第8話 スライム


 何か失礼なことをしたかな?


 目の前で、親の敵かのように自らの作った料理に何度もフォークを突き刺しているノエル・シアルサ――ノエルさんを見て、僕はそう思っていた。


 店長が長い間待たせてしまったので、できる限り失礼のないよう振る舞っていたつもりだったのだが、何故か彼女の機嫌はどんどん悪くなっていっているように見える。

 せっかく退屈しないように料理することまで勧め、僕にしては良い考えだったと思っていたのだが⋯⋯料理も褒めたのにおかしいな。


 まあ、待たされてまで登場した男が僕みたいな人間だったらそりゃ僕も怒るよなと納得する。悲しい話だね。

 僕としては名前が似ていることで親近感を覚えていただけに残念でならない。

 しかしここで怒って帰ってくれるなら、それはそれでありかもしれない。仕事がなくなれば万々歳である。


「それで⋯⋯! 依頼の内容だけど⋯⋯ッ!」


 ああ、話すのか⋯⋯。

 相変わらずフォークを突き刺し続けるノエルさんはどうやら帰る気はないらしく、依頼の内容を話始めた。

 まあこれだけ待たされてそうそう簡単には帰れないよな。まったく、店長はもう少し人のこと考えないとダメだよ。


「ん? 何じゃ?」


 腕を組んで深くソファに座っている店長に非難の目を向けると、店長は何もわかっていないようだった。困った話だね。


「こっちを⋯⋯見てよッ!」


「あ、はい」


 一際大きな音を立ててフォークを突き刺したノエルさんからそう言われて、僕は慌てて視線を戻した。

 何か凄く怖い。初めは敬語で話してたのに今はそうじゃなくなってるし、これ以上怒らせたら次はこちらにフォークを突き刺してきそうだ。


「そんなに慌てなくとも、話はちゃんと聞くぞ?」


 お願い店長、今は黙っててもらえます? これ以上怒らせないでお願い。

 ほらノエルさん顔真っ赤じゃん。ぷるぷる震えてるし、そろそろやばいってこれ。

 しかし僕の予想とは異なりノエルさんは一度ぐっ、と何か言いかけたあと、大きく息を吐いてソファに深く座り込んだ。

 どうやら一周して冷静になったらしい。


「⋯⋯あなたたちがふざけた人たちってことは良くわかった」


 言われてますよ店長。

 隣を肘で小突いてやると、何故か店長に楽しそうに小突き返されたのでもう一度小突き返す。

 すると店長は何故か嬉しそうに僕の脚の間へと移動してきた。なんだこの人。


「何じゃ、やりたかったのならそう言えノイル。よし、特別に我の髪を触らせてやろう」


 別にそういう意味ではなかったのだがと思いつつ、そう言えば今日はやってなかったなと僕はポケットから櫛を取り出す。店長の髪を梳くのは僕の仕事の一つだった。

 滑らかな髪を手に取り梳き始める。毎度思うが何故僕と同じ洗髪料シャンプーを使っているはずなのに、こんなに良い香りがするのだろう?

 そもそもの出来が違うってことだろうか。悲しい話だね。


「何⋯⋯やってるの⋯⋯?」


「あ、すいません。気にせずどうぞ」


 話を遮られたからか、ノエルさんの機嫌がまた悪くなってきたので髪を梳きながら僕は謝り、話を続けても大丈夫ですよと笑顔を作る。

 店長は気持ち良さそうにしていた。


「できるわけないから!」


 何故かノエルさんが爆発する。驚きながらも僕は手を動かす。

 店長は気持ち良さそうにしていた。







「ほぅ⋯⋯スライムか」


「うん、その⋯⋯やっぱりおかしいよね?」


 依頼の内容を聞いた店長は興味深そうに顎に手を当てた。ノエルさんは不安そうな表情を浮かべている。もう僕らに遠慮するつもりはないのか、敬語は完全に取れていた。

 まあ僕も店長もそんなことを気にする性分ではないので、素で話してくれたほうがむしろやりやすい。


「たしかにのぅ」


「スライムの大量発生、か」 


 ふむ、と僕も少し考えてみる。


 スライムは魔物の中でも最弱と言われている存在である。その動きは緩慢で身体も脆く、物理、火、雷、冷気――あらゆるものに弱い。そしてゼリー状の体内にある核が破壊されると死滅してしまう。逆に核が破壊されなければ再生するとも言えるが、弱いものが何度蘇っても結局弱いのであまり意味がない。


 ただのスライムであれば子供ですら戯れに倒すことができるほど弱いので、核を壊さずひたすら殴ったり棒で突いたり引き裂いてみたりと、中々バイオレンスな遊びが繰り広げられたりする。子供って無邪気で残酷だよね。


 意思があるのかもよくわかっておらず、外敵に対してそれなりに抵抗する個体も居れば、まったく抵抗することもない個体もいる。

 何のために生きているのか、彼らは四六時中ただゆっくりと這い回っているだけだ。

 お前の人生スライムみたいだな。という罵倒の言葉もあるくらいだ。


 そんなスライムだが、一応脅威になり得ることもある。まず成長し、巨大化した個体はマザースライムと呼ばれ子供がその体内に取り込まれ、溺れるという事件がそれなりの数発生している。いくら脆い身体と言ってもその体内に捕らえられてしまえば、力の弱いものでは脱出することが困難になるのだ。マザースライムは長年生き抜いてきたからか外敵への抵抗もしっかりと行うため、積極的にこちらを取り込もうとしてくる。


 次に、スライムが持つ特性による脅威だ。

 彼らは何でも食べる。体内に取込みゆっくりと溶かして自らへと取り込む。驚くべきことだがもし無限に時間があれば、理論上はドラゴンすらも溶かすことが可能なのだとか。だがそれ自体は机上の空論でしかないので、脅威とは成り得ない。

 問題なのは、食べたものの特性を取り込み高める、という点だ。


 毒を食べれば毒を持つようになり、俊敏な生き物を食べれば素早さを得る。岩石を食べ続ければ物凄く硬い個体も生まれるだろう。

 しかしだ、彼らはやはり知能がないのか基本溶けやすい物しか食べないし、素早い生物など捕らえる術がない。おまけにあまりに複数の物を食べると特性を得る事はなく、純粋に巨大化していくだけになってしまうようだ。雑食なスライムさんは残念ながらぶくぶく肥え太るだけである。


 だがごく稀にグルメなのか何なのか、特定の物しか食べないスライムも現れる。その代表格が毒草や毒虫を食らうポイズンスライムだ。

 この個体は巨大化するのではなく、純粋に体内に毒を溜め込み恐るべき猛毒を持つようになる。まあ野生では殆ど発生しない上に、結局本体は弱いので簡単に触れることなく処理できる。

 しかし見た目が普通のスライムと大差ないため事故が多い。子供にはスライムは素手で触るなと言いつけましょう。まあ触っちゃうけどね、僕も子供のころスライムで遊んだりしたし。


 こんなスライムの特性を活かして、スライム美容液なる物が女性の間では流行っている。

 スライムの持つ食べた物の特性を高めるという点を活用し、お肌に良い素材のみを厳選してスライムに食べさせ続け、充分育ったところで核を壊すとその体液は極上の美容液となるのだ。

 このように様々な応用が効きそうな特性があるスライムだが、特性を高めるという性質も当然の如く個体差があるため、あまり使い勝手が良いわけではない。

 スライム美容液も高級品だ。今度まーちゃんにプレゼントしようかな。


 そんなスライムさんは、基本的には集団で行動することはない。そもそもそんな知能はないからだ。

 マザースライムから分離したばかりのスライム達が一箇所に集まっていることはあるが、彼らはその内四方へと散っていく。特に目的もなく自由奔放に動き回り、好きな物を好きなだけ食べ生きていくのだ。正確には好きな物ではなく目の前の物を食べるだけなので悲しいかな、あまり長い間集まっていると共食いも始まる。いや、多分何を食べているのかもわかっていないのだろう。


 なのでよほどのことがない限り、スライムの大量発生などあり得ないのだ。

 しかもノエルさんの話では、大量のスライムが処理しても処理しても次から次に村の周りに現れるらしい。


「とんでもなくでかいマザースライムが現れたとか⋯⋯」


「村の周囲は調べてみたって言ったよね? そんなのが居たら見つかってないとおかしいから」


「あ、はい」


 頭使ってよと言わんばかりの物言いに悲しくなる。何かノエルさんの僕への当たりが厳しい。


「敬語も止めてよ。もう私も使わないから」


「あ、うん」


 僕は彼女に何かしてしまったのだろうか。

 心当たりが無いこともないが、基本的に彼女に迷惑をかけたのは店長であって僕ではないはずだ。なのに何故か店長よりも僕に厳しい。

 おかしいな、僕は女性には紳士的な振る舞いを心がけているというのに。

 仕方ない、ここは僕への評価をこれ以上下げない為にもクールに振る舞うとするか。


「む?」


 僕は店長の髪を梳くのを止め、脇に手を入れて持ち上げると彼女を脚の間からどける。

 そしてゆっくりと脚を組み顎に手を当てた。


「となると、だ」


「となると?」


 僕はクールな笑みを浮かべる。

 ノエルさんが何事かと訝しむ目を向けてきた。僕は肩を竦める。


「僕にはさっぱりだね」


「何でかっこつけたの?」


 じと目で睨まれた。

 おかしいな、潔さを演出できたと思ったのに。素直に自分の無力を認める大人な振る舞いだと思ったのだが逆効果だったようだ。


 もうどうしようもないので、店長に助けを求めることにする。


「店長、何かわかります?」


 尋ねると、店長は僕の脚の間に戻ってきて袖を引っ張る。どうやらまだ続けろということなのでしまった櫛を再び取り出して髪を梳く。


「あなたたち付き合ってるの⋯⋯?」


 ノエルさんもといノエルが呆れたようにそう言ってくるが、そんな訳ない。喩えるならあれだ、主と奴隷だよ? 悲しくなってきた。

 店長はノエルの発言を気にした様子もなく腕を組む。


「わからんのぅ。大量発生だけなら偶然に偶然が重なればあり得るじゃろうが⋯⋯解せぬのはその全てが村に向かってくるというところじゃ」


 確かにそうだ。倒しても倒しても大量のスライムが湧いてくること事態も異常だが、問題なのはスライムがカリサ村へと集まって来ることだろう。


 それではまるで、そのスライム全てが明確な意思を持って目的に向かって行動しているとしか思えない。

 カリサ村に何かあるのか? しかしノエルの話を聞く限りではカリサ村は普通の村らしく、スライムが現れ始める前も特に変わったことはなかったらしい。

 何よりも、大量のスライム全てがポイズンスライムのような希少な特殊個体とでもいうのか。考えれば考えるほどあり得ない話だ。

 

 ふむ、なるほど。これはつまりだ。


「採掘者協会に行ったほうがいいんじゃ?」


 お手上げだ。

 店長にもわからないならもうどうしようもないさ。決して面倒くさそうとか思ったわけじゃない。


 これはそう、親切心だ。

 こんな素人しかいない店よりも、その道のプロに依頼したほうがいいに決まってる。採掘者マイナーの中にならいるでしょ、ほら⋯⋯スライム専門家とかさ。いるかな?


 とにかくだ、時間を取らせてしまって申し訳ないが、採掘者協会を頼るべきだと僕は思う。決して厄介事に巻き込まれたくないわけではない。

 薄情? 違うよこれはむしろ優しさだ。

 あとはスライム専門家さんに任せよう。


「はぁ⋯⋯やっぱりそうだよね⋯⋯でも⋯⋯」


 でも? でも何だ? 何か採掘者協会を頼れない理由でもあるのか?

 ああそうか、怖いのかな。確かに最初はちょっと不安だよね。手続きとか難しそうだしさ。大きな組織に依頼を出すのって緊張しちゃうしね。でも大丈夫だよ、きっと『白の道標ホワイトロード』よりはずっと相談しやすい場所だよ。


「金の問題かのぅ?」


「うん⋯⋯」


 ⋯⋯⋯⋯ああ、そっちか。そりゃそうだよね。実はそうだと思ってたようん。


「大丈夫じゃないかな? 緊急事態っぽいしどちらにしろ調査も必要だからそんなにぶべっ!」


 僕が親切に教えてあげようとすると、店長が顎に頭突きを食らわせて来た。舌を噛んでしまったので凄く痛い。

 ねえ、何すんの? 凄く痛いよ。


「ならばその依頼、『白の道標』が引き受けようではないか! なに、心配するな、報酬は出せるもので構わぬ。金じゃなくともよいぞ」


「い、いいの⋯⋯?」


「ほふないよ」


 良くないよ。

 舌を噛んでしまったので上手く喋れない。


「うむ! では早速現地へ向かうとするか。先ずは直接この目で見てみなければわからぬからのぅ」


 僕を無視して話がどんどん進んでいってしまう。なんとか止めようと、じくじくとした舌の痛みに耐えながら頭を回転させる僕の前で店長が立ち上がり、振り返った。

 ずいと顔を寄せてくる。


「馬車で向かうぞ、ノイル準備しておくのじゃ」


「⋯⋯ふぁい」


 紅玉の瞳に宿る好奇心の光を見て、僕は諦めて間抜けな返事をするのだった。

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