第9話 家庭の味
「ねえ、出発は明日でも良かったんじゃない?」
王都イーリストの門を抜け、大橋を渡りきった所でノエルがそう言った。
僕は辺りを見回しながら確かにその通りだと思う。既に日は落ちかけ、辺りは薄暗闇が広がっている。何もこんなに急いで出発する必要はないじゃないか。話を聞いた限りまだカリサ村は村人達で対処できているようだし。
よし、引き返すか。引き返して採掘者協会へと駆け込むのだ。
「問題ない。貴様も早く解決するにこしたことはないのじゃろう?」
踵を返そうとした僕の首根っこを掴んで、店長が言う。
しかしノエルは不安そうだ。
「それはそうだけど⋯⋯馬車で三日はかかるよ? もう夜になっちゃうし⋯⋯それに、馬車は? 準備するって言ってたよね?」
僕らは荷物しか持ってきていない。当然馬車の姿はどこにもないのだが、店長はにやりと笑って僕を離した。
「ノイル、頼むぞ」
「⋯⋯はい」
もう無理だろう。
嫌々ながら僕は右手を前にかざした。
己の中のマナを練り上げ、周囲の魔素を集め、イメージする。自らの望むもの、力の具現化、願いの発現。
「
次の瞬間、僕たちの前に一台の馬車が出現する。二頭の逞しい馬が引く四輪の馬車だ。
三〜四人程は乗ることができるだろう。馬は生物感が感じられず、一切微動だにしない。これはイメージの簡略化なので仕方ない。要は引くときに動いてくれさえすればいいのだ。
「⋯⋯《馬車》です」
魔装を発動させた僕はそう言って二人を見た。ノエルは目を丸くしており、店長は瞳を輝かせている。
「おほー! これじゃこれじゃ!」
一目散に馬車へと乗り込みむ店長、中から彼女の歓声が聞こえてくる。
「ノエルは悪いけど、一緒に御者台の方に乗ってくれる? 僕は道わからないから」
「あ、う、うん」
僕はまだ驚いた様子のノエルに声をかけて御者台に乗り込んだ。
◇
本来なら経由するらしい街を素通りし、夜道を僕の馬車はどんどんと進む。僕のマナはガンガン削れていく。
「えーじゃあこれでも見えるの? ねぇねぇ?」
「うん、見えるよ」
隣でノエルが明かりを消し、暗闇に包まれた前方を指差しながらはしゃいだ様子で尋ねてくる。
僕はマナにより視力を強化する。僕のマナはガンガン削れていく。
王都を出発してから数時間、道中彼女と会話したことで僕の評価はなんとか挽回できたらしい。思えば出会いが最悪だったので、お互いをよく知らない内は悪印象を抱かれても仕方なかったのだ。
何だよ引きずられて魚抱えた姿って。どうやったらそんな出会いになるんだよ。
まあ今では打ち解けられたので良しとしよう。どことなく「仕方ない人だから、私が広い心を持ってあげなきゃ」という雰囲気を感じるが、きっと気のせいだろう。気のせいにしておこう。そうしないとマナどころかメンタルまでガンガン削られそうだ。
とにかく、今ではマブダチだと言っても過言ではないだろう。
店長? 知らない。多分絵でも描いてるんじゃないかな。
僕は今無邪気なノエルに癒やされているんだ、嫌なことは思い出したくない。
しかし、マブダチにこの狭い御者台は心苦しい。ここは元々は僕一人用なので二人で座るには少々手狭だ。広々と座れるようにはしたので二人でも座れるのだが、どうしても身体が触れ合ってしまう。
まあノエルに気にした様子はないのでいいか。僕の能力の限界なので諦めてもらおう。
「うーん、すごいなぁマナって。ね? 私にもできるかな?」
「出来るはずだよ。個人差はあるけど、マナは誰でも持ってるから」
感心したように再び明かりをつけるノエルに説明しながら、ポーチからもう何本目かのマナボトルを取り出し一気に飲み干す。うーん、草と石の味。
基本的に何を食べても美味しい、凄く美味しい、普通の三種類しか感じない味覚音痴の僕だが、草と石を口に直接流し込まれると流石に文句も言いたくなる。しかも泥付きのままだ。
けれど飲まなければ僕のマナはガンガン削られていく。飲んだとしてもガンガン削られていく。
「意識してなくても普段から使ってるんだ。例えば、物を持つ時とか。そういう時に、筋肉とは別の力をイメージする感じ。そうだなぁ⋯⋯血液を流し込むような感覚かな⋯⋯」
次のマナボトルをポーチから取り出しながら説明する。自分で言っていてなんだがよくわからないなこれ。僕は何かを人に教えるのが下手らしい。魔導学園でも座学の成績は悪かったから仕方ない。
まあマナによる身体強化はマナを扱う上での基礎中の基礎だ。マナは自分の一部なのでその存在を意識さえすれば、個人差はあれどマナが勝手に応えてくれる。そしてマナの存在を感じ取ることが出来ればあとは感覚だ。
そう、今まさにガンガン削られていってるのを感じるようにね。
そう思いながらマナボトルに口をつける。うん、庭の味。
「うーん、そっかぁ⋯⋯んと、こんな感じかなぁ⋯⋯⋯⋯あっ! うそ! 本当だ! ちょっとよく見える」
うそ! 本当に!? ちょっとよく見えたの!?
思わずマナボトルから口を離し、ノエルをまじまじと見てしまう。彼女は感動したように前方の暗闇を見つめていた。
いくら基礎中の基礎だとはいえ、今までマナを意識してこなかった人間がいきなり身体強化を成功させてしまうとは驚きだ。
参ったな、僕は天才を育ててしまったのか。ノエルにも驚きだが、僕の人を指導する才能も捨てたものじゃないかもしれない。
「ね! これ出来てる? 出来てるよね!」
ノエルがこちらに顔を寄せて愛らしい目を輝かせている。興奮しているのか、ただでさえ狭い御者台の上なのでお互いの距離はかなり近いのだが、それに気づく様子もなさそうだ。
それほどテンションの上がっているノエルには悪いのだが、僕には身体強化が成功しているのかの判別はできない。見た目に変化はないからね。店長ならわかるだろうけど。
「ねぇ、さっきから何飲んでるの?」
何と応えるべきか悩んでいると、ノエルの視線が僕の飲みかけのマナボトルへと注がれた。
「ああ、マナボトルだよ。消耗したマナを回復できるんだ」
僕はマナボトルをノエルの顔の前に持ち上げて説明する。
「あ、聞いたことあるかも⋯⋯凄く不味いって」
不味いっていうかあれだよ、庭の味がするだけだよ。良く言えば家庭の味だよ。
「飲んでみる?」
僕はにやりと笑い瓶を揺すった。
「え、でもそれって高いんでしょ? そう聞いたけど⋯⋯」
いいんだよ。
マナボトルは品質によって値段が変わる。確かに僕が飲んでいるものは財布に優しくないお値段だけど、どうせ店長のお金だし。言ってみれば経費だ、そう経費。その財源がどこから来ているのかは謎だが、あの人『神具』をぽんと使えるほどお金持ってるし。これくらい安い物だろう。
今だってこんな物飲ませてまで僕に馬車を走らせているのだから、ちょっとくらい構わないさ。決して無駄な出費を増やす嫌がらせをしているわけではないよ。
僕は爽やかな笑顔をノエルに向ける。
「気にしなくていいよ」
彼女は僕の言葉を聞いても少し迷っていたが、やがて興味が勝ったのかおずおずとマナボトルを受け取った。
しかし、ノエルは中々飲まない。
僕がどうしたのかと思っていると、彼女は小さな声で聞いてくる。
「これ、飲みかけだよね⋯⋯?」
「⋯⋯⋯⋯? ああ」
一瞬それがどうしたのかと思ったが、よくよく考えてみればノエルは女の子だし僕の飲みかけなんか嫌だよな。普段僕の周りの人達はそういったことをまったく気にしないので、感覚が麻痺していた。
店長は言わずもがなだし、後輩であるフィオナは気づけば僕の飲み物と自分の飲み物を取り替え、「ごめんなさい先輩。こっちのほうが美味しそうだったのでつい」と言う。どちらも同じ時も取り替えるのは不思議だが、きっと彼女にしかわからない何かがあるのだろう。鮮度とか。
「ごめんごめん。忘れてた」
「い、いいよいいよ! これ飲むから!」
僕が謝って新しいマナボトルを取り出そうとすると、ノエルが慌てたようにそれを止める。
「え、でも嫌でしょ?」
別にいいんだよ? 店長のお金だし。
「もったいないし、我慢する」
そう言ってノエルは思い切ったようにマナボトルを勢いよく煽る。
我慢できるほどではあるがやはり嫌だったらしい。わかっていたことだが僕は少しだけ悲しくなった。言葉にされて耐えられるほど、僕のハートは強くない。
「ぶっ⋯⋯ごほっ! こほっ⋯⋯!」
マナボトルを飲んだ瞬間ノエルは目を見開いて吹き出す、かなり苦しそうだ。僕の飲みかけだからではないと信じたい。そうしないとメンタルがガンガン削られてしまう。
「おぇぇ⋯⋯」
嘔吐くノエルの背中を擦っていると、やがて彼女は目に涙を溜めてこちらを見る。
「⋯⋯⋯⋯なんか庭みたいな味がするぅ⋯⋯」
僕は思わず笑みを浮かべた。
「家庭の味だよね」
ノエルにぺしぺしと肩を叩かれた。
◇
「うわぁ、凄いねこれ。どんどん良く見えるようになる」
ノエルが家庭の味を堪能してからしばらく経って彼女はそう言った。
凄いのは君だよ、と僕は思う。
あれからノエルは僕からいろいろと身体強化のコツを聞いたりしながら試行錯誤していたのだが、どうやら早くも視力の強化をものにし始めていた。
まったく恐ろしい才能だ。ノエルも僕も。
「ノエルは才能があるね」
素直に称賛すると、彼女は嬉しそうに顔を輝かせる。
「ほんと!? やったぁ! それじゃ、ノイルみたいに魔装も出せるようになるかな? こんな風に速くて揺れも全然ない馬車とか出せたら便利だし」
「出来ると思うよ。まず身体の中のマナを練り上げて、周囲の魔素と繋ぎ合わせる。それが出来たら、具現化したい魔装をイメージして願う。魔装が発現すれば成功だ」
自分のマナと魔素を繋ぎ合わせるのがまだマナをコントロールし始めたばかりのノエルには難しいかもしれないが、そこは僕も感覚でしかやっていないので、あまり上手く説明出来ない。強いて言うなら僕は吸収するイメージでやっている。
僕の説明を聞いてノエルは慌てたように手を振って笑う。
「え、ちょ、ちょっと⋯⋯冗談だよ? そんな簡単に出来るものじゃないって、私でもわかるから」
「いや、でも本当それだけだから、ノエルなら出来るかもよ?」
別に僕はどうせ無理だからやってみろと言っているわけではない。
言葉に嘘はなく、出来る人は直ぐに出来るし、出来ない人はいつまで経っても出来ない。それが魔装だ。
「本気で言ってる?」
「うん、本当だよ。あ、でも気をつけて。創り出す魔装はよく考えて決めたほうがいいから」
目をぱちくりと瞬かせ尋ねてくるノエルにそう言った。
僕みたいに店長に言われたからって馬車とか出したらダメだよ。
絶対に後悔することになるからね。
「そうだなぁ⋯⋯」
せっかくだし、ノエルに魔装がどういったものであるのか説明するとしよう。
僕は疑うような目をしている優秀な教え子に、優秀な教師のように振る舞うのだった。
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