第10話 別れの哀殺
店を出て階段を上がると、外は黄昏ていた。日の落ちた駅前を街灯が柔らかに照らしている。
「何かあればお気軽にご連絡ください」
微笑をたたえてそう言った倉本と握手を交わして多村は帰路についた。昼間見た高速道路沿いの景色に夜の帳が下りている。フロントガラス越しの照明灯が、顔をオレンジ色に染めていた。
倉本の説には説得力があった。台本が存在した、という仮説は消去するべきかもしれない。
多村も自説に疑いがないわけではなかった。映像の中で会田は、何度か不意を突かれたような反応を示していた。予想していない言葉を掛けられた様子で、俳優とはいえ演技には見えなかった。
台本は存在しないのか。そもそも殺人ではなく、飛び降りは仕組まれたもの、というのはただの妄想に過ぎないのか。
それでもカメラを止めたタイミングや稽古場で目にした光景から不自然さは拭えない。何か別の仕掛けがあるだろうか。
そのことばかりが気に掛かり、会田と柳田の関係を聞きそびれたことに気付いたのは、東京に入った後だった。
多村は借りている月極駐車場にクルマを停めると駅まで歩いた。毎日利用する駅だが、今日はいつもと反対の東口に用がある。駅前にはパチンコ屋、ハンバーガーショップ、コンビニエンスストア、スーパーマーケット、弁当屋が軒を連ねている。ドラッグストアの店先は眩しく感じるのはなぜだろう。
多村の目当てはハンバーガーショップのとなりにあるレンタル店だった。ラジオ番組のようなBGMが流れる店内には、若いカップルや家族連れが見られ、思い思いに棚に並ぶDVDを眺めている。
小さな女の子がアニメのDVDを手にしていた。魔法が使える少女が主人公の、多村の娘も大好きなアニメだ。クリスマスプレゼントはこれにちなんだものにするかな。そんなことを考えながら多村は女の子の後ろを通り過ぎた。
『新作』と書かれたメインコーナーには目もくれず『邦画』のコーナーに来ると人影が少なくなったように感じたのは気のせいか。50音順に並ぶDVDの『わ』行は一番端の棚の下段にあった。しゃがんだ先に見つけたDVDを手に取る。『別れの哀殺』は幸い貸し出されていなかった。会田の死で興味を引くと思ったが、小劇団の主宰に過ぎない会田の死にニュースバリューは乏しく、この映画に結びつくことはないのか。
表紙は背中合わせになった柳田優治と主演の人気俳優・山下純一郎が哀しげな表情でこちらを見つめている。どことなく見覚えがあるのは広告か何かで目にしたせいだろう。ヒット作なのだからそれも当然だ。
裏を見ると、出演者欄は山下の次が柳田優治。脚本には柳田ともう一人脚本家の名前が記載されていた。映画化にあたり多少の手直しがあったようだ。
会員証の有効期限が切れていて、更新料とレンタル料金を払って店を出た。定食屋で夕飯を済ませ、スーパーで缶ビールを買って帰宅する。
シャワーを浴び、寝支度をしてからDVDをセットし、缶ビールを開けた。泡がこぼれそうになって、慌ててすすり、リモコンの再生ボタンを押した。
あっという間の2時間だった。この映画を初めて観た多村は、無論柳田の演技を観るのも、声を聞くのも初めてだったが圧倒された。こんなに素晴らしい俳優がいたのか。美男子という言葉は当てはまらないが、力強い眉と目。がっちりした体格からは男臭さが感じられるが、その中にも優しさが見え隠れし、人をひきつけるオーラを感じる。何よりその演技力が際立っていた。
感情を露にする場面も日常の何気ない場面もコミカルなシーンも全てが堂に入っていた。この俳優ならどんな役でもこなせそうだ。それこそ刑事役をやらせたらぴたりとはまるだろう。時代劇だって悪役だってなんだって、見事なまでに演じて見せるに違いない。
なぜたった1本の映画にしか出演していないのだろう。オファーは殺到したはずだが。もうこの俳優はこの世にいない。惜しい役者をなくしたものだ。
主演を務めた山下純一郎も良かった。背が高いから、体格のいい柳田と並ぶと画になる。舞台ではこの役を会田が務めたのだろうか。会田より彼の方がはるかに適役に思える。
ストーリーも素晴らしく、男の友情を見事に描いていた。演技にとどまらず、柳田は脚本家としても優れた才能を持っていたことが分かる。
倉本は、会田と柳田は幼馴染の親友だと話していた。二人の関係も脚本に少なからず反映されていたのだろうが、その友情も最後には崩れてしまったのか。
柳田は人生のラストシーンに自らの手を下した。会田はどうだったのだろう?
劇中に会田の影は見られなかった。
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