第54話 爆発

 マルチグラスをかけた二人と何も装備せずとも良いジルはシリルを覗き込む。頭部の髪に隠れた部分には脳機能ユニットに電源供給できる非接触型のバッテリーシールを既に張り付けていた。このバッテリーは、四十分程度しか持たないので予備もいくつか持参している。


 まずはシリル本体が再起動できるか試してみる。ストレッチャーに拘束されているシリルを自由の身にする。ひどく頑丈なベルトでがんじがらめにされているシリルを見ると伊緒の胃の腑の奥から熱い怒りがこみ上げてくる。三人で苦労しながらベルトを外したり切り裂いたりしてようやくシリルを拘束するものはなくなった。


 丁度その時、作業員たちは大声で話しながら乱暴にドアを閉める。


「あれなんだったんすかね。こっちがあんだけしてやったってのにっ。質の悪いいたずらかあ? むかっつく!」


 乱暴にドアを閉める落ちがする。


「いずれにしても怪我はなかったみたいだな。まあ、良かったんじゃないか」


 やはり大きな音を立てて助手席のドアが閉まる音がする。


「絶対舐めてる、舐めやがってる、くそっ! くそがきがっ!」


 突然モーター音がしてトラックは急発進する。


 シリルが寝台から危うく落ちそうになる。大きな音を立てるとまずい、89kgもするシリルを押さえて三人で押さえて何とか落下は防いだ。


 ジルが持って来たバッテリーを左腰部のスロットに差し込む。脊椎の首の付根付近のボタンを伊緒が指でまさぐって押してみるが起動しない。何度も押すが反応はない。希美代がボタン付近を手で触れてみる。


「やっぱりSL(※)カードがないとだめか……」


「配線をいじるの?」


「ま、無理だと思うけどね。やってみる」


 希美代はメスのような器具を取り出し、慣れた手つきでシリルの首根っこから下あたりの人造皮膚をスーッと切り開く。その情景に伊緒は思わず目を逸らした。


「ほらあんたたちは念のための処置するの。ぼやっとしてないで」


「あ、うん」


「はい、お嬢さま」


 伊緒たちはシリルの後頭部の人造皮膚を切り開く。シリルの再起動に失敗した場合はシリルの脳機能だけでも手に入れる手筈となっていた。


 しかしこれにも伊緒とジルは苦戦していた。


「後頭部っ何っ、何で出来てるのこれ通らないよっ。フェイスマスクと一体型だったっけ、メンテナンスマニュアルと違うよねこれ。おかしいなあ」

「私のデータとも明らかに異なっております」

 暑さと焦りで汗の止まらない伊緒は呻いた。汗をかかないジルの声にも困惑が混じる。

 二人は後頭部の内部構造を保護するプレートを引きはがそうとしていたが、そのあまりの固さに手こずっていた。それでもどうにかこうにか脳機能ユニットが見えることろにまでこぎつけた。

「よし後面空いたよ。けどこれじゃあ小さすぎて脳機能ユニット見えてこないなあ。側頭部を開けてみるね」


 側頭部も事前の資料とかなり違う構造だったが何とか脳機能ユニットが見えるようになった。それを覗き込んだ紀美代が呻く


「オーケーオーケー、側頭部からなら出せそうね。あとは保護材剥がして……うっ!」


「お嬢さま?」


「何?」


「どういうことよこれっ!」


「どうしたの!」


「本当に何から何までメンテマニュアルとも仕様書とも違うのね…… 脳機能ユニット手前にもう一枚防護板があるのよ。まるで軍用のシェルみたい」


 顎に手を当ててこのあり得ざる構造物を凝視する希美代。焦りと同時に好奇心が高まる。


「ぐ、軍用? 軍用って、軍ってどういう、こと?」


 あまりにも現実離れした言葉が伊緒に衝撃を与えた。都市伝説ではなかったのか。


「軍って言ったら軍でしょ。古いドラマや映画で見たことくらいないの?」


「だって、今の時代、軍、用だなんて……」


 シリルが軍用だなんて、そんな空恐ろしいことがあるのだろうか。伊緒は血の気が引いた。あの優しいシリルが。


「でもこれはどう見たって一般の仕様じゃないわ。試験運用機だったのかもね」


「やはり軍の再編という噂は本当だったのでしょうか、お嬢様」


「そうとも言えるし、そうでないとも言える。今はとにかくシリルを救うこと。そのことだけ考えましょ」


「ど、どうすればいいの!」


「うん、何が何でも外すっしかっ、えいくそっ、全部溝無しトラスネジで止めてあるとか嫌がらせとしか思えないもうっ!」


 希美代は工具箱を伊緒に手渡す


「ドリル工具使ってジルと伊緒で開けて! 私やけくそで再起動できないかもう一回配線し直してみる」


 希美代はまたシリルの首の付根や腰部をいじり始める。赤や青や黄色や緑のコードがシリルの身体から露出している。


「大丈夫、大丈夫ですよ伊緒さん。お嬢さまが絶対シリルさんを助け出して下さいます。私も頑張りますから」


「うん、うんっ!」


 伊緒とジルの二人でシリルの脳機能の防護板を取り外す。


「くそやっぱりだめかっ、直結の仕方変えたってだめかと思ったけどやっぱりだめかっ」


 強い苛立ちを込めた言葉を吐き捨てながら頭部に目を向ける紀美代。


「希美代さんっ! ネジ全部外せた! このままこの板とればいい?」


「うん、そうそう、そーっとそーっとね」


「とれたあ」

 チタニウム性の脳機能防護板がそっと取り外された。


「これ、脳機能もやっぱり特別仕様なんじゃないかしら。何から何まで仕様書と違うんだけど」


「脳機能ユニットは私が取り出す。うっかり落としたりしないようにしないと」


「お嬢さま! ここは危険です!」

 ジルが危険に気付いた。突然叫ぶ。


「危険?」


「ガスです! ガス漏れが! あれです!」


 ジルが指した先には大小のプロパンガスボンベが六つ、傍らには医療用の酸素ボンベが三本転がっていた。


 伊緒と希美代の顔が一気に蒼白になる。


「くそこんなときにくそっ!」


 呻く希美代を抱えるジル。


「ちょっ、何すんのっ!」


「こうでもしないとお嬢さまはここを出ようとなさらないでしょうから」


「当ったり前じゃないっ! 放せっ! 放しなさいジルっあと少しで脳機能だけでも取り外せるんだからっ」


「いいえ、なりません」


「命令っ! これは命令よっ! オーナー命令なんだからっ! 放しなさいっ!」


「私はもうただ命令に従うだけのアンドロイドではありません。お分かりのはずでしょう?」


「うーっ、くそ放せっ、あと少し、あと少しなんだからあっ!」


「さ、伊緒さんも。私が抱えますから脱出しましょう」


「行けない」


 伊緒はジルの目をしっかりと見据えてたった一言そう答えた。


「伊緒さん」


「あたしはシリルを置いてなんかいけない。ジルさんが言ったのと同じように。例え自分が死んだって」


 伊緒はシリルの脳機能ユニットの取り出し作業を続ける。


「このままでは私伊緒さんを置いていかなくてはなりません。それはそれでとても心苦しいのです」


「大丈夫。あたしにはシリルがいるから。ね?」


 伊緒はジルに微笑むと再び作業を続けた。


「だから、だから、私も開放しろお!」


 希美代はじたばたと抵抗を続ける


 ジルは苦しそうな顔をして、もしかしたら涙ぐんでいたのかも知れない。


「伊緒さん、見捨てる様で申し訳ありません。どうぞお許し下さいませ。そしてどうか、どうかご無事で」


「だから放せ放せてばっ!」


「? シリル?」


 伊緒には一瞬シリルが身じろぎしたように見えた。


 その時トラックが大きく揺れた。ボンベも大型機器もストレッチャーも揺れた。伊緒とジルも大きくバランスを崩しよろめき、希美代はジルの腕からようやく解放された。寝台から落ちそうになったシリルの身体が上を向く。その目は開いていた。虹彩には金と深紅のきらめきがいつになく眩く、そして美しく輝いていた。脳機能周りの開口部を塞ぐようにまた防護板がスライドして脳機能を守る。


 一同が息を呑む間もなくもう一度回収車が大きく揺れる。大型機器同士が激しく擦れて火花が上がった瞬間、息がつまる炎と熱と轟音と圧力が伊緒を襲い、自分が高く飛ばされているような感覚を覚えた。そしてすぐ自由落下しているかのように身体がふわりとして重さが消えた。

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