第31話 捜査
多村はエレベーターを待っている男に声をかけた。グレーのステンカラーコートの後ろ姿は本郷東警察署刑事課長の
「少しお時間をいただけますか」
振り返った片山は多村より5歳上だが顔の肌つやが良く、頭髪も多いせいで、実年齢よりも若く見える。がっしりとした体形で背も多村より高かった。
「見てもらいたいものがあるんです」
答えが返って来る前に言ったのは断らせないためだ。片山は一つ頷くと、開いたエレベーターに背を向け、多村の後についてあの部屋に向かった。エレベーターは無人のまま下へ降りて行った。
「寒いところですみません」
部屋に入り、多村はエアコンのスイッチを入れた。椅子をすすめると、片山は脱いだコートを背もたれに掛けて座った。
「劇団の稽古場で、劇団員が見ている前で飛び降り自殺した事故があったんですが、覚えていらっしゃいますか?」
その質問に、片山は宙を見詰めてから思い出したように頷いた。
「それがどうかしたのか?」
「僕は臨場しなかったんですが、自殺する様子が撮影されていました。その映像を見て、自殺と認定されたことに疑問を抱き、個人的に調べていました」
片山は、個人的に、という言葉に笑みを浮かべた。
「お前らしいと言えばお前らしいけど、それで?」
「まずその映像を観ていただきたいんです」
片山も現場臨場していなかった。飛び降りる姿が撮影されていた話は耳にしていたが、自殺と認定されたため首を突っ込むことはしなかった。多村はマウスを動かし映像を再生した。エアコンから暖かい風が流れてきた。
片山はじっと画面に見入っている。多村はその様子を後ろから見詰めていた。逢友社の団員たちのざわめきが部屋に響いていた。
「いかがですか」
映像が終わると多村は問いかけた。
「自殺と断定してしまうには不自然さが感じられるのですが」
映像の終わった画面に顔を向けたままの片山の背中に多村は続けた。
「稽古を撮影すること自体はよくあるそうですが、肝心の稽古はほとんど映っていません。御覧のように口論ばかりです。口論の最中もカメラは回りっ放しでしたでした。が、飛び降りの直前では止まっています。この映像には自殺は映っていません。私は、劇団員たちは自殺に偽装して会田を殺した、と考えています。この映像はその偽装工作の一環です」
振り向いた片山に、多村は事件のあらましを推理を交えて語った。
劇団逢友社は看板俳優・柳田優治、そして柳田が演出脚本を手掛けた舞台『別れの哀殺』によって人気を集めた。しかし柳田が自殺、『別れの哀殺』の再演も叶わず、会田安宏のもとで逢友社は低迷の一途を辿る。柳田の自殺を招いた張本人でもある会田に対し、劇団員たちは憎しみを抱いた。
やがて滝沢淳の主導で会田の殺害を計画するに至り、飛び降り自殺のシーンがある台本を利用することを思いつく。都合よく会田がよその舞台に出演し、劇団を留守にしたため、入念な打ち合わせをして計画を実行に移した。
舞台を終え帰京する会田から、稽古場へ行くと連絡があったのだろう。それに合わせて劇団員は計画通り一芝居打った。まず舞台の稽古を装い、新人女優にダメ出しする。これは直接会田の殺害には関係なく、国村里沙を気の弱い女の子という印象をつけ、のちの告発に説得力を持たせるため。
会田が現れたところで、エチュードを始める。まんまと乗っかった会田に、ピンハネやセクハラを認めさせ、自殺の動機とする。ここで国村の演技力がいかんなく発揮される。
最後は飛び降りのシーンを演じさせ、突き落とす。そして台本を書きかえ、一部始終を撮影することで、自殺である証拠とした。
葬儀や稽古場を訪ねた時の様子、初日の公演後に目にしたものも言い添えた。
多村がそうだったように片山も演劇に明るくなく、エチュードや2つの台本を使ったトリックを説明するのは苦労したが、理解してくれたようだ。
「いかがですか」
その問いに、片山は椅子に座ったまま多村を見上げて言った。
「確かにその話には説得力があるな。あながち的外れとは言えない」
ただ、と続けた。
「状況証拠ばかりだ。物証はあるのか」
多村は首を振った。殺人との判断は推理によるもので、物証はないに等しい。この映像も推理に一役買ったに過ぎず、殺人の証明にはならない。
片山にはそれが予想通りだったようだ。
「自殺と認定されてかなりの時間が経過している。遺体だってとっくに火葬されているだろう。それを今からひっくり返すのは至難の業だ。決定的な証拠でもない限り、手を付けるのは難しい。分かるだろ?」
その通りだ。多村も分かっている。それがもどかしかった。
「お前の推理が正しければ、この滝沢と言うのはかなり周到な人間だから、証拠になりそうなものはとっくに処分している。自供でも取れれば事態が変わるかもしれないが、口裏合わせも十分に済んでいるだろう。何にせよ、捜査を始めるには時間が経ちすぎている」
口では、あながち的外れとは言えないと言ったが、本心では多村の推理を大筋で認めていた。本来なら殺人事件として捜査すべきで、自殺と認定したのは誤りと思えた。
迷宮入りと言われる未解決事件には、初動捜査のミスが少なくない。初動で躓いてしまうと、一気に解決が難しくなる。ましてや本件は殺人としての捜査すらしていなかった。
「手を引いた方がいいですか」
状況は殺人と物語っている。自殺に偽装した仕掛けも見抜いた。これ以上何が出来るのか。片山の言う通り、これから物証が出て来ることは期待できなかった。
二人の間に沈黙が流れた。エアコンの風が顔に当たっていた。
「俺の口からは、続けろともやめろとも言えない」
片山は立ち上がってコートを羽織った。
具体的な指示など出来るはずもないことは多村にも分かっていた。
「お忙しいところありがとうございました」と頭を下げると、片山は部屋を出ようとして、立ち止まった。
「でも殺された可能性があると分かった以上簡単に手は引けないよな」
横目でそう言い残して部屋を後にした。
多村の耳には、まだ手を引くなと聞こえた。この件は誰の命令を受けたわけではなく多村が独自に調べていることだ。片山も指示する立場にないのがもどかしく、殺人として捜査する決め手を見つけてこい、と言いたいのを飲み込んでいた。
多村は空いた椅子に腰を下ろし、頭の後ろで手を組んだ。現時点で捜査を開始するのが難しいのは百も承知だった。
しかし絶望したわけではなく、逆に開き直れた。もうやれることは限られている。それだけやって駄目なら手を引けばいい。
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