第7話 恥じらいと予感

 伊緒いおにも意外な事にシリルはそっと微笑んだ。


「え、いや、そんなことないって。いやだなもう照れちゃうよ」


 意外にもシリルから喜びの言葉を受け、伊緒は大いに照れた。あまりにも予想外のことだったので伊緒からどのような言葉をかければいいかわからなくなる。しばしの間かける言葉に迷い逡巡する。

 沈黙を意に介さぬ表情でシリルは少し薄い醤油煎餅に手を付ける。手でぱりっぱりっと小さく割って口に入れる。シリルの口の中からぽりぽりと煎餅の砕ける音が聞こえてくる。アンドロイドに詳しくない伊緒には、シリルが食事をするとは思ってもみなかった。


「アンドロイドって食事を摂れるの?」


 少し驚いた表情の伊緒。


「形としてだけなら。勿論消化吸収はされないけど。食後に食べて飲み込んだままの状態で腹部の取り出し孔からパックごと取り出して廃棄するの。本当はこんなことしたくはないのですが」


 シリルは素知らぬ顔でぽりぽりと音を立てて上品に煎餅を食べる。


「したくないのにわざわざ?」


「食べないとが悲しみます…… まだミラと私があまりに深く繋がっていて2人の区別ができない時があるのです。さあ、島谷さんもどうぞ召し上がって下さい。なかなか無い良いものなんですって。この際だからしっかり味わってね。私が食べるよりずっと有意義ですよ」


 勧めるシリルにいつもの冷たさや無表情さはない。


「ほんとだ、美味しい! あたしの近所の和菓子屋さんじゃこうはいかないね。うーん、この醤油の香ばしい香りが、香りが、あぁ~」


 煎餅を割らずにそのままバリッボリっと豪快にかみ砕いて食べるる伊緒。そのいかにも彼女らしい飾らない姿にシリルは思わず微笑む。

 しかし、何を思ってか次第に伊緒の表情が暗く思い詰めたようになると、煎餅片手に俯く。シリルはそれを心配そうに見つめる。


「どうかされましたか?  あの、もしかしてお口に合わなかった……?」


「え、ああ、いやそんなことないよ! お煎餅大好きだし、こんな美味しいの初めて食べたよ」


「では、他に何かあったのですね」


「ごめん、さっきの矢木澤さんの言葉が気になって……」


「それはどういった……?」


「うん、ごめんね。この話はもうあまりしない方がいいのかなとは思ったけれどやっぱり…… さっきも言ったけどね、あたしにとって矢木澤さんは、自分で言うようなじゃ決してない。間違いなく実体のある一人のだから…… それだけは、その…… わ、わかって欲しい…… お母さんに聞かれるといけないからもうここでは言わないようにする。ごめん」


「……」


 この機体が出荷されてから初めて、驚いた表情を浮かべたシリル。今までの4ヶ月と言う短い稼働期間中、これほどまでにシリルの存在を肯定した発言はなかった。ましてやアンドロイドである自分をと呼ぶ人間なんてあろうはずもなかった。これは伊緒なりの思いやりなのだろうか。それとも私を対等の存在として認めてくれているのだろうか。恐らくそうなのだろう。シリルは伊緒の言葉をそう捉える事にした。そう考えると感情プログラムが温かい心を生成する。そして感情プログラムとは違う解析不能の何かがシリルの中で動作している、そんな気がする。


「ありがとう。本当に嬉しい。そんな事を言ってくれたのは島谷さんだけ。私のようなアンドロイドにまで優しいのですね」


「い、いやぁ、アンドロイド全体としてはあたしにはよく分らないんだけれどさ。矢木澤さんについて思ったことを言ったまでで…… 褒めてもらっちゃったらまた照れちゃうよ。あたしポンコツだから褒められるのに慣れてないからさ、アハハ」


 伊緒だけでなくどういうわけかシリルまでが妙にもじもじしてしまってなかなか次の言葉が出ない。ふとシリルが話題を変える鍵を見つけた。


「そうだ、さっき島谷さんの言っていた近所の和菓子屋さんと言うのは笹倉堂(※1)? 8街区の。あそこの和菓子はも買っているからいいお店じゃないかしら? 洋菓子だとアルジェ(※2)も気に入っているみたい」


 会話の手がかりを手に入れぱっと表情を明るくする伊緒。


「そうなんだ! 意外意外。今日うちの伯母さんにも言お、どっちも10街区の人だって買いに行くお店なんだからねって」


「ふふふ、島谷さんは11街区や12街区には行かれないのですか?」


「何て言うか、世界が違ってさあ。友達と行ったことがあるけど、どうもあの高級感に気後れしちゃって。矢木澤さんはよく行ってるんだ11や12街区」


「両親に連れられて何度か。街並みがとても綺麗だからお天気のいい日に行くと気持ちいいの。可愛い服を売っているお店も多くありますよ」


 いつのまにか学校とは全く違って話が弾むようになっていた。シリルの言葉遣いが時々固い事を除けば普通の女の子同士の会話と全く同じで伊緒は驚いたり嬉しかったりすることばかりだった。どうも容量が少ないとシリルが言っていた一般の感情プログラムで会話をするようになったのだろうか。


「あたしは本当にそこら辺の安い服で全然いいんだよね。あ、そうだ、今度矢木澤さんの私服見てみたいなあ」


「では着替えてくればいいですか? も外出していて時間だってあるもの。全く問題はないかと」


 伊緒の何気ない思い付きのわがままに何の抵抗感もなく答えるシリル。


「えっ」


 望外の展開に言葉が出ない伊緒。


「? あら、やはり着替えてこなくていい?」


 伊緒の絶句の意味が上手く読み取れないシリル。


「い、いやいやいや! そっ、その矢木澤さんが嫌じゃなかったら是非!」


 シリルの私服。想像するだけで胸が高まる。思わず身を乗り出す。


「全く嫌ではありません。むしろ逆なの。じゃあ、ちょっと待っててね。すぐ着られる服に限られますから、過度な期待を持たないよう希望しますね」


「は、はいっ! あっ、いっ、いえっ! そんなことないです!」


 妙な声を上げた伊緒を置いてぱたぱたと自室へ向かうシリル。


 そわそわと気持ちの落ち着かない伊緒が思った以上に早く戻ってきたシリルを見て伊緒はまた絶句する。


「どうかしら。本当にすぐ着てこれるものなのですが」


「あ、」


 この季節には少し早いが、ウエストを細いリボンで絞り小さな淡い青花柄をあしらったフレアの白いロングワンピース。上に薄い青のカーディガンを羽織っている。彼女の身体の細さが強調されている。


「いかがなさいましたか?」


 真っ赤になって言葉を失っていた伊緒は、その様子を不思議そうに見つめているシリルに向かってようやく一言絞り出す。


「き……綺麗……」


「やだもう。でもありがとうございます。島谷さんはこういうフェミニン(※3)な服が好みじゃないかなと推測していたのです。どうやらそれは的中したと考えて良さそうですね」


 ほっとした様子ではにかみながら、伊緒の前でくるりと一回転するシリルは感情プログラムの影響なのか顔面の人造皮膚が少し赤い。


「あ、うん」


 ポーッとした顔で心ここにあらず。生返事でシリルを見つめる伊緒。


「本当にどうしたのですか?」


 伊緒の傍まで歩み寄って怪訝そうにその顔を覗き込むシリル。なんだかいい香りまでしてきそうだ。伊緒はふと我に返る。


「いや、あはは、なんかドキドキしちゃってさ」


「ありがと。では今度は島谷さんの私服を見せてね」


 伊緒に褒められすっかり気をよくした風に見えるシリルは何気なく伊緒の隣に座る。


「!」


 突然の事に伊緒の全身ががちがちに緊張する。

 近い。シリルが近い。凄く近い。近すぎる。


「今日は何かあったのでしょうか? 体表面温度が上昇し、脈拍も上昇しているみたい。とっても緊張している様子が見受けられるのですが」


 案ずるように伊緒の顔を覗き込むシリル。これまでで一番互いの顔が近づいた。アンドロイドは呼吸をしないと分かっていても息がかかってきそうでドキドキする。どぎまぎして何を言っていいかわからない。顔が熱くなって来るのが自分でもわかる。あまりの事にシリルから視線を外して当たり障りのない事を喋るしかなかった。


「う、うん、なんか今までと違う矢木澤さんをいっぱい見たり知ったりできて頭が追い付かないや」


「自宅なので普通に感情プログラムを開放したから、きっとそのせいかと考えられます。ちょうど今さっき完全に開放したのよ」


 なぜだか少し照れくさそうにそうに話すシリルを見るだけでも伊緒の顔はさらに赤くなってしまう。伊緒は狼狽うろたえる自分に狼狽えながらも伊緒は視線を再びシリルに向ける。そうなるともう目をそむけられない。


「うん、全然普通の女の子の話し方だから新鮮って言うか嬉しいって言うか可愛いっていうか、やっぱりステキだなって、本当にドキドキしちゃって」


 赤くなりながらも伊緒としては言外にシリルに好意を抱いている事を伝えたかった。


「ふふ、いっぱい褒めてくれてありがと。自宅と言うのもあるけれど、お相手が島谷さんであるからこそ、このように気兼ねなく会話することが可能となります。だから、私の方からも島谷さんにはありがとうってお礼を言わなくちゃ」


 伊緒の気持ちや好意がどこまで伝わっているかは分らないが、信頼はされているようで嬉しい。9日も粘った甲斐があったと内心では天にも上る嬉しさが溢れている。

ソファに隣り合って15分ほど話に花を咲かせた。その後シリルは、やはりが気がかりなのでこれからクリニックまで迎えに行きたい、と話を切り上げる。すっかり楽しく話せた上、シリルの事も色々知ることができて有頂天の伊緒は素直にこれを受け帰宅することにした。


 玄関先で伊緒は思い切って聞いてみた。これからの2人の仲の進展を願って。


「ねぇ、学校でも今日のように話したいなあ。だめ? 何て言うかこうプログラム的に、だめ?とか?」


「えっ、いや、それは… 困難、で す。でっ、でも感情プログラム上の問題ではない……の、ですが……」


 伊緒の提案を聞いた途端、手を口元に当て困惑した表情になるシリル。急に顔色も赤くなる。初めて見る姿だ。狼狽ろうばいするシリルの姿に伊緒の胸は何かが刺さったように痛くなる。


「え、じゃなんで?」


 顔を斜め下に俯けて赤くなったシリルは小さい声で吐き出すように呟いた


「だ、だってそんなの恥ずかしいじゃない……」


 真っ赤になって恥じらうシリルを見て伊緒は絶句してしばらくの間目を丸くしてシリルを凝視する。こんな彼女は見たことがない。また胸に甘い痛みが撃ち込まれた。


 ハッと我に返った表情を見せたシリル。恥ずかしさでもじもじする姿を見られる、という実に恥ずかしい姿を見せてしまい、恥ずかしさのあまりとうとう顔も耳も首筋までもが人造皮膚の限界まで真っ赤になってしまった。

 さっきの恥じらいとは打って変わり、シリルは真っ赤になりながらも目をむいて必死の形相になった。人間には到底不可能な速度で伊緒に駆け寄ると、両肩をがしっと掴む。


「ごめんなさい私今私あまり使ってない感情プログラムが動いててええと今私島谷さんの前でなんだかすごく恥ず変な事を言ってしまって忘れて下さいそれではまままた明日っ」


 急いでまくしたてながら、シリルは人間ではあり得ないもの凄い膂力りょりょくで絶句した伊緒をくるりと振り向かせる。大扉を片手で軽々と開けたシリルのもう片方の手で伊緒はなすがままに、外へと押し出された。伊緒の背後でバタンっ! とあの重くて頑丈な大扉が割れそうなほどの大きな音がする。


 あっという間に外へぽいっと放り出されてしまった伊緒はぽかんとしたまま呟く。


「…かっ、かわいい…」


 ただ、シリルの現状の感情プログラムで充分楽しく会話ができそうな事が分り、これからに期待が持てる伊緒だった。もしかするとこの先の進展すらありそうだ。と振り向いて赤紫の大扉に目をくれると鼻歌交じりで帰宅の途についた。


 ただシリル自身が「感情の持ち合わせは他のアンドロイドより少ない」と言った意味はよく分らなかった。今日のシリルは充分感情豊かだと伊緒には感じられたのだ。


 ちょうどその頃ローズウッドの大扉の向こう側ではやはりシリルがドアに背を預け、胸に手を当てた姿勢でひどく動揺していた。感情プログラムが設計された通りに働いていない可能性がある。本来しないはずの反応もあった。診断プログラムでは解析不可能な、何か予感めいたものがシリルの中に生まれていた。不安と淡い未知の喜びが、シリルの脳機能であるWドゥブルヴェの奥底から生まれている。それは感情プログラムが生成するどんな反応とも違っていた。


 もっと、もっと島谷さんと話をしていたい。 



▼用語

※1笹倉堂:

 7街区に店を構える和菓子店。煎餅、最中、饅頭などを取り扱い、中でもオニール栗最中や最近なにかと話題の醤油煎餅では定評がある。10以上の街区の人々からも支持を受けている。


※2アルジェ:

 創業70年を超える伝説的な超老舗。8街区にある洋菓子店。オリジナルのケーキ「トーレスババリア」で有名。その他ではタルトや各種ゼリー、オムレットも好まれる。こちらも10~13街区からの来店客が多い。


※3フェミニン:

 女性らしい(とされる)上品なファッション。対語はガーリー。



【次回】 シリルの初恋-1 温もり 

 4/21 22:00 公開予定



※2020年9月3日 加筆修正・訂正をしました。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る