第67話 我が星、我が灯火、我が愛

 食器洗い乾燥機さえない伊緒の家では、夕食後にはいつも伊緒とシリルが一緒に食器を洗う。食事を摂る事がほとんどないシリルに洗い物をさせるのは気が引けるといつも伊緒は言うのだが、シリルもやはり頑固者で、少しでも一緒に何かをする時間が欲しいのだと言い張る。


「今日の演奏会はどうだった?」


「ううん、まあまあだったかしら。やっぱりなかなか思った通りには弾けないものね。バイオリンはしばらく休んでまたピアノに専念しようかなあ」


「でも自動演奏はもうしないんでしょ」


「そうね。うまく表現できた時の達成感も大きいし、実際の出来栄えが全く違うの。それにお客さんの反応も面白いのよ。『ううむ、こんなアンドロイドの演奏はついぞ聴いたことがありませんぞ!』ですって。ふふふっ」


 シリルは伊緒ほどの著名人ではないとは言え、ごく小規模な演奏会では知る人ぞ知るアンドロイド演奏家として頭角を現しつつあった。機械的正確性の技巧と、機械にあるまじき繊細で濃密な表現が注目を集め始めている。


「へえ、これからの成長が楽しみな逸材だ。ティコ・ブラーエ広域コンクール優勝の際にはちゃんと帯同させてよね。リクエストがあれば頑張ってあたしも妻としてスピーチするからさ」


「やだからかわないで、アンドロイド医療の最先端を行く若きドクターさん。あなたならいつかきっと『ザ・パイオニア』に出演するわ。その時はちゃんと私も妻として出演させてね」


「いやいやいやいや、買いかぶり過ぎでしょー、君こそからかうの止めてよー」


「『島谷には決して譲れない一つの信条があった』」


 公営放送のお堅い職業人ドキュメンタリー番組のナレーターそっくりの音声を合成して喋るシリル。


「うわだからやめてー、それ小っ恥ずかしいわー、ホント声そっくりだし!」


「『アンドロイドは《人》だ。』」


「!」


「ふふっ」


「……へへっ」


「ありがと伊緒。私、その信条のおかげで今も生きていられるの」


「どういたしまして。愛する人のためだもの、お安い御用さ」


「あ、そうそう。今日は希美代さんとジリアンさんが来てくれたの。二人共とても良かったって褒めてくれたわ。それと伊緒によろしくって」


「ホントに? 二人ともだいぶ長い事あってないや。沢山お世話になったのに不義理しちゃってるなあ。少しは休みが取れたらいいんだけど」


「ねえ、それならキャンプをしない? 高校の時のように」


「いいね! なんだか同窓会みたいだ。よおし、何が何でも休みをとるぞ!」


 飾り気のない大きな白磁の皿を洗いかごに置こうとして、ふとシリルは思う。


 愛はどこから生まれてくるのだろう、と。


 その場所がどこなのか、シリルのデーターベースを検索してもどこにも見当たらない。だがシリルにはわかった。その回答がすぐ隣にあるということを。そう思うと何故だか急に胸が温かくなる感覚がして、シリルはそっと一人でほほ笑んだ。


 そして、今自分の隣で、調子っぱずれな鼻歌交じりに食器を洗っている彼女、自分のことを機械でもロボットでもアンドロイドでもなく一人の人として愛してくれた伊緒への深い愛情と感謝の念が湧き上がる。


 十七歳のあの夏。伊緒がシリルを救い出そうとしたあの夏の日。


 あれから十一年余りの歳月を経てようやく今伊緒とシリルは完全な愛の形を取り戻した。


 そして伊緒は世界で最初にアンドロイドとの婚姻を宣言した人物として一躍時の人となった。半年後の挙式に向け準備を進めている。




 今シリルは伊緒を愛し音楽を通じてそこに生きる道しるべを見出した。


 これが私の星。これこそが我が灯火。偽りの星灯火をシリルもまた手に入れたのだ。



 伊緒の婚姻発表に遅れること二日。Kreuzsternクルツシュテン社の上級技術師、荻嶋希美代もまた自身の所有するメイドアンドロイドの荻嶋ジリアンと婚姻する旨の宣言をした。

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