第33話 収穫

 多村はカーナビに逢友社の新しい住所を入力した。マイカーが独り身には広いステーションワゴンなのは、娘のしおりが生まれるのに合わせて買ったからだった。ベビーカーを積むためもその必要はなくなったし、3人で乗ることも3人分の荷物を積むこともなくなったが、買い換えようと思いながら、忙しくしているうちにずるずる時間が過ぎていた。

 思い出もあった。熱海に旅行へ行った車中で、3人で『犬のおまわりさん』を歌った。栞はまだ言葉が拙く、つっかえながら一生懸命歌っていた。あの時も冬で栞はピンクの毛糸の帽子をかぶっていた。


 クリスマスのイルミネーションが煌めく通りを横目に車を走らせた。栞にはクリスマスプレゼントを送ってある。電話で聞いた欲しいものは、人気アニメのキャラクターになりきれるドレスだった。幸い『別れの哀殺』のDVDより高価なもので、父親の役目を果たせたと安心した。早く到着してしまうが、24日に渡してくれと伝えてある。ドレスを着た写真が、自分へのプレゼントだ。



 カーナビが目的地周辺と伝えた。公式サイトには事務所の所在地として「マンションサンフラワー・B1」と書かれていたが、地下1階ということは前と同じで事務所兼稽古場で間違いない。事務所だけならあえて地下は選ばないだろう。

 サンフラワーに到着すると、道の向かい側に車を止めた。顔を知られているから、うかつに外に出られず、車内から外観を眺めた。夜になっていたが煉瓦色のマンションであることが分かった。1階が美容院になっていて、その灯りが辺りを照らしている。


 美容院の横に見える階段を降りたところに稽古場があるようだ。

 前と違い、窓の灯りで中をうかがい知ることが出来ない。今も中に人がいるかどうか分からなかった。


 時刻は7時を回ったところ。稽古があるなら誰かしら中にいてもおかしくないが、今日は様子を見に来ただけだから、車に乗ったまましばらく眺めていた。

 1階の美容院はこぢんまりとした店で、近所のご婦人たちを相手にしているといった様子。今も中年の女性客がカットされている。美容師と談笑する姿は長年通う常連客を思わせた。

 マンション自体新しいものではなく、稽古場に使うのだから広いスペースが必要だが、以前は何に使われていたのだろう。2階から上は普通の賃貸マンションのようだ。


 不意に階段の下から人が上がってくるのが見え、多村は慌ててシートに身体を沈めた。長身で細身に眼鏡を掛けている。逢友社の若手俳優・近藤武史だ。近藤は階段を上ると道を渡って車が止まっている方に来た。多村はとっさに手で顔を覆ったが、気付いた様子はなく、自販機でペットボトルのドリンクを買って、稽古場に戻って行った。

 多村は手のひらに汗をかいていた。あの映像を撮影していたこの近藤こそ、多村が目をつけた標的だった。


 近藤からなら、自供を引き出せる気がしていた。


 現役の大学生で、国村里沙と同い年ぐらいのまだ二十歳前後で逢友社では最年少だろう。まだ大人になり切れていない顔は、文化系の気弱そうなタイプに見えた。


 近藤は、殺人に関与したことへの罪悪感や、捜査の手がせまることへの不安を抱いているはずだ。それは劇団全員に言えることだが、若い彼ならその思いは一際強く、在籍歴が短い分、劇団への想い入れも他の団員より薄いはずだ。


 いままで幾度となく凶悪事件の捜査や取り調べを担当した。その時に培ったやり方を駆使すれば落とすことができる。少し脅かせば口を割る。多村にはそんな目論見があった。


 そして今の僅かな時間に思わぬ収穫があった。近藤の上着はスポーツブランドのジャージだったが、下に履いていたスウェットの裾に『ASUKA UNIV.』とプリントされていた。


 大学名の入ったスウェットを部外者が履くとは思えない。カーナビで検索すると飛鳥大学はここから20キロ弱。電車だと3、40分ほどか。授業が終わってからでも十分に通える距離。近藤は飛鳥大学の学生である可能性が高い。


 飛鳥大学へ行く価値はありそうだ。僅かだが光が差してきた。多村はエンジンをかけてその場を後にした。

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