化け物バックパッカー、透明な虫を見る。
オロボ46
コインランドリーの中、老人は少年を見かけた。化け物は透明な虫を見かけた。
1粒のしずくが、雲から放たれた。
他のしずく達とともに、地上を目指して落ちていく。
地面が見えてきた。既にビルや信号機にぶつかり、脱落している仲間もいる。
1粒のしずくは、まもなく地面に降り立とうとしていた。
ピチャン
その直後、1粒のしずくがバラバラに散った。地面に到達することもなく。
まるで、
バラバラになったしずくは、先行した仲間たちが作った水たまりへと落ちていく。
小さな波紋を広げ、仲間と合流した。
後から続く仲間たちも、波紋を広げて合流していく。
その水たまりに、タイヤが踏み込んだ。
タイヤに飛ばされたしずくたちは舞う。
歩道に立つ、ふたつの人影に向って飛んでいく。
「ぬおっ!!?」「キャッ!!?」
横断歩道の前に立つふたりは、自動車が飛ばした水しぶきを受けた。
「すっかり油断していたな……」
ひとりは去り行く車をにらんでいた。
察しがつくが、この老人、顔が怖い。
ピンクのヘアバンドを頭につけており、右手には折り畳み傘、そして背中には黒く大きなバックパックが背負われている。俗に言うバックパッカーである。
「ドウシヨウ、ヌレチャッタ……」
もうひとりは水しぶきでぬれた服装を気にするように左手を上げていた。
全身を黒いローブで包んでおり、その顔はフードで隠れているために黒い頬しか見えない。全体をよく見ると女性のような体形をしており、右手には折りたたみ傘、背中には老人と同じバックパックが背負われていた。
老人は横断歩道の向こう側を指差した。
「あそこのコインランドリーで休憩をとるぞ」
信号が青になった。
ふたりは横断歩道を渡り、コインランドリーへと歩き始める。
コインランドリーに雨宿りに来た者。
洗濯機をじっと見つめる者。
窓の外を見つめる子供。
彼らに混じって、ふたりはコインランドリーの外で折りたたみ傘を収納していた。
ローブの少女は店内を見渡したのち、老人の顔を見た。
「ココッテ……ドンナトコ?」
「コインランドリーには洗濯機が複数設置されている。格安で衣服の洗濯や乾燥が出来るんだ」
説明を終えた老人は、ふと少女のローブに目線を向けた。
「……お嬢さん、せっかくだから洗濯していったらどうだ?」
「エ……デモ……」
少女は周りを気にするように声を細めた。
「心配しなさんな。着替えがあるだろう」
「ア、ソッカ。デモドコデ着替エルノ?」
「そうだな……店内のトイレの個室を使うか」
トイレの個室の扉が開いた。その中へローブの少女が入る。
洋式便器の隣にバックパックを置くと、両手でローブのボタンをはずし始めた。その手は黒く、爪は長かった。
すべてのボタンが外れた。そこから現れたのは、ローブと同じように黒い肌。ローブを脱ぐと肩まで伸びた髪が揺れる。全身は影のようの真っ黒だ。
閉じられた瞳が、徐々に開いて行く。そこからヌルりと何かが出てきた。眼球ではなく、青い触覚。それはまるで化け物……この世界で言う、“変異体”だった。
コインランドリーの中で、服を着替えた老人は椅子に座り、カゴに衣服を入れていた。
「それにしても、妙に顔がかゆいな……」
老人が頬をかいていると、女子トイレから新しいローブを着た変異体の少女が出てきた。
「お嬢さん、遅いぞ」
「……」
少女は老人を見て固まっていた。
「……どうしたんだ?」
「オジイサン……顔……」
「?」
変異体の少女は老人の隣に座り、彼の額に触れる。
「……」
「ホラ、コレ」
何かを摘まんでいるような指の形を見せる変異体の少女。
「……見エナイノ?」
「ああ、全然」
首をかしげながら変異体の少女は指を放した。
衣服と少女のローブを入れ、老人は洗濯機のスイッチを押した。洗濯機が衣服を回し始める。
「何分待テバイイノ?」
「今回は洗濯と乾燥だから……1時間ぐらいだな」
「ソノ間、ドウスルノ?」
老人は窓をチラリと見ながら、バックパックに手を入れる。
「雨が降っているから観光も出来ないから……しばらくは暇を潰さないといけないな」
バックパックから取り出したのは、1台のノートパソコンだ。
「ソレッテナニ?」
「パソコンだ。用途はいろいろあるが、俺はプログに書き込む時によく使う」
「プログ?」
「ああ、ちょっと待ってくれ……」
パソコンのモニターがプログの画面を映し出す。
「旅先であったことを日記にして公開する……それを他人が見ることが出来る。それに企業の広告を貼ることで収入を得ることもできる。俺はこうやって旅の資金を稼いでいるんだ」
「エ!? ソレッテ……オ仕事……?」
「……仕事しているとは思えないような反応するんじゃない」
1時間が経過した。老人と変異体の少女は洗濯機から衣服とローブを取り出し、乾いているのを確かめてからそれぞれのバックパックに入れた。
「雨が収まり始めたが、もう夕方になってしまった。そろそろホテルを予約しないとな」
「ソレジャア私ハ寝床ヲ確保シテクルネ」
「ああ、雨が上がったらな……ん?」
老人は突然入り口の方を見つめた。
まだ完全に雨がやみ終わっていないというのに、小学生ぐらいの少年が外へ歩いて行くのが見えた。
まるで酔っ払いのような千鳥足で。
「アノ子……傘ヲ差サズニ行ッチャッタ……」
「ふむ……そう言っても俺たちが止める必要はない」
老人は再びパソコンを開き、ホテルの情報を検索し始めた。
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