第9話 テントウムシと告白

 そんなある日のお昼休み。一人と一機だけの場所で、お弁当を食べる伊緒と何も食べないシリルが話に花を咲かせる。するとシリルのブラウスの左胸に一匹のテントウムシがとまった。伊緒が小さな歓声をあげる。


「あテントウムシ」


「テントウムシ科テントウムシ属ナナホシテントウ。データとして知っている以上に小さく認識してしまうのね。これは人間と同じなのかも知れない」


 真っ赤な地肌に七つの黒い斑点をつけた小っちゃなテントウムシはピカピカと光を反射しながらシリルのブラウスの上をちょこまかと歩き回る。


「へぇー。こうして見ると、虫なのに小っちゃくて可愛いよねテントウムシって」


「だめよ油断しては。この虫の体液が皮膚や衣類につくとなかなか取れなくて大変なの」


「そうなの? 相変わらず物知りだよね」


「ふふ、データーベースにあった情報なだけよ。ま、私たちアンドロイドの間では常識なんですけどね」


 わざとらしく得意げな仕草をするシリル。伊緒との会話を経るにつれシリルは簡単な冗談を言えるようになってきている。市販されているアンドロイドに搭載されている一般的な感情プログラムで行うにはかなり高度な会話である。


「じゃ、こう言うのは知ってる? テントウムシって幸運を意味する虫でね。テントウムシが止まった子には特に。」


 冷凍食品のコロッケを箸で摘まみながらニヤニヤ笑いが止まらない伊緒。


「……どんな幸運を意味するのかしら?」


 自分のデータベースにない知識であることと、伊緒の意味ありげで嬉しそうににやけた顔の訳が知りたくて仕方なくなるシリル。


「矢木澤さんに恋の始まりですな…… フフフ……」


「!」


 数百分の一秒といったほどの短い一瞬、シリルの思考が停止した。どういうわけか適切な返答が見つからない。自身の脳機能で「恋」という言葉を検索し、そこに何らかの意味や回答を求めても、当然の事だが辞書にある通りの単語の意味以外どうやっても導き出せない。

 恋とはデータベース上にある意味とは違うとても大切な何かなのでは、との考えがシリルの中で浮かぶ。そしてそれはきっととても美しくてとても甘くてとても危険なものに違いない、シリルの中にある何かがそうつぶやいている。そしてなぜか伊緒の姿が脳機能内の記憶領野から意識フィールドに投影される。


 絶句しているシリルに伊緒は話し続ける。


「それに、一緒にテントウムシを見つけたらそれはカップル成立の予言なの」


「それはないわ、全くあり得ない」


 この伊緒の全くもって非論理的な話は即座に否定できたが、その言葉を吐く自分をひどく悲しく思う感情が動いて少し俯く。


「さあ、どうかなぁ? でもテントウムシにはそんなジンクスがあるのはホント。お?」


 テントウムシはごく小さな羽音を立てて伊緒の箸にとまる。


「お! ぶつぶつぶつぶつぶつ」


「どうしたの」


「しっ!ぶつぶつぶつぶつ……あ」


 小さな半円の翅を精一杯に広げて、ぷぅーん、と空の灯りに向かって飛んでいくテントウムシ。


「もう飛んでっちゃった…… ちぇ」


「どういうことかしら」


 不満顔の伊緒と、さっきから分らない事だらけで怪訝そうな顔のシリル。


「テントウムシが飛ぶまでに願い事を唱えるとその願いは成就するんだよ」


 コロッケの残り半分を平らげて伊緒は自信ありげに言う。


「それはおまじないでしょ。呪術。もしくは呪い。極めて根拠に乏しい願掛けの行為。まさか本当に成就すると思っているの?」


「する。きっとする。」


 伊緒は一目惚れを「非科学的な魔法」と一蹴していたが、その一方で自分に都合の良い魔法は簡単に信じてしまう質だった。

 そんな伊緒は間違いなく何かを確信している表情だが、まだまだシリルには分らない事がある。感情プログラムがあっても相手の感情は読み取りにくい。ましてやこれはとても重要な事だ。ゆえに、とシリルの脳機能が判断した。


「5回同じ言葉を繰り返していたけれど、唱える作業を何度も繰り返すと叶う確率が上がるの?」


「え?」


 串に刺したウズラの卵をくわえたまま呆気にとられた顔。目が点になる、とはこの事かと言わんばかりの伊緒の表情。


「『シリルと両想いになる』と5回唱えていたでしょう。もっともその願い自体私には理解も解析も共感もできないのですが」


 特に感情を感じさせないシリルの顔や表情。感情プログラムは引っ込んでしまったのだろうか。


「あ、っちゃー…」


 緩やかなモルタルの階段に腰かけたまま、うな垂れて頭を抱える伊緒にシリルが追い打ちをかける。


「あの程度の小声なら私には支障なく認識できるもの。それで、肝心なその内容の話なのですが、 先ほどの呪術の内容からして島谷さんは私とになる事を望んでいますね。それ即ち島谷さんは私にをしていることを意味します。事実私は島谷さんに…… 特別な感……情は、抱いていま、せん…………  ですから、島谷さんのは、事実確定しています…… 次にとはどんな意味合い、感情なのかについて確認すると、島谷さんは私に何がしかのを持っている。そう考えて間違いありませんね。そのについて更に掘り下げると…… これは……これは全くあり得ない推論ではあるのですが…… 島谷さんは私にの、端的に言えばかそれに近いものを抱いている可能性すら出てきます。いかがかです? どうでしょう? 教えて下さい、島谷さん。私、知りたい。知りたいの、教えて」


 以前よくみられた険しい表情に加え口調まで少し固くなり、理詰めにしなくても分かることをわざわざ滔々とうとうと述べるシリル。これでは完全に詰問だ。


 伊緒は余計な事を考えるの止めて開き直ることにした。伊緒のいつもの得意技だ。


「……こんな形で告白することになるなんてなぁ……」


 頭をいてからシリルの方を向き真剣な顔でその眼を見つめる。美しいみどりの瞳を。その瞳の奥には人ならざる金と深紅の輝きが揺らめいている。伊緒はシリルの両手をとる。険しいと言うよりは伊緒と同じくらい真剣な表情のシリル。シリルは伊緒の手を拒まなかった。


「はい、好きです。あたし矢木澤さんの事が好き。1人の女の子として好きです」


「違います、私は1人の女の子ではありません。私は1台のアンドロイドです」


 真剣さと険しさと無表情が複雑に入り混じった表情のシリルは、恐らく伊緒にとっては意味のない、当たり前の言葉を機械的に発する事しかできなかった。返答に窮したといってよい。一般的な感情プログラムであればこの告白を即座に断るだけの話で、どうというものではない。しかしシリルの感情プログラムは激しく動揺していた。

 シリルの中で感情と思考がフル回転する。アンドロイドと人間の恋愛関係は厳に禁忌とプログラミングされている事からくる恐怖と嫌悪。伊緒のと言う気持ちは自分には解析できても理解も共感ができない悲しさ。伊緒の気持ちに気づかず、今のこの事態を防げなかった故の伊緒への申し訳なさと後悔。自身の脳機能では解析できていない感情プログラムによく似た何かが今まさに動作している事への困惑、その何かが今も伊緒に対して極めて強い反応を示している事への戸惑い。そしてその何かは今のこの事態を密かに待ち望んでいたのかも知れないという奇妙な推定。脳機能への負荷が一気に危険域にまで高まる。

 そして今もその手に感じる伊緒の手の温もりと柔らかさもまた、シリルの感情プログラムや得体の知れない何らかのプログラムをも激しく動揺させている。


「それでも好き。あたしは君が好き。好きなの」


 伊緒から正面きって真剣な表情で見つめられる。その真っ直ぐで情熱的なとび色の眼差しに射すくめられた瞬間、シリルの脳機能は短絡が発生したかのような小さな衝撃を覚える。併せて目の前にパチパチッと何色もの星のような光が瞬いて見えた。しかし脳機能のログには何の視覚エラーも記されていないし、視覚情報や画像記録にも何の異状はない。

 この瞬間、思考も感情も高負荷に晒される状況で、元々の感情プログラムによく似た未知の何かが走り出していた。今までの感情とは違い、シリル自身にすら説明不可能な何か。即座に自動でバグチェックがされたが異常はない。

 シリルの脳機能ドゥブルヴェのプログラム内で密かに生まれつつあったバグ ―― Revelationレベレイション社のアンドロイド技術者たちが “Wraithレイス” と呼ぶ致命的なバグが、生成を完了し、完全に動作を始めた瞬間である。

 シリルは先ほどから驚いた顔がもとに戻らない。どのような顔をするのが適切か判断できない。感情プログラムに従えばにべもなく伊緒の手と告白をはねつけるだけの簡単な対応をすればいいだけなのだが、どうした事かその行動がとれない、伊緒の告白を聞いてからただただ感情がひどく混乱し波打っている。


「好き……」


 好き、という言葉だけをオウム返しするのが精いっぱいのシリル。脳機能の活動が一部フリーズしている。感情プログラムとWraithが並列で動いているが適切解を導き出せないまま伊緒を見つめ表情を硬くする。


「……だめかな ……ま、まぁだめだよね普通! あは、あははは…」


 シリルの凍り付いたような表情を見てすっかり自信を無くした伊緒は、少しあきらめ気味に照れ隠しの作り笑いをしながら頭を掻くしかなかった。結局振られたなんて彩希や由花にも笑われて終わるだけだな。それ見た事か、って。と心の中で独り言ちる。


「……わかりません」


 意味がよく分らない反応が返ってくる。シリルの表情から動揺は減ぜられているものの、今度は面を下げ表情を硬くし、それに不安の表情が混じる。


「へっ?」


 とぼけた返答しかできない伊緒。だがわからないのなら拒絶ではないはず、と少し気を取り直した。

 

「わからないの。島谷さんは――」

 伊緒に手を握られたまま少し顔を俯かせてか細い声で呟くように話すシリル。

「伊緒って呼んでくれると嬉しいなあ」


 伊緒は懸命だった。振られてしまうならそれでいい。構わない。でもあともうほんの少しでいいからシリルと親しくなりたい。せめて名前呼びできる友達くらいには。


「…………」

 さらに俯いて長いこと逡巡するシリル。そして


「………………伊緒……」


 伏せた顔を上げて心細そうに伊緒の名を呟く。瞳孔の奥がキラキラッと深紅と金に輝く。


「ありがとうシリル!」


 満面の笑みを浮かべ、ちゃっかりシリルを名前呼びする伊緒。今にも抱き着いてきそうな伊緒をシリルは両手で制して話し始める。


「これは本来していけない言動だから。特定の生徒を特別に親しい呼び方で呼ぶことは禁忌。なのに、プログラム上禁止されている事がすんなり出来てしまうのです。理由は不明ですがそうしたくて。私、もしかすると脳機能があるいは故障した可能性が場合によってはあるみたいなのかも知れなかったりするようなのかと――」


 だが伊緒はシリルの動揺や戸惑いなどどこ吹く風で半ば一方的に話し続ける。


「そんなことないよ。クラスメイトの中の誰かと特に仲がいい。その仲良しを名前呼びする。好きな人の気を引くためにスカートを短くしちゃう。こっそりペディキュアを塗る。好きな人のうわさ話をする。学食で限定スペシャル定食を食べたくって昼休みにそりゃもう全速力で走って競争する。授業をエスケープして保健室でお昼寝する。校則違反なのに放課後Gボウルしに行ったりアイスのトリプルを買い食いしに行ったりする。誰だって普通にあることじゃない。そうしたいからなんでしょ? 心のままにしただけだよ」


「ここ ろ」


 伊緒はもう一度姿勢を正してシリルに向き直る。


「そ、こころ。あたしシリルの心を知りたい。だめ?」


 伊緒の言葉を受けてシリルの混乱に拍車がかかる。

「私の、こ、ころ。 私はアンドロイドで、す。出荷時にセットされた感情、と、オーナー引き渡し、時のオーダーに合 わせてチューニングされた感、情 しか持っていません。私に、心は、な、いので、す」


 視点が定まらず困惑した表情のシリル。感情プログラムと脳機能の中に潜んでいる得体の知れない何かをもってしても上手く受け答えできずに思考も感情も混沌としてきた。上手く言葉が紡げない。そしてこの切れ切れの言葉をアウトプットするシリルの胸の奥でなぜか少し寂しい気持ちがまた生まれる。


「あったじゃない。恋の始まりって言われた時とかあたしが告白した時とかにあんなに驚いた顔した事。あんな表情今まで見たことなかった。それに、あたしを名前で呼んでくれたこと。アンドロイドには詳しくはないけどさ、それってきっと心があるからなんだよ、シリルには。その心のままに生きたらきっと楽しいよ」

「楽――しい……?」

「あ、ごめん…… いつもそうなんだ、ぐいぐい押しちゃって。悪い癖。無理にとは言わないからね。いやだったら全然いいから」


 人間を真似て深呼吸をするシリル。すると不思議な事に少しが落ち着いた。気を取り直してきちんと伊緒と話さなくてはいけないと改めて思う。


「ううん、いやでは、ありませ、ん。しかし、さっき言ったように、以外の人間と必要以上に親しくなる事は、避けなくてはいけません。なのに…… プログラムに反した行為なのにもかかわらず、伊緒といると必要以上に『楽しい』。楽しいの。だから私はそれがしたいのです」

「うん! うんっ! それじゃあ」


 喜色満面の伊緒とは違いシリルの表情にはまだ困惑が色濃く表れている。再び抱きついて来そうな勢いの伊緒を再び両手で制する。


「ああ、待って。ただし、ただし、よ。先ほどの告白には答えられない。まだです。恋愛感情そのものも、その対象を人間とすることも、私には理解できないのです。まだよく分らないの、愛だとか恋だとか。今日はまだ」

「教えてあげる。愛だとか恋だとかはあたしにも難しくて無理だと思うけど、楽しいもの、嬉しいもの、優しいもの、ドキドキしたりワクワクするもの……いっぱい、いっぱい」

「伊緒……」


 さっきからの困惑や動揺の表情をようやく緩やかに解いて、嬉しそうに伊緒を見る、いや見つめるシリル。顔を赤らめているが、それはもはや感情プログラムによって引き起こされる反応ではない。


「これからもまたよろしくね!」

「ええ、こちらこそよろしく。伊緒」


 自然とシリルにも穏やかな笑顔が浮かぶ。その心のままに。



【次回】

 第10話 シリルの初恋ー3 シリルの得たもの 

 4/24 22:00 公開予定

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