第18話 ストーカー

 冬の晴れ間の日曜は、昨夜雨が降ったせいで朝から日差しも強く、多村はコートを脱いで脇に抱えていた。


 最寄り駅から7分ほど歩いたところに目的のアパートはあった。2階建てで上下5部屋ずつの計10部屋。1DKで家賃は8万円。会田安宏が住んでいたアパートだ。


 主宰者としての事務作業もあるのだろう、会田は他に仕事を持っていなかった。独身で、現在の劇団の状況を考えれば妥当な物件に思えるが、真白な外観は会田には不似合いにも思えた。


 会田が住んでいた201号室を眺めたが、人がいる気配はなく、カーテンもかかっていない。101号室に大家が住んでいるのは確認してきた。チャイムを押すと、玄関を開けたのは恰幅のいい中年の女性だった。この女性も白い外観とは不釣り合いに見えた。


「亡くなった会田さんのことを伺いたいんですが」

 そう告げるとその女性は顔をしかめたが、警察と告げるといくらか和らいだ。

 住人が死ねば、手続きや片付けで手間がかかるのだろう。部屋で死んだのではなくとも大家にとって気分のいいものではないのは分かるが、死を悼む表情ではなかった。もともと会田にいい印象を持っていなかったのかもしれない。


「何を訊きたいんですか?」

 そう言って大家は部屋を振り返った。料理の最中らしく、煮物のいい匂いが漂ってきた。


「201号室に住んでいたと聞きましたが?」

 多村はちらりと視線を上に向けた。ちょうどこの真上の部屋だ。


「そうですけど」大家はそっけなく答えた。


「201号室は、今は空いているんですか」


「そんなにすぐに新しい人は決まらないわよ。わざわざそんなこと訊きに来たの?」

 呆れたような口調で言われ、多村はさっそく本題に入った。

「会田さんに付きまとっている女性はいましたか?」


「は?」大家はそれだけ発した。


「ストーカーの被害に遭っていたことはないですか?」


 大家はフッと鼻を鳴らした。

「なにそれ。大家だからそういうことがあれば気にはしますけど、そんな話聞いたことないわね。被害届でも出てたんですか?」


「そういうわけではないんですが」


「そういう話は聞いてません。ほかの住人さんでも。犯罪紛いの話があれば私の耳に入ると思うけど」

 そう言ってから、ふと表情を強張らせた。

「新聞にも自殺って出てたけど、違うの?」


「そういうわけではないですよ。心配なさるようなことはありません」

 ごまかすように笑顔を浮かべると、大家も安心したように表情を和らげた。


「もう一つお聞きしたいんですけど、会田さんはここに若い女性を連れむことはありました?」


 大家はまた鼻を鳴らした。

「刑事さん、会田さんに会ったことある?」


「直接はありませんが」


「写真は見たの?若い女の子が寄ってくると思う?まあ一応俳優さんだから、若い子とも付き合いがあるのかも知れないけど。一々確認してるわけじゃないけど、そういうことがあれば気づくと思うんだけど、そういう気配はなかったし、話にも聞いたことないわね。どっちにしてもモテるタイプじゃないわよ」


 多村の目に劇場で見た遺影が浮かんだ。大家の言う通り、女性にモテるようには思えない。

「この子に見覚えはありませんか」

 国村里沙の写真を見せた。逢友社の公式サイトのプロフィール写真をプリントアウトしたものだ。


 大家は写真を受け取ると顎を引き、目を細めて写真を眺めた。老眼が始まっているようだ。

「可愛らしい子だけど女優さん?この子を会田さんが連れ込んだって言うの?そんなことがあったらアパート中の噂になってるわよ。ここの壁、防音設計じゃないんだから。それとももしかして、この子が会田さんにストーカーしてたっていうの?こんな子に相手にされるわけないじゃない」

 薄ら笑いを浮かべて写真を返した。


「そういうわけではないんですけど」

 多村は苦笑した。


「会田さんの方がストーカーしてたっていうんならまだわかるけど」

 そう言ってから「あんまり亡くなった人を悪く言うのも良くないけどねぇ」と思い直したように神妙な顔を作った。


「何か問題を起こしたことはありますか?他の住人と揉めたりとか」


 束の間思案してから口を開いた。

「さっきもいったけど、一々チェックしてるわけじゃないけど、特にはないわね。あんまり人付き合いのいい人じゃないし、他の住人と親しくしてるの見たことないわね。あんまり人相も良くなくて、他の人も近づきづらかったんじゃないの」

 そういってから部屋の中を振り返った。

「お料理してるところだからそろそろいいかしら」


「お忙しいところ失礼しました」

 多村は礼を言って、大家との面会を終えた。



「やっぱりな」

 101号室の白いドアに向かって多村は独り言のように呟いた。予想した通りだった。


 会田は映像の中で、西野の問いに答える形でストーカーに遭っていると話した。『時々家の周りをうろちょろしてるよ』と。


 それに対して西野は『どんな人でしたっけ?』。


 西野は相手を知らない。ストーカーであれば、職場―会田にとっては稽古場―まで付きまとってもおかしくないが、それはないということだ。そして自宅アパートにもその影はなかった。

『中年のおばさんだよ。小太りの』

 会田の返答は、大家を思い浮かべたのだろう。『家の周り』から浮かんだのが、あの顔だったに違いない。


 ストーカーは架空の話ではないか。多村の想像通りの結果だった。


 多村は以前から、あの映像は演じられたものではないかと考えていた。少なくとも、会田は本気で飛び降りる気はなかったと。倉本には否定されたが可能性を消すことはしなかった。しかし、どこからが演技なのか分からずにいた。それにようやく答えが出た。


 あの映像は全てが演技だ。冒頭の国村里沙の拙い芝居から、最後の会田の飛び降りまで全て。


 映像の中で、国村は会田と関係を持ったことで役を得たと話していた。その役とは当然『復讐するは我になし』の主役だろう。映像の中の拙い演技では、そうでもしないと新人女優が主役に選ばれることはないと思える。


 しかし舞台上の国村里沙は圧巻だった。多村だけでなく、前の座席に座っていた二人も、滝沢も絶賛していた。会田も評価していたに違いない。


 大家の話を聞く限り、会田が家に国村を連れ込んだ可能性はゼロに近い。ホテルを利用したとも考えられなくはないが、国村は実力で主役を勝ち取った、会田も実力を評価して抜擢した、その可能性の方がはるかに高い。


『ああいう女優さんがいると、脚本を書くのも楽しいでしょうね』

 終演後に聞いた会話が思い出される。


 劇団員たちも彼女の実力を認めているからこそ主役を任せたのだろう。


 不倫相手に妊娠を打ち明ける場面のたどたどしい演技、ダメ出しされて落ち込む姿。若いとはいえ短期間で急成長するのは不自然だが、それが全て演技だったと考えれば納得いく。


―なぜそのような演技をする必要があったのか?―


 おそらく、会田が国村に関係を迫ったという話にリアリティを出すためだ。自信をまとった、肝の座った国村が、会田からの理不尽な要求に応じたと言っても説得力を欠く。拒否しない方が不自然だし、あの演技力があればそんなことをする必要はない。


 糾弾する場面が真に迫っていたのは、それまでが引け目な姿だったからだ。気弱な少女の悲痛な叫びだったからこそ真実味を帯びた。


 自信を持てず、主宰者に弄ばれる女優。それが国村里沙に与えられた役柄だ。彼女は見事に演じ切った。


 筋書きを描いたのは、おそらく滝沢だろう。


 会田と国村の関係が嘘だとすれば、ストーカーやピンハネの話しも疑わしくなるが、想像通りストーカーは架空の話で間違いない。ピンハネも同様だろう。


 なぜそんな話をしたのか。突然理由もなく自殺するはずがないから、動機が必要だった。会田はピンハネやセクハラを非難されて自殺した、そう偽装したのだ。

 あの映像は、やはり会田を殺すために演じられたもの。自殺に見せるため、劇団員たちは筋書きに沿い、入念な打ち合わせをしたうえで演技をしている。


 ピンハネやセクハラが作り話であれば、逆に会田を殺した動機が見えなくなるが、多村の見込みが正しければ、逢友社の次の一手がそれを明らかにしてくれる。小林の話がそれを裏付けている。近いうちに公表されるだろう。


 小さな歯車がかみ合い、うねりになろうとしている。それでもまだ一つ謎が残されたままだった。


―会田はなぜ演技をしたのか―


 ストーカーから始まってピンハネに性接待に、飛び降りまでもだ。なぜ劇団員の演技に付き合ったのか。

 倉本の話には説得力があった。会田は台本の存在を知らない。知っていたとして、公演を控えた大事な時期にそんなことに付き合うはずがない。客演を終えて疲れているなら尚更。


 彼らはどうやって会田に飛び降りる演技をさせたのだろうか。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る