第8話「お願い。今夜はひとりにしないで」

「なぁ、

 もうひとつ上のグレードの部屋でも良かったんじゃないか?」


俺は宿屋の管理人に案内された部屋の中で、不満を訴えた。

いくつか用意されていたグレードの中で、モエカが選んだこの部屋は、地上階で、窓が小さく、まだ陽は暮れていないというのに既に薄暗い。

建物自体の作りもかなり古いようで、歩くと床板がギイギイと音を立てた。


「しかたないでしょ。

 収入が安定しないうちは贅沢できないし」


悔しいが、正論だ。


100円ショップとの間を何度も往復して商品を売りさばけば、効率よく利益を上げられるかもしれない。

だが、缶ジュースやチョコバーでモエカがあれだけ強烈な反応を示したことを考えると、必要以上のインパクトをこの世界の人々に与えてしまう可能性もあるだろう。

法に触れたり、誰かの商売を邪魔してしまったり、欲に目が眩んだ奴に襲われることも考えられる。

勝手がわからないうちは、極端に目立つ行動は控えるべきだ。


「じゃあ、俺は自分の部屋に行くな」

「うん。

 また明日ね!」


俺はモエカの部屋を出て、隣の部屋に入った。

間取りはまったく同じだ。


実は、こちらの世界に来てからというもの、ずっと確認したいことがあった。

自分の姿だ。


肌の色も、肉のつきかたも、以前の自分とは違う気がしてしっくりこなかったのだが、なかなか自分の姿を映せるものがなかった。

しかしこの部屋には、小さいながら額に入った鏡が、壁にかけられていた。

恐る恐る鏡の前に立つ。


やはり・・・別人だった。


体つきは以前の俺と同じだが、肌は浅黒く、髪は硬毛。眉が太く、目も鋭い。

都会で育った生っ白い俺とは対象的に、たくましくワイルドな雰囲気だ。

俺も近代文明より前の世界で生まれていたら、こんな感じに育ったのかもしれないが。


予想していたこととはいえ、長年連れ添ってきた自分の体と分離されてしまったという事実は、なかなか受け入れがたかった。

俺の精神だけがこの世界に転移したのだとすれば、元の体は今ごろ、どうなっているのだろう?

消滅してしまったのか?

残っているとしても、使命を果たしたあとで、ちゃんと返還されるのだろうか?

考えてみたところでわかるはずもないのだが、不安は尽きない。


それに今のこの体は誰の物なのか?

本来の持ち主がいるとしたら、どうなってしまったのだろう?


俺は、この世界に初めてやってきた時、頭部に損傷を受けていたことを思い出した。

・・・死んだのか。


死んだ瞬間に、俺の精神が乗り移った・・・。

そう考えるのが妥当だろう。


今の俺はさながらゾンビか?


自虐的にそう思ってちょっとブルーになったとき・・・


「いやぁああああっ!!」


隣の部屋から悲鳴が聞こえた。


モエカに何かあったのか!?


俺は慌ててナップサックからフルーツナイフを取り出した。

部屋から出ようとすると、逆に扉が開いてモエカが走り込んできた。


「た、助けて!」


俺は恐怖におののく彼女の体を受け止めた。

激しい心臓の鼓動と、肩の震えが伝わってくる。

背中をぽんぽんと叩いて安心させ、硬直した彼女を誘導して、なんとかベッドに座らせた。


「何があった!?」

「あ・・・あ・・・」


あまりの恐怖に言葉が出ないようだ。

勇敢な剣士である彼女をここまで怯えさせる者とは・・・いったい何者だ?

俺はフルーツナイフのキャップを抜くと、廊下に躍り出た。


モエカの部屋の気配をうかがう。

物音は・・・しない。

俺は周囲に警戒しながら、モエカの部屋に入った。


誰も・・・いない。

逃げたか?


と、そのとき、背後から忍び寄る黒い影があった。

振り向きざまに俺の視界に入ってきたそれは・・・


ゴキブリ!?


カサカサという不気味な音とともに走り去った姿は、紛れもなく奴(G)だった。

さすがは、地上最強といわれる生物。

この世界でも健在とは・・・。


本来なら新聞紙を丸めて戦うところだが、周囲にそれらしいものは見当たらない。

奴の俊敏さ(アジリティ)は遥かに人間を上回っている。

素手で戦っても勝ち目は無いだろう。


なにか武器はないか?


俺は、100円ショップが害虫対策製品も扱っていることを思い出した。


**********


100円ショップで買い物を済ませ、声を掛けると、モエカは恐る恐る、自分の部屋へと戻ってきた。


「なにこれ?」


俺が手に持っているものに気がついたようだ。


「粘着式ゴキブリとり 5個セット(100円)だ」

「え?」


「あ、いや・・・

 俺の故郷で良く使われている害虫向けの罠だ。

 エサで呼び寄せておいて、ベトベトした粘液で動けなくする」


モエカは、俺が設置したゴキブリ捕獲器に近づくと、中で身動きがとれなくなっている奴の姿を確認した。


「すご・・・い」


彼女の緊張が解け、安堵の表情になった。

呼吸も落ち着いてきたようで、ゆっくりとベッドに腰をおろす。


「念のため5つも設置したからな。

 このあと新しい奴が現れても大丈夫だろ。

 もう安心していい」

「ありがと・・・ミノル。

 もう駄目かと思った」


そんな大げさな・・・と言いかけたが、プライドの高い彼女にも、苦手なものはあったんだな。

そう思うと、なんだか彼女を愛おしく感じる。


「じゃ、また明日な」


俺がそう言って立ち去ろうとすると、後ろから彼女に袖をひっぱられた。


「?」

「お願い。

 今夜はひとりにしないで」


なんだってー!?


うむむ。

不安なのはわかるが、若い男女が同じ部屋で泊まって大丈夫なんだろうか?

しかも相手は極上の美少女。

理性で本能を抑えられるのか、俺?


俺は今までに無いくらいに思考をフル回転させて対処法を考えた。

しかし・・・そもそも選択肢などないことに気づいた。

モエカは恩人なのだ。


右も左もわからないこの異世界で、なんとか町までたどり着き、宿までとれたのは、彼女がいたからこそだ。

不安が消せないでいる彼女を放っておくことなど、そもそもできるはずがない。


俺は結局、自室から布団を持ってきて、モエカの部屋の床に敷いた。

ゴキブリ捕獲器と同じ目線で寝るのはゾッとしないが、しかたない。


いっぽう彼女は安心した様子で、すぐに安らかな寝息を立て始めた。


これで良かったのだ。


俺はアレコレ想像したせいで、結局一睡もできなかったのだが・・・。


***** つづく *****

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