二章

第25話 ノイルと愉快な仲間たち


 一面真っ白な空間、どこまで続いているのかもわからないが、おそらく中央に当たる場所には小さな丸い池があり、数人の男女が池を取り囲むように背もたれのない椅子に座って釣り糸を垂らしている。


 池は対面であろうとお互いの顔がはっきりと確認できるほど小さいので、そこで皆が釣りをしているのは中々シュールな光景だ。


 しかし僕はそれについては特に何も思うことはなく、一箇所――僕のために空けられている席に慣れた動きで腰を下ろし、皆と同じく釣り糸を垂らす。


「やあ」


 挨拶をすると、それぞれ返事が返ってくる。と、輪から一人抜け出して僕の元へと駆けて来た。そして寄りそうように座ると、手を僕の膝に置いてこちらを笑顔で見上げてくる。


「また会えましたね、ノイルさん」


 頬を紅潮させ、とろんとしたアメジストの瞳を向けてくるのは、ストロベリーブロンドの髪を長く伸ばし、厚手のローブを着ている控えめそうな女の子だ。見た目に反してその行動はやや大胆だが。

 えーと⋯⋯この子は確か――


「忘れちゃったんですか? 魔法士・・・ですよ」


 拗ねたような顔で言われて思い出す。そうだ、この子は魔法士ちゃん。僕の中に居る魂の一人・・・・・・・・・・だ。


「ごめんごめん、ここでの記憶は曖昧なんだ」


「もう⋯⋯! そんなこと言ってると、忘れられなくしちゃいますよ⋯⋯?」


 そう言って魔法士ちゃんは怪し気な笑みを浮かべると、僕の大事な部分へと太ももをなぞるようにスススと手を伸ばしてくる。大変だノイルくんがノイルさんになってしまう。


「そのくらいにしときなさいよ。ノイルが困ってるわよ」


 僕が慌てていると右隣から呆れたような声が掛かり、魔法士ちゃんの手が止まった。僕越しに声を発した人物を魔法士ちゃんは目を細めて見る。


「何? 狩人ちゃん? どうして止めなきゃいけないの? 自分が良く使ってもらえるからって何様のつもりなのかな? 言っとくけど、私のほうが付き合いは長いんだからね? それにそうやって自分は興味ないふりしていつもいつもノイルさんの隣をキープするよね? 本当は自分が好きだから止めてほしいだけでしょ? そういうのずるいよね?」


「ち、違うわよ! 私はただ⋯⋯ ! そ、それに並び順は仕方ないでしょ! ノイルが使う頻度で決まるんだから!」


 狩人ちゃんと呼ばれた薄紫色の髪をポニーテールにした女の子が立ち上がる。動きやすさを意識した中々露出の多い服だ。スタイルの良い彼女に良く似合っていた。


「仕方なくないよね? こうして移動出来るんだから交代してくれればいいのに、狩人ちゃん絶対動こうとしないじゃん。何でかな? ノイルさんの近くに居たいからだよね? だったら何ではっきりそう言わないのかな? 自分だけ良い子ぶってノイルさんのポイント稼ごうとするの良くないよ? そんな狩人ちゃんに私を止める権利なんてあるのかな?」


「ち、ちが、ちがぅ⋯⋯違うもん⋯⋯そんなんじゃないもん⋯⋯うぅ、ノイルぅ⋯⋯」


 止めてやれよ。


 顔を真っ赤にして目には涙を溜めている狩人ちゃんを見ていると、酷くいたたまれない気持ちになってくる。気の強そうな見た目とは裏腹に打たれると弱いんだよ狩人ちゃん。

 しかし、魔法士ちゃんは言葉を弛めることはない。


「違わないよね? 何も違わないからそうやって狼狽えちゃうんだよね? しかもノイルさんに助けを求めるし。そういうのすっごくあざといと思うなぁ。その点私のほうが誠実だよね? ちゃんと気持ちを伝えるし、やりたいことは我慢せずにやるもん。もちろんノイルさんが本気で嫌がったら止めるけど。望むことも何でもしてあげるよ? 何ならここでセック――」


「おい、その辺で止めとけ」


 狩人ちゃんが崩れ落ち、魔法士ちゃんがとんでもないことを口走ろうとした瞬間、僕の左隣から止めが入る。そちらを見ると、頭にバンダナを巻いた優男が自らの釣り糸を見つめていた。隙間から僅かに窺える髪は燃えるような赤毛で、女性に好かれそうなその横顔にははっきりと疲れの感情が見て取れる。

 魔法士ちゃんは笑顔で振り返った。


「なぁに? お兄ちゃん? お兄ちゃんも邪魔するの? 馬車のくせに」


「ぐ⋯⋯ッ」


 魔法士ちゃんの鋭利すぎる言葉のナイフが突き刺さり、馬車さんは悔しそう顔を歪める。

 ごめん、本当ごめんね。悪いのは店長なんだ。


「俺のせいじゃねぇだろ⋯⋯ノイルが――」


「あの女ならともかく、お兄ちゃんの無能をノイルさんのせいにしないで?」


「お、おう⋯⋯」


 いや、悪いの僕だよ? 馬車さんは何も悪くないって本当。馬車とか創った僕が悪いよ。つまり店長が悪い。

 魔法士ちゃんの笑顔の圧に屈する馬車さんを見てると申し訳無さが込み上げてくる。


「なあノイル、今からでも創り直せねぇか? お絵描きセットとかなんだよ要らねぇだろ。馬車でもいいからもっとマシな能力付けてくれよ。運び屋のプライドってもんがあんだよ」


「ごめん、無理かな⋯⋯」


「だよな⋯⋯」


 真剣な瞳で訴える馬車さんには悪いが、一度創り出した魔装マギスはやり直しが出来ないのだ。それは馬車さんもよく理解しているため、僕の返事を聞いてもがっくりと肩を落とすだけだった。


「まぁ⋯⋯悪くねぇよな⋯⋯変な動きだが一応速いしな⋯⋯」


「燃費は悪いし緊急時には一つも役に立たないけどね。ていうか上等な馬車で充分だし」


「ぐっ⋯⋯何だお前、俺がよく使われるからって辛辣すぎねぇか? 大体お前だって一日一回しか使えねぇだろうが。それに比べりゃ――」


「たしかに私は制限があるよ? でも、応用は効くしこの間だって大切な時にはちゃんと使ってもらえたよ? お兄ちゃんは見てただけだよね? 皆活躍したのにね。何でかな?」


 止めてあげて。

 馬車さんがひたすら可哀想になってくるから。


「それに仕方ないじゃない。だってノイルさんに使われるなんて、私一回でイッちゃう――」 


「やめろぉ! 実の妹のそんな話聞きたくねぇんだよぉ!」


 ついに馬車さんは釣り竿から手を離し、耳を塞いで悲鳴を上げてしまった。


「わかった! わかったから! もう口出さねぇからそれ以上やめろ!」


 許しを乞うように馬車さんは目を閉じる。その様子を見て魔法士ちゃんはにっこりと微笑むと僕へと振り返った。笑顔が怖い。


「さて、これで邪魔者は――」


「魔法士、もう止めろ」


 迫る魔法士ちゃんを渋い声で止めてくれたのは、崩れ落ちている狩人ちゃんの隣に座っている、堅牢そうな鎧を着込んだ灰色の髪の美丈夫だった。

 魔法士ちゃんは笑顔でゆっくりと顔だけをそちらに向ける。怖いよもう。


「なぁんですか? 守護者さぁん」


「はしゃぐのは良いが魚が逃げる。それはノイルも望まんだろう」


 今そんなこと考えてる余裕なかったけど確かに。それは一大事だ、良くないね。良くないから魔法士ちゃんは守護者さんの言うとおりにしよう? お願い。


「ッ⋯⋯そうですね、ごめんなさい」


 流石は守護者さんだ。魔法士ちゃんが大人しくなってくれた。相変わらず僕の太ももの辺りを擦ってはいるが、ノイルくんがノイルさんになる事態は避けることが出来ただろう。


「まったく、癒し手を見習え」


「あら、私?」


 馬車さんと一つ席を空けて座る(魔法士ちゃんの席だ)美しい金髪ブロンドを持つ女性が、おっとりとした声を上げる。魔法士ちゃんと同じくローブを着ているが、薄手の物なのか女性らしい身体つきが強調されてしまっている。


 彼女はこの不思議な空間で、僕が一番最初に出会った人物だ。


「私は今は皆に譲っているだけよ。最初は私とノイルちゃんの二人だけだったものね? 少しは好きにさせてあげないと可哀想だと思って」


 嫣然とした笑みを僕へと向ける癒し手さん。優しげな言葉の筈だがどこか寒気を感じるのは気のせいだろうか。それとも僕のすぐ傍で歯を噛み締めて、癒し手さんを鬼の形相で睨んでいる魔法士ちゃんのせいだろうか。


「随分⋯⋯余裕ですね?」


「ええ」


「滅多に使ってもらえないくせに」


「ええ、でも使うときはノイルちゃんは私の中に全てを注いでくれるわ」


 全てっていうか正確には死ぬ一歩手前のマナだ。

 何でいやらしい感じに聞こえるんだろう。この世は不思議だ。

 魔法士ちゃんが憤慨したように立ち上がる。


「そんなの私もです!」


「いいえ、違うわね。あなた達と私は違うわ」


 確かに違う。

 《癒し手》の場合は本当に限界ぎりぎりまでマナが強制的に搾り取られるが、《魔法士》などの任意にマナを注ぐ魔装は防衛本能で無意識にセーブがかかる。だから《癒やし手》は滅多に使えないのだ。


「だとしても! より多く回数を重ねた分だけ愛は深まるんです!」


「回数よりも、一回毎にどれだけ深く愛し合ったかじゃないかしら?」


「まったく⋯⋯お前たちは」


「なぁノイル、やっぱお絵描きセットだけでも消せねぇかな?」


「うぅ⋯⋯ノイルぅ、違うからね? 私あざとくないもん⋯⋯」


 言い合う魔法士ちゃんと癒し手さん、それを疲れた様子で見ている守護者さん。真剣な目を向けてくる馬車さん、目に涙を一杯溜めて情けない顔で僕に訴える狩人ちゃん。


 彼ら彼女らは皆、三千年も前の過去の人物だと言ったら誰が信じるだろうか? 

 少なくとも、僕はそれが真実だと知っている。


 三千年程前、装人族と魔人族は大きな戦争を行っていた。当時の文明が失われてしまうほどの大戦争だ。結果は痛み分け。

 お互いにそれぞれだけでは生き延びることすら難しい程の痛手を受けた二種族は、協力して戦後を乗り切るしかなかった。その過程でお互いを理解し合い、今では平和に共存の道を歩んでいる。


 現代を生きる者にはもはや殆ど関係の無い、遠い遠い過去の話だ。当然僕だってその一人であるはずだった。

 しかし僕は出会ってしまった。大戦争の当事者達に。

 それが魔法士ちゃんたちである。


 戦時中の魔人族には、一人の絶対的支配者がいた。魔人族の王――魔王と言われる存在である。

 魔法士ちゃんたちは、そんな強大な力を持った相手に挑み――敗れてしまった者たちだ。


 どちらが悪いとは言わない。

 当時は装人族も魔人族もお互いに理解が足りなかっただけだ。自分の信じる正義を掲げ、戦ったにすぎない。それは魔法士ちゃんたちも今では認めていることだ。

 だが、それでも敗れた魔法士ちゃんたちを待っていたのは過酷な運命だった。


 魔王の使用した『神具』に魂を封じ込められてしまった彼女たちは、生きながら永遠の苦しみを味わうことになった。

 後に魔王は装人族の一人の若者――勇者と呼ばれるようになった人物に彼の命と共に封印されることになる。しかし、魔法士ちゃん達は解放されることも、魔王が倒された事実も知ることはなかった。

 変わらず『神具』の中で、苦しみに耐える日々を送るだけだった。


 そんないつ終わるともしれない痛苦から魔法士ちゃんたちを解放したのが、偶然にも幼い頃に釣りをしていた僕である。

 一体どんな奇跡だろうか、彼女たちが封じ込められていた『封魂珠』を釣り上げてしまったのだ。


 淡く怪し気な輝きを放つガラス玉のようなそれを、僕は怒りに任せて地面に叩きつけた。

 釣り場にゴミを捨てる人間が許せなかったのである。

 もちろん割れた破片は回収するつもりだった。


 そんな僕の若気の至りによって解放されたのが魔法士ちゃんたちだった。

 しかし、解放された彼女たちに行き場はなく、近くにいた僕の中へと入り込んだのである。


 珠に封じられているのと何が違うのかとも思うが、魔法士ちゃんたちからすれば苦しむこともなく過ごせる日々はこの上なく幸せだったらしい。


 僕が彼女たちの存在を初めて認識したのは、妹のために魔装を発現した夜であった。不思議な夢の中で初めて癒し手さんと出会ったのだ。

 彼女から様々な話を聞き、僕は現状を理解した。それから新たな魔装を発現する度に、会話が出来る相手は増えていった。


 癒し手さん、守護者さん、魔法士ちゃん、馬車さん、狩人ちゃん――今では僕の掛け替えのない友人たちである。


 彼らは当時のことをあまりよく覚えてはいない。自らの本名すらも。永遠にも似た苦しみは魂を摩耗させるのに充分すぎた。

 しかし、それでも魔法士ちゃんたちは僕の中で確かに生きている。


 そう、僕が魔装をいくつも扱えるのは才能でも何でもなく、なんてことは無い、僕の中にいくつもの魂が存在しているからだ。


 僕が彼女たちを解放したのはもはや思い出せない程に遠い昔の話で、僕にとっては取り立てて特別でも無い記憶でしかない。


 きっとこの夢から覚めればまた忘れてしまうのだろう。

 だから、僕はこの賑やかで騒がしい夢の中では、かつての英雄たちのただの友人であろうと思う。

 そして出来る事ならば、いつか僕からも解放してあげられる日がきたらいい。


 しかし⋯⋯ふと思った。

 そういえば、僕の中の絶対的存在がここにはいない。


「あのさ、そういえば《白の王ホワイトロード》って居ないの?」


 僕が尋ねると、全員がきょとんとした表情でこちらを見た。

 そして顔を見合わせた後、魔法士ちゃんが困ったような表情を浮かべながら答えてくれる。


「もう⋯⋯また忘れちゃったんですか? 《白の王》は、私達の誰でもないんですよ」


「あ⋯⋯」


 僕は間抜けな声を上げた。


「そうです、あれはノイルさん自身の心ですよ。⋯⋯まあ、あの女との共同製作というのは全く面白くないですが」


「はは⋯⋯だね」


 魔法士ちゃんの棘しかない言葉に頷く。


 そうだった。

 あれは他の誰でもない、僕自身の――そうだよな⋯⋯だからやけにしっくりくるんだ。

 まったく、嫌な話である。


 でも、だとしたらだ。


「あの席は? 誰のだろう?」


 僕は正面にある空白の椅子を指差す。てっきり《白の王》のものだと思っていたが、僕自身がそうであるならばあそこには誰が座るのだろうか。


「あら、ノイルちゃんはもう感じているのね?」


 癒し手さんが微笑みながらそう言うが、多分いやらしい意味じゃない。


「ならば、もう時間はかからんだろう」


 守護者さんが腕を組み、鷹揚に頷く。


「あいつもそろそろノイルと話したいだろうしな」


 馬車さんがイケメンスマイルで笑う。


「うぅ⋯⋯」


 狩人ちゃんはまだ泣いている。


「今回ここにノイルさんが現れたのは、その為かもしれないですね」


 魔法士ちゃんが優しく微笑み、僕へと抱き着く。


「でも、覚えておいてくださいね? 私がいつでもノイルさんの一番だって」


「む!?」


 そして、僕の顔を優しく両手で挟み、抵抗する暇もなく唇を重ねてきた。理解の追いつかない内に舌がねじ込まれ絡められる。


「あー!!!」


「は⋯⋯?」


「おいおい⋯⋯」


「まったく⋯⋯」


 狩人ちゃんが大声を上げ、癒し手さんが信じられないほどに目を見開く。馬車さんは勘弁してくれというように顔を逸らし、守護者さんは呆れたように呟いた。


「んっ⋯⋯ふぅ⋯⋯はぁっ」


「ぷはっ、ぁ⋯⋯?」


 離れた口からは銀の糸が引き、その先に居る魔法士ちゃんは頬を染め、恍惚な表情を浮かべている。


「また忘れたら嫌ですよ?」


 そう言って艶やかに微笑む彼女を最後に、僕の意識は不思議な世界から離れていった。

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