シリル救出大作戦 ~ そして涙は流れずとも ~

第51話 作戦発動

「じゃあシリル。またね」


「ええ、また。伊緒」


 キャンプから帰った二人は、シリルの家の門前にたどり着いた。二人は何事もなかったかのように笑顔で軽くキスを交わす。だが、シリルの笑顔は固い。それは隧道トンネルでの出来事が原因ではなく、自分が廃棄されて死んでしまうのではないか、という不安から来ているのだ、と伊緒いおは信じたかった。

 シリルが家に入るのを伊緒は見送る。シリルはローズウッドの大扉を開けて家に入る時、いつものように伊緒に顔を向けることなく俯いたままだった。


 この後三時間足らずでシリルは廃棄物、ごみとして運び出されるのだ。そう思うと伊緒は怒りで奥歯が砕けそうになるほど歯を食い縛る。必ず、必ず助け出すからね。自分の全てを犠牲にしてでも助け出すから。そう伊緒は心の中で呟いた。

 シリルは自室に戻り、椅子に掛け、ただただこれからの成り行きを恐れていた。


 伊緒は急いでリュックの中からモーターブレード(※)を取り出してこれに履き替え、希美代たちと取り決めた「作戦地点」に向かった。


 シリルの家からほど近い片道一車線の狭い道路。ここが第一の作戦地点になる。伊緒が到着した時には既に全員が揃っていた。希美代とジル、そして栄原えはら太賀たがの合わせて四人だ。これに伊緒を加えた五人でシリルの救出作戦を実行する。


「全員揃った? 遅くなってごめん」


「いいのよ、主役は一番最後に来るものなの」


 だがまるで主役然として一番張り切っているのは希美代のようにしか見えない。

 その希美代はザックを背負い直し、努めて明るい顔で伊緒に話しかける。


「どう? 楽しんできた?」


 希美代は伊緒に徹底的に楽しんできなさい、その間の準備は全部自分がやっておくから、と伊緒に進言していた。実のところ絶対に成功する保証のない作戦だ。もしもの場合に備えて、沢山思い出を作って欲しい。そんな願いからだった。


 伊緒は希美代に薄い笑顔で返答し、希美代のトライトンTK8030とは比べ物にならない安物のマルチグラスをかけて点ける。端末を内蔵されているジル以外が自分たちの端末やリストターミナルやマルチグラスを凝視する。


「今日はみんなありがとう。じゃあ聞いて。手はずの確認。知っての通り、シリルを乗せた回収車は、リサイクルセンターへ向かう途中必ずここを通る」


 リストターミナルに道路地図と車輛の画像が3Dで浮かび上がる。そこには回収車の移動ルートが描かれている。外からは見えないがマルチグラスにも同じ画像が表示されている。


「この道を逃したら車は幹線道路に入ってしまう。そうなるともうあたしたちが乗り込めるチャンスはほとんどない。仕掛けられる場所も視界の悪いここしかない」


 つばを飲み込んで伊緒が続ける。


「あたしがマルチグラスを通して合図をしたら、あらかじめチョークでバツをしてあるところに、栄原さんと太賀さんが自転車ごと転んだふりをして車を止めて。停車時間は長ければ長いほどいい。その間にあたしたち三人が乗り込む」


 全員の端末にその状況をイメージした動画が表示された。


 それを見ながら緊張した面持ちでうなづく太賀と栄原。その顔つきには緊張だけでなく、強い決意がうかがえる。二人はクラスの中でも特にシリルに好感を抱いており、そのシリルが廃棄解体となると伊緒が打ち明けた時は強いショックを受けた。伊緒が二人にシリル救出の実行について協力を仰いだ時、二人は一も二もなく作戦参加を申し出てくれた。二人の役目はシリルを乗せた回収車を停車させ、出来るだけそこから動かさないように足止めする事だった。


「あたしたちが乗り込んだら合図するから聞き逃さないでね。その後もできる限りでいいから時間を引き延ばして。これでいい? 何か質問はある?」


 希美代はいつもの皮肉っぽい笑顔を交え太賀と栄原に声をかける。


「あんたたちのすることは、ちょっとしたいたずら程度のことなんだから、ばれたってどってことないわよ」


「え、ええ」

「……うん」


 少し不安げな声の二人に伊緒は優しく声をかける。


「大丈夫。難しいことじゃないし、二人共もし大変そうだったらすぐやめて逃げるなりしていいからね」


二人は静かにうなづ


伊緒が希美代とジルの方を向く。


「あとは希美代さんとジルさん、仕様書は頭に入れて来た?」


「私を誰だと思ってんの」

「私もご心配には及びません」


 不敵な笑みを浮かべる希美代。こういう時はなんだかとても頼もしく見えるから不思議だ。メイド服ではなく動きやすいパンツスタイルのジルも自信ありげな笑顔で伊緒を安心させてくれる。その一方で既に緊張が限界まで来ている伊緒は、心拍数も上がり、まるで心臓が震えているような錯覚を覚えていた。それでも敢えて平静を装う。四人に余計な心配や不安を与えたくない。平静を装って事務的に話を進める。


「時間は限られてる。プロ以上に手際よくやらないとね」


「分かってるって」

「はい」


 希美代もジルも自信満々の表情を浮かべた。その笑顔に少し安心した伊緒がリストターミナルを見て提案する。


「まだ一時間以上あるから少し休もう。その間頭の中でシミュレーションするなりしておいてね」


 五人の立っているこの道路脇には、下生えの手入れもおざなりな小さな石垣と、その上の祀られた祠がある。めいめい石垣の上や階段に腰かけ、自分の役割を反芻したり資料を読み直すなどしている。ジルは立ったままで省エネモードに入り、まるで手を組んで瞑想しているかのようだ。


 伊緒は作戦のことではなく隧道でのシリルとの会話を思い出していた。愛は甘い事ばかりではない、去年プールでそう言ってのけた伊緒だが、よもやシリルがそれほどまでに苦悩していたとは思いもよらなかった。シリルをそれから救い出したい。でもそれは具体的にどんな苦悩なのか。伊緒にはまだ見当もつかない。

 それでも、あたし自身のこのシリルへの想い、この愛は偽物なんかじゃない。機械への愛なんてまがい物だ、とあたし以外のすべての人があたしを否定しようとも。

 だから。あたしは今やれる事をやる。伊緒ははるか向こうにけぶって僅かに傾いて立ち並ぶ工業地帯を見据え拳に力を入れた。



「伊緒?」


「え? あ、ああ……」


 希美代が気遣わし気に声をかけてくる。伊緒ははっと現実に引き戻された。


「もう時間よ。大丈夫?」


 伊緒は銀色のチューブドリンクを一気に流し込み、銀色の空容器をザックに放り込んで立ち上がった。


「よしっ、そろそろ始めよう。栄原さんと太賀さんはそこのポイントの脇に待機してて。絶対に、必ずシリルを取り戻そう」


「はいっ」

「うんっ」

「任せて」

「微力を尽くします」


 太賀と栄原が真剣な面持ちで頷くと、足早に持ち場へ自転車を押していく。

 伊緒はマルチグラスのツル部分のボタンを操作して交通情報を確かめる。メガネのガラス部分に図表と地図が表示され、渋滞や事故の情報はない。このまま予定通りであればシリルを乗せた回収車がおよそ十五分後には到着する。



▼用語

※モーターブレード:

 モーターで駆動するインラインスケート。パワーラッシュで使用されるものと原理的には同じ。定められた場所での使用しか認められていない。公道での使用は罰金二十万円以下、禁固三年以下の刑罰が科される。しかし、実際に摘発される例はごく稀。

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