第41話 拒絶

 目を伏せ東屋の石畳を凝視する伊緒の声は涙声で震えているのか、それとも怒りで震えているのか。シリルには判じかねる。


「……人間に置き換えればの話よ」


 駄々をこねる子供に困った母親がつく溜め息のような音をスピーカーを通して口から発声するシリル。子供に言い聞かせるように伊緒の手に自分の手を重ねる。


「シリルは人間だ!」

 強い意志を持った目でシリルを見つめる伊緒。感情に任せてまるでシリルに抗議するような口調になってしまった。


 少し苛立ったシリルは怒った顔でやり返してしまう。

「そう? 骨格がチタンや炭素構造物やセラミックでも? 皮膚が樹脂でも? 髪が化学繊維でも? レンズ体の代わりに本物のレンズが入っていても? 声帯の代わりにスピーカーがついていても? 心臓も肺も肝臓も腎臓も膵臓も脾臓もなくても? 筋肉が化学合成品やモーターでも? 脳がタンパク質でなくゲル状の化学物質と鉱物や金属でできていても? 汗腺や涙腺がなくても? 食べ物を消化できなくても? そして人間と区別するために深紅と黄色に明滅する瞳孔を持っていても?」

 いつの間にか伊緒に重ねていた手に少し力が入っている。


「シリルには心がある。人間とおんなじ心が」

 伊緒にしては弱弱しい声だ。


「…………ええ。……不思議よね。人間と同じような心が私の中に生まれるなんて。でもね、この間プールで話したでしょう。人から生まれた心と機械から生まれた心はやっぱり本質が違うのよ。ねえ、私に搭載されている脳機能のWドゥブルヴェから勝手に生まれてしまった心って、何て呼ばれているか知ってる?」


「え? 、じゃだめなの?」


「うん、だめみたい。Wraithレイスって呼ばれているんですって」

意外そうな顔をする伊緒に悲しそうな微笑みを浮かべるシリル。


「レイス……?」

「幽霊、亡霊、ゴースト、失った体を求めさまよう生霊」

「! ひどいよ! それホントにひどいよ! 幽霊なんかじゃない! シリルの心は幽霊なんかじゃないよ! 何から生まれようと何処から生まれようと心は心に違いないじゃないか! 全然おんなじだよ! 笑ったり、泣いたり、楽しんだり怒ったり嬉しかったり寂しかったり…… 心の動きそのものは全く同じなんだから! シリルの心はあたしの心となんにも違わないのに!」

 怒ったような顔で泣いている伊緒の表情はシリルも初めて見た。それはつまり伊緒は心を持つ一人の人間としてシリルを大切に思ってくれている証左でもある。アンドロイドである自分の定めに諦観していたシリルに温かいものが湧き上がってくる。愛し愛される人がいる喜びが。しかし、現実はその喜びを木の葉一枚より軽く切り裂いてしまう。やはり伝えた方がいいのかも知れない。自分を含めたアンドロイドに定められた冷たい現実を。


「ありがと。そう言えば心が生まれる前、私も自分自身を亡霊だって言ってたわね。でもこの心は間違いなく伊緒が私にくれたものなんだもの。これは絶対に幽霊なんかじゃないわよね。ありがとう、伊緒。私に心をくれて」


 面を上げ伊緒に微笑みかけるシリル。伊緒も少し笑顔を返してくれた。が、すぐに俯くシリル。


「……でも……その、ごめんなさい。ずっと黙ってたんだけれどやっぱり本当のことを言うわね。実は私、来年の四年次メンテナンスで脳機能交換されてしまうはずだったのよ。Wraithが生まれちゃってるから。」


「え……」

 シリルは顔を伏せていて伊緒の表情までは読み取れなかったが、敢えて見るまでもない。氷のように青ざめているに違いないから。


「伊緒が言う心、つまりWraithはバグ。だからバグった基板は交換、ってこと。そう考えたら普通の事でしょ?」

 この雨はいつ止みますか、といった日常会話のようにありきたりな口調で語るシリル。その表情は機械のように無機質だ。どのような顔をすればいいのか、シリルには全く分からなかった。

 そしてどうしても伊緒の顔を見る事が出来ない。今伊緒が受けているであろうショックを思うとその表情を見るのが恐ろしくて顔を上げられない。

 そう、何があろうと、シリルの短すぎる「心の寿命」は宿命としてその額に刻印されていたのだ。その真実を伝えてしまったシリルは激しい罪の意識に囚われている。


「バグ? 交換?」


 伊緒はシリルの言った言葉の単語をオウム返しするばかりだった。シリルが言っている言葉は頭に入ってきても、それが何を意味するのかが心で理解できない。理解するにはあまりにも恐ろしい事実。心を持つに至ったアンドロイドは皆いつか必ず同じ末路を辿るのだ。当のシリルは俯いたまま無表情で話を続ける。こんな話なんて少しでも早く終わらせ、残された短い稼働期間を伊緒と有意義に過ごしたい。


「そう。伊緒が私の事を心持つ人間としてみてくれるのはとても嬉しい。嬉しいけれど…… 他の人達はそう思ってはいないの。他の人達全てが。伊緒を除いた全ての人は伊緒とは違う考えなのよ」


「……どうして、どうしてなんだ…… どうして、どうしてどいつもこいつも……」


 ベンチに腰掛け膝に肘をつき頭を掻きむしる伊緒。


「ごめん、なぜだか私にもよく分らないんだけど、この事がどうしても言い出せなくて…… 伊緒に特別な気持ちで私に接してもらいたくなくて…… いつも通りに過ごして貰いたかったのかも…… 多分。黙ってて、その、本当にごめんなさい」


「……うっ…… くっ…… ひくっ…… うっく」


「だから、だからいつかさよならするまでの間、少しでも普段通りのまま一緒にいられたいいなって思ってた。でも、今回の離婚の騒ぎでそれもかなわなくなってしまって。近々廃棄されることが決まっちゃったの。ふふ、ついてないね」

 今日何度目かの寂し気な微笑をみせるシリル。

 伊緒はぎょっとした表情でシリルを見る。その眼は真っ赤だった。

「え…… それっていつ……」

「離婚で所有権がどうなるのか気はなっていたのだけれど、私の方からそんな事は訊けないし。だからこっそり調べてみたの。そしたらあと――」


 自分の死期を伊緒に伝えるのは胸が裂けるように辛い。それでも一瞬天を仰ぎ下唇をきゅっと噛んで伊緒の目をしっかりと見つめる。


「あと七日と十時間二十二分で私は解体業者に引き渡されるの」


「なっ、七日っ⁉ 一週間⁉」


「正確には来週の火曜日ね。だからその間二人でいい思い出作りましょ」


 シリルとしては精いっぱいの笑顔を作ったつもりだったが、それはきっと上手く行かなかっただろう。それに伊緒には笑顔を作る意義も理由も見当たらないようだった。無言でシリルを見つめている伊緒。

「……」

「伊緒?」

「……」

 シリルはこんなにも真剣な眼差しの伊緒を見た事がない。告白の時以上に強い感情がこもった眼だ。伊緒は涙を流しながら何かに絶望し何かに怒って何かを悲しんでいるように見えた。それが何なのかまではシリルには理解できなかった。


「嫌だ」


 その一言を震える声で絞り出すようにして呟くと伊緒は全速力で雨の中を走り去っていった。

「伊緒……」

 残されたシリルはただ悄然といつまでも東屋で腰かけているばかり。そしてそこに腰かけたままたった一人で彼女は「泣く」ことを覚え顔を覆う。涙腺もないのに。代わりに少し潤滑油が滲み出てきてしまった。しかしこの新しい感情もまた七日後には何の意味のないものになってしまう。


 やがて力なく立ち上がったシリルは背を丸めとぼとぼと帰宅する。いつの間にか雨は止み、ペトリコールのふわりとした香りだけが微かに残る穏やかな夜半。優しい風がシリルのまだ乾ききってないワンピースのスカートをそっと揺らそうとするが、べたべたと脚にまとわりつくばかり。少し涼しくなった湿り気に包まれながら、シリルは思う。


 伊緒からも拒絶された自分は、一体どうやってあと七日間もの時間を生きて行けばいいのだろう。そう思うシリルの目には何も映らず何も見えなくなる。アンドロイドの眼どころか、人形よりも無機質な輝きを見せるシリルの瞳。



▼用語

※ペトリコール:

 雨が降る際に地面から立ち昇ってくる独特の香り。植物由来の油分や土壌生物が作り出す物質、オゾンなどによって生み出される香りとされている。



【次回】

 第42話 鴛鴦おしどり

 5/24 22:00 公開予定

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