第6話 理由

 稽古場へ行った帰り、多村は署に寄った。もう一度あの映像を確かめるためだ。

 夜間であっても事件が発生すればいちどきに色めき立つ署内も、今は落ち着いていた。いつもの部屋へ向かっていたところで桜井と出くわした。事故の日と同じく桜井は当直だった。


「ちょうどよかった」

 桜井は一旦その場を離れ、すぐにクリップで留めた資料を手に戻ってきた。

「頼まれた件、調べておきました」

 

 映像で会田は、柳田の話題にヒステリックに反応していた。柳田の話はタブーのようだ。その柳田は自殺し、会田もまた自ら命を絶った。二つの死に何か繋がりがあるかもしれない。多村は柳田優治について桜井に調べてもらった。アナログ人間である自分より、若い桜井の方がこの手の調査に長けている。桜井は上司の依頼を引き受けた。


 当直の桜井に椅子に座るよう勧めたが固辞したため多村が座り、桜井は壁際に立った。多村は自販機で買った缶コーヒーを桜井に手渡し、もう1本のプルトップを開けて口を付けた。熱いコーヒーがのどを通過して行く。桜井は一口飲んで机の上に置き、立ったまま話し始めた。


「逢友社の歴史イコール俳優柳田優治の足跡と言っていいと思います」

 そういって桜井は手元の資料に目を落とした。

「劇団逢友社は××年に、会田安宏、柳田優治、それと女優の小林美恵子こばやしみえこによって旗揚げされました。同じ劇団に所属していた3人が独立した格好です。この3人は同い年です」


 多村は葬儀でインタビューを受けていた女優を思い出した。その時はピンとこなかったが、あれは小林美恵子だ。サスペンスドラマの脇役で見かけることのある顔だった。逢友社に在籍していたのなら滝沢と親しくしていたのも頷ける。


「その後数名の加入があったもののあくまでも小劇団に過ぎなかったのですが、柳田が脚本演出を手掛けた舞台『別れの哀殺あいさつ』が評判を呼び、何度か再演された末に東京演劇大賞を受賞しました。演劇界では名誉のある賞で、小劇団の作品が受賞するのは異例だったようです。それでさらに脚光を浴び、『別れの哀殺』は映画化され、柳田が出演してこれも大ヒット。柳田優治は一躍人気俳優となり、逢友社も人気劇団になりました。柳田は『別れの哀殺』以外映画やドラマには一切出演していないので舞台でしか観られませんから、チケットはプラチナ化して、入団希望者も急増したようです」


 桜井は資料をめくった。それに合わせて多村はコーヒーをすすった。


「波に乗っていた逢友社でしたが、ファンの要望を受けてリバイバル上演が決定した『別れの哀殺』、その上演を前に、柳田が自殺してしまいます。自宅マンションで首を吊りました。映画に出演したことで、演技が狂ってしまったと悩んでいたようです。それだけこの舞台にかける思いが強かったってことでしょうか」


 多村は首をひねった。柳田は首を吊った。会田の自殺との関連は薄いかもしれない。


「当時の逢友社の団員はみな柳田に憧れて入団しました。柳田は人格者でもあったようで人望も厚く、後輩たちから慕われていたため、柳田の死によって多くの団員が辞めていきました。同じ頃に小林美恵子も退団しています。柳田も小林もいなくなった逢友社は客入りも悪くなったようです」


 さっき見た稽古場にも5人しかおらず、人気劇団の姿ではなかった。


「それで今は、先日までですが会田が劇団を運営していたんですが、評判は良くなかったようです。劇団って独裁的な主宰者が少なくないようですけど、あの映像を見る限り会田もそんな感じですね。それで辞めた人も多いようで、最終的に残ったのが現在のメンバーです」


 だいたいこのような感じです、と言って桜井は机の上で資料を揃えてから缶コーヒーに口を付けた。


 多村は頭の後ろで手を組み、椅子の背もたれに寄りかかって思索に耽った。


 逢友社は、言うなれば柳田の劇団だった。柳田優治というカリスマのもとに芝居を志す者が集まり、柳田見たさに観客は劇場に足を運んだ。その死が、逢友社に与えた影響は計り知れない。


 おそらく会田には柳田のような芝居の才能はなく、人望もなく、劇団運営の手腕も持ち合わせていない。


 会田はそのことに悩んでいたのか。劇団が柳田の影を引きずっていることに苦悩していたのか。それが理由で柳田がタブーなのだとしたら、劇団員と親しくするように努めたのではないか。団員の目を気にも留めなかったからこそ、なおのこと慕われなかったのではないか。団員との間にある溝は、会田にとっては悩みよりむしろ不快なものだったように思われた。柳田がタブーなのは何か別の理由で、会田の自殺に柳田が影響しているとは考えにくかった。


 そうすると自殺の動機は若手女優との不適切な関係やピンハネをなじられたから、ということになるが、それで突発的に死を選んでしまうものだろうか。

 多村はさっき稽古場で見てきたことを桜井に話した。


「よく分からないのは、古山博美も国村里沙も稽古に参加していたことだ。彼女たちは会田を非難していた。国村に至っては、どこまで強制的にか分からないが、関係を待っていた。そんな人間の追悼公演に参加できるものかな」


「映像には映っていませんが、国村里沙は事情聴取の間、自分を責めてずっとむせび泣いていました。会田の死を悼む気持ちは持っているはずです」

 桜井の目には、古山の胸に抱かれて涙を流し続ける国村の姿が残っている。その古山もまた泣いていた。


「自分たちの非を悔いて、追悼の気持ちを持ったと言うのは分からなくはないけどな」

 多村も葬儀の間国村がずっと涙を流していたのを見ている。しかしそれならばなぜ、稽古場に遺影を飾らず、花の一つも供えないのか。実際目にした稽古場に、会田を悼む気持ちは感じられなかった。見落としただけなのか。しかし映像の中で会田が座っていたディレクターズチェアは壁際に無造作に置かれていた。

 ちぐはぐな気持ち悪さが、多村の胸につかえていた。


「この自殺には裏がある。何かを隠している」

 それが多村の実感だった。


「でも係長」

 桜井は躊躇いがちに口を開いた。

「会田は自分から飛び降りています。明らかな自殺です。その裏に何があるんでしょうか。仮に何かあったとしても劇団内の話で、我々がかかわる問題ではないような気がするんですが」

 桜井は現場に臨場し、鑑識からも自殺と言う結論が出されていた。検視でも事件性なしと判断された。


 多村は口をつぐんだ。


 確かに桜井の言う通り、会田は自ら死を選んだ。それは間違いない。そうである以上、裏があろうがなかろうが警察が口を出す問題ではないのかもしれない。


「すみません」

 桜井は余計なことを言ったと詫びた。


「いや、その通りかもしれないな」

 多村は資料を受け取り、笑顔を作って礼を言い、部屋を後にした。

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