第29話 締め
翌日の昼休み、多村は劇団『ひいらぎ』の江木に電話をかけた。昨日かけたかったのだが夜が更けていた。先日レッスンの邪魔をしてしまったばかりで、日を改めることにした。
「お疲れ様です」
江木の滑舌のいい言葉が耳に届いた。先日のことを詫びたが怒っている様子はなく、「お役に立てて光栄です」と言ってくれ、江木の人柄が伝わってきた。
多村が訊きたかったのはエチュードの終わり方について。
先日のカルチャー教室では3分間と決まっていたが、あれはあくまでも初心者向けのもので、時間制限なしでやることもあると江木は話していた。その場合はどうやって終わらせるのか。
ネット検索すると、エチュードに関する記事はいくつもあったのだが、終わり方について書かれたものは少なかった。明確な終わりは必要ないものかもしれない。頃合いを見計らって打ち切りにする、あるいは周りで見ている人間がストップをかける、といったところか。
終わり方に触れたものもいくつかは見つけられて、まずは江木のワークショップ同様あらかじめ時間を設定しているもの。時間になると終了となる。
次にシチュエーションを終えると終了になるもの。エチュードにはいくつかお決まりの設定があり、その一つの「椅子取り」は椅子に座っている人間を上手く言いくるめて立ち上がらせれば終了となる。これも一般的な方法のようだ。
多村が注目したのは、あらかじめ最後のセリフを決めておく、というものだった。「ありがとう」なら、エチュードの最中、誰かが「ありがとう」と言った時点で終了となるわけだ。
例の映像がエチュードだったとすれば終わりがあったはずで、それこそが会田の飛び降りにつながっていただろう。即興劇であるエチュードを逆手に取ったように作り込まれたあの映像は、どこかにラストにつながるセリフが隠されているのではないか。
多村には心当たりがあった。
会田がピンハネを非難されている場面で滝沢が声を上げた。
『それでも俺は逢友社を愛しているんだ』
脈絡がないとは言い切れないものの、劇団愛を叫ぶには唐突に思える。
この後も芝居は続いているから締めのセリフではないが、直後に滝沢が『本当ですよ、会田さん』とあえて名前を呼びかけていることも引っ掛かる。この2つは対になっていて、2つで意味をなすものではないか。
映像を何度見返しても会田が稽古場に現れてから『逢友社』という言葉が発せられたのは一度きり。ここから多村が辿り着いた推論は『それでも俺は逢友社を愛しているんだ』あるいは単に『逢友社』という言葉がキーワードになっていて、これを言った人間がエチュードを締める人間を指名できるというもの。
滝沢が会田を指名した。そして会田が選んだ締めの演技が飛び降りだったとすれば、すべてがひとつにつながる。
逢友社でもエチュードを行っていて、普段からこの方法を使っていたのではないか。それを利用した。劇団内部のことだから犯行に利用しても露見することはない。この方法を思いついたのも滝沢であることは想像がついた。
キーワードを決めておき、それを言った人が締める人を指名する。そして指名された人が、エチュードを締める演技をして終了となる。
江木にそういうことがあり得るか訊ねると、一つの手法としてあり得るといった。
「『エチュード』って広く知られているものではあるんですが、演劇界でも人によって定義や位置づけが異なったりするんです。やり方もそれぞれなのでおっしゃるような方法を取り入れているところもあるかもしれませんね」
それからこう続けた。
「そのアイデアは面白いですね。使わせてもらっていいですか」
多村は快諾して電話を切った。
ただしこれはあくまでも会田が締めを任されただけで、飛び降りにつなげるには不十分だ。もう一つ重要なセリフが映像に残されている。多村の想像が正しければ、それで会田は飛び降りる演技をしたのだ。
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