝を曲げ、深々と頭を下げる。


「お初にお目にかかります。ソフィはソフィ・シャルミルと申します。ソフィとお呼びください。『精霊の風スピリットウィンド』では皆様の回復役や雑務を務めさせて頂いております。以後お見知りおきを」


 メイドさんじゃなかった。『精霊の風』のメンバーだった。


「の、ノイル・アーレンスです」


 そんなことを考え一瞬反応が遅れた僕は、慌ててぎこちなく頭を下げた後、おずおずと手を差し出した。


「よ、よろしく」


「はい、よろしくお願い致します」


 ソフィと握手を交わしながら、気になったことを聞いてみる。


「あのー⋯⋯」


「何か?」


「何でメイドの格好を?」


「趣味です」


「あ、はい」


 なるほど趣味か。趣味なら仕方ないな。


「ソフィも一つ質問が」


「うん?」


「何故お顔を汚されているのですか?」


「⋯⋯趣味、かな」


「落としたほうがよろしいかと」


「あ、はい」


 なるほどダメか。趣味でもダメか。


「大浴場にご案内致します。マスター、よろしいですか?」


「ああ、そうだね。ノイルはさっき随分と汗もかいていたようだし。汚れを落としてくるといい」


 ソフィの提案に、エルはくすくすと笑いながら頷く。それを確認した彼女は、ちらりとフィオナの方を見た。


「物に挨拶は不要ですね」


 きっついわぁ。


 見た目に似合わずきついこと言うねこの子。僕なら泣くよ?


 ソフィはきっぱりとそう言うと、そのまま僕の手を引いて歩き出す。と、彼女の前にフィオナが一瞬で回り込み微笑む。⋯⋯今のどうやったんだろう。手品かな?


「流石に失礼では?」


「⋯⋯ご自身で物だと宣言されたはずですが?」


 フィオナは微笑を浮かべたまま首を傾げ、ソフィは不思議そうに首を傾げる。エルが申し訳なさそうな顔で仲裁に入った。


「すまないフィオナ。彼女に悪気はないんだ」


「ええわかってます」


 エルの方を見ることもなく、フィオナはそう言った。そして笑顔のまま続ける。


「私が言っているのは、挨拶のことじゃありません。そんなことはどうでもいいんです」


 どうでもいいんだ。普通怒るとこそこじゃないかな? 僕がおかしいのかな。


「私に何の断りもなく、先輩をお風呂に連れていこうとするなんて、許されると思いますか?」


 許されるよ? そこは何もおかしくないよ。


「⋯⋯物の許可が必要なのですか?」


 相変わらず不思議そうに首を傾げているソフィに、フィオナは得意気に手を当てた胸を張る。


「そうではなくてですね、先輩がお風呂に入るなら所有物である私も一緒に――」


「フィオナはエルと待ってて」


「先輩!?」


 とんでもないことを言おうとしたので、僕はフィオナの言葉を遮る。《ラヴァー》の効果が発動し、彼女は愕然としたように目を見開いた。

 これちょっと便利だなと思ってしまった。


「どうして⋯⋯?」


「喧嘩しないようにね」


 そうして、絶望したような表情を浮かべるフィオナと、にこやかに手を振るエルをその場に残し、僕はソフィに手を引かれて大浴場へと向うのだった。

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