第55話 炎の中ひとり立つのもの

 希美代の二度目の試みでシリルの再起動は成功した。その瞬間、シリルの脳機能Wドゥブルヴェは周囲全ての情報を入手解析し、自分が何をすべきか0.004秒で理解した。


 まず爆風にあおられ高度十メートルまで飛び、今まさに背中から自由落下を開始しようとしていた伊緒をセンサーで見つけ出す。


 シリルの機種、AF-705ではその高さまで飛べはしない。もしそこまで飛べたとしても人を抱きかかえたまま降着すれば当然全損し、抱きかかえていた人もただでは済まない。

 しかしシリルにはたとえ不可能であっても、例え自身が全損しても、伊緒の救出を試みないという選択肢などあり得ない。例えWが伊緒を救うなと、救おうとしても無駄だと命令しても、シリルはそれには従わない、決して。


 ところがシリルはAF-705の性能を遥かに超え、伊緒の飛ばされた中空までひとっ飛びで軽々と跳躍する。伊緒の体重は正確に知っていたので、落下速度や最適な捕捉位置もこれ以上はないほど正確に把握し無事に伊緒を抱きかかえる事が出来た。


 気を失っている伊緒を抱きかかえたシリルは幹線道路のアスファルト舗装に降着する。足元のアスファルトがへこみひび割れる。シリルはしゃがみ込んで下半身全ての緩衝器を使って衝撃を吸収しようとする。だが、それでは間に合わず、足首と膝の関節が大きな音を立てて損傷し火花が出る。破損し先端の尖ったパーツが人造皮膚を破って露出する。躯体の全てを使って衝撃を吸収する。腕部フレームが、臀部でんぶアブソーバーと大腿だいたい緩衝かんしょう器が、脊柱ユニットが、きしむ。脚どころではなく躯体全てに走った苦痛にシリルの顔は歪み、かすかな呻き声が漏れる。だが辛うじて持ちこたえ、伊緒の身体への衝撃はほとんどなかった。


 周囲はてんやわんやの大騒ぎになっていて、トラックの作業員たちは慌てふためいてトラックから逃げ出していた。さらにひどい事に、回収車は爆発の衝撃で対向車線を大きくはみ出してしまい、対向車線を走行中の旧式自動運行トラックとも衝突。そのトラックも見る間に炎上していく。

 この時になって初めてシリルは自躯体の異変を検知した。両脚部の機能が落ちている。歩行も困難なほどに。爆風にあおられてどこかにダメージを受けた上、先ほどの着地で関節を痛めてしまったのが原因だとシリルは判断した。


 シリルは屈みこんで抱きかかえていた伊緒を地面に下し様子をうかがう。意識はないようだが頭にダメージは無さそうだ。ただ打撲や火傷などがあちこちにある。


 シリルは伊緒の焼け焦げた前髪に触れる。胸いっぱいの感情が溢れてくる。伊緒は約束を果たしてくれた。必ず私を救いに来てくれる、その約束を。罪を犯すことも自らの危険も顧みずに。


 またガス爆発が起こり、幹線道路に轟音が響き渡る。あちらこちらに吹き飛ばされた車輛の破片や積載物が落下し破壊していく。他の車に、路面に、信号機に、道路に面した建物にまで。

 シリルが地面の震動するような爆発音がした方向をむくと熱い爆風に打たれる。伊緒の前に立って力の入らない足を踏ん張り、両腕で熱風から伊緒と自身の身をかばう。

 ジルの様な、あるいはAF-705のような一般的アンドロイドの能力を遥かに凌駕するシリルの視覚センサーが何かを感知した。急いでそちらへ目を向けると、伊緒とシリルに向かって、大型のガスボンベがうなりをあげて低い弾道を描きながら飛翔してきているのが判る。

 そのガスボンベは、視覚センサーが一瞬で検知したデータによれば、中身が空だとしても50kg弱。満タンであれば100kg近い。それが伊緒とシリルを押し潰そうとするかのように猛烈な速度で風切り音を発しながら飛んできている。このままだと7.382秒後に二人を直撃する。



 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇



 ジルは紀美代の身体を抱え込むようにしていたので、爆風に吹き飛ばされても希美代は大きなダメージを受けなかった。二人は幹線道路わきの小さな川の川岸に落下していた。川と川床がクッションとなりずぶ濡れになったものの二人は無事だった。希美代はすぐに伊緒たちを探そうと、芝草の生えた土手をよじ登り幹線道路に頭を出す。

 ジルが希美代の背後から声をかける。これ以上主でもあり愛する人でもある彼女を危険にさらすわけにはいかない。


「お嬢さま、お嬢様。必ずまた爆発が起こりますからここから離れましょう」


「だめよ、何言ってるの、伊緒とシリルを置いてはいけないって」


「しかしお嬢さまに怪我をさせるわけにはまいりません」


 二人は辛うじて立ってふらついているシリルを見つけ驚きの声をあげる。


「シっシリル!」

「ええっ!」


 シリルと伊緒に襲い掛かる鉄塊が、ジルのセンサーでも検知できるほどの至近にまで近づいていた。二人に命中するまでもう二秒とかからないだろう。


「シリルさん危ないっ! 何か飛んできてますっ!」

「えっ?」



◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇



 ジルに言われるまでもなくシリルは何かの構えを取ると左手を軽く素早く振った。何かを払い除けるかのような、それでいてどこか優雅な仕草。二人に向かって飛んできたガスボンベは柔らかいチーズのように一瞬でいくつにも切り刻まれる。落下コースまでもが変えられたガスボンベの小さな破片は、誰もいない道路上のあちこちに耳障りな金属音を立ててガラガラと落下した。


 希美代にはシリルの手から延びる小さなおもりの付いたきらきらした糸のようなものがかすかに見えただけだったが、それで十分だった。


「どういうことよこれ…… どうして、どうしてシリルがあんなもの…… 」


 希美代は愕然とした表情で目を見開いてシリルを凝視していた。そんな希美代の様子にジルは不安を覚えた。回収車の中での会話、あれはやはり本当の事だったのか。


 もう一度爆発が起こり今度はトラックのタイヤが飛んできたが、これもシリルはまるで鋭利な刃物のような糸を振り、華麗ですらある動作で難なく切り刻んだ。


 シリルは気を失って道路上に倒れている伊緒を抱きかかえ、ガクガクする足を引きずってこの場を離れようとする。


 それを見た希美代もシリルと合流しようと小川から幹線道路に出ようとした。ジルはそれを必死で止めようと後ろからしがみ付く。

 その時先ほどより大きな爆発が起きた。いくつものボンベや大型機械が爆発し猛烈な爆風と熱と破片が四人を襲う。事故現場周辺の人々も慌てて逃げ惑う。


 よろよろと歩みを進めていたシリルは伊緒をかばい背中を向ける。それを見計らっていたかのように、160cmほどの細長い円柱形の医療用酸素ボンベがあたかもミサイルかロケットのように炎をまといながら飛んでくる。それに続いて大型のプロパンガスボンベもシリルと伊緒を襲う。

 それら二つの危険物を検知したシリルは伊緒をかばいながら振り向く。だが、シリルが糸状の刃物を放つよりも早く、円柱形の酸素ガスボンベは戦車に突き刺さる徹甲弾のようにシリルに着弾した。シリルは辛うじてボンベの砲弾を左手で把持するが、それも一瞬で、シリルの左肩フレームは根元から破断した。その左腕は炎にもまれ衣装も人造皮膚も焼け、躯体の赤いフレームが露わになる。左腕の最後の力を振り絞りつつ体をかわして猛進する酸素ボンベの軌道を逸らした。ボンベは道路上を幾度か跳ねると遠くへ転がっていく。が、これで終わりではない。同じ軌道を描いてもう一つ。シリルの視覚センサーの分析では内容物の残っている重さおよそ70kgのボンベが、突進してきていた。それは太くて短い円筒形をしていて、これもまた相手を殺し壊すために作られた砲弾と見紛うほど明白な殺意をもって二人に襲い掛かっていった。


 シリルは伊緒を急いで地面に下すと、言う事を聞かない左腕はだらりとぶら下げたまま、右手の掌底を構える。


 シリルはこのような構えを何故知っているのか分からないし、なぜあのような武器を持っていて、しかも扱えるのか知りもしない。知る必要もない。知りたくもない。


 今はこの力の全てを尽くして伊緒を守る。ただそれだけ。


 シリルは今、伊緒の気持ちがよく分かった。伊緒は罪を犯すこともいとわず、伊緒自身の身も顧みず、シリルを救おうとしてくれた。

 今のシリルにはその伊緒の気持ちが痛いほどわかった。今の自分自身も同じ気持ちだからだ。あの隧道トンネルでのやり取りをシリルは思い出した。自分が伊緒を止めようとしても聞かなかったように、シリルも今、例え伊緒が止めてもそれを聞くことはないだろう。

 シリルは愛する伊緒と同じその気持ちのままに、己が身を顧みず、今愛する人を救おうとしている。心静かに右腕を構え直す。


 炎に包まれ満身創痍のシリルと意識を失っている伊緒を目がけ、空気を切り裂く微かなうなりを上げ時速四百キロメートルで飛翔するおよそ70kgのガスボンベ。

 そのガスボンベの砲弾がシリルに着弾した瞬間、シリルが打ち込んだ掌底の一撃で、無慈悲な砲弾はその恐るべき運動エネルギーと無機質の殺意をかき消され、大きくひしゃげると派手な金属音を立ててアスファルトの上を転がった。


 それを見た希美代は絶句する。


「そんな馬鹿なこと…… 馬鹿なことあるわけないじゃない…… シリルあんた一体何者……」


 最後の力を振り絞ったシリルの腕部と脚部はあちこちでバチバチと火花が上がり、シリルの躯体各所のアクチュエーターと緩衝器が断末魔の悲鳴を上げ、息絶えた。

 シリルはゆっくりと膝を突き、そして倒れる。ジルが回収車で装填してくれたバッテリーももう切れそうだ。これだけの大仕事をしたのだから当然の事だ。腰部のバッテリースロットも爆風で大きくたわみバッテリーの装填は出来ず、脳機能用のバッテリーシールを貼ってくれる誰かもいない。


 ずるずると右腕だけを使って身体を引きずり、シリルは伊緒の隣に仰向けになった。身体を覆っていた衣類――伊緒に初めて見せたワンピースも、白く滑らかな人造皮膚も破れ、焼けただれ、穴が開いて皮下の金属組織が露わになっている。身体の半分は人としての姿を失い、もはや起き上がることすらままならない。


 そして間もなくシリルは電力供給を完全に断たれて機能停止し、脳機能も修復不能になる。

 それは、「人に言い換えれば」、死。


 すすに汚れたシリルはそれでも晴れやかな笑顔を浮かべていた。愛する人を、伊緒を救えたんだ。もう思い残すことなんて何もない。

 一部金属フレームが露出したシリルの右手が伊緒の柔らかな左手を握る。笑顔のまま、シリルはその深紅と黄金に輝く瞳を閉じた。



※2020年6月25日 一部固有名詞の表記に致命的な誤りがあり修正しました。

※2020年8月23日 加筆修正をしました。

※2021年2月18日 誤記の訂正と加筆修正をしました。

※2023年1月7日 表現を一部修正しました。

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