文化祭

第38話 文化祭

 十一月に入り、風の冷たさがより一層身体に染みるようになると、気象情報でも低温情報が聞こえてくる。

 この頃には鴎翼おうよく高校生にとって第二の重要イベントである文化祭が開催される。球技大会は運動神経に自身のない生徒にとり気持ちの乗らないイベントだが、文化祭は違う。彼らはこれぞ我が世の春とばかりに大いに翼を羽ばたかせるのであった。


 その文化祭当日。伊緒いおとシリルは朝からてんてこ舞いだったが、それからもようやく解放される。早速二人で文化祭廻りを楽しもうと胸を弾ませていた。空いている時間は一時間ほどしかなく、衣装を着替えるのももどかしい。多少目立ったり邪魔だったりするのは承知の上で、そのまま校内を巡ろうと考えていた。



 そして気忙きぜわしく校庭に出た瞬間、二人は一番会いたくない人物とばったり鉢合わせをしてしまった。二人を見るや否や彼女はいやらしい笑みを最高潮に湛え、腕組みをしながら無言で二人を上から下まで舐めるように眺めている。

 そう、二人はひらひらレースのメイド衣装に身を包んでいたのだ。


 一体どんな反応が返ってくるのか、おおよそ見当はつくものの、二人は身を硬くして身構えた。


「ぷっ……」


 この屈辱的な希美代の反応に二人は真っ赤になって抗議しようとする。


「おっ、荻嶋さんに笑う資格なんてありませんからっ」

「あっ、あたしがメイド服来ちゃいけないってのっ?」


 が、この時既に希美代は微笑みから爆笑モードに変更されていた。ひとしきり笑い終えて目じりを拭う。


「はいはい可愛い可愛い。二人ともよくお似合いよ。特に伊緒は。『馬子にも衣裳』ってこういうことなのね」


「やった。あたし今褒められた?」


「けなされたのよ」


「むかっ」


 下らない話をしていて気づかなかったが、希美代の隣に背が高く仕立ての良い本物のメイド衣装を身にまとったアンドロイドが立っていた。

 伊緒はその相手がまるで人間であるかのように、彼女について希美代に尋ねる。


「あの、こちらの方は?」


「ああ、うちのメイドでジリアン、ジルって言うの。うちのって言ってもオーナーは私なんだけどね」


「まあ」

「おっ、オーナー?」


 希美代は数千万円もするアンドロイドのオーナーだというのだ。二人は改めて荻嶋家の財力に驚かされた。


「それでね、お願いがあって来たの。私もそのお仲間に入れていただけないかしら。ゲストとして。希望があればジルも入れてもいいけど」

 当たり前の事だが二人は難色を示す。さすがに他クラスの生徒とそのアンドロイドを参加させるのはよろしくない気がする。


「えぇ」

「うーん、どうなんでしょう」


「勿論G組のみんなと話してもいいわよ。ほらH組は焼きギョーザっていうほんとアレなヤツなんだからやんなっちゃうのよ。ほんと今日明日明後日でいいからお願い」


 希美代のくせして可愛く手を合わせる。


「それじゃ全日じゃないですか」

「でもさあ、あんなに笑われてさ、あたしたちにもプライドってゆーもんがあるからさあ」

「そうですね」

 呆れ顔のシリルと不機嫌そうな伊緒は希美代のお願いを受け入れる気にはなかなかなれない。特に腰に手を当てて少し鼻息の荒い伊緒はよっぽど腹に据えかねたようだ。


 そう言われるとまた二人に視線を戻して笑いがぶり返す希美代。

「だって、二人ともっ…… すっご、い…… かわっ、いいからっ! ぶーっ! うはははっ!」

「お嬢さま、あまりからかわれるのはお可哀想ですよ」

「だって、だって、くすくすくす」


 メイドアンドロイドは深々とお辞儀する。

「私、先ほどの紹介にもございましたジリアンと申すものです。どうぞお気軽にジルとお呼び下さい」

「あ、はい」

「どうぞよろしくお願いします、ジルさん」

「ふふふふっ、うふっ、うふっ、あははははっ」


 シリルはジルとアンドロイド間でだけできる通信を試みる。わずか一秒にも満たない通信だったが、お互いについて深い理解を得た。


「ああ、そうそう。もちろん何にもなしで参加させろって訳じゃないのよ、ぷふっ」

 希美代の言葉に合わせ、ジルが持ってきた大きな袋を開く。


「わあ」

「これはいいものですね」

 二人が感心する位出来の良いメイド服が十着以上も入っている。

「持ち運びや利便性を考えたから、化繊で簡素なタイプなんだけどね。少なくとも今あなたたちが着ている服よりずっと上等よ」

「うん、確かに……」

「これは、化繊とは言えベルベットですね。驚きました」

「勿論、安いものなんだけど」

「こんなにいいものをどうされたんです?」

「私とジルで頑張ったのよ。お店に作らせたものじゃあなたたち受け取ってもらえないんじゃないかと思って」

 実を言うとこれは嘘だ。希美代はジルにそんな苦労を掛けさせるつもりはないし、一方のジルにしてもそうだった。ましてや自分からこれだけの量のメイド服を二人で作れるはずもない。


「それならもう少し早く言ってくれれば……」


 シリルはともかくメイド服の縫製にひと苦労した伊緒は些か不満顔だった。


「知らなかったのよ。昨日初めて知ったの。そうじゃなかったら私の方から合同でメイド喫茶を提案してGH組ぶち抜きでやったのに…… ギョーザなんてあたし耐えられない」


 ギョーザの良し悪しについて伊緒は大いに異を唱えたかったが、このメイド服を着られるというのなら自分を含めみんなも喜ぶだろう、だがそこで伊緒ははたと気づいた。

「あれ、男子の執事服無いんだけど」


 希美代は事もなげに答える。


「ああ、いいじゃないあんな無粋なの」


「ええっ!」


 珍しくシリルが色めき立つ


「いっ伊緒に着せたかったのにっ!」


「またそんなこと言うの! もういいじゃん。その話は終わり!」


 伊緒も色めき立つ。


 実は伊緒がメイド服と執事服どちらを着るかで大げんかをしていたのだ。結局のところ伊緒の極めて強い希望をのんでメイド服を着ることになったが、女子を中心に異論が吹き荒れた。結局、二日目の午後だけ、伊緒は執事服を着せられることになっていた。そんなこんなで伊緒は執事服に対しナーバスになっていた。


「荻嶋さん、お願いです。執事服一着だけでも用立てできないでしょうか」


 懇願するシリル。これはもう「心」丸出しだ。希美代もジルも苦笑いを隠せない。


「明日の午後まででしたら大丈夫です。お任せ下さい」


 穏やかに答えるジルの言葉に少し大げさなほどに安堵の色を見せるシリルであった。


 希美代とジルを連れてこの話をクラスに持ち帰ったところ、概ね好感を持って受け入れられた。質のよいベルベットのメイド服に女子や一部の男子は大喜びだったが、執事服がない事に対する不満がないわけではなかった。


 ゲストで参加できることになった希美代も大喜び、いや大はしゃぎだった。早速明日からのシフトを組みなおすところまで話は進み、ここでようやく伊緒とシリルも開放された。教室を出る時、ジルが二人に感謝の笑顔を見せつつ深々と礼をした。


 シリルの希望で園芸部や生態研究部の展示を見て回った後、二人はメイド服のままぶらぶらと校内をうろうろした。二人の服装があまりにも目立ち、周囲の生徒の注目を浴びたため、なんだか居住まいが悪くなった二人は、結局いつもの第二音楽室前で並んで座る。

 シリルはすこし真面目な顔で伊緒に話を切り出した。


「荻嶋さんの連れてきたジルさんなんだけど」


「うん。どうかしたの?」


 伊緒は模擬店で買ったフィッシュアンドチップスを食べながら答えた。


「ジルさんがきっと荻嶋さんの『私はそうしてる』って言ったお相手なんじゃないかしら」


「そうなんだ。へえ、ふふっ」


 伊緒は急ににやにやしだす。


「そんなあからさまに顔に出さないの。私たちだってそんな風にされたらいやでしょ」


「はあい」


「さっき初めてジルさんに会った時、私通信でご挨拶したのよ。型通りの通信だったけど、どうも違和感があって…… それにノイズも少しあったの。やっぱり私と同じようにバグっているんじゃ――」


「シリルはバグってないよ」


「ああ、そうね。そう、変な事言ってごめんなさい。ありがとう伊緒。でもジルさんが荻嶋さんを見る目が慈愛に富んでいるというか、とてもやさしい眼をしていて、あれはやっぱり心があるからなんだと思う」


 伊緒はふやけたポテトを口にしながらまだにやにやしている。


「でもそのジルさんは、希美代さんの一体どんなところを好きになったのかなあ。不思議だなあ」


「もう! だから! そういうこと言っちゃだめ! 私たちだってそんなこと言われたいやでしょう?」


「はあい」


 翌日。

 希美代のメイド衣装にG組は大騒ぎとなる。やはり仕立てのよいベルベットのメイド衣装にヘッドドレス、白いタイツにエナメル靴と言った非常に主張の強い衣装を得意気にひけらかす。それが中学生の平均身長を下回り大きな瞳をした希美代の外見と独特な融合を見せ、特にの男女を大いに熱狂させた。

 またそれとはまったく真逆の雰囲気をもつジルの姿も生徒たちの目を引いた。希美代を遥かに上回る上背を持ち痩身の彼女は、実際にメイドをしているだけあって、その身のこなしは実にそつがなく優美であった。

 これに体育祭の隠れた英雄のシリルとハンドボールのMVPである伊緒が加わったので二年 G組のメイド喫茶は大盛況。行列ができる程であった。


 今般の文化祭については、体育祭のようなアンドロイドの選手登録や出場の規制がなく、シリルは自由に文化祭を楽しむ事が出来た。それだけでなく希美代の「持ち込んだ」アンドロイドのジルについても文化祭の実行委員会はこれをとがめだてするものではなかった。


 こうして大手を振って文化祭を満喫した希美代とジルの様子を見て、伊緒もシリルも気づいた。この人間とアンドロイドは忌避的行為である物理的接触をしていることに。

 二人は確信した。希美代のメイドアンドロイドのジルにはが生まれているのに間違いないことを。

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