五蘊の本。

御手洗孝

終わりの始まり。


 生とは何ぞ。

 死とは何ぞ。

 絶とは何ぞ。

 望とは何ぞ。

 欲し欲される望みが尽きるは何時か。

 終わりなくぐるぐる廻る螺旋の如く。

 我、何故に此処に生まれん。

 我、何故に此処に去らん。




 腿裏まで有る長い黒髪に、白く肌理の細かい肌を持ち、見惚れるような体の曲線と。

 誰もが魅了される容姿をした女が、地上からはるか上空にあるビルの最上階、その窓から外界を見下ろしていた。

 半分開かれた瞳を横に流せば、其処に佇むのは1人の紳士。

 女の視線を受けた紳士は腰を曲げ、女の唇が動いて命令が下されるのを待っている。

 女はその様子を分かっていながら言葉を発することはせず、口角を瞳に向かって持ち上げ妖しげな、けれどもどこか悲しげな笑みを浮かべて窓の外に視線を戻した。

 高く、天にも届くのではないかというそのビルを中心として、地上には放射線状に道路があり、そして、その隙間を埋めるように建物がひしめき合っている。

 街全体は円形で、街の終わりにはビルよりも少し低い壁が存在していた。壁の向こうには黄色い砂と緑の森、そして青い海が広がる。

 すでに人と呼ばれる存在の者達が生きていけるのは高い壁に囲まれたこの街の中だけ。そしてその存在は間もなく絶せようとしていた。

「お前と出会ってもう何年になるかしら?」

 女が鈴のように美しく澄んだ声を発する。

 腰を折ったまま言葉を待っていた男は、思っていた言葉とは違った言葉が吐き出されたことに驚きながら、ゆっくりと頭を上げた。

 そして、女の白くわずかに肩甲骨が浮かび上がる美しい背中に視線を送る。

「そうですね、一つの世紀は跨いだと思いますが。申し訳ございません、私はそんな細かいことは気にしない性質ですので詳しく言えと言われても無理な話でございます」

「そうね。お前はそういう奴だわ」

 男の答えを予想していたと言わんばかりに窃笑して、ガラスに映る自分自身の瞳の奥を覗き込むように再び女は黙り込んだ。

 男は一体今の質問に何の意味があるのかと首をかしげ、己の求める言葉が女の口から一向に発せられぬ事にたまらず頭を再び深く下げて女に聞く。

「次はどのようなご命令が私に下されるのでしょう?」

 命令という言葉に肩を少し揺らした女だったが、ガラスに映る自分に小さな嘲笑を浮かべ振り返ることなく、同じガラスに映っている男の姿を見つめてゆっくりと色鮮やかで花弁のような唇を動かした。

「次。そうね、次は、無いわ」

 無いといわれ、ガラスに映った男は慌てて頭を上げて女を見る。

 ガラスを媒介に自分を見つめる女の瞳。

 その力強さに気圧されながらも男は首を横に振って女に近づく。

「無いですって? 何を言ってらっしゃるのか私には全く……」

「わからないとでも言うの? お前ほどの者がこの私の言葉の意味を」

 小馬鹿にし、鼻で笑いながら放たれた女の言葉に、男は眉間に皺を寄せ不快感を露わに歩を止めた。

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