ただならない二人

第42話 鴛鴦(おしどり)

 あれから五十畑は宮木と一定の距離をとるようにしていた。職場での接触は出来るだけ避け、声をかけられても適当にあしらっていた。


 また、自身の手の届く範囲で秘匿情報を確認してみたが、これと言って盗まれた形跡はない。だが油断してはならない。跡一つ残さず盗んでいったことだって考えられる。だとすれば犯人は相当な手練てだれと言えるだろう。


 宮木と鉢合わせをするのがいやで、五十畑はかぐらからも遠ざかっていた、しかしいい加減あそこの酒が飲みたくなった。あそこの肴を味わいたくなった。


 宮木が出張しているのを知った五十畑はかぐらに向かう。まるで隠れてこっそり飲みに行くみたいで、なぜ自分が宮木から逃げるようにしなくてはいけないのかと思うと五十畑は苛立った。が、やはりここで飲むと落ち着く。苛立ちなどすぐに忘れた五十畑は久しぶりになじみの店の酒と肴を堪能する。久しぶりに少し酒が進んだかもしれない。


「酔った姿もお綺麗ですね五十畑Cdf」


「ぁひゃあ!」


 耳元に息をかけるようにして囁く声に仰天して奇声を上げグラスをとり落しそうになる五十畑。声の主は判っている。こんな悪趣味な事をする奴は一人しかいない。


「宮木…… あんたこんなとこでなにしてんのよ……」


 酔った赤い眼で宮木を睨みつける五十畑。


「ご挨拶だなあ、想定より早く出張から帰って来れたってわけ。仕事ができるんでね」


「嘘おっしゃい」


「はは、やっぱり分かる? あっちの機械が動かなくなっちゃってさ、いてもしょうがなくなっちゃったんだよね。だから延期。修理、ふた月はかかるって」


「へえ」


「隣、いい?」


「…………いい」


「やった」


 以前と全く変わらぬ宮木を懐かしむ自分と酔いが、五十畑の心境を少し変えていた。宮木は何食わぬ顔で熱いお絞りで手を拭いて冷やを注文している。まるでいつも通りだ。そしていつも通りの口調で喋る。


「最近ここ来てなかったみたいだけどどうしたの?」


「何でもない。そんな気分じゃなかったの」


「なんだか会社でもスルーしてばっかりだしさあ」


「あんたと話す気分じゃなかったの」


 へらへらした笑顔の宮木と仏頂面の五十畑。だが、突然宮木が少し真顔になる。


「……何かあった?」


「……あるにはあったけど、言えない」


「なになに、相談に乗るよ、そりゃ仕事はできないからあれだけどさ」


「できない?」


 宮木をちらりとにらむ五十畑。


「なにが?」


「仕事」


「あ、うん、自慢じゃないができる方じゃないねえ」


 宮木がおどけて答えると、宮木を横目でぎりっと睨む五十畑。


「あんた、仕事以外のことしてるんじゃないの? 会社で」


「えっ?」


「わかんない?」


 詰問口調で宮木を睨む五十畑に当惑する宮木。


「いや、それが全然わかんなくて、さ……」


 とぼけてるのか本当に分からないのか。そんな態度に腹を立てた五十畑は、宮木の方を向いてつい大声を出してしまう。


「仕事以外に社内で何やってんのよ、ってこと!」


「……ナンパ? ですかね……?」


 本当に心当たりがないのか当惑した表情を隠せずに、面白くもない冗談を口にするしかない宮木。


「ばっかじゃないの! このタコっ!」


 平手を振り上げる五十畑、それを手で受け止めようと無様なポーズをとってる宮木、板さんはそ知らぬふりを決め込んで米茄子の皮を剥いている。二秒ほど時間が止まったかのようになったが、気を取り直して五十畑はブラウスの襟を正して座り直す。


「ま、まあ、なにかご機嫌麗しくないご様子なので一杯おごりましょうかお嬢さん? あっ、あっ、いやっおごらせて下さいっ、だからぶつのやめてっ!」


 冗談の減らない宮木を再び手で威嚇する。


「じゃ、鴛鴦おしどり(※)ダブル、ロックで」


「ちえぇ」


「九十七パーセント以上は身から出た錆なんだからね」


 結局その後もろくに話すことはなく、互いに横に並んで一人飲みをしている状態だった。十五分ほど経った頃、宮木がぼそりと呟く。


「あれさ、『宮木の耳寄り情報』さ、あれもう発信できなくなっちゃった」


「なにそれ? 一体どういうこと?」


 五十畑が最も気を揉んでいた話がいきなりすっと出てきて驚く。


「知りたい?」


「……」


 咄嗟とっさには言葉が出なかった。頷けば宮木の内偵について関心がある事を示し、そうでなければ五十畑が知りたい話が聞けなくなる。思わず宮木に目を向けると横目でこちらを見る宮木と目が合う。うっすらとにやっと笑ったようだ。

 宮木はこの視線でのやり取りで五十畑の回答は得たとばかりに、勝手に話を続けてしまった。


「情報源がさ、潰されちゃったんだよね」


「なんですって」


 剣呑な話に五十畑はゾッとする。それに一体なぜ宮木は今ここでこんな話をするのか。


「三沢」


「は? 監査の? あのでかぶつ?」


「そう、出所でどころ。内緒だよ」


「弱みでも握って脅したの? それとも金で情報買ったの? それともあのゴリマッチョ篭絡ろうらくしたの?」


「凄い想像力だな、企業ミステリ作家になれるよ」


「またそうやって馬鹿にして!」


「それがさ、勝手に全部教えてくれて」


「嘘おっしゃい」


「いやいやほんと。飲みに誘われたら酒の席で勝手にどんどんしゃべってくるんだもん、びっくりしちゃった」


「は?」


「まあ、美人Ldvのあたしに気があったんじゃない? でこっちが面白がるネタを喋って気を引いたり、こんな重要情報知ってる俺って社内では凄いんだぞってアピールしたり、あとは自己顕示欲を満たしたかったんじゃないかな、って。社内メールまでして送ってくるんだもんね」


 五十畑にはどうにも不可解な話だった。一体宮木に気のある男なんているのだろうか。

 それに何だか不愉快だった。理由は分からないまでも実に不愉快だった。


「あんたに気があるって…… しかし黙って聞いてたあんたもたいがいね。どうするのよ」


「どうもこうも今頃あっついお灸をたっぷり据えられている事でしょ。まああたしも色々お叱りを受けましたが。黙って聞いちゃったからさ。あははっ」


「あはは、って…… あのねえ、その情報私まで知っちゃったんですけど」


「大丈夫、五十畑のことは黙ってた。ちゃんと足がつかないタイミングで情報提供してたし」


「……うん、じゃあ、まあそれについてはありがと」


「どういたしまして」


 にっこり笑って冷やをあおる宮木。それを見て五十畑も不愉快なまま焼酎をちびりと口にしてホタルイカに箸を伸ばす。


「でもさ、笑っちゃうよねえ」


「何が?」


Wraithレイスってやっぱり心みたいじゃん」


「ねぇ、何? またその話なの? いい加減聞き飽きたんだけど」


 またぞろWraithの話を持ち出す宮木が五十畑にはいい加減鼻についた。だが当の宮木はカウンターの向こうに貼られたお品書きを眺めつつ誰に聞かせるでもなく独り言ちている。


「人の心は削除も取り出しもできないように、脳機能に勝手に生まれたWraithもまたデリートや転送もできないんだからさ。連中も言ってたけど全く厄介な代物だよ」


「心…… 機械から生まれたものを心と言っていいのかしら」


「逆に同じ機能を持っているにもかかわらず、機械から生まれたからって心と認めないその心は?」


 にやりと笑って五十畑に返す宮木。


「う…… それは、やっぱり…… 出所が違う、から?」


 五十畑は半ば返答に窮しながらも辛うじてありきたりな答えを吐き出した。



▼用語

※鴛鴦:

 爽やかな切れ味の一方で麦の香りが濃厚な麦焼酎。かぐらでは麦焼酎は一般的に少々高額。



【次回】

 第43話 良き心

 5/25 22:00 公開予定


2020年7月31日 加筆修正をしました。

2020年8月14日 加筆修正をしました。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る