つきまとい
第6話 シリルという亡霊
「もう7日以上、正確には9日間、私について回っているんですが、島谷さんは一体何が目的なんですか?」
学校から自宅へ帰還する途上で、シリルが硬く冷たい無表情さのうちに微かに不機嫌な表情を見せて
シリルの言葉通り伊緒はかれこれもう9日間に渡ってシリルの下校につきまとい、機を見て話しかけるなどをしていた。当初はあからさまに無視を決め込んでいたシリルだが、4日後から次第に時折、
「いいえ」
「お断りします」
「結構です」
「駄目です」
「やめてください」
「不可能です」
「要りません」
「あり得ません」
と言った言葉を無表情で返すくらいにはなった。しかし、それだけでも伊緒は嬉しかった。それに「下校時につきまとわないで下さい」とは言われなかったのを良い事に伊緒もその言葉に甘えた。
「そばにいたいな、ってだけだよ。別に矢木澤さんの許可はいらない距離だよね」
アンドロイドにも身の安全を図るためパーソナルスペース(※1)が設けられている。伊緒はシリルの行動と表情からその距離を少しずつ推し量っていた。
「はい、残念ながら」
「残念…… その、やっぱり嫌……だったかな?」
否定的な言葉でも会話が出来るだけで嬉しい、とは言えさすがにそれにも限界はある。無表情で受け答えするシリルに不安を覚えないではない。
「嫌と言いますと?」
「えっと、その、感情プログラム? では『嫌』って気持ちが出てくるの?」
妙な言い方だが、今日のシリルには無表情さが消えているように伊緒には思えた。それに今までになく口数が多い。
「いいえ、それはありません。今では嫌という感情の発露はさほどありません」
「良かった!」
「往来で大きな声を出さないで下さい。それは非常に『嫌』です」
「あ、……ごめんなさい」
厳しい表情で眉をひそめるシリルを見て肩を落とす伊緒。
アンドロイドは話を続ける。
「学校の生徒のほどんどは興味本位のからかい目的(※2)で私に話しかけてくるだけなので、その対処に無用な電力を浪費します。それは確かに『嫌』なので、そのため私自身の判断で基本的に校内でのコミュニケーションはお断りするようにしています」
「今日はよくしゃべるんだね」
「感情プログラムの一部を開放しました。人間でいうところの根負けです」
無機質な声には変わりないが、少し、本当にほんの少しだけシリルが微笑んだように伊緒には見えた。
「え、じゃあ」
期待に胸を弾ませて伊緒はシリルの顔を覗き込む。
「私の推定では島谷さんは私と一緒に下校したいのではありませんか? それくらいなら二人とも許してくれるでしょう」
「いぃやったぁぁ!」
シリルが微笑んだかも知れないように見えたのはほんの一瞬だった。伊緒が両手を振り上げ飛び跳ねるようにしながら大きな声を上げて喜ぶと、数人の通行人がこの1人と1機に目を向ける。途端にシリルから微笑みのように見えた表情が消え、今までになく顔をしかめる。
「ですから、大きな声を出さないで下さい。私は人目につきたくないのです」
「あ、ごめんなさい。気を付けるね。気を付ける。で、これから毎日こういう風に一緒に帰れるって事?」
「島谷さんが望めば。それともう路上で大声を出さないと約束できるのでしたら」
「勿論! 約束する! 明日からもよろしくね」
「はい。度が過ぎれば問題でしょうが、この程度なら構わないと思われます。但し私の父母に許可を得る必要がありますから、現時点ではまだ確定ではありません」
「また明日の朝にでも矢木澤さんに訊けばいい?」
「……それだと島谷さんが気を揉む、つまり精神的負担が大きいでしょう。私の自宅で結果を聞ける可能性も高いのですが、いかがなさいますか」
「えっ! 矢木澤さんの家に行っていいの?」
「はい、問題ありません。しかしもう8回私の定置場(※3)、つまり自宅の前に島谷さんは来ています。今更驚くほどではないはずですが」
「あ……いや、お家に入れてもらえるのかと思って…… ごめん、なんだかすごい厚かましいよね」
「自宅に入りたいのであれば私が案内します。ただし玄関までが限度と考えます」
「わあ! それだけでも感激だよ!」
また大声を出してシリルに睨まれる伊緒。シリルは睨みながらも淡々と会話を続けた。
「そういうものなのですか?」
「いいのいいのそういうものなの、へへっ」
「それと、さっきから何度も大きな声を出さないで欲しいとお願いしているのですが、理解されていますか? 島谷さんは本当に約束を守れる人間なのですか?」
そこからものの数分でシリルの自宅、とされる定置場に辿り着く。シリルが虹彩認証で門扉と家の扉を開けると、シリルの「母」とされる矢木澤ハルが玄関先まで現れる。シリルに良く似た40歳代中盤と
シリルは彼女に対し美しい笑顔を浮かべる。伊緒と放課後に一緒に帰宅していいか彼女に問うと、体調の悪さを思わせない柔和な笑顔を浮かべ二つ返事で了承した。実際の所有者である夫にはハルの方から問題なく事後承諾出来ると約束してくれた。その笑顔に伊緒は彼女の本当の性格を垣間見たような気がした。きっと温かくて優しい人だと思う。
一通りの話も済んだところで、ここで辞去するようシリルが伊緒に目で訴えているのがわかった。表情で語りかけることすらできるアンドロイドの感情プログラムの精緻さに驚く伊緒。それにしても鈍感な伊緒にしては珍しく気が付けたといえる。
約束通り素直に挨拶をして広い玄関から立ち去ろうとしたところ、突然背後の大扉が大きな音を立てて開き、矢木澤夫妻の夫つまりシリルの所有者である矢木澤
そのまま伊緒が矢木澤邸を出ようとすると矢木澤夫妻の妻が伊緒を呼び止め、お茶を淹れてくれる事になった。夫にシリルと伊緒が一緒に下校していいか聞いてみるので、その間リビングで寛いでいて欲しいと言う。伊緒が生まれてこのかた見た事もない高級な調度に囲まれたリビングに呼ばれ、伊緒は居住まいの悪い緊張感ですっかり身体が硬くなってしまった。
ハルから最近流行りの醤油で焼いた煎餅と温かいほうじ茶を出される。その後夫の部屋へと姿を消したハルはすぐにリビングに戻ってきて夫の許しも貰ったと伝える。これで明日から伊緒とシリルは大手を振って一緒に下校できる事が正式に決まった。伊緒としてはその場で飛び跳ねたいくらいの心境だが、場所が場所だけにそれを控えるだけの節度は持ち合わせていた。
伊緒が帰ろうとすると、伊緒は矢木澤家の妻、シリルの母から学校の事やシリル本人の事をいくつも尋ねられた。シリルが可愛らしい笑顔で彼女をお母さんと呼び、緊張で言葉に詰まりがちな伊緒を全く別人のように優しい言葉で助ける。学校では勿論、下校時でも一度も見た事がない笑顔や言葉だ。細やかな心遣いも見て取れる。伊緒は少し寂しい気持ちになった。時々そのお母さんがシリルの事をなぜかミラと呼ぶのが伊緒には気になった。それとシリルの表情もいつもとどこか違うような気がする。
3人で他愛もない話をするうちハルがお盆を持って立ったまま目を伏せポツリと呟く。
「あの子がいたら、きっと、きっと、こうしてお友達を誘って…」
俯き立ちすくみ小刻みに震えるハルのもとにすっと近寄り、優しく肩に触れるシリル。心から彼女をいたわるように声をかける。
「お母さん…… 辛かったらお部屋で一緒にお話ししましょうか?」
伊緒には今何が起きているのかわからなかった。しかし、ハルの苦悩や苦痛の一端が垣間見えたような気がした。ただ、状況が呑み込めない以上静観するしかない。
「ごめんなさい…ごめんなさいね島谷さん…… ちょっと私は失礼しますからどうぞゆっくりしていってね。私これからクリニックの予約があるのだけれど、私1人で大丈夫。ミラは島谷さんにご一緒してて。せっかくお友達が来て下さったんだから。ね」
「あ、いいえお気になさらないで下さい。お煎餅ごちそうさまです。あ……あの、どうぞ……その、お大事に……」
ソファから立ち上がった伊緒は緊張しながらも何とか礼を失しない程度の挨拶をする事が出来た。
シリルの母がリビングからゆっくりとした足取りで立ち去るのを見送り扉を後ろ手に閉めたシリルはつかみどころのない微笑を浮かべて面を上げる。
その瞬間シリルがさっきまでとは全くの別人、いやフェイスマスクだけが同じ別のアンドロイドになったような気がして伊緒は少し怖くなった。そしてその不思議な微笑を湛えたまま伊緒の目を見つめ口を開く。
「今の一連の会話で島谷さんにももうおわかりでしょう。私は両親の、特に娘の死を受け止めきれぬ母の心の傷を癒すための感情プログラムと、デミレル療法(※4)のカウンセリングプログラムでほぼ容量いっぱいなのです。その為私の一般的な感情の持ち合わせは他のアンドロイドより少なくなっています。実はこれが学校での感情表現が乏しい要因の1つでもあります」
「心の…… 傷……」
伊緒には正直な話、シリルの言う事があまりおわかりにはなれなかった。しかし、シリルの微笑には先ほどから何やらぞっとするものを感じていた。今のこの微笑はいったいどんな感情から生まれたのだろうか。そんな伊緒の心情を意に介さず、シリルはテーブルを挟み伊緒とは反対側のソファに音もたてず全く無駄のない動きで腰かける。
「そうです。一昨年亡くなった矢木澤家の一人娘であるミラ。私の外見はその矢木澤ミラを体重以外完璧にコピーしてあります。身長、体型、髪、顔立ち、爪の形や
伊緒を見つめる瞳。その奥でアンドロイド識別用の光、金と深紅の輝きが渦巻く。
「それだけではありません。母にとって完全なミラを演ずるために私はこうして公立鴎翼高校に通っています。本来だったらミラが通うはずだった高校に」
シリルの微笑に少しだけ寂しさが付け加えられる。
「今島谷さんの目の前にいるのは矢木澤シリルではなく、今は亡き矢木澤ミラそのものなのです。ふふっ、どうです? まるで亡霊のようではありませんか」
伊緒は直感した。ああ、この微笑は皮肉なのか。自分は自分ではないという事についての皮肉と自嘲と悲しみの笑いなのか。
しかし伊緒には別の確信があった。伊緒はこのシリルの考えから彼女自身を救い出したかった。
「そんなことないよ」
ひどく真剣な目で伊緒はシリルの目を正面から見て言い放った。
「何がでしょう」
伊緒のその真剣な眼差しにシリルの皮肉めいた微笑が消える。少し不思議そうな表情になり伊緒の言葉を待つ。
「矢木澤さんは矢木澤さんだ。この世でたった一人の矢木澤シリルだ」
「おっしゃっている言葉の真意を測りかねます」
「誰の姿を真似ていてもそれはただのコピーでしかない。姿かたちは誰かの生き写しだとしても、矢木澤さんは矢木澤さんだよ。矢木澤シリルなんだ。矢木澤ミラさんなんかじゃない」
今まで見た事のあるどんな険しい表情とも異なる険しさを湛えるシリルの顔。その感情を伊緒は読み取る事が出来ず戸惑うしかなった。
「それでも、私は死者である矢木澤ミラのコピーとしての存在価値しか認められていません。そもそも私たち全てのアンドロイドは人間のコピーに過ぎないのをお忘れですか? それと、こういった話は私の母の精神状態を不安定にさせるおそれがあるので、彼女の前では厳に慎むように求めます。」
「あ…… そうだったよね。本当にそうだよね。何だか色々ごめん。気を付けるね」
シリルの「気迫」に気圧されたのもあって反射的に謝ってしまった。
「ご理解いただけて良かったです。島谷さんは大概
苦笑い半分で安堵したような笑顔を浮かべ湯呑み手にするとソファに背中を預けるシリル。
「そ、そんなことないよ。うん、ごめん、そんなことないようにするよ。ちゃんと気を付ける」
伊緒は頭をかきながらやはり苦笑いをするしかなかった。
ところがソファに深く腰掛けたまま両手のひらで抱えた湯呑みに視線を落としたシリルが意外な言葉を呟く。
「でもありがとう。剛情だけど島谷さんはすごくいい人ね。とても嬉しいです」
伊緒にも意外な事にシリルはそっと微笑んだ。
▼用語
※1 パーソナルスペース:
人間で言えば、他人に近づかれると不快になる距離。アンドロイドの場合、躯体の安全を図るための各種機能が起動する距離。感情プログラム上も嫌悪の感情が出る場合がある。
※2 興味本位のからかい目的:
発売開始から10年以上が経っていても感情プログラムを持ったアンドロイドは未だ普及せず、物珍しいものだった。また、これら感情型アンドロイドは全く人間と同じ外見を持ち、(表向きは)意思疎通もできるので、これに興味を持って新車やパーソナルコンピュータに触れる感覚でアンドロイドに接触を試みる者は多い。実際に身体的接触を、さらには人間に対してであればハラスメントに当たる接触を試みる者もいる。彼らはアンドロイドを機械だと認識しているので罪の意識は一切持たないのが普通である。
※3 定置場
車輛であれば、その運行を休止した場合において、主として駐車する場所とされる。アンドロイドの場合、登録住所地と同一であり、かつ活動を休止し充電時に留め置かれる場所、とされている。つまり、シリルの場合、法規上矢木澤邸が定置場となる。
※4デミレル療法:
アンドロイドを使った精神療法の一つ。感情型アンドロイドの一般販売認可後、アントニー・デミレル医師が考案した。大切な人に死なれた事を受け入れられず精神の均衡を崩した人に対し施される。
外見や感情プログラムが故人そっくりのアンドロイドを治療対象に付き添わせ、カウンセリングプログラムを通して故人の死の認識と受容を促す。対象がアンドロイドに対し極度の依存に陥るリスクが高く批判が強い。その為、ごく一部の深刻な状態の対象にごく短期間行われるのが通例。また、感情型アンドロイドは極めて高価なため普及した治療法とは言えない。
【次回】 つきまとい-2 恥じらいと予感
4/20 22:00 公開予定
※2020年9月3日 加筆修正をしました。
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