第62話 素体C

 五十畑がタブレットを人差し指で操作するとホロ画像のページが次々にめくられてゆく。そこには宮木も知らなかった話が書かれてあった。


 ≪この夏休み、後期授業開始直前に発生した幹線道路での車両多重衝突爆発事故。我々はその爆発現場に三年E組の島谷伊緒いお、同C組の荻嶋おぎしま希美代がいたことを突き止めた≫


 ≪二人と言えば、とあるアンドロイドを介し親しい間柄であることで有名だ。そう、そのアンドロイドこそ島谷伊緒と同学年同組の学生アンドロイド、矢木澤やぎさわシリルである。島谷伊緒と矢木澤シリルは人間と無機物の間柄でありながらも誰よりも強い絆で結ばれている、と我が校内にあって巷間を騒がすカップルなのは、読者諸兄もよくご存じのはずだ≫


 ≪島谷さんと荻嶋さんの二人が事故現場にいたのは一体何故なのか、そして二人を含め未だ姿を見せない矢木澤シリルとの関連はあるのか。我々マスコミ研究会はアンドロイド技術に詳しいサイバネティクス研究同好会の三―H三沢君、二―B宝田君、二―E掛川さんの協力を得てその謎に迫った≫


「驚いたな、こんな同人誌があっただなんて。しかもこいつ、あの三沢なのか」


「そう、あんたが言うにはあんたに気があるって話のでかぶつ。でも問題なのはこの後」


「いや気があるって、あれは言葉のあやでさ…… 」


「いいから早く読みなさいよ。ほら、ここから」


 ≪〈中略〉

 我々は極秘裏に、複数の証言、さらには事故現場を直接目撃したとされる人々の証言を得ることができた。


 爆発事故の経緯はこうだ。

 オーナーの意向によって廃棄処分となった矢木澤シリルは回収車に積まれ、リサイクルセンターへ運ばれようとしていた。そこへそれを救い出すべく島谷さんと荻嶋さんが勇躍乗り込んだのだという。ところが、何が原因なのかは分からないが、その回収車が爆発。回収車の幌は吹き飛ばされ、二人は回収車の荷台から猛烈な爆風によって車外、そして空中へ放り出されてしまったのだ。

 どうだろうか、我々が掴んだ真実とマスコミ報道があまりにも乖離していることに、読者諸兄も驚いていただけたであろうと我々は確信している。


 だがここで、爆発に巻き込まれて上空高く投げ出されてしまった島谷さんに今一度眼を向けるとしよう。


 この爆発事故にあって、島谷さんの危機を救った女性型アンドロイドがあった。


 そのアンドロイドは一般的な機体のスペックを超える驚異的な跳躍力で、十メートル近い高さまで吹き飛ばされた島谷さんを見事捕捉し、抱きかかえて着地した。

 また先端に小さな分銅の付いた細い鞭状若しくは糸状の物体を左手首から射出し、次々に飛来する障害物を難なく切り裂き無力化した。更には空を切り高速で襲い掛かってきた飛翔物に対し高度な白兵戦闘技術を発揮しこれを見事粉砕したのだ。

 サイバネ研の見解に従えば、糸状、もしくは鞭状の武器は『モノフィラメントウィップ(※)』と呼ばれる白兵戦用携帯武器に酷似しており、戦闘術についても、はるか以前にあったサイボーグ兵士用の『サイバネティック機動格戦術Mobile Kampftaktiken』とみて間違いないと思われる。


 そして全ての目撃証言を総合するに、その島谷さん救出という英雄的行動をとったアンドロイドは――≫


「矢木澤――シリル……だって……?」


 呻くように言葉を絞り出す宮木。五十畑は宮木が青ざめるの初めて見た気がした。


「こいつはとてつもない特ダネじゃないか。人命救助装備なんて可愛いもんじゃない。れっきとした内蔵型白兵戦武器に機動格戦術Mobile Kampftaktikenとはね……」


 宮木は絶句する。となると素体Cの正体は。


「じゃ、じゃああの機体は、素体Cは、最初っから再軍備検討を前提にした試験機…… ってことだったのか」


「まあ、結局再軍備もうやむやのうちに立ち消えになっちゃったけどね。でもほら、おかしいと思わない? 女性型アンドロイドに男性名のCyrilleシリルだなんて。元々あの家には男性型アンドロイドを置いて、そこで試験や観察をする予定だったのかも知れない。当初から『C』もしくは『Cyille』というコードまで決定されていた。ところが矢木澤局長側に何らかの事情ができて女性型を置くことになって…… って言うのは、充分あり得る話でしょ? まあ、いずれにしたってやっぱり真っ当じゃなかったってことよ、あの機体」


「……ううむ。あ、しかし、どうしてこれを五十畑が? 押収されたんじゃなかったの?」


「私はたまたま発行前に友達から手に入れたんだけど、発行日当日に生徒会から発禁処分にされて、紙もデータも全部持って行かれちゃったんだって。結局残ったのはこれを含めて三部だけって話。で、その押収を手引きしたのが、これにも出てくる荻嶋希美代、ってもっぱらの噂だった。い、島谷伊緒の友達でKreuzsternクルツシュテン社幹部技師長の一人娘」


「そうか…… そういうことだったのか。これでやっと素体Cについてなんとなく分かったな」


「分かったって何の意味もないんだけれどね。結局Wraithレイスの問題が変わるわけじゃなし。どうせアンドロイドをバグらせて生産販売するのは既定路線なんでしょ。――はあっ」


 五十畑は吐き捨てるように言う。


「……あ、うん」




 三十秒ほどの沈黙が流れる。五十畑は心の整理がつかない。窓枠に身体を預けたままかかとを鳴らしている。宮木はそんな五十畑の様子をうかがっていたが、いつまでたっても落ち着かない五十畑から目を離しゆっくりと言いきかせるように呟いた。


「ねえ、五十畑。もうこの流れは止まらない。いずれ巷は心を持ったアンドロイドで溢れかえる、そんな未来はもうすぐ来る。だから色々気持ちを整理する潮時なんじゃないかな」


 諭すように話しかける宮木に五十畑は苛立ちを覚える。


「何が言いたいのよ。大体宮木、この間言っていた事とずいぶん違わない? イクスは全回収して精査の上廃棄だって言ってたくせに」


「ありとあらゆる状況が一変したからね。変わり身が早いんだ、あたし」


「あんたほんと変わった」


 五十畑は不満顔でほんの少し非難がましい口調で、目を合わせることなく宮木に言葉を投げつけた。宮木は悲しそうに苦笑いをする。


「いつまでも子供じゃいられなくてさ」


「子供で悪かったわね」


 軽くいなされた五十畑は悔しさと少しの恥ずかしさで耳が熱くなる。しかし、なぜ上層部はそんな五十畑には理解できない判断を下したのだろう。


「でもどうして……」


「うん、家庭用に限って言えば、未だ脳機能に感情プログラムが入ってないロボット型の無感情アンドロイドの方が好調じゃない。より高機能なはずの感情型に比べて」


 五十畑の疑問に宮木は淡々と答える。


「感情型の機能充実が進むにもかかわらずね。そもそも高すぎるのよ、感情型」


「それに感情型販売にテコ入れしようと思ってもバグが――Wraithが生まれちゃうリスクがある。五十畑が言ったように不確定要素がある製品は大出を振っては売り辛い」


「そうでしょうね」


「そう。だからここは敢えてWraith付き、心付きと銘打ってアンドロイドを販売すれば、むしろ新奇さにつられて販売台数が伸びるんじゃないかと踏んだみたい。まあ、なんて言えばいいかな、開き直った…… みたいな?」


 つい苦笑いが出てしまう宮木。


「それがどういうことか分かってるのかしら。ほんとに目先の欲につられて…… 全く……」


 先ほどの宮木のように頭を抑える五十畑。ゆっくり頭を振る。


「心付きなら所有者との相性とかもあるだろうし、そのアンドロイドが抑制プログラム無視して犯罪犯したらどうするの。それに……」


「それに?」


 宮木は無表情に、しかしそこにもっと違う何かを潜ませた顔で五十畑を横目でちらりと見る。五十畑の積年の苦悩を鑑みれば何を言いたいかはわかる。それを思うと宮木も胸が痛む。


「それに人間と恋愛関係になっちゃったらどうするのよ。 私っ、私っ、そんなの絶対許せないからっ!」


 宮木にとっては案の定の言葉であったが、耳にすると宮木にまで悲しい記憶が蘇る。だがそれとは別に宮木は宮木で伝えねばならないメッセージがある。これは彼女の任務なのだ。


「五十畑が許せても許せなくても、これからはそういった事がどんどん起きるだろうね」


「あんたどうしてそう落ち着き払っていられるのよ。大ごとよこれは」


「うん。でも、でもね…」


 一呼吸おいて宮木は言葉を続ける。


「あたし、まどろっこしい事を言うのは苦手なんではっきり言うよ、うん。もうこれは決まっている事なんだ。さっき言ったみたいにこの時代の流れは変わらない。だから、五十畑に出来る事はそれを受け入れることだけなんだ」


 どうやったらこれからの世界について五十畑に理解してもらえるのか、宮木は言葉が見つからず、ついつい陳腐な言葉になってしまった。


「どうして言い切れるのよ。見て来たみたいに」


 五十畑には頭の良くない問答のような会話に思え、少しばかにしたような響きで吐き捨てる。


「見て来たから」


「は?」


 真剣な顔で意味の通らない事を言う宮木に五十畑はきょとんとするしかなかった。


「……」


 宮木は滑稽なほど真面目な目で訴える。分かってくれ、と。


「大丈夫?」


 宮木の言いたい事はどうやら五十畑には伝わらなかったようだ。頭の中で苦虫を噛み潰す。

 これからの世界について五十畑に理解してもらうのを取り敢えず保留した宮木は、少し話題を逸らしてみた。


「どっちにしてももう忘れた方がいい。の事」


 宮木のその言葉に五十畑は一瞬苛立った表情を見せたが、それをぐっと堪えると足元の床に目をやる。


「……悔しい気持ちを忘れようとするのって、余計に悔しいじゃない。まるで自分が負けたような気がしてさ。分ってる、分かってるのよ。意味のない感情だって」


 床を見つめ自分を振り返る五十畑。


「……うん」


「アンドロイドだったら簡単に忘れられるんでしょうね、こういう気持ち。羨ましい」


 それが事実ではない事は五十畑でも知っているはずだ。五十畑はそっとほほ笑みながら今の言葉を口にしたが、それは自嘲と軽蔑の入り混じったものだった。宮木としては五十畑にそんな感情を持って欲しくはない。否定の言葉にも自然と力が入る。


「いやそんな事はないけど――」


「いいの。私の心は機械仕掛けじゃないし、どこまで出来るかわからないけど、忘れるよう努力する。」


 両手の指を組んで伸びをする五十畑。理屈では分かっていても拭い去れない感情に苦しんでいる彼女は、それでも彼女なりにその気持ちと向き合おうと覚悟したようだ。が、その笑顔は苦く渋い。


「うん、よかった。出来る事があれば手伝うよ」


 少しほっとした様子の宮木の顔を見た五十畑は、珍しく一瞬だけはにかんだような微笑みを宮木に見せた。


「あらそ? じゃあお願いいい?」


「早速? なに?」


「今日かぐらでおごって」


 別に宮木でなくとも誰にでもわかるくらい無理に笑顔を浮かべる五十畑。


「げっ」


 意表を突かれた五十畑のおねだりに宮木はたじろぐ。


「これくらいならあんたの出来る事の範囲に収まると思うけど? 何ならさっきの五千ポイント使ってもいいのよ。ね、使ってもいい? 五千ポイント」


「マジかよ」


 珍しく渋面になった宮木をからかうように詰め寄る五十畑。


「マジマジ、思い通りにいかない心に悩む同窓生かつ上司に美味しいものいっぱいおごってよ。あんたも好きなだけ飲んでいいからさっ」


「好きなだけって、それあたしのお金…… ああもうやけだ! 好きなだけ飲んで食べていいぞっ!」


「やった。いつも頼りになるう」


 わざとらしく宮木の腕にしがみ付く五十畑。


「嘘つき」


 ぷいっとあらぬ方向を向く宮木。珍しく不貞腐れている様だ。


「なによ?」


 宮木の腕にしがみ付いたまま少し小狡いような笑顔を見せる五十畑。こんな顔を見せるなんて高三の頃以来か。


「いやなんでも」


 宮木はあさっての方向を向いたままでいるしかなかった。なぜなのかはちょっと思い出せない。


▼用語

※モノフィラメントウィップ:

 単分子構造鞭。白兵戦で使用される個人携帯武器。単分子の金属糸に安定を保つための分銅が付いていて、これを振り相手に当てて切り裂く。兵器の中では最も効率よく人間や物体を切り刻める。あまりにも非人道的だと取りざたされる事も多かった。金属糸は厳密には単分子ではない。兵器であるため現在は製造も所持も使用もされていないが、ごくまれに闇社会で密かに出回っていると噂され、そうした社会での最悪の武装ギャング「ストリートサムライ」たちがこれを振るうのだと言う。


※2020年8月26日 加筆修正をしました。

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