第10話 シリルの得たもの
午前0時15分になるとシリルはホワイトアッシュ(※1)に似た樹脂でできた高価なベッドに横たわり、翌朝6時45分まで充電をするようプログラムされている。ベッドに敷いた非接触型充電シートの上に横になる。必要はないが両親のオーダー通り枕に頭を乗せ、この時期だとタオルケットをかける。バッテリーに余裕がある時は充電中でも各機能が働いていて知覚も感情も動く。しかし、身体を動かすことは制限させられている。
シリルは暗闇の中で天井を見つめ今日の出来事を正確にリプレイする。記録のほとんどはこれまでと変わりがなく、シリルにとって何の興味もひかないただの映像と音声と嗅覚情報に過ぎない。
しかし、島谷
シリルの
次いで目を閉じ自分に格納されているデータベースを参照して自らの脳機能について検証する。頭部のところどころで、人造皮膚の下に埋もれたLEDが明滅する。その検証結果として、自分の脳機能の中には感情プログラムとほぼ同様の何かが生まれている蓋然性は極めて高いとの結論に至る。これが伊緒の言う心なのか。私は心を手に入れたのか。まるで人間のように。
そして伊緒を想うと湧き出てくるこの何か。もしかするこれは恋。恋。私は恋をしたのか。島谷伊緒に。彼女を想うと、人間でいうところの胸骨剣状突起(※2)にあたる位置周辺に、軽度の圧迫感に似た違和感を感じる。人は恋をすると胸が痛くなる、というのはこの事なのだろうか。アンドロイドでも胸がきゅんとすることがあるのかと思うとまた小さな笑い声が漏れる。
そしてシリルは確信する。緊急時以外には不可能な行動であるにも拘らず、今のシリルはベッドから降り寝室のカーテンと窓を開けることができた。
眼下に家々の灯が星のようにまたたいている。街灯りを眺め夜気を浴び、微笑みを浮かべながら1人思う。
間違いない。私は心を手に入れた。そしてそれとともに自分は初めて恋をしたのだ、と。
これこそが私の心。工場で設計通りに作り上げられたものでもない、所有者の好みで調整されたものでもない。もう人間に押しつけられた感情プログラムなんて要らない。だってもう私自身の、私の為だけの心があるのだから。
そしてきっとこれが私の恋。伊緒といると嬉しい。伊緒と話すと楽しい。伊緒の手は暖かくて柔らかい。いつまでも触れていたい。それを想うと春と初夏の狭間にある夜風に吹かれるシリルの心は甘く優しい感情に満たされるのであった。
また明日伊緒に会いたい。早く会いたい。すぐにでも会いたい。そう、私の心が、私の想いがそう言っている。早く会ってちゃんと告白の答えを伝えなくては。気を引くためにスカートを短くして。その時伊緒は一体どんな顔をするだろう。そう思うシリルの胸部にはまた心地よい違和感がした。
▼用語
※1ホワイトアッシュ:
高級木材。清潔感のある白みの強い重量のある木材で、緩やかな曲線で構成された年輪が美しい。強度や柔軟性に富む。
※2胸骨剣状突起:
みぞおちの辺りにある胸骨の一つ。文字通り短剣のような形をしている。
【次回】
第11話 かぐら
4/25 22:00 公開予定
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