11 夫婦湯呑
「
「お待たせして申し訳ありません」
お茶の支度を乗せたお盆と共に、基経が現れた。
「あの! 基経さん!」
「まずはお茶でもいただきましょう」
基経からお盆を受け取ると、てきぱきと支度を始める。どうやら来客用は三和のものだけのようだ。湯呑み茶碗を茶托に乗せ、三和の前へ差し出した。
「ありがとう……あら、お二人は夫婦湯呑みなのね」
「めっ……! ち、違います!」
ふっくらとした曲線を描いた白い湯呑み。改めてこの神社でお務めすると決まってから、基経の母、八重子が用意してくれたものだ。
『まゆちゃんは、これからこの湯呑みを使ってね』と。
以来、おやつや食後にお茶をいただく時は、決まってこの湯呑み茶碗を使っている。
「あら、色違いだけど形が同じでしょ?」
基経の湯呑み茶碗は、翡翠色をしたものだ。これまで気にしたことがなかったけれど、言われてみれば形はそっくり……いや同じだ。
「これは、奥様が用意してくださったもので」
「あら、ご家族ご公認なのね!」
「そういうわけでは……」
許婚の噂といい、夫婦湯呑み疑惑といい、気恥ずかしさのあまり目眩がしてきた。
「申し訳ない。うちの母が勝手に出してしまったようですね」
三和との会話を遮るように、基経が割って入ってきた。
はたして、助け船なのか、泥舟なのか。
基経はふたつの湯呑み茶碗に目を落とし、苦笑した。
「陶芸をしている知人がおりまして、ずいぶん前に手土産に貰ったものです。確かに夫婦湯呑みですが、ずっと片方使われないまましまわれていましてね。要するに余り物です」
余り物。その言葉を聞いた途端、繭子は急に冷静さを取り戻した。
ひとりで意識していた自分が、なんだか馬鹿らしくなってきた。
「遠山さんに言われて、ようやく思い出しました」
「あら、そうですの。繭子さんはご存知でしたの?」
「いいえ……それに色がまったく違うので、揃いのものとは気付きませんでした」
繭子は頭を振った。三和といえば、二人の反応が期待していたものではなかったらしく、戸惑った様子だ。しばしの間、沈黙が訪れる。
「あの……突然押し掛けてしまったのに、お気遣いありがとうございます!」
沈黙を破りたかったのか、三和は少々声を張り上げた。基経は薄く微笑むと、羊羮が乗った小皿を二人の前に差し出した。
「学校から直行したのでしょう? ほら繭子さんもおあがりなさい。龍屋の羊羮ですよ」
「……はい」
早く噂のことを弁解しなければ。そう思っていたのに、今はどうでもよくなってしまった。
所詮は噂。基経だって気にしていないだろう。なぜなら三和と羊羹に舌鼓を打ちながら、楽しく談笑しているくらいなのだから。
繭子は少し虚しい気持ちで、羊羮を口に運んだ。滑らかでしっとり甘い羊羮のはずなのに、ちっとも甘く感じられない。
「そうでしたか。繭子さんと同じ高校に通われていたのですね」
「はい。繭子さんの親友である梨恵子さんとは、一年生からずっと級友同士だったんです。ですから繭子さんのお話は、梨恵子さんからよく聞いていましたわ」
基経と三和の会話が頭の上を飛び交う。気にしていないだろうが、許婚の噂はきちんと説明して、お詫びをした方がいいだろう。
「実はお正月、繭子さんがこちらの神社で巫女さんをしているのを見かけまして。あまりにお二人が仲睦まじそうだったから、もしかしたらご婚約されているのかと思ったの。それは誤解だと、繭子さんに伺ったのですが」
三和が自ら誤解だと話してくれて、 自分から話す手間が省けたとホッとする。しかし。
「姉から今回の縁談の話を聞いた時、その噂を利用したらいいと思ったのです」
「私と繭子さんが婚約をしている、という噂ですか」
「ええ、そうです」
自信満々に告げる三和に基経は苦笑すると、硬直している繭子に向き直った。
「繭子さんは、どうお考えですか?」
どうお考えも何も。繭子は浅く息を吸い込んだ。
「まず、妙な噂が立ってしまったことをお詫びいたします」
繭子は深々と頭を下げる。
「わたしの考えですが……三和さんのお姉様に諦めていただくには、わたしでは駄目だと思います」
「何故ですか?」
基経は静かに訊ねる。
「やはり、条件が良い方ではないと。うちは由緒も何もない普通のうちですし、わたし自身、取り立て良いところもありませんし」
少々自虐的だっただろうか。基経は眉を曇らせる。
「やはり三和さんと同じくらい由緒ある家柄で、素敵な方が……いいと思います」
とはいったものの、そんな女性はそうそういないだろう。もういっそのこと、この二人が婚約してしまえば、面倒に巻き込まれなかったのにと、捨て鉢なことを考えそうになった時だった。
「そんなことないわ。繭子さん! あなただって、十分素敵な女性だわ」
三和に言われても説得力に欠ける。
しかし、せっかく褒めてくれたのだ。お礼くらい言った方が良いだろうか。
「それに、ここでご奉仕されているということが、何よりも繭子さん、あなたが許婚であることに説得力があると思うわ。花嫁修業に来ていると、捉えることができるもの!」
「……!」
そのお通りだ。三和に言われるまで気付かなかった。
ここで巫女を続けることが、そんな誤解を招く種になろうとは思っていなかった。
「申し訳ありません! 今日限りで辞めさせていただきます」
座蒲団から降りると、畳に手をついて深く頭を下げる。
「落ち着きなさい、繭子さん」
「さすがに今日限りは無責任でした。今月末で辞めさせていただきます」
「そういうことではありません!」
基経がやや声を荒げる。
驚いた繭子は、思わず顔を上げた。
普段から大きな声を出すことなく、いたって冷静な基経が珍しい。
「……失礼しました」
バツが悪そうな顔をした基経は、気まずそうに咳払いをひとつした。
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