伸びたラーメンとモラトリアム

七夕ねむり

第1話 伸びたラーメンとモラトリアム

 太陽に反射して眩しく光る髪、平常は冷たく時折熱を帯びる瞳、抜けるような白さの肌、骨張った指先全てが自分の好きな具合に出来ているというのがどうにも不思議で仕方がない。そんなことをぼんやり思う昼下がり、目の前の人物が突然くるりと向きを変えた。


「なあ、お前俺の話聞いてた?」


 まずい。これは非常に不味い展開だ。長年の付き合いから得た危険センサーが頭の中でピカピカと点滅していた。伊達に十五年も幼馴染をやってない。そうだな、色は黄色ってとこか。頭の片隅で余計なことを考えるくらいには残っている余裕をなんとか駆使して、記憶を手繰り寄せる。

「……もちろん。来週行く合宿の話でしょ」

 焦りを悟られまいと軽く微笑んで切り返す。

「………」

 不思議そうな顔をした彼が目を覗き込んできた。よかった、ちゃんと当たってたみたいだ。

「えーっと、そう?」

 覗きこむ、がだんだんと睨みつける、になっている気がして少し距離を置いた。しかし再びずいと目線が近くなる。何だろう、この状況。

「……お前さ」

「なに?」

 こんな間近で霜を見るのは久しぶりだ。次の言葉を中々紡がない理由はわからないが、別に困ることもないので彼がしているように瞳を覗き込んでみる。深い漆黒、映る光。それを一層引き立てる白を縁取る、瞳と同じ色の睫毛。切れ長な目の筈なのに睫毛一本一本は長いんだよなあ。

「じろじろ見んな」

 ぱしり、と軽い音がした。目を一通り観察し終えたのと同じタイミングで彼が頭を叩いたのだと理解するまでに少し時間がかかった。

「霜だって見てたくせに」

 疑問系だけれど有無を言わせない響きで返すと、俺はいいんだよというどこぞのガキ大将みたいな台詞を口にした。

「つーか、お前ってまじで胡散臭いのな」

 十五年来の幼馴染は眉間に皺を寄せると、再び背を向けて数歩前を歩き出す。それって幼馴染に言う台詞なのかな?なんて聞いてみたかったがやめておいた。どうせ霜のことだから腐れ縁だとかなんとか言って悪態つくに決まっているし、そうなると自分の性格からして着地点が定まらなくなってくるのも知っている。

 そのまま校舎裏の細い道を歩いていると、ふわりと優しい香りが漂ってきた。魅力的、それでいて食欲をそそる香りだ。ぐう。嗅覚に反応した胃袋が短く鳴いた。そういやこの先を出ると第三食堂の真横だ。

「霜」

 彼はまだ不機嫌を引きずっているのか、やや間があってからちらりと視線だけをこちらに向ける。

「ねえ、お昼はうどんにしない?」

 お昼まだだったよねと微笑めばそっぽを向いてはあ、と溜息を吐く。なんだか俄然うどんの気分になってきた。入り口から動かない彼を追い抜いて、食堂の中へずんずん足を進める。

「俺は断然蕎麦派だ」

 券売機の前できつねうどんかわかめうどんか悩んでいると、隣でじゃらりと小銭を入れる音がした。

「大丈夫、ここお蕎麦もあるよ」

「知ってる」

 ピッと機械じみた音が鳴って、すぐにバタンと手動式の扉が乱暴に閉まる。振り返らなくても分かる聞き慣れた音にくすりと笑みが零れた。さて、彼の麺が伸びないうちに決めなければ。そう思ったものの結局たっぷり迷った後に、日替わり定食という紙が差し込まれた小さなボタンを押す。小気味の良い音で排出されたそれを手に扉を押した。きっと霜は待ちくたびれてまた仏頂面をしているだろう。それでも二人掛けの席で、伸びた蕎麦とにらめっこしている彼が容易に想像できた。長年の幼馴染の勘は伊達じゃない。

 自販機のボタンを二回押し、ミネラルウォーターと炭酸飲料を拾い上げて皿の隣に乗せた。容量オーバーしたトレイの上でそれらはとても窮屈そうに収まっていて苦笑いが浮かぶ。階段をそろりと登って少し頭が二階に出た辺りで視線を彷徨わせると、こっちだ馬鹿という声が降ってきた。階段を上がりきって、斜め後ろの席が視界に入ると同時に思わず笑いが漏れた。

「ふはっ、」

 不機嫌な彼の顔、伸びて増えたラーメンを乗せた机を挟んで安っぽいプラスチックの椅子が二つ。その一つに行儀悪く腰掛けた彼が鼻を鳴らした。

夏紀なつき、お前……うどんじゃないのかよ」

 そっちだって蕎麦じゃないじゃないかと言ってやりたい気がしたけれど、笑いが止まらなくてそれどころではない。なんとか息をしながら震える手でペットボトルを一つ、向かいのトレイへ置く。彼は不思議そうに目の前のペットボトルを見つめた後、さんきゅと言ってキャップを捻る。目を細めて勢い良く紫色の液体を喉に流し込む表情は、ついさっきまで苛々していた人のそれとは思えなくて再び笑いが零れそうになる。そうなのだ。多分自分は彼の、桐島きりしま霜という人間のこういう所に弱いのだ。

 カタカタと小さく鳴るノイズは頭の隅に押しやった。山型に盛られたチャーハンをつつき、ぼろぼろ崩れるそれを掬って口に運ぶ。小さく整えられた野菜や米粒は一つひとつにしっかりと味が染みていて美味かった。時折口に当たる緑の苦い物体は決して好きではなかったけれど、喉に流し込み事なきを得る。

 それよりも流し込めない別の苦味はどうするというあてもなく、困ったものだななどという考えがふわりと頭を過ぎる。しかしそれは、今考えても仕方のないことなのは明らかだった。 ふ、と息を吐く。間延びした午後に溜息は不釣り合いだった。時間を持て余した大学生に似合うのは、小汚い食堂と悪友なのだ。


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