量子が繋ぐ心

第63話 アンドロイドファースト

「先生」


 総合病院の中でも相当大きい部類に入る鴎翼おうよく中央拠点病院。そこの一階フロアで一人の医師に声をかけ駆け寄る職員がいた。


「はい。おや西川さん、どうしたの?」


 ショートカットで眼鏡をかけた快活そうな女性医師は振り向くと、その西川さんが目の前に来るまで笑顔を浮かべ待っていた。

 西川と呼ばれたやはり女性の職員は、一見看護師にも見えるがよく見ると胸のバッジで介護福祉士だとわかる。


「お忙しいところ恐れ入ります。もしお時間がございましたら、ひとつ見ていただきたいケースがあるのですが……」


 若干息を切らしながらも懸命に話そうとする西川。


「え、科が違うけどいいの? あたしは全然構わないんだけれど――お役に立てるかな?」


「あ、はい! 実はですね、患者さんのお宅にあるアンドロイドの事なんです」


「なるほどなるほど。じゃあ具体的にはどんなお話?」


「介護保険の日常生活介助屋内二種用に福祉配給所から貸与されている単純支援アンドロイドなんですが…… サイズ不適なんじゃないかと思いまして。あのソーシャルワーカーなんかに訊くより、先生の方がはるかにずっとすごくとっても頼りになるので! お願いします!」


 頭を下げタブレットを差し出す西川。


「ああ、確かに室に聞くくらいならね。それならお安い御用。あ、これがその仕様?」


 何となく得心のいった苦笑いでタブレットを受け取る女性医師。途端に真剣な面持ちでタブレットを見つめ、半分独り言のように喋る。


「うーんと…… ははあ、これでは確かにアンドロイドの方が大きくて入浴介助に不適だねえ。アンドロイドの四肢を含めた関節各部への負担が大きくて劣化が早まっちゃう。特に腰部に注意しないとふた月くらいでパーツ全交換ね。次に膝関節部アクチュエーターにも注意しないと。ちゃんと計算しないと詳しくはわからないけど」


 女性医師の言葉に西川は困惑の表情を浮かべ、医師のその見立てに大きな見当違いがあることを恐る恐る告げた。


「あ、えーと、その…… こちらの人間のかたの方はいかがでしょう……」


「えっ? ややっ! ご、ごめんなさい! えっ、えーと、これは、さ、さっき言ったようにアンドロイドの方が大きくて入浴介助時に患者さんに転倒の危険性があるから、やっぱり役所の介保事務所に言った方がいい、ですねっ。これならサイズ不適で遅滞なくアンドロイドを交換してもらえるはず。です。はいっ」


 真っ赤になって慌てふためき、大きめな眼鏡までなぜかひどくずれてしまった女性医師は、うろたえながらも西川の望んた通りの所見を披露する事が出来た。


「ありがとうございます! ふふっ、それにしても島谷先生はやっぱりアンドロイドファーストなんですね」


 医師から受け取ったタブレットを抱え、クスっと笑う西川。何か微笑ましいものでも見ているかのような表情だ。


「ああ、いや、ごめんなさい。面目ない。お恥ずかしい。ホント変だよねあたしって。あははぁ……」


 島谷と呼ばれた女性医師は、照れ隠しに頭をボリボリ掻くばかりであった。


 そんなこんなで本日の勤務も終了すると、ありがたいことに三十五時間ぶりの帰宅が決まった。ふうっと大きなため息を吐いて、古ぼけた自家用自動運転車のシートに身体を預ける島谷伊緒医師。統合端末やマルチグラスを含め、リストターミナルを除いた全ての通信機器の電源を全て切り物思いにふける。晩夏の夕刻、空はゆっくりと色づき始めていた。ある思いが頭に浮かぶ。


 心は、どこから生まれてくるんだろう、と。


 人の脳からだけでなく、無機物であるはずのアンドロイドの脳機能からもふいに心が生まれる。そして自分はそんな心をひとつ知っている。どんな人間のそれより美しい心を。


 そして思い出すのはいつも同じ内容だ。


 長い、本当に長い年月がたった。彼女を救い出さんと挑んだあの日から。


 悔しかった。ただただ自分の無力が悔しかった。あたしが愚かでなかったらきっと…… 苦い記憶が独りでに脳内で再生される。無残な姿をさらし、目の前で息絶えた彼女の姿を思い出す。幾度となく見た悪夢。


 夕刻と言うにはいささか遅い時間になり深い夕焼けが街を彩る。ミニボックスタイプの白い型落ち中古軽自動運転車はオレンジ色に染まりながら静かに、時折ガタガタ揺れながらもおおむね滑るように走った。

 砂利を敷いただけの粗末な駐車場に軽自動運転車が停まると、そこから伊緒は五分以上も歩いてすすけた古いマンションにたどり着いた。何のセキュリティもなくエレベーターもないホールから四階までを階段で一気に登る。息を切らせて階段を上り切ると、通路の一番奥が自室だ。


 ここではとても珍しい現象だが、夕焼けが壁も扉も伊緒も何もかも濃いオレンジ色に染め上げる。手庇をして夕陽に目をやる。


 相貌認証も虹彩認証も指紋認証もなく、カードキーですらない、骨董品のような光学ディンプルシリンダーキーを挿しガチャガチャと鍵を回しドアノブをひねる。金属がきしむ耳障りな音とともに開く扉。優秀な医師には似合わないわびしい住まいだ。


 扉を開ける。そのまま狭く短い廊下を伝ってダイニングキッチンへ向かう。肉の焼けるいい匂いが伊緒の鼻腔をくすぐる。


「ただいまあ、あ、いい匂い」


 突然口調が職場でのそれと一変する。十一年前のままだ。


「おかえりなさい。久しぶりに奮発してミートローフを作ってみたの。すぐ食べる?」


 細くて、だけど耳に優しい穏やかな声が答える。


「うわあ、お肉お肉ー。やっぱり料理当番はあたしじゃかなわないなぁ…… すぐ食べる、もう腹ペコなんだよお、全然食べる時間なくてさあ」


 声の主はオーブンから大きなトレーを薄いミトンをはめただけでしかも片手で軽々と取り出している。焼きたてで熱々のひき肉の塊がオーブンから顔をのぞかせる。


「ふふ、子供みたい」


 痩身の女性は、微笑みながら美味しそうな香りを振り撒く料理を乗せたトレーをキッチンに置いて慎重に料理をテフロン引きのトレーから剥がしてゆく。


「へへっ、いくつになってもお肉大好き。ね、味見していい?」


 洗いかごの中のフォークを取って湯気を上げている肉塊を突っつこうとする伊緒。


「でも私、料理以外だって大抵は…… あっこら手を洗ってきてからですっ。もぉー、本当に子供なんだから」


「さっき車の中で昔の事を思い出しててさ」


 ミートローフをフォークでけずり取って味見、というより悪戯しようとする伊緒を防いで半分揉み合うようにしながら彼女は伊緒の言葉に受け答えする。


「どんな事?」


「うん。色々。そうしたら思ったんだ。すごいよね、って」


「なにが?」


「愛、希望、そして心」


「そうよ、すごいんだから。よく知ってるでしょ」


 少し得意げな声とゼスチャーを示しながら手際よく白磁の大皿にミートローフを乗せる。伊緒は一人分の食器をテーブルに用意する。


「これは本当に美味しそう」


「美味しいに決まってるじゃない。『惑星移住権くじ』当選記念に、腕利きアンドロイドが心を込めて作ったんですからね」


「あ、そうだった。すっかり忘れてた。これでこの狭いコロニー暮らしからも開放されるね。惑星ローアンではあたしももう少しは家事当番頑張るからさ」


 ふと二人の目と目が合う。しばし視線が絡み合う。


「愛してる伊緒」


 声の主はすっと伊緒に唇を寄せる。


「愛してるシリル」


 伊緒はシリルに唇を寄せる。室内に小さな音が響く

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